61. ガルナック砦
センテ・レーバン王国とガモーフ神国の間に横たわるアトリア連峰。万年雪の被る峻険な山々が連なるその中でも、もっとも標高の高い山をシエラ山と呼ぶ。シエラとは、センテ・レーバンの古い言葉で、神々の住まう場所、という意味があるらしく、現在でも信仰の対象としている村落もある。
そのシエラ山が見下ろす場所には、谷がある。この谷はガモーフまで抜けており、センテ・レーバン側からは、ガモーフのヨルン平原へと通じているのだ。
ガモーフ神国から、センテ・レーバンへ抜ける道は、三つある。一つは空白地帯の街道を北へ進んだところにある、アローズ関所を通り抜ける道。二つ目は、アルサスたちが通った、エントの森経由でハイゼノンへ出る道。前者は、空白地帯を通らなければならないため、ギルド連盟がそれを邪魔する。また、後者は深いエントの森が行く手を阻む。そのため、ガモーフ軍が進軍してくるとすれば、シエラ山の麓の谷であった。
谷の出口は、センテレーバン側も平原となっている。ガルナック平野と呼ばれるそこには、巨大な要塞城が威容をたたえていた。
その名も「ガルナック砦」。
十年前のヨルン平原での戦の際には、前線基地として使われた経緯を持ち、本来のその目的は、谷を抜けて、ガモーフ軍が進軍してきても、この要塞をやり過ごすことは出来ないようにする、拠点である。
つまり、センテ・レーバンにとっては、防衛の要であり、ガモーフにとっては、前後の挟撃を防ぐために潰すべき、敵拠点なのである。
ガルナック砦は、その役目から、かなり堅牢に築かれている。見晴らしのいい平原の真ん中に陣取り、ハイゼノン並に高い城壁と、鉄の門、城の周りには、馬防柵と堀が巡らされている。また、城壁に設けられた東西南北四つの見張り台が、敵の姿を具に睨み付けている。戦闘を目的として築かれているため、城下町などは形成しておらず、センテ・レーバンにあるどの城よりも、生活感は皆無に等しく、冷たい感じがするのも、ガルナック砦の特徴と言えた。
そんなガルナック砦にアルサスがクロウと王都守備兵を率いて到着したのは、ルウに「旅の仲間の解散」を告げてから三日目の夕刻だった。王都を後にする若き王子の出陣をを王都の人たちは、万歳とともに見送った。しかし、そこにルウたちの姿はなく、アルサスは心苦しいものを感じずにはいられなかった。
もしかすると、王子フェルトに戻るというアルサスの決断を、彼らは怒っているのかもしれない。いずれにしろ、彼らはアルサスのことを勝手だと思っているに違いないだろう。そんな風に考えながら、アトリア連峰が夕日を受けて幻想に輝く光景を見つめる余裕もなく、アルサスは王国の国旗が風にはためくガルナック砦へと入城した。
すでに、先行してガルナック砦に進駐している王国騎士団の面々は、右往左往しながらも、着々と戦の準備を整えていた。彼らは、アルサスの姿をみると、一様に仕事の手を休め、深く敬礼をする。アルサスも、威厳を見せるよう、馬の背で、胸を張った。
彼らがどのような気持ちで、このガルナックに集まっているのかはわからない。しかし、彼らは彼らなりに、国を守るという使命を胸に、騎士団の鎧を身に着けているのだ。それが、彼らの誇りでもある。フェルトに戻ると決心したアルサスは、王子としてその期待に応えなければならない。そのために、王家の剣である「ナルシル」を腰に挿しているのだ。
「フェルト殿下! お待ちしておりました!!」
アルサスたち兵団の姿を認め、声高にその名を呼びながら、砦の中心部にある城より駆け出してきたのは、二十代後半と思しき背の高い騎士である。
余談であるが、センテ・レーバン騎士団の鎧はすべて共通のデザインである。しかし、所属する部隊別に、少しずつ、意匠が異なるのだ。それによって、どの部隊に所属しているのかが、騎士団の間では一目瞭然となっている。たとえば、親衛騎士は胸当てに、鳥の羽を思わせる飾りがついている。一般の王国騎士団は、肩当に「矢受けの袖」と呼ばれる鎧袖が設けられていたり、各所の砦や関所の守衛隊の鎧には、胸当てから肩当にかけて、それぞれペイントが施されている。また、部隊隊長格になると、クロウのようにマントを着用することが多い。
アルサスの本名を呼んで、彼の前に現れた背の高い騎士もまた、マントを着用しおり、同時に鎧にガルナック砦を表す紋章がペイントされているところを見れば、彼がガルナック砦の守備隊司令官であることは、すぐに分かった。
「ご苦労さまです。キリク・クォーツ司令官」
ガルナック守備隊司令官、キリクにそう言ったのは、アルサスではなく、彼に随伴したクロウだった。司令官は、馬上のクロウの方をちらりと見ると、やや軽くお辞儀をする。
「すでに、トライゼン騎士団長たちは作戦会議室にお集まりです。殿下もお急ぎください」
「ああ、分かった。クロウ、馬を頼む。それから……後でお前も作戦会議に参加しろ」
アルサスは、自らの馬を下りると、クロウに向かって言った。クロウはいささか驚いた顔をする。
「しかし、僕は親衛騎士の部隊長だ。将軍たちの集まる作戦会議には……」
参加できない、と言いかけたクロウにかぶせる様に、アルサスは続ける。
「ブレック副官が、ハイゼノンより戻れば、事実上、お前が現親衛騎士団の団長だ。俺の力になってくれるって言ったよな。期待してるんだ、これでも」
そう言われれば、クロウは異論を唱えることは出来ない。たしかに、親友の力になると言ったのは自分だ。しかし、いきなり親衛騎士団長という身の丈に会うかも分からない大任を任されたことに、否が応でも萎縮してしまう。
「本気なのかい?」
問いかけるクロウに手綱を渡しながら、アルサスは頷くと踵を返し、キリクに案内を請った。クロウはしばらく二人の背を見つめていたが、頭を振って馬番を呼んだ。アルサスから預かった馬と自らの馬を馬小屋につなぐためだ。
一方、城に入ったアルサスはキリクの後を付いて行きながら、窓一つない城内に、窮屈さを感じずにはいられなかった。窮屈といえば、自らが纏う鎧もそうだ。騎士たちの鎧に近い形状だが、もともとは父が若かりし頃に愛用していた鎧らしく、それ相応の飾りが施されている。ノミの市で手に入れた、ギルド・リッターの鎧とは違い、きているだけで重圧も一緒に肩にのしかかってくるような気がする。
「このガルナックが前線となる日が、こんなに早く訪れるとは、思っても見ませんでした」
突然、アルサスの少し前を、マントをはためかせながら歩くキリクが言った。キリク・クォーツというこの騎士とアルサスは初対面だ。ずいぶんと背が高く、それでいて尖った顎や、灰色の瞳は、表情が読みがたいほどに、びくりともしない。そのため、キリクの言った言葉が、ただ単に驚きを口にしたものなのか、アルサスへの叱責を込めたなのか、よく分からなかった。
アルサスが答えに窮していると、キリクの足が突然止まる。城内の最深部にある、会議室へと辿り着いたのだ。
「こちらです」
抑揚ない声でキリクは言うと、鉄の扉を開いた。会議室は、軍議を行うために設けられた部屋だ。中央には、円卓と地図を広げるための台が用意されている以外には、ひどく殺風景だった。
キリクの言ったとおり、すでに騎士団の軍団長たちが勢ぞろいし、円卓に就いている。彼らは、部屋に入ってきたアルサスに、起立し一礼を送った。アルサスは、なるべく毅然とした態度で「ご苦労」と声をかけつつ、円卓の一番奥にある自らの席に腰掛けた。
「まずは、初対面であるわれらから、自己紹介をば」
アルサスの着席にあわせそう言ったのは、アルサスの席に一番近いところに座る、初老の男である。オールバックにまとめた髪には白髪が混じっているが、年齢を感じさせない筋骨隆々の腕と、細い目からのぞく瞳は、現役武官らしい逞しさに満ちていた。
「センテ・レーバン全権騎士団長、トライゼン・バルックにございます」
全権騎士団長とは、親衛騎士団と王国騎士団をあわせたこの国のすべての騎士の長である。すでに前国王であるアルサスの父の時代から、腹心として活躍していた男で、人々からは「将軍」の愛称で親しまれていることを、アルサスも知っていた。しかも、何あろう、次期国王にフェルトを推したのもこの人物である。
「同じく、センテ・レーバン第一大隊長、アーセナル・ビルゴです」
トライゼンに続き、名を名乗るのは、大隊長の一人アーセナルである。年のころは四十半ばか。ずいぶんと太っており、アルサスとは違った意味で、鎧が窮屈そうだ。
アーセナルに続き、第二、第三大隊長や、作戦仕官たちが名を名乗っていく。その数二十余名。一人一人の顔と名前を覚えるだけでも一苦労しそうであった。
「センテ・レーバン、ガルナック砦守備隊指令、キリク・クォーツであります」
ようやくキリクが自己紹介を終えて、最後、アルサスとは円卓の中心にある地図台をはさんで真向かいに座る騎士が席を立つ。
「センテ・レーバン北部方面隊隊長の、カレン・ミラ・ソアードです。若輩者ですが、よろしくお願いします」
と、名を名乗ったのは、アルサスより少し年上の、それでもまだ少女と呼ぶのがふさわしい様な娘だった。髪を肩まで切り揃え、年頃というのに紅のひとつも指していないその顔は、凛々しいというよりも、可憐な風合いがあり、この軍議に場違いのようにさえ思えた。しかし、彼女が名乗るとおり、鎧には地方部隊の紋章があり、またマントも羽織っている。
「カレンは、先月入団したばかり。二十歳の娘っ子ですが、ヴェイル家と並ぶ名家と呼ばれたソアード家の子にございますれば、その実力はワシが保障しますぞ」
アルサスが不思議そうにカレンを見つめているのに気づいたのか、トライゼンが笑顔で注釈を加えた。騎士の中には名家があり、たとえばクロウのヴェイル家や、トライゼンのバルック家も、数々の騎士を輩出した代々の家柄である。ソアード家もそのひとつと言える。しかし、それに比しても、カレンの姿は、血なまぐさい戦場にはあまりにも似つかわしくないように、アルサスには思えた。
カレンの自己紹介が終わると、それを見計らったかのように、会議室の扉が開き、クロウが姿を見せる。クロウの後ろには、副官のブレックの姿もあった。
「ただいま到着いたしました、センテ・レーバン親衛騎士団長を拝命いたしました、クロウ・ヴェイルです」
「同じく、副長ブレック・ケイオン。ハイゼノンより馳せ参じました」
敬礼とともに名乗る二人に、トライゼンは着席を促した。これで、各騎士団長がほぼ全員そろったことになる。
「これより軍議を始める」
アルサスは、クロウとブレックが着席したのを確認してから、低い声で口火を切った。軍議は、目下迫り来るガモーフ軍への対処という議題で進んだ。
偵察に赴いた斥候の話では、一両日中には、ガモーフ先遣の部隊が、アトリアの谷を越えるという話だ。そうなれば、ガモーフ軍は間違いなく、ガルナック砦の前に広がる平野に展開するだろう。見通しが良いぶん、戦略を立てるのが難しい。
作戦仕官たちは、台の地図上に並べられた駒を動かしながら、戦況の展開を予測立てた。
「しかし、先定石どおり城攻めのため、先遣隊だけでも三倍の兵隊を送り込んでくるとは……しかもガモーフ本隊をあわせれば何十倍にもなる。敵は総力を傾けてきているのだ、これでは太刀打ちできませんぞ」
渋い顔をするのは、アーセナルである。彼は、肥満した額に浮かぶ汗を拭いながら、どうするつもりなんだと、嫌味な視線をこちらに向けてくる。
「今も、諸侯の多くに出陣を依頼しておりますが、どの諸侯も首を縦には振りません。しかも、親衛騎士のほとんどが、ライオット事件の引責でその役目を解かれた今、わが国の兵力は、悉く寡兵であると言わざるを得ません。現状を鑑みるに、ここを守りきることは難しいかと」
キリクは、アーセナルを無視するように、アルサスに現状の再確認を促した。本来ならば、国の有事の際には、各諸侯が自領の兵を引き連れて馳せ参じる手はずとなっているのだが、彼らはライオットの引き起こした一件依頼、顔を見せようとはしない。そうなれば、戦うのはセンテ・レーバン王家に忠誠を誓う、王国騎士団だけとなる。
そのことは、アルサスも重々承知していた。だが、それで事態が好転するわけではなく、改めて、騎士団長たちは、頭を垂れてしまう。そんな一同に、渇を入れんとばかりに、トライゼンが机を拳で叩いた。
「諸侯どもの力を当てにしても、彼らは自分の領地大事。真に国を守れるのは、騎士のみじゃ。そのような弱気でどうするんじゃ、皆のもの!」
「しかし、トライゼン将軍。現実は現実として、受け止めてくださらねば。精神論だけで、何十倍もの兵を打ち破れるわけがないでしょう。向こうとて、烏合の衆ではありますまい。徒に死者を増やすよりも、降伏もひとつの手段とお考えいただきたい」
返すアーセナルの口ぶりは、やや呆れているようにも聞こえる。
「なんじゃと!? 貴様っ、国を売れと申すかっ!」
トライゼンはきつくアーセナルをにらみつけたが、「ならば他に方策がございますか?」と問われれば、トライゼンの怒りもしゅるしゅると萎んでしまった。
沈黙だけが、会議室を漂っていく。どうすることも出来ない負け戦となることが分かっているだけに、良い案など、トライゼンだけでなく、誰の頭にも浮かびようがなかった。
「殿下! フェルト殿下はどうお考えなのですか?」
突然、沈黙を破ったのは、アルサスの向かいに座るカレンである。カレンの青い瞳は、真っ直ぐにアルサスの赤い瞳を見つめていた。その瞳が、少しだけネルに似ているように思ったアルサスは、心臓を鷲づかみにされたような気分になった。
「俺は……降伏するつもりはない。国王であるシオンの名代として、俺はこの国をガモーフに手渡したくはない。だけど、現実的な見方をすれば、アーセナルの危惧するところも分からなくもない。だから、使者を立てる」
「しかし、使者でしたら、もう何度もガモーフへ送っています。でも、一人として帰ってきてはいません。もう無駄なのではないでしょうか?」
アルサスは、そう返すカレンの視線から逸らさずに続けた。
「使者を送るのは、ガモーフ先遣隊から、この砦を守ったあとだ。苦しい戦いになるかもしれないが、先遣隊を破れば、戦争が長期化するかもしれない。そうなれば、我が国と同じように飢饉に苦しんでいるガモーフも、戦争を長引かせるわけには行かなくなり、譲歩せざるを得ない」
「しかし、三倍の兵を相手に勝てる道理など……!」
と、アーセナル。
「精神論も捨てたものじゃない。確かに兵法書に書かれている通り三倍の兵で挑めば、城を攻落とすことはできるかもしれない……だけど、国を守るという使命のある俺たちのほうが士気は上。戦の勝敗は、数ではなくて兵の士気による。これも兵法の本に書かれていることだろう?」
「気楽なことを」
「だったら、アーセナル。生まれた国を捨てて、敵に命乞いをするか? 他の者にも聞く。ガモーフに降伏したいという者がいるなら、遠慮はしなくて良い。ここを立ち去ってくれても構わない。みんなに死んでくれなどと言えるわけがない。ただ……」
アルサスは、すっと席を立ち円卓に就く騎士たちの顔を一人ずつ見つめた。
「シオンの不肖の兄として頼む。どうか、力を貸して欲しい」
そう言うと、アルサスはこともあろうか、深々と頭を下げた。俄かに騎士たちの間にどよめきが走る。そのどよめきを、先ほどの沈黙を破ったのと同じように、カレンが打ち払う。
「わたしは、センテ・レーバンの誇り高き騎士として、殿下についていきます!」
「私も。フェルト殿下の親友として、この剣を振るいます!」
カレンに続き、クロウも声を上げる。すると、次々と騎士たちが「ご命令を!」と叫んでいった。
「どうやら、アーセナル以外は皆、戦う決意を固めているようですな」
トライゼンが髭面に少しばかりニヤリと笑みを浮かべながら、アルサスに言った。だが、その言葉は同時に、アーセナルにも向けられていた。アーセナルは、バツが悪そうに「フンっ!」と鼻を鳴らしそっぽを向く。
「すまない、みんな」
「なに、殿下が謝ることではございませんぞ。騎士として、ライオットの暴走を止められなかった責は、われわれにもあるのです」
再び頭を下げたアルサスに、トライゼンは言った。
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