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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第七章
60/117

60. 旅の仲間の解散

 請われるがまま、自らの生い立ちと、ここにいたる経緯を語って聞かせたアルサスは、深い溜息を吐いて、その濁った息を目で追うように、天井を見上げた。

 調度品や家具は少ないが、立派なカーテンやカーペットは、その部屋が来賓用の客間であることを伺わせる。そんな部屋には、ルウ、フランチェスカの他、クロウの姿があった。誰もが神妙な面持ちで、ベッドの傍らに腰を下ろしたアルサスの話に聞き入っていた。

 シオンの即位式から、すでに三日が過ぎていた……。メッツェの反抗、ネルとの訣別。それだけではない、センテ・レーバンの宰相たるライオットの暴挙により、ルミナスという一つの街が白き龍に飲み込まれた。また、彼自身に降りかかった死という幕切れは同時に、センテ・レーバンに余計な負債を置き土産にしてくれた。

 一見すれば、第一王子であるアルサスことフェルトと宰相ライオットのお家騒動とも受け取れないことはないが、ライオットが刃を向けたのは、フェルトにではなく、魔法使いギルドとガモーフ国領であった。

 そのため、即位式に来賓として招かれた各国の使者や、ギルド連盟の幹部は、この事態を忌忌しきものとして、本国や本部に伝える意向を示し、王都をあとにした。また、諸侯の多くも、口には出さなかったが、その内心に今後の身の振り方を考えている節は大いにあった。幸いであったのは、彼らの中に死傷者が出なかったことではあるが、センテ・レーバン国内に混乱が広がることは必定であった。

 もともと、武力で統一国家化した連合王国は、一枚板とはいえない。争いとなる火種は常に、そこ此処に点在していた。たとえばそれが、飢饉や貧困を理由とした各地の農民の反乱や、それを是正しない王国へのファレリア公の謀反であった。しかし、戦争を起こすには体力が必要だ。資金や兵糧、武器だけでなく、戦争を起こす者たちの大きな士気が欠かせない。だが皮肉にも、貧困や飢饉はそういったものまでも奪い、戦乱は局在的となり、大きくなることはなかった。

 しかし、今度ばかりは違う。人々は白き龍……即ちあの白い光を見たのだ。それは十年前、三つの国が互いにぶつかり合ったヨルン平原での戦で、一瞬にして二百万もの将兵の命を奪った、あの光。それを白き龍と呼ぶことなど誰も知らなくとも、あの光は人々の心にトラウマのように植え付けられている。

 トラウマは恐怖に、恐怖は憎悪となって、それを打ち払うべきだと言う結論に至る……。

 自らを「銀の乙女」と相対する「金の若子」と名乗ったメッツェは、白き龍を蘇らせたのは奏世の力ではなく、十六個の解除コードさえ唱えれば、誰でも蘇らせることができると言った。その解除コードとは、ネルがレパードに操られている振りをして唱えた魔法言語であろう。

 魔法言語は太古より伝わる言葉であり、解読が進められているにもかかわらず、ほとんど意味は分かっていない。そのため、十六個の解除コードを知っている者は、この世界にいるとは思えないのだが、それでも、もしも誰かがその言葉を知っていたら、という疑心暗鬼にかられれば、それは脅威となり得るのだ。そして、その脅威の発端は、他ならぬ今は亡きライオットに始まるのだ。

 つまり、センテ・レーバンはすでに各地の諸侯、ガモーフやダイムガルド、ギルド連盟にとって、脅威となってしまったのだ。

 そのため、ギルドは大小かかわらず、空白地帯や外国へと引き上げ始めている。更に、ダイムガルド帝国は国境にあるスエイド運河の橋を上げ、更に港をすべて封鎖してセンテ・レーバンとの国交を一切遮断した。そして、最大の敵国であるガモーフ神国は使者たちの報告を受けるなり、教会勢力の神衛騎士団を再編し、センテ・レーバンへ攻め込むための軍備を整えているという情報も入ってきている。

 しかし、センテ・レーバンにはそれに対抗しうる手段がほとんどなかった。

 先にも述べたとおり、諸侯たちは自領に引き上げ、身の振り方を案じている。あるものは病気を理由に、領内の館に引きこもっている者もいるし、また別のあるものは早々にガモーフやダイムガルドへの助成を打診しているという、裏切り者までいる始末。

 そして、騎士団の主力を形成する親衛騎士の多くが、ライオットに加担した。彼らが本意であったかどうかは、人それぞれであるが、ライオットの暴挙に加担した罪を白紙にすることは難しい。極刑こそ赦したとしても、騎士の位を剥奪することは避けられそうにもない。そうしなければ、親衛騎士を除く騎士団たちの士気に影響を及ぼしてしまうのだ。

 更に、センテ・レーバンにとって不幸なことは、新国王に即位したシオンのことである。ライオットがギャレットにより切り殺されたため、行政のトップである宰相が不在となり、その穴を埋め国政を一手に引き受けなければならないはずのシオンは、現在意識不明で床に伏している。

 彼女の幼い体と心を操っていた、レパードの魔法装置は取り外したものの、そのまま意識が戻らなくなってしまったのだ。技術院の研究員たちによれば、長い時間レパードの魔法装置を装着していたため、その副作用が出てしまったのではないか、と言うことだった。難しいことは良く分からなかったが、シオンが意識を取り戻すとしても、今日の明日にと言うわけには行かないようだった。

 メッツェとネルの居所は杳として知れない。宰相殺害の下手人でもあるギャレットは、メッツェに従い姿を消した。さらに、メッツェに加担していたと思われるライオット付きのメイド長も、行方をくらませた。

 事態は、センテ・レーバンにとって、アルサスにとって、そして世界にとって、暗澹と姿を変えて、戦争と言う暗い影を落とし始めている。それを、ライオットの負の置き土産と呼ばずして何としよう? 死人に鞭打ちたくはないが、ライオットは罪を残して逝ってしまった、大罪人なのだ。

 もはや、戦は避けられないかもしれない……。そうなる前に出来ることは、世界を変えると言い放ったメッツェとネルを見つけ出すか、それとも……。

「馬子にも衣装だね」

 アルサスの話を聞き終えたルウが、部屋に篭った暗い空気を払いのけようと、アルサスのいでたちを指して言った。

 そんなルウは、シオンを庇って出来た傷がなかなか治らず、医者に「安静にするように」と念を押されて、この来賓用の客室に設えられたベッドに寝かされている。命に別状はないが、傷は浅くもない。しかも子どもであるため体力にも乏しく、あれだけの流血をして尚、無事でいられたことは、奇跡に近いと医者は言った。「それが神童って呼ばれる所以なんだよ」と、ルウはわざとおどけて見せたが、それは一様に暗い顔をするアルサスやフランチェスカを気遣ったのと、自らが同じような顔にならないようにするための、空元気だった。

 無論、ルウだって本当は暗い気持ちになりそうだ。好きな女の子が、少しばかり離れ離れになっている間に、まさかテロリストになって、センテ・レーバンの国王の命を狙おうとしたことは、未だに信じられない。そのナタリーは、現在王国によって、エルフォードの会のメンバーとともに捕らえられている。ナタリーを除くメンバーたちは審議官たちに、自分たちの正当性を訴えていると言うが、ナタリーだけは何も語らず、ただ一人泣きはらしていた。

 自分の知るナタリーは、そんな子ではない。良く怒るし、気が強いけど、どこか他人を心から心配する優しい女の子だった。けして涙を見せたりはしない……。そんな彼女のことを思えば、ルウの胸は張り裂けそうになる。

 だが、それを見せないのは、ルウがその分賢しい子どもということなのかもしれない。

「そうだな……久しぶりにこの服に袖を通したけど、なんだか窮屈だ」

 アルサスは、窓ガラスに映る自分の姿に苦笑する。「馬子にも衣装」とルウに言わしめたのは、王子フェルトのフォーマル。高貴な装飾の袖や襟元もマントもすべてオーダーメイドの品だ。それらが、ぴったりと合っているのは、アルサスが本当はこの国の王子であるという何よりの証拠だ。

 事態の収拾とシオンの名代を務めるため、城の私室にしまい込んだフォーマルに、半年振りに袖を通した。そう……半年前、アルサスはこの世を破滅へと導く「銀の乙女」と呼ばれる少女、即ちネルを殺すために、その決意と一緒に、このフォーマルを脱ぎ、名前も身分もすべて捨てたつもりだった。

「ねえ、アルサス……。本当に、ネルお姉ちゃんを殺すつもりだったの?」

 ルウはアルサスの赤い瞳を見つめて問いかけた。

「ああ、そうだ。俺はネルを殺すために旅に出た。あいつがあいつの意思でないにしろ、白き龍を蘇らせれば、世界が破滅する。巫女の家系だった母さんが残した言葉を俺は信じていたからな」

「でも、違ったんでしょ? 奏世の力は世界を変える力で、白き龍を蘇らせる力じゃないって、あの金色の髪の人が言ったよね」

「それでも、現実に魔法の言葉で白き龍を蘇らせたのは、ネル自身だ。母さんの予言は外れてはいなかった。だから、そうなる前に、ネルを殺すべきだったんだ。母さんの言ったとおりに……。でも出来なかった」

 アルサスはなぜか、ルウから視線を外した。所在を求めるように赤い瞳は、部屋の隅で壁にもたれ、腕組みをしたまま目を閉じるフランチェスカで止まる。

 彼女としては、十年前の憎い仇であるギャレットが、メッツェに加担していたことを、どう思っているのか。その表情から読み取ることは出来ない。

「どうして、出来なかったの? 少なくとも、ボクは旅をしている間ずっと、アルサスに殺意なんて感じなかったよ」

「それは……ネルが普通の女の子だったから。もっと悪い人間で、世界を滅ぼそうとしていたなら、すぐにでもナルシルを振り下ろした。でも、あいつは『運び屋』の馬車の荷台で泣いていた。ハイ・エントェントのバゼットに俺が負けそうになったときも泣いていた。そんな女の子を何も思わないで殺せるほど、俺は人間が出来ちゃいない。世界のために、一人の犠牲で何億人もの人を救うなんて、口で軽々しく言ったって、俺には出来なかったんだ」

「その結果を君は考えたの? こうなってしまうことは、考えたの?」

 突然、フランチェスカが顔を挙げ、目を開きアルサスに問いかけた。アルサスは再び、その視線を泳がせなければならなくなる。

「考えたさ。だけど、あいつは奏世の力のことも自分のことも何も知らなかった。何も知らないで殺されることほど、辛いものはないだろ? だから、せめて……」

「せめて?」

「あいつが自分のことを知り、その上でどうするか見届けたかった。だから、俺は『自分のことが知りたい』と言うあいつの依頼を受けることにした。バゼットと同じように、俺もあいつに賭けてみたんだ」

「そして、賭けに負けた。そのことをとやかく言うつもりはないわ。あなたの気持ち、分からなくもない。だから、大事なのはこれからどうするかってこと。ネルを探し出し、彼女を説得するのか、それとも彼女を殺すのか。その決断は、君にしか出来ないのよ」

 フランチェスカの言葉は、芯を射て、アルサスを黙らせてしまう……。沈黙が、部屋の中に訪れて、ただ静かに時間だけが刻まれていく。それに痺れを切らしたのは、やはりルウだった。

「お姉ちゃんを探しに行こう。あの金髪ヤローから、お姉ちゃんを連れ戻すんだ。ボクたち三人で説得すれば、きっとお姉ちゃんも分かってくれるよ!」

 力説するルウ。しかし、アルサスは泳がせた視線は結局その居場所を床に求めてしまった。

「ごめん、ルウ……俺は行かない。いや、行けない」

「何言ってるんだよ、アルサスっ!!」

 予想外の答えに驚いた、というよりも、今まで見たこともないほど、歯切れの悪いアルサスに、ルウは苛立ちさえ覚えた。

「お姉ちゃんを見捨てるの!?」

「そうじゃない。ガモーフは、再三の調停申し入れを拒否し続けている。それは、戦争への最後通牒だ。近いうちに、ガモーフの軍隊がアトリアを越えて来る。シオンが意識を取り戻さない今、この国を守れるのは王子の俺だけだ」

 そういって、まるで話を打ち切ろうとするかのように、アルサスは立ち上がった。その横顔は、ルウの知るアルサス・テイルの横顔ではなく、まったく知らないフェルト・テイルの横顔のように思えた。

「そんな、大人の理屈みたいなこと、言わないでよ! ネルお姉ちゃんは、アルサスのこと好きだったんだよっ」

 クロウを従えて部屋を立ち去ろうとするアルサスに、ルウは食い下がった。その言葉に、アルサスの足がぴたりと止まる。だが、振り返りはしない。

「アルサスだって、お姉ちゃんのこと好きだから、殺せなかったんでしょ!?」

「そうだよ……。でもな、例え俺がレイヴンのアルサス・テイルだと名乗っても、どれだけの嘘を吐いても、結局俺は俺でしかない。この国の王子フェルトをやめることは出来ないんだ」

 アルサスは背を向けたまま、低い声で言った。ルウは布団を跳ね除けベッドから飛び降りる。

「じゃあ、ボクも行く! 行って、ガモーフの兵隊を追い払う。そしたら、お姉ちゃんを連れ戻しに行こう

 と、威勢良く言ったものの、完治していない脇腹の傷が痛みを走らせ、思わず膝をついてしまう。

「そんななりじゃ、足手まといだ。それよりも、お前は、ナタリーを助けてやれ。俺には、刑を重くしないように図ってやることはできても、あの子の心の傷までは面倒見てやれない。それが出来るのは、ルウ、お前だけだ」

「アルサス……」

 ナタリーのことを引き合いに出されては、ルウも言葉を失ってしまう。

「旅の仲間はここで解散だ。身の振り方も含めて、考えておいてくれ……フラン、ルウのこと頼む」

「それでいいの?」

 アルサスの別離の言葉と受け取ったフランチェスカは、その背中に問いかけた。君はそれで納得できるのか? だが、アルサスは返事を返すことなく、部屋を後にする。

 残されたルウとフランチェスカの二人は、ただ押し黙って、アルサスの出て行った扉を見つめていた。


 客室を出たアルサスとクロウは、廊下を宰相府のある北塔へと歩く。宰相が他界してしまった宰相府は事実上解体されたものの、ライオットに与していなかった文官を中心に、アルサスが宰相を兼任する形で、臨時の行政機関を担わせている。

「フェルト」

 アルサスのやや後ろを歩くクロウは、親友の背中に呼びかけた。アルサスは立ち止まりはしなかったが、顔だけ、こちらに向ける。

「今なら遅くはない。君は、フランさんたちと、ネルさんを連れ戻しに行くんだ。メッツェは、まだネルんが奏世の力に目覚めていないと言っていた。その約束の日が、いつなのかは分からないが、少なくとも時間はまだあるってことじゃないのか? 彼女が本当に、世界に絶望していなければ、彼女が耳を傾けるのは、きっと君の言葉だけだ」

「希望的観測に縋りたい気持ちはあるけれど、この国には時間がない。本当は……半年前に城を抜け出したとき、名前も身分も何もかも捨てたつもりだった。でも、捨てられなかったんだよ」

 自嘲気味な苦笑いを浮かべるアルサス。

「俺があいつを殺すことに迷ったから、結局こうなった。誰に責められてもおかしくはない。だから、せめて俺が生まれたこの国は守らなきゃいけない。シオンのためにも」

「後悔はしないのかい? フェルト」

「後悔しないわけないだろ。でも、もう決めたんだ。俺は、もう一度フェルト・テイル・レーバンに戻る」

「そうか……だったら僕は何も言わない。君の親友として、ヴェイル家の騎士として、君の力になるよ」

 クロウはそう言うと、足を止め、マントに隠していた一本の剣を取り出す。

 飾り気のない鞘に収められてはいるが、そこから見え隠れするのは、ただならぬ気品と威圧感。ただの剣でないことは、ひと目で分かる。クロウはその剣を引き抜くと、逆手に持ち替えて、アルサス……いや、フェルトの前に差し出した。

「これは、ナルシル?」

 剣を受け取り、アルサスは刃こぼれ一つしていないその艶やかな剣身に刻まれた魔法文字を見つめる。それは、半年前旅の護身のために城から持ち出した、王家の剣。城に舞い戻った際、ライオットに奪われてしまったものだ。どうやら、クロウはそれを探し出してきてくれたらしい。

「本来は、国王陛下が受け継ぐ剣の一つだけど、来るべき日まで、今は君が受け継ぐのが相応しい。フェルト殿下!」

「そう、だな……。こいつで、みんなを守る」

 アルサスは剣を鞘に収め、それをフォーマルの腰ベルトに取り付けられたホルダーに通すと、居住まいを調え、威厳のある声で、クロウに命じた。

「直ちに宰相府へ、トライゼン将軍以下、王国騎士団団長を召集しろ! 俺たちもガルナックへ向かう!!」

 


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