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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第六章
57/117

57. アルサスの決意

「アルサスが、王子さま……?」

 傷口を押さえ、青白い顔をするルウの瞳が、アルサスの方を向く。アルサスは黙ったまま、何も答えようとはしない。

「そのお方こそ、先代国王陛下の愛妾であった、フェリス・テイルの忘れ形見にして、この国を見捨て、行方をくらませた、フェルト王子その人だ。センテ・レーバン王家の血筋である、赤い瞳が何よりの証拠ぞ!」

 何も答えないアルサスに代わり、ライオットがもう一度言う。そして、彼が指差した先には、玉座の背後に飾られた、歴代国王の肖像があった。あまり大きなものではないため、はっきりと肖像の顔を拝することは出来ないが、どの王の瞳も、アルサスと同じ、炎のような赤い瞳をしていた。そして、玉座に人形のような顔をして腰掛ける、シオンの瞳も緋色である。

 即ち、年端もいかぬ傀儡国王となった彼女は、アルサスの妹、ということになる。もっとも、シオンは正室の娘であり、腹違いの妹ではあるが。

「このギャレットや、我が私兵のシャドウズより報告を受けた時には、まさかと思いましたぞ。無理もないでしょう、国の行く末を妹君であらせられる、シオン陛下の御身に押し付け、放蕩を続けた王子殿下が今更、どの顔をひっさげて、我が宿願の邪魔立てをするのか……お聞かせ願いたいものですな、フェルト殿下!」

「シオンにはすまないと思っている。だけど、俺は放浪していたわけじゃない。お前の愚かな宿願を止めるために、家も身分も名前も捨てた。今の俺は、フェルトじゃなく、アルサスだ」

 と、返してはみたものの、どこか歯切れが悪い。ライオットは、さらにそこに付け込むかのように続ける。

「ほほう、伝説の平和の王、アーサーをもじったと言うわけですな……。しかし、それは剣と盾の国の王子には、似合わぬ名ですな。もっとも、妾ごときが産んだ望まれぬ子には、ちょうどいいのかもしれませぬ。そんな人間に、シモンズ家の崇高な宿願は、止められまぬぞ!」

「崇高? 愚行の間違いだろうっ! 争いで産んだ、千年王国は、千年も立たぬうちに、争いによって滅びる。そうやって、この世界は何度も戦争の歴史を紡いで来た。せっかく、ヨルンの戦いで人々は戦争の愚かさを知り、曲がりなりにも、平和の道を選んだ。それを覆そうとすることは、愚行そのものだ」

「ならば、その愚行を如何にして、止めるおつもりかな? 現実に、私は白き龍を手に入れた。やがて世界は、私の白き光に怯え、ひれ伏すだろう。よしんば、とめることが出来たなら、すでに止められたはず。そうしなかったのは、フェルト殿下に迷いがあったに、相違ない!」

 ライオットの高笑いに呼応するかのように、遠見の鏡に映しだされたルミナス崩壊の様子が、突然暗転する。再び、会場にどよめきが走ったのは、暗転した遠見の鏡に、新たな映像が映し出された瞬間だった。

 ミスリルの青白い光を放つ、背の高い鐘つき堂を備えた教会を中心に、民家や礼拝堂が立ち並ぶ、宗教色に染め上げられながらも、夜空に馴染む閑静な街並み。あれは、ウェスアの街だと誰もが気づくよりも早く、そこが、一瞬にしてルミナスを滅ぼした白き龍の第二の狙いであることを悟った。

 ガモーフの使者たちが、大声でわめく。その声がライオットの耳に届くことはなかった。歪んだ笑みを顔一面に浮かべ、ライオットは右手を掲げた。

「ベスタ教の聖地であるウェスアを、ルミナスの二の舞にしたくないというならば、ガモーフの諸君よ、我が千年王国に忠誠を誓え!」

 そういわれたところで、簡単にガモーフがひれ伏すなどと、ライオット自身も思ってなどいない。その掲げた右腕が振り下ろされれば、レパードの魔法装置に操られたネルは再び、魔法の言葉を口にする。そして、ウェスアの街は、一瞬で葬り去られるのだ。その時、ガモーフの人々は絶望感に浸されるだろう。そして、ウェスアの人々は、自らが死んだことさえも理解できぬまま、ルミナスの人々と同じように天に召される。

 すべて、ライオットが言った通り、自分の迷いの所為だ……。 

 アルサスは、唇を強くかみ締めて、壇上で空ろな瞳をするネルを見つめた。ネルの視線は、空中を彷徨っていて、心ここにあらず。そんな彼女がもしも、我に返ったとしたら、自らが白き龍を目覚めさせ、罪なき大勢の命を奪ってしまったことに、悲観し絶望してしまうだろう。ハイゼノンで別れたとき、ネルの悲壮な顔はアルサスの胸に焼き付いている。怯え、うろたえ、悲しむ姿は、本来朗らかな彼女の心が壊れかけたことを示していた。それも、すべては自分が迷っていた所為だ、とアルサスは思う。

 すでに、絶対なる破壊の力を、世界の人が目の当たりにした。それは即ち、白き龍を自在に操ることが出来る「奏世の力」を知ったということだ。ハイ・エンシェントのバゼットが人間の手に余ると言った、その力を。

 人間はとても欲深い。目の前にとてつもない力があれば、それが身の丈に合うものかどうかも確かめず、執拗に欲する。ライオットはまさに、その人間の欲深さを体言しているかのようだった。そんなライオットを、この手で殺めたとしても、第二第三のライオットが現れることは明白だ。それがガモーフ人であるか、ダイムガルド人であるか、はたまた諸侯やギルドの連中であるかなど問題ではなく、誰もがその力を欲し、ネルを奪い合うようになるだろう……。

 ネルが白き龍を蘇らせた時点で、アルサスの採るべき道は一つしか残されていないのだ。迷いに迷った挙句、結局最初の決意に立ち戻ることとなった、自分の不甲斐なさを、アルサスは呪った。

「ええいっ! センテ・レーバンの思い通りにはさせん!」

 唐突に、式典会場に殺気が満たされる。ウェスアが第二の標的と知った、ガモーフの使者たちが、隠し持っていた魔法杖を懐より取り出し、その切っ先を遥か壇上のライオットに向けたのだ。

 まずいっ! アルサスが振り返った瞬間、ガモーフの使者たちの魔法杖が俄かに輝き、幾重にも炎の矢が飛び出した。他の参列者たちの悲鳴を追い風にするかのごとく、炎の矢は、燃え盛る雨となって、真っ直ぐライオットを捕らえる。

 だが、悠然と佇むライオットは、微動だにしなかった。それもそのはず、シオンの座る玉座の背もたれに仕掛けられた、魔法装置が輝きを帯びて対抗する魔法障壁を展開し、飛来する魔法の矢を退けたのだ。

 直ちに、ガモーフの使者たちは親衛騎士団に囲まれてしまう。剣を突きつけられれば、彼らとて命は惜しい。悔しそうに舌打ちをしながらも、手にした魔法杖を放り投げる。

「フェルト!」

 その、騒然とした事態の隙をついて、クロウがアルサスの本名を口にしながら元に駆け寄った。心配そうな親友の視線を他所に、アルサスは俄かに立ち上がると、ちらりと周囲を見回した。

 荒縄に縛られ下手人として捕らえられた、フランチェスカ。彼女は眼を閉じてただ静かに、時が過ぎるのを待っているかのようだ。視線をめぐらせば、シオンの命を奪おうとした「エルフォードの会」のメンバーたちも、観念したのか大人しく縛られている。ただ一人、ルウの想い人であるナタリーだけは、頬を涙で濡らし、シオンに襲い掛かった時とは比べ物にならないほど、弱弱しく見えた。そして、悲鳴とざわめきに満たされた、参列者たち。彼らの心中はライオットにかき乱され、誰もが冷静ではない。しかし、ここで暴れれば、ガモーフの使者たちと同じく、捕らえられる。彼らに用意されているのは、センテ・レーバンの極北にある監獄か、広場の断頭台だ。

 このままでは、壁に囲まれた城郭都市ハイゼノンで見た「世界の縮図」が現実のものになる。その時、国王である妹は……シオンは、ハイゼノン公と同じ決断を下さなければならないのか? レパードの魔法装置に操られたまま、ライオットの傀儡として、あんな無情な決断を、十一歳の少女が下さなければならないのか。

 望まれなかったとしても、母の教えは胸に刻まれている。人は、生まれたからには、何かを守り、何かを救わなければならない。自分が守るべきものはなにか。そのために払う犠牲は何なのか、それを問いかけ続け、過ぎていく旅の時間に身を任せていた。だが、もう、自問自答を繰り返す余裕はない。

 今この手にある剣を振るわなければ、大勢の人が死ぬ。ヨルンの悲劇とは比べ物にならない悲劇が、この世界の歴史に刻まれてしまう。

「クロウ……。俺は覚悟を決める。親友として、頼みを聞いてくれるか?」

 ざわめきを背景にして、クロウだけに届くような、小さな声でアルサスは囁いた。クロウは驚きを隠せず眼を丸くしたものの、アルサスの声音が真に迫っていたためか、頷いてみせる。

 アルサスは、ライオットの意識が、騒ぎの方に向いていることを確認してから、何事か耳打ちした。再び、クロウは眼を丸くして、

「今更、僕が聞くのも変だけど……フェルトは、それで良いのか?」

 と、確認の意をこめて口にしたものの、アルサスは「良いわけがないだろっ!!」とだけ言い放つと、剣を振り上げ、壇上へと迫った。

 慌ててクロウもその後を追いかける。

 すでに、即位式の体を失ってしまった、式典会場のざわめきが、ぴたりと止まる。誰もの視線が、アルサスとクロウに釘つげとなった。

「ギャレット! 殺せっ!!」

 ライオットは、殺気を帯びたアルサスの赤い瞳に、「ひっ」とのけぞりつつ、傍らのギャレット・ガルシアに命じる。

「うおりゃあっ!」

 ルウの傍を駆け抜け、彼が呼び止める声を掻き消すかのように、怒鳴り散らしたアルサスは、壇に登る階段の最後の一段を強く蹴り、剣を振り上げると高らかに飛び跳ねた。

「隙だらけだぜ、フェルト殿下っ!!」

 一刀両断に振り下ろされるアルサスの剣を、ギャレットは余裕綽々といった風に、受け止めた。アルサスの剣と、ギャレットの鎧と誂えたような黒い剣が火花を散らす。

 アルサスが旅の共に城から持ち出した、王家の剣「ナルシル」であれば、更に剣を引き、すばやいなぎ払いを繰り出すことが出来ただろう。しかし、騎士団の剣は切れ味こそナルシルの剣に匹敵するものの、重さや丈が違う。その微妙な違いが、アルサスの太刀筋を鈍らせた。

「王子殿下と、()り合えるなんざ、思っても見なかったぜ」

 アルサスの剣を受け止めたギャレットはニヤニヤと口元を歪める。狂気に満ちたその顔で、騎士の誇りを捨てて、一体どれだけの悪事を働いてきたのか。ぎりぎりと鍔迫り合いをしながら、アルサスは思う。

「別に、てめえの命なんて、欲しくない。何処かで野たれ死ね、ライオットの犬っころっ!!」

 不意に、アルサスは剣を握り締める手の力を抜いた。その拍子に、力任せにアルサスの剣を押さえつけていたギャレットの体がバランスを崩す。

「何っ!?」

 図らずもうろたえてしまうギャレットの言葉に、アルサスのやや後ろから、「せいやぁっ!!」とクロウの掛け声が折り重なった。

 アルサスが身をひねる。するとアルサスの背後から姿を現したクロウは、剣を斜に構え、騎士団隊長の証である赤いマントを翻し、無防備を晒したギャレットの懐に入り込んだ。振り下ろされたクロウの剣は、ギャレットが体勢を立て直すよりも早く、ギャレットの首筋に宛がわれた。

「動けば、貴様の首を刎ねるぞ、元黒の部隊隊長、ギャレット・ガルシア殿」

 低く重たい声で、威嚇するクロウの顔は、親衛騎士の隊長の顔だった。

「おのれ裏切り者め、手駒として大人しくしておれば良かったものをっ。貴様の処分は後で下すっ! 銀の乙女よ! 今すぐウェスアを火の海にしてしまえっ!」

 忌々しくクロウをにらみつけたライオットは、視線を玉座のほとりに投げかけた。しかし、その眼に映った光景に、ライオットは驚愕する。

 ギャレットとクロウに気をとられ、その奥で何が起きているのか、アルサスが何を考えて、無謀にも突撃してきたのかを悟る余裕がなかった。だが、ギャレットとたった一合だけ剣を交えたアルサスは、その相手をクロウに譲り、自らは玉座の傍らで空ろな顔をするネルの元に駆けた。

 そして……。

「ごめん、ネルっ、許してくれ!!」

 その一言を口にし、両の瞳を強く閉じたアルサスは、手にした剣の切っ先を、ネルの胸元につきたてた。ネルの胸を貫く瞬間、音こそしなかったが、剣身から伝わる鈍い感触は、どんな相手を切りつける時よりも悲痛で、アルサスの胸をきつく締め付ける。

 ライオット一人を殺めても、他の人間が欲にまみれて、争いを欲し、ネルを奪い合うことになるというなら、その根源を断ち切るしか道はない。果てのない戦争で失われるかもしれない沢山の命と、それを守るために失われる一つの命。アルサスは、それを天秤にかけた。そうして、アルサスは選んだのだ。ネルの命を奪い取ることを。

「こうするしかないんだ。許してくれ……」

 剣を握り締め俯くアルサスの悲しみの色に染まった言葉。まるで、それに被さるように、小さな呟きが聞こえる。だが、それははっきりと、アルサスの耳に届いた。

「アル……サス」

 顔を上げた、アルサスの眼に、ネルの青い瞳があった。



 


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