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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第六章
55/117

55. 白き龍の目覚め

 突然の出来事。それでも、ライオットが、騎士団の多くを会場に配置していた背景には、あらかじめ噂を耳にしていたからであろう。そういった意味では、ジャレンたちの突然の蜂起は、予測の範疇であり、青天の霹靂とは呼べなかった。

 だが、ルウがシオンを庇い、自らの身を擲つなど誰が予想しただろうか。事実、ナタリーが隠し持った短剣でシオンを突き刺そうものなら、その前に、玉座に仕込まれた魔法装置が働き、ナタリーは炎の矢で串刺しとなっていただろう。

 つまり、ルウはナタリーとシオンの二人を守ったのだ。もっとも、そのことを、ナタリーもシオンも、ルウ本人でさえ気づいてはいない。ただ、ルウはナタリーに人殺しをして欲しくなかっただけなのだ。いつも生意気で、減らず口ばかり叩き、ことあるごとにナタリーと衝突しあっていた少年の、まさかの行動に、一番驚いていたのは、彼を刺したナタリー自身であった。

「ごめんなさいっ」

 涙でくしゃくしゃになりながら、ナタリーはルウを抱きしめた。脇腹の傷口からは、赤くどろりとした血液が零れ落ちる……。だが、何故だか、ルウはほっとしたような顔で、ナタリーを見つめる。

「ナタリー、ルミナスに帰ったら、話したい事がいっぱいあるんだ。聞いてくれるよね?」

「うん。なんだって、聞くよっ。だから、死なないで、ルウっ!!」

 ぶつかり合ってはいたが、ナタリーにとってルウという男の子はどこか心を許せる友達でもあった。そんな彼のことを刺してしまったのは、自分だ。はじめて、人を殺すことの恐ろしさを知り、同時に自分がジャレンたちにそそのかされて何をしようとしていたのか、何故ルウが自分をとめようとしたのか、そのことを理解した。

「ボクは死なない。だって神童だもん……」

 根拠のないことを言っては見せるものの、ルウの体からは生きる力が抜けつつあることを、ナタリーは感じていた。

「ええい、きさま!」

 ジャレンや魔法使いギルドの幹部たちを捕らえた騎士団は、ついにナタリーの元にまでやってくる。

「ルウっ、ルウっ!!」

 何度も、その名を叫んだが、新国王暗殺未遂の実行犯とでも言うべき、彼女は無情にも、ルウから引き剥がされた。

「メッツェ! あの娘をこれへ!」

 騎士によって壇上から引き摺り下ろされるナタリーと、虫の息となったルウを、ゴミ虫でも見るかのように蔑んだ瞳で見つめるライオットが、突然怒鳴り声を上げる。すると、玉座の後ろに控えていた、メッツェがすばやく壇上の裏手にある扉へと駆け込んだ。そして、ややあって彼は、その手に一人の少女を引いて、再び姿を現す。

 目の覚めるような青いドレスと、銀色の髪に映える黄金のティアラを着けた少女……ネルである。

「ようこそ、センテ・レーバン王国へ、ベスタの天使『銀の乙女』よ!」

 と、ライオットがメッツェからネルの手を強引に奪うと、その華奢な体を自らに引き寄せた。だが、当のネルは何も言わず、ただ空ろな目をしてぼんやりと会場を見つめる。目の前に、血を流して倒れるルウの姿があるというのに、何の感慨もなく、ただぼんやりと見下ろすだけ。その様は、玉座に腰掛けるシオンとよく似ていた。

「ご来賓の皆様、そしてセンテ・レーバン諸侯諸君! これより興ざめしたこの即位式に、ひとつ余興をお見せいたそう! お国へ帰られるのは、それからでも遅くはあるまい!!」

 ライオットの言葉に、慌てふためきながら会場を脱しようとしていた参列者たちを止めるべく、騎士が出入り口を硬く封鎖した。

 やむなく行き場を失った参列者たちの視線は、壇上のライオットへ。ナタリーたち、騎士に拘束された魔法使いギルドたちの顔も、ライオットとネルに釘付けにされる。何が始まるのか、固唾を呑む中、玉座の脇に人の背丈の倍はあろうかと言う巨大な石版が、ローブに身を包んだ技術院の研究者たちによって、運ばれてくる。

「ううっ……あれは、遺跡船にあった、石版?」

 ルウは流血の止まらぬ傷を押さえながら、その石版に目をやった。だくだくと流れ出す鮮血に、もう視界もぼやけてきてはっきりとはしないが、それでもライオットが運ばせてきたその石版に見覚えがあった。そう、エントの森の奥深くに眠る「遺跡船」と呼ばれた遺跡の中枢にあった、石版と同じような形をしている。

「これは、我ら宰相府技術院が、古代遺跡の超技術を研究し開発した、『遠見の鏡』にございます。その名のとおり、ここではない、どこか遠くの場所を映すことが出来る鏡にございますっ!!」

 研究員の一人は、多少自らの技術を自慢するかのように、やや抑揚した声でそう言うと、石版の隅にある小さな突起を押し込んだ。すると、石版が俄かに輝き、そこに「ここではない」場所が移された。

 月の浮かぶ海に、ぽっかりと浮かぶ島。その島には、まるで要塞をおもわせるような、堅牢な城がそびえる。それが何処なのか、会場の多くが察したが、それよりも早く、ルウやナタリーは「ルミナス島」であることに気づいた。

「して、余興とは何でございますかな、宰相閣下!」

 諸侯の一人が、石版に映し出された映像に目を奪われながら、大きな声で問いかけた。ライオットは、おもむろに口元をにやりと歪めた。

「今宵! 我がセンテ・レーバン王国は、白き龍を手に入れる! 新たなるこの国の王、シオン陛下の御世が未来永劫となるため、この世界が、センテ・レーバンの支配によって、磐石なる平和を築くため!」

 高らかな宣言とともに、会場にどよめきが起きる。「白き龍」……。センテ・レーバンの人間ならば多くの人が知っている、伝承に伝わる神の使い、もしくは神そのものではないかと言われる存在だ。それを信仰の対象としている者も少なくはない。また、ベスタ教の国であるガモーフでも、廃れたとはいえ、白き龍の伝説が残っているし、ダイムガルドにもそれに似た言い伝えがある。

 その伝説とは……。

『白き龍が目覚めるとき、この世界に、無限の安定と永遠の平和が約束され、世界から、憎しみも悲しみも、争いも飢えも、消えてなくなる……。それは、神とヒトが交わした、悠久の約束である。』

 口伝として伝わる伝説には、尾ひれのついたものも存在するが、おおむね概略としてまとめるならこうだ。しかし、それと石版に映し出された、ルミナス島の光景に何の関係があるのか、それは誰にも分からなかった。むしろ、一国の宰相が、夢物語に近い伝説を口にすることが、滑稽にさえ思えてくる。そのため、来賓の多くが小首をかしげていると、ライオットはそのある意味アホ面を眺めて、愉快そうに笑う。

「白き龍は、救いをもたらすものではない! 絶対なる神の威光を以ってして、世界を支配する! そして、ここにいるベスタの天使、銀の乙女は白き龍を蘇らせることの出来る唯一の鍵! ご照覧あれ、われらがシオン陛下に刃を向けた、愚かなる魔法使いどもの末路をなっ!!」

 そう言い放つと、ライオットはネルをにらみつけた。

「さあ、銀の乙女よ、神とヒトの約束をいま我が手に!」

 人形のように空ろな目をしたネルは、少しだけ唇を動かすと、何事か口にした。はっきりと聞き取れないまでも、その言葉の意味が分かるものなどいなかっただろう。ネルが口にした言葉、それは確かに魔法言語と呼ばれる、言葉であったことを、ルウだけが聞き届けていた。

 そのときである。固唾を呑む参列者たちをかき分け、誰かがこちらに走ってくる。

 騎士? ううん、違う。あれは……。

「止めろっ、ネルーっ!!」

 ぼやけた視界の中で、ルウは真紅の瞳を目に、聞きなれた声を耳にした。

 

 騎士の鎧を着込み、式典会場を警備する騎士団に紛れ込んだまでは良かった。騎士の鎧はすべて共通のデザインをしており、皆銀色の鎧である。そのため、アーメット(兜)を着用すれば、誰が誰であるか認識することは難しい。そのため、アルサスたちのことを疑う騎士は誰もいなかった。

 即位式典は、粛々と進む中、アルサスたちのいる場所から玉座のシオンや、ライオットの顔まで見ることは難しかったが、何とかして近づき、そして、脅しを以ってしても、ライオットに「白き龍」を蘇らせることを思い留まらせなければならない。

 この聴衆の面前でライオットに剣を向けることは、無謀以外の何者でもない。ただ、ライオットを殺めるつもりは、なかった。たとえ、彼が腹の中で何を思い描いていたとしても、それを止めるためにセンテ・レーバン宰相を殺せば、そのダメージはアルサスにではなく、王国そのものに与えられることとなることは必至だった。

 それ故、ライオットを止める手立ては、剣をかざし、そして脅し半ばに説得する他なかった。もちろん、ライオットが脅しに屈さなかったとき、アルサスには最後の選択が迫られる。その選択こそが、アルサスが迷い続けたことの原因だった。だから、アルサスたちが出て行くタイミングは重要だった。来賓の参列者たちが、祝辞を述べ終えた後、おそらくそこにネルが連れてこられるはずだ。白き龍を蘇らせるために。そのときこそ、アルサスたちが、剣を手に玉座へ駆け上るタイミングだった。

 しかし、魔法使いギルドの学生が蜂起し、ルウが少女に刺された瞬間、アルサスは駆け出そうとした。はぐれたと聞かされていたルウが、なぜ魔法使いギルドの幹部や学生たちとともにいるのか、それは良く分からなかったが、そんなことはどうでもいい。むしろ崩れ落ちたルウのことが心配で仕方がなかった。

 それを止めたのは、フランチェスカだった。アーメットのおかげで、表情までは読み取れなかったが、アルサスの腕を掴み制止するフランチェスカの手には、力が篭っていた。まだ、行ってはいけない。とアーメットのスリット越しに、少しだけ除くフランチェスカの黒い瞳が、アルサスに言っているかのようだ。

 アルサスは拳を握り締め、ぐっとこらえ、ルウの無事を願った。

 そうして、ライオットの命を受けた騎士たちが、ばたばたと魔法使いギルドの幹部や、蜂起した学生たちを次々と捕らえられていった。その手際のよさは、さすがはセンテ・レーバンの騎士である、とさえ思う。しかし、彼らが拘束された後、そのような感慨をはさむ余地もなく、ネルがついに壇上に姿を現した。

 だが、様子がおかしい。

 そう思ったのは、アルサスだけではなかった。フランチェスカとクロウにも、ネルの瞳が空ろで、どこか焦点の合わない顔をしていることは分かった。

 そんなアルサスの目に飛び込んできたのは、「遠見の鏡」と呼ばれる石版である。そこに映し出されたルミナス島の光景。そして、ライオットの高らかなる宣言。

 アルサスはフランチェスカの腕を振り解くと、参列者たちの驚きと悲鳴を掻き分けて走った。走りながら、アーメットを脱ぎ捨て、腰に帯びた騎士の剣を引き抜く。

「止めろ、ネルーっ!!」

 叫び声とともに、壇上へ走ってくるアルサスを、ライオットが見逃すはずもない。すぐさま手を挙げ、ネルの呪文を途切れさせぬよう、騎士団に指示を送る。まるでライオットの手足のように騎士団たちは、アルサスの行く手をふさいだ。

「邪魔をするなっ!!」

 と、アルサスに言われたくらいで、道を開ける騎士団ではない。剣を構え、アルサスに切りかかってくる。

「アルサス、騎士さま!! ここはわたしに任せて、二人はネルのところへ!」

 背後から追いかけてきたフランチェスカが、槍の穂先にかけた鞘を取り外し、騎士団に飛び掛った。華麗な槍さばきは、騎士の腹や頭を叩き、次から次へと蹴散らしていく。アルサスとクロウ、互いに頷き合わせて、壇上目指して、駆け出した。

「道を開けろっ! 我が名は、親衛騎士団小隊長クロウ・ヴェイル! 邪魔立てするなら、容赦はしないぞ!」

 クロウが現れたことで、騎士たちの顔色が変わる。少しばかりうろたえ、隙を見せた拍子に、アルサスとクロウは、雷が駆けるがごとく、騎士たちの包囲を潜り抜け、壇上へ駆け上がった。

「アルサス……」

 壇に上る階段の中腹、息も絶え絶えなルウの瞳が、いつになく弱弱しくアルサスを見つめる。アルサスはルウの元に駆け寄ると、その体を抱き起こした。

「しっかりしろ、ルウっ!! 傷はそんなに深くねえっ。こんなとこで死んだら、許さないぞっ!」

「クロウさんと同じ騎士の恰好、全然似合わないね……」

 心配そうに覗き込むアルサスの気も他所に、ルウは冗談交じりに、アルサスの姿を見て言った。脇腹を血に染めてなお、冗談交じりの減らず口に、アルサスはなんだかいたたまれない気持ちになった。

「傷口をしっかり、押さえてろ。まったく、無茶なことしやがって」

「うん……。あのね、ボクもアルサスとネルお姉ちゃんみたいに、手をつないでおきたかったんだ。ナタリーの手を」

 そっと、ルウの潤んだ視線が、壇の麓で騎士に拘束されたナタリーの方に向く。ナタリーはうな垂れ肩を震わせながら、ルウの視線には気づかなかった。

「ナタリーは悪くないんだ。だから、許してあげて」

「分かってる、分かってるからそれ以上喋んな!」

 アルサスはそう言うと、傷口を押さえるルウの手に、自らの手をそっと添えた。そして、顔を挙げ、きつくライオットを見上げ、睨み付ける。

「ライオット・シモンズ……」

「おやおや、これはこれは、アルサス・テイル殿ではありませんか」

 辛辣なアルサスの視線を軽く受け流したライオットは、悠然と構えた。そして、アルサスの傍で剣を構えるクロウに眼をやると、少しばかり忌々しげに、

「クロウ・ヴェイル。貴様はもう少し利口な男だと思っていたのだがな。誉れ高きセンテ・レーバン騎士であるを捨てて、恩ある私に楯突くとは、愚かしきは、父親と同じと言うことか」

 と、毒づいた。無論、クロウの胸の中に怒りが湧いたのは言うまでもない。だが、クロウはその怒りをコントロールする術を知っている。

「父を愚弄するのは、お止め下さい。私は、あなたが間違っていると感じたから、アルサスに手を貸したまで。私は騎士の誇りも捨てていなければ、親友のアルサスを見捨てたりもしない」

 冷静に返すクロウ。

「それを『恩を仇で返す』と言うのだ。もうじき、銀の乙女による儀式の言葉が終わる。そうしたら、貴様の処分と併せて、ヴェイル家はお取り潰しとする。それまで邪魔をせず、そこで大人しくしておくがいい。そこの、ダイムガルドの女もだ!」

 ライオットの視線の先、騎士団に囲まれた、フランチェスカはアルサスが壇上へ向かったのを見届け、多勢に無勢を悟ったのか、武器を下ろしていた。

「儀式が終われば、世界が変わると本気で思っているのか? 奏世の力……いや白き龍は人間の手に負えるものじゃない」

 アルサスはライオットに言う。しかし、その言葉がライオットの耳朶を打つことはなかった。それどころか、あきれたような物言いで、

「フェリスの戯言をまだ信じているとは……。つくづく、母子ともに無能なことよ」

 と、その蛇のような目を向けてくる。

「母さんの言ったことは本当だ。あんたが、それを信じるか信じないかは別として、シオンにあんた作った負債を背負わせたくはない!」

「負債? いや、莫大なる国家の財産だ。これより、何千年も、この国は世界をあまねく支配し続ける。白き龍をもってして! 安心れるがいい、我が忠誠はシオン陛下にとどいておるぞ……」

 にやり、ライオットの顔が歪む。だが、玉座に座る、まだ年端も行かぬ少女は、国王としての威厳を放っていると言うよりも、ただ、そこに座らされている人形のようでしかない。しかも、アルサスとライオットの会話に耳を傾けるでもなく、ぼんやりとしているのだ。

 もくもくと、魔法の言葉を唱え続け、白き龍復活の儀式を行うネル。そして、感情そのものを失ったかのような顔をするシオン。

 どうして、二人の少女がそのような顔をしているのか、アルサスには心当たりがあった。

 ネルが額に着けるティアラと、シオンの被る王冠には、「レパード」が散りばめられている。レパードの希石……いや、魔法装置と言うべきか。大きさこそ、ガムウの額に埋め込まれていたものとは小さいが、それでも人間一人、それもか弱い少女たちを操るには、十分だった。

 怒りがふつふつと湧いてくる。自己中心的な解釈ですべてを動かすこの男のことを、アルサスはずいぶん昔から嫌っていた。顔を合わせたことがあるのは、二、三度だが、それでもその度に、ひとの神経を逆なでる。

「忠誠心? シオンの、ネルの心を操っておいて、忠誠心なんて、反吐が出るっ。あんたの望みなんだ!? それで、どれだけの人が死ぬ?」

「我が望みは、この国が未来永劫繁栄し続けることだ。だがその過程で死ぬものたちは、悲しむことなどない。我がシモンズ家の千年王国のため、礎となることを喜ぶべきなのだ。あなたも、そのようになりたくなければ、そこで指をくわえてみているがよろしい。この記念すべき瞬間を……!」

 ライオットの言葉にあわせ、ネルは魔法の言葉の結びを告げる。その言葉の意味は、魔法文字や言語に詳しくないアルサスにも分かる。

『すべてを破壊せよ!』

「ダメだ、ネルっ!! やめろーっ!!」

 絶叫にも近いアルサスの声が、式典会場を貫いた。その瞬間のことだった。「遠見の鏡」に映し出されたルミナス島が、眩いばかりの白い閃光に包まれる。俄かに、諸侯や来賓たちからどよめきが起きる。悲鳴もわずかに混じっている。

 何故なら、その光は皆の心に刻まれ、拭い去れない過去の記憶として脳裏にこびりついているからだ。そう、諸侯や来賓だけでなく、ここにいる多くの者たちが、直接それを目にするのは初めてだったとしても、それが間違いなく、あの光であることに気づいていた。

 十年前……。三国の決戦の場となった、ヨルンの平原を包み込み、一瞬のうちに、二百万人もの将兵をしに至らしめた、白い光。

 そう、それこそが、白き龍と呼ばれるものであった。

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