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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第一章
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6. 銀の乙女

「いかん、娘さんっ。危ないっ!!」

 トンキチが制止するのも聞かず、ネルはトンキチの翼を跳ね除けて、走り出した。ほとんど、衝動的と言っても良かった。その拍子に、ネルの頭から箱型の帽子が落ち、後ろで三つ編みにして束ねた、銀色の髪がなびく。

「アルサスさんっ!」

 ネルは、アルサスの元に駆け寄ると、その名を呼んだ。しかし、うつぶせに倒れたアルサスからは、返事の代わりに、だくだくと血があふれてきて、ネルの足元に溜まりを作る。

「しっかりしてください、アルサスさん!! アルサスさんっ」

「もう手遅れだ、銀の乙女よ。フランメ・シュヴェーアトで刻まれた傷口は焼け焦げ、『アルテミシアの葉(※3)』を以ってしても、直すことは出来ん」

 炎の剣を咥えたバセットが、ゆっくりと近づいてくる。次に、この剣で刻むのはお前だ、とでも言いたげに。だが、ネルの視線は、バセットの炎の剣などには注がれていなかった。

「アルサスさん……」

 膝を突き、アルサスの体を抱きかかえたネルは、瞳にいっぱいの涙を浮かべた。アルサスの腹に刻まれた傷口からは、血がとめどなく流れ出してくる。その傷口をそっと押さえても血を止めることなどできず、徐々に冷たくなっていく、アルサスの体温しか伝わってこない。やがて、あの優しい手のぬくもりも、消えていくだろう。

「どうして? どうして、わたしなんかのために……」

 ぽろぽろと、涙を流しながら、物言わぬアルサスに問いかけた。骸になってしまう前に、教えて欲しい。なぜあなたは、出会ったばかりのわたしを助けるために、無茶をしたのか。

「人間とは愚かよ。誰かのために、命を投げ出すことを、美徳としている。それが、どれほど無意味なことか、知ることはない。知っていれば、その小僧も、無駄死することなどなかったものを」

 まるで死者に鞭打つような、バセットの物言いに、ネルはきつく睨みつけた。こんなに、誰かを憎いと思ったのは、あの日、村を襲った「黒衣の騎士団」を睨みつけて以来だろう。

「誰かのために、何かをすることは無駄なんかじゃありません」

「ほほう。ならば、貴様を救うために、その小僧を含めてすでに何人の人間が命を落とした?」

 的を射た、バセットの問いかけに、ネルは答えられない。

 ネルを渡さないと言い切った村の長。幼いころよくネルの銀色の髪をからかった近所の青年。ネルにお化粧を教えてくれた羊毛織りのお姉さん。いつも昔話を語ってくれた羊飼いの老人。……どれだけの村の人が、ネルをかばって殺されたのか、数えることも出来ない。そしてまた、一人の少年が、自分のために死んでしまう。

「ごめんなさい、アルサスさん。わたしの所為で……」

「後悔してももう遅い。人は最も愚かな生き物。利欲のために、いつも戦争をして、命を粗末にする、ゴミのような生き物だ。そんなゴミがそなたの『奏世の力』を手に入れても、利欲のためだけに使い、手に余るのは目に見えている。その結果が、争乱となるなら、たとえ魔界の住人と呼ばれる、我ら魔物とて見過ごすわけにはいかない」

「だけど、アルサスさんは……」

 そんな人じゃない。愚かで、ゴミのような人が、あんな温かな手で、優しい微笑で、不安と恐怖に押しつぶされかけた心を包み込んではくれない。そう言おうとしたネルの口を、バセットが止めた。

「ならば問おう、銀の乙女よ。そなたは、その小僧の屍を踏み越えて、それでも生きるられるか? これからも、そなたを巡って、多くの人間が死んでいくだろう。それでも、己が(せい)をまっとうできるか? できはしないだろう。人間の心はそこまで強くはない。大人しく死んで、そのものとともに、アストレアさまのもとへ召されるがいい。それが、人間にとっても、世界にとっても、お前ができる唯一のことだ」

 音もなく、炎の剣がネルの首筋にあてがわれた。熱い。その魔法の刃で斬られれば、痛いだろう。苦しいだろう。だが、ネルには抗う術がなかった。

「バセットっ!!」

 トンキチが叫ぶ。しかし、ヴォールフの群れに取り囲まれ、噛み付かれて、身動きが取れない。

「ごめんなさい、みんな」

 冷たくなっていくアルサスの体を抱きしめて、ネルは瞳を閉じた。この世との別れの際に、瞳の裏に浮かぶのは、家族の暖かな顔、自分を守ってくれた村人たちの声、そして、少年の優しさ。寂しさや恐怖よりも、悲しみがネルの心を埋め尽くしていく。

『目覚めなさい、銀の乙女よ……』

 突然、ネルの脳裏に、声が響いた。何処から聞こえてくるのかは分からない。耳朶(じだ)を打つと言うよりは、むしろ、直接ネルの頭の中に語りかけてくる。

『目覚めなさい、奏世の力に!』

 それは、まるで母のような優しい響きの声。悲しみに黒く埋め尽くされていく心に、一条の光が差し込むような声。

「アス……トレアさま?」

 閉じたネルの瞳から、一滴の涙が流れる。その涙が、アルサスの傷口を押さえる手の甲に落ちて、弾けた。その瞬間、ネルの手のひらから真っ白な光があふれ出した。

「これは……っ!!」

 バセットがうろたえて、大きく飛びのく。しかし、神々しく、それでいて柔らかな光はみるみるうちに、大きくなって行き、ネルを、アルサスを、トンキチを、バセットを、ヴォールフの群れをまるごと飲み込んでいった。同時に、バセットの咥えた、魔法の剣が音もなく消える。森が光に包まれる。風も音も闇も消えて、何もかもが真っ白に変わっていく。

『銀の乙女、約束の日は近い。世界があなたの力を欲しています。迷わないで、あなたの力は世界のためにあるのです』

 次第に声が小さくなっていく。ネルは何処から聞こえてくるのかも分からない声に、「待って!」と呼びかけたが、届くことはなかった。声は消え、やがて膨れ上がった白い光は、始まりと同じように、ネルの手のひらへと音もなく収束していく。

「ネル……泣いているの?」

 不意に別の声が、下の方から聞こえてきて驚いたネルは、視線を落とした。少年の赤い瞳が、ネルの顔を見つめている。

「アルサスさん!?」

 もう手遅れだと思っていたアルサスが、意識を取り戻している! ネルは、驚きとともに、アルサスの傷口に触れた右手の違和感を覚えた。そこにあるはずの、焼け焦げた傷と、体温を含んだ血液が、跡形もなく消え去っているのだ。

「傷が、治ってる!?」

 ネルとアルサス、二人がほぼ同時に声を上げた。

「それは、奏世の力の一端にすぎない……どうやら、吾らが、そなたの力を目覚めさせてしまったようだな」

 バセットが三つ目で睨みつけながら、歩み寄ってくる。ネルに(いだ)かれたアルサスは、咄嗟に体を起こした。落とした剣は、手元にはない。今襲い掛かられれば、自分もネルも一巻の終わり。ポケットに忍ばせた魔法カードは、後一枚。それに封じ込まれた魔法を使ったところで、バセットを追い払うこと出来ないだろうことは、アルサスにも分かっていた。ハイ・エンシェントと呼ばれる、魔物の長は、人間よりもはるかに長い時間を生きて、はるかに強いのだ。

「アストレアめ、図りよったな。ええい、みなのもの、撤退だっ!!」

 アルサスの焦りを他所に、バセットは思いがけずそう言うと、「同胞」と呼ぶ仲間たちの方を振り返った。

「間もなく夜が明ける! 陽光に、目がくらむ前に、退くぞ!!」

 バセットが一声吼えると、それまで牙をむき出しにしていたヴォールフたちが、尻尾を垂れて、茂みの方へと引き返していく。一体何事か、アルサスとネルは、まるで潮が引いていくようなその光景に唖然とした。

 すると、羽をばたつかせながら、トンキチが二人の元へとやって来て、

「ヴォールフ族は、闇夜の魔物。わしが鳥目であるように、ヤツラは太陽の光に弱い。わしらの勝ちじゃ」

 と、そっと囁いた。しかし、バセットの耳は、狼のそれと同じように、耳ざとい。引き返す足を止め、首だけをこちらに振って、少し睨みつけてくる。

「違うな、トニアよ。朝日が吾らの邪魔をしたのではない。その娘が、力に目覚めた以上、吾らでは太刀打ちできない。それが、ほんの一端だとしても。アストレアは、この機会を待っていたのだ。吾らは、やつの罠にはまった、愚かな魔物よ」

「バセット……」

 トンキチの黒い瞳が、再び旧知の友を見る穏やかなものに変わった。だが、バセットはそれを受け流してしまう。

「フンっ、貴様は最初から、その娘が銀の乙女と知っていたのだろう? それなのに、何故人間の味方をする?」

「それは、わしに人間の友がいるからじゃよ」

「友だと。笑える。トニアよ、貴様は欲にまみれた、ゴミどもを信じていると言うのか? このままでは、世界が終わる。人間どもの欲望はとどまることを知らない。やがて、争乱が始まる。その時、はたして貴様は同じ答えを吾に出来るかな」

「さあの。それは、この娘さん次第じゃ。わしが信じておるのは、人間の可能性というやつじゃ」

 バセットはトンキチとネル、二人を交互に見やると、三つの目を閉じて何事か思案するような仕草をした。そして、短く「そうか」と答えると、素っ気無く背中を向けた。

「待って下さい、バセットさま。どうか、教えてください。わたしは本当にあの『銀の乙女』なんですか? 『奏世の力』って、何なんですか? 教えてください」

 それまで、トンキチとバセットの会話に耳を傾けていたネルが、バセットを呼び止める。だが、バセットはネルの問いかけに答えてはくれなかった。代わりに、

「そなた自身で、その答えを見つけよ。そうすれば、あるいは道を拓くこともできよう。しかし、吾はトニアのように甘くはない。もしも、道が拓けぬなら、次はこの命に代えても必ずそなたを殺す」

 と、冷たく言い残し、茂みの奥へと姿を消した。

「た、助かった」

 ヴォールフの群れが、去っていくのを見届けたアルサスは、ほっと息をついた。魔法カードに伸ばしていた手を、ポケットから取り出して、そっと自分の傷口を触ってみたが、やはり、そこに傷はない。腹と一緒に切れたはずのインナーウェアも、元通りになっている。何故だ? アルサスがネルの方に振り返ろうとすると、その目の端に、キラリと太陽の光が差し込んだ。

「夜が明けるぞ」

 トンキチの声に合わせるように、遠く、木々の隙間から朝日のまばゆい光が漏れてくる。アトリアの森に朝がやってきたのだ。ネルは、そんな朝日を見つめながら、アルサスたちには聞こえないほど小さな声で、呟いた。

「銀の乙女……、奏世の力……」


※3 アルテミシアの葉……この世界で、古くから万能薬の素として重宝されている薬草。傷を癒したり、解毒の効果があるとされている。

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