56. シモンズ家の宿願
ルミナスの人々は逃げ出す暇もなかった。それどころか、自分たちの身に何が起きたのかさえもわからぬまま、光の中で塵となったのだ。おそらく、即位式に参列しなかった学園の校長も、ルウと机を並べる学生たちも、あの世話好きな食堂のおばさんも、みな塵となって消えた。島ひとつが、何千人の人々が、一瞬の閃光で消え去る。それをどう表現したらよいのか、それは誰にも分からない。ただ、光が収まり、月明かりの夜空にもくもくと上がる煙だけが、そこに、ルミナスという島があって、そこに住んでいる人たちがいたことを、静かに、悲しく物語っていた。
「これぞ、白き龍の力! この世のすべてを支配する。これより、宣言する。我が王国にたてつくものは、悉く白き光によって滅ぼされるだろう! さあ、いかが致すかな、参列者の皆様がた! 我に忠誠を誓うか、それとも滅ぼされるか!?」
高らかな笑い声とともに、宣言するライオット。参列者たちは一瞬何が起きたのか理解に苦しんだ、だが、その高らかな笑い声に、眼前の光景の意味を理解し、皆一様に、戦き、怯え、うろたえた。
センテ・レーバン王国が、比類なき力を手に入れた。それは、新たな戦争の始まりを意味していると同時に、センテ・レーバンに適う国はないということを表している。何故なら、ヨルン悲劇は、ある種誰もが胸に抱く、トラウマなのだ。
あの悲劇が再び繰り返される。いや……もう繰り返された。魔法と科学の最先端であり、ギルド連盟でも、もっとも大規模な魔法使いギルドの根城であるルミナス島が、消え去ったのだ。大勢の魔法使いの命とともに。
「おおっ! 偉大なる、ライオット閣下、万歳! 万々歳!」
ルミナスの二の舞になりたくない諸侯たちは、我先にと歩み出て、シオンの即位を祝したときよりも声高に、壇上のライオットに賛辞を述べる。その声は、壇の中腹にて、ライオットをにらみつける、アルサスとクロウの背中を通り越して行った。
「われら、ギルド・マーチャントは、これからも、センテ・レーバン王国に、忠誠を誓いまする!」
ギルド連盟も口々に声を上げる。ただ、「遠見の鏡」に映し出されたルミナスの光景に愕然とする、魔法使いギルドの面々を除いて。彼らとしては、怒りよりも、目の前の光景を信じられなかったのだろう。鏡に映るものが、魔法の作り出した幻で、すぐにでも、ルミナスの無事を確かめたいが、式典会場の出入り口は、ライオットの手足となった、親衛騎士たちによって、固く封鎖れている。
そんな中、怒りの声をあげたのは、ガモーフとダイムガルドからの使者である。彼らは、それぞれの国の王の代弁者として、この場を訪れていたのだ。それが、とんでもないことになってしまったと驚くと同時に、外交者としての危惧を露にした。
「これは、我々に対する最後通牒ですかな?」
褐色の肌をした鋼鉄帝国の使者が叫ぶ。それに追随せんと、黄色の肌をした宗教国家の使者たちも、まるでライオットを糾弾するかの様な口ぶりで、
「やはり、ヨルンの悲劇を起こした張本人は、センテ・レーバンであったか!? ガモーフ神王さまは、このようなこと、許されませぬぞ!!」
と、怒鳴った。彼らは、国家から遣わされた特使。その権威は国そのものと同等であるという自負から、はっきりと非難した。だが、ひと度、ライオットが右手を上げれば、親衛騎士たちが槍や剣を振りかざす。祝いの席ということで、武具を持ち込んでいない、参列者たちは丸腰に近く、親衛騎士の武器が妖しく光れば、たちどころに「ひっ!」と悲鳴を上げてくちを噤んでしまうことを、ライオットは分かっていた。
なんと、情けないことか……。ひれ伏し、おべっかを口にする者。ひどく素直に恭順する者。武器を見ただけで悲鳴を上げるもの。あまりに滑稽な姿に、ライオットは人知れずほくそ笑んだ。
「これで、我がシモンズ家の宿願が果たされる……」
今より、百年以上のことである。かつて、この国がまだ群雄割拠の時代にあったころ。センテ・レーバンの地には、諸侯が犇いていた。シモンズ家は、いち諸侯として、現在の王都より遥か北方、夏になっても凍りに閉ざされた場所にあった。やがて、センテ・レーバン王国は、ファレリア、ハイゼノンといった大諸侯を傘下に収め、まもなく、シモンズ家の領内へと進軍を始めた。当時、勢いづくセンテ・レーバンによって諸侯に与えられた選択肢は二つ。「滅亡」か「恭順」か。武力を背景に統一を掲げるセンテ・レーバンを前に、ライオットの先祖に当たる、シモンズ公は恭順を良しとはせず、これに立ち向かった。
だが、その強大となった軍隊を前に、シモンズ家はあえなく敗退し、投降することを望んだ。しかし、ファレリア公とハイゼノン公は自らの力量もわきまえず徹底抗戦を掲げ、徒に領民を苦しめたとして、シモンズ家の投降を許さなかった。
ところが、時の国王は、シモンズ家の所有するレパード研磨の技術を欲し、滅亡寸前のシモンズ家を救い、傘下へと入れることとした。そのときから、シモンズ家にとっては、屈辱の歴史が始まる。
センテ・レーバンが地方を統一し、八百諸侯を束ねる連合王国となり、シモンズ家はその大臣格として、歴代の王に仕えた。憎き敵である王国の禄を食む。このジレンマがシモンズ家の人間にある宿願を芽生えさせたことは、言うまでもない。
いずれ、シモンズ家の力でこの国を「千年王国」にする。そして、あまねく世界を導く者となるのだ。それが、戦争で死んだ故郷の領民や兵たちに対する、供養であると。
それは、代を経て、ライオットまで受け継がれてきた、家訓でもあった。
しかし、センテ・レーバン、ガモーフ、ダイムガルドの三つの国の力は、いずれも伯仲しており、センテ・レーバンが世界を導く「千年王国」になることついぞないと思われた。そんな繰り返される戦争の中で、ライオットは、一条の光を見た。今を遡ること十年の昔。ヨルン平原の真ん中で閃いた白い光は、当時宰相府の参謀官として、アトリアの本陣に構えていたライオットの目にも映った。
もともと、シモンズ領のあった、センテ・レーバン北部には、「白き龍」の伝説を真実だと信じる人間も少なくない。それは、ライオットも同じだった。そして、彼が目の前に現れた光と、伝説を結びつけたのは、ごく自然の成り行きだったと言ってもいいだろう。
ついに、一族の悲願を果たすときが来た。ライオットは、人知れずほくそえんだ。そうして、新たな宰相に就任したライオットは、ここ数年、あらゆる政治よりも、白き龍を手に入れることを優先させた。その結果がファレリア公の反乱に結びつき、ハイゼノン公にハイゼノンこそが世界の縮図と言わしめた、などとライオットは知る由もない。何故なら、秤にかけて一族の悲願を優先した彼にとって、白き龍を手にすることだけが、この国を支えると盲目的に信じてやまなかったからだ。
そうさせたのは、シモンズ家の因習だけではない。メッツェ・カーネリアが、彼に近づき、「白き龍」とベスタの天使である「銀の乙女」を結びつけ、より現実味を与えたからである。
白き龍を蘇らせることが出来るのは、銀の乙女が持つと言う、「奏世の力」だけ……。
ライオットは、メッツェを参謀官に引き立て、彼の言う約束の日、すなわちシオン王女の即位式までに、銀色の髪の少女、ネルを手に入れることに躍起になった。伝承にのみ伝わるとされる「白き龍」を用いて、王国に強大な力をもたらす。ライオットが果たしたことは、シモンズ家にとっての悲願だった。
そして、ルミナス島は、光の中に消え去った。
ルミナス島で失われた多くの命は、死んだことを喜んだりなどしない。だが、果たされることのない恨みや憎しみは、今この即位式典の会場で、驚愕と呆然の入り混じった顔をして、「遠見の鏡」を見つめる、各国の幹部や、諸侯、ギルド連盟の人々に、恐怖という形で伝わった。
それは、十年来止まったままだった、三国の微妙な均衡を崩し、再び新たなる戦争の呼び水となる。ライオットは、そのことを確信して、ルミナスを滅ぼしたのだ。例え、ナタリーたちがシオンを害そうとしなくても、すでに、ガムウ事件以降その標的は、ルミナス島に絞り込まれていたといっても、過言ではないだろう。
ルミナスの消滅をもって、シモンズ家の「千年王国」の幕開けとなる。最初から思い描いていたライオットの目標が、紆余曲折を経ながらも、ついにそのときを迎えたことに、ライオットはほくそ笑んだのだ。
だが、それは、ルウを抱きかかえるアルサスも耳に届いていた。
「宿願だと? そうやって、シオンから王位を奪い、この国の王になろうとでも言うのか? 答えろ、ライオットっ!!」
「それもいいでしょうな。白き龍の力を手にした私に敵う者など、この地上にはいない。ヨルンの平原で二百万の命を消し去った、この地上で最強の力。それを手に入れ、支配することが、世界を束ね、新たな時代を築くこととなる。愚劣なる人間には到底理解も出来ぬでしょう」
悠然と語るライオットの不遜な態度は、アルサスだけではなく、会場に集まる参列者にも向けられていた。その誰もが、「遠見の鏡」に映った光景に眼を疑いつつも、恐怖に戦き、同時にライオットを畏怖の篭った瞳で見つめている。
「自分が優秀だと思うのは、思い上がりだっ。戦争を起こす人間こそ、愚劣だと知れ、ライオット!」
「これは手厳しい。しかし、戦争こそ人間の英知。知性を持たぬ野蛮な動物は戦争などしない。本能だけで生き、知性を持たぬものは、己の主義のために争いはしない。人間は知性を持つからこそ、戦争をする。いや、戦争をしてこそ、人間本来の意義があるのだ。それは、神が与えたもうた、人間だけの特権だ。そして、それを手のひらで転がすことの出来る立場となった、私こそ、神と同義の存在。それを優秀と呼ばずして、なんと言うのですかな?」
立て板に水。そんな風に、アルサスには思えるほど、ライオットの考えとアルサスの考えは、根本からまったく違う。もしもライオットの言わんとすることが、一分でも理解出来たとしたら、アルサスは自分を呪ったであろう。しかし、幸いにも、自分はライオットと違うと確信できたことが、アルサスの手にする剣に力を込めた。
アルサスはちらりと、シオンの顔を見る。レパードの魔法装置に操られた、シオンは物言わぬ人形のようだ。
ごめん、シオン……!
アルサスは、心の中で念じて、シオンの緋色の瞳をしばらく見つめ、ルウをその場にそっと寝かせると立ち上がった。
「アルサス……?」
不安げな声が、足元から聞こえてくる。ルウの顔が青ざめているのは、苦しいからではなく、アルサスの意図を悟ったからだ。
「もうすぐ全部終わる。そしたら、医者のところへ行こう。お前を死なせたりはしない」
静かな声で、アルサスはそう言うと、風のように壇上へと駆け上った。そして、ライオットめがけて、迅雷の剣を繰り出す。参列者から、驚きと悲鳴が持ち上がる。
アルサスが所持していた、「ナルシルの剣」に比べれば、騎士の剣は切れ味が心もとない。それでも、フルーツばかりを貪るひ弱な文官一人、斬り殺すのには、十分すぎるほどだ。そのひょろ長い体躯を、アルサスの剣が貫くまで、ほんの三秒もかからない。むしろ、壇上までアルサスの接近を許したのが、ライオットにとって死を意味していた。
「ライオットーっ!!」
迅雷の剣技は、すべて一瞬の一撃必殺の剣。しかし、なぜかライオットはうろたえたりなどしない。むしろこうなることさえも予測していたかのようだ。それでいて、死を覚悟しているわけでもなかった。
パチン! アルサスの剣がその切っ先をライオットの腹に突き立てる寸前、ライオットの指が鳴る。あらぬ方向から、一瞬の黒い風。その瞬間、アルサスの体が、俄かな痛みとともに宙に浮いた。何が起きたのか理解するまもなく、アルサスは、壇上の階段から転げ落ちる。
「アルサスっ!」
クロウの声に、階段の下まで転げ落ちたアルサスは、くまなく打った全身の痛みに耐えながら、剣を支えに立ち上がった。しかし、痛烈な痛みを発するのは、全身ではなく、腰の辺り。ハイゼノンで、背後から貫かれた場所だ。傷口が再び開いたのかもしれない。だが、それだけで痛みを感じているわけではないことを
アルサスは分かっていた。
アルサスは、壇上をにらみつける。シオン、ネル、ライオット、メッツェの他に、壇上にまるでライオットを守る護衛のように現れたもう一人の人影。漆黒の鎧を身にまとい、悪魔のような邪悪な笑みを浮かべた、この即位式典にもっとも似合わぬ男、黒衣の騎士団団長、ギャレット・ガルシアである。その憎憎しい姿が、アルサスの傷を再び開かせたのだ。
「それに……この国の王になるためには、あなたには死んでもらわなければならない」
ギャレットの背後から、ライオットの視線は、真っ直ぐアルサスを捉えていた。その口から放たれるであろう言葉をアルサスに止める手立てはない。剣を振りかざし、迅雷の剣技で壇を駆け上ったとしても、ギャレットに敵わないことは、すでに身をもって知っている。
「そうでしょう? アルサス・テイル殿……いや、先王の愛妾フェリスが産んだ、この国の第一王子、フェルト・テイル・レーバン殿下」
ライオットの口から告げられた言葉は、白き龍がルミナスを消し去ったときと同じほどの、ざわめきを呼んだ。
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