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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第六章
52/117

52. 地下牢のアルサス

「何者だ、貴様たちっ!!」

 扉の向こうは少し湿った空気のする地下牢。明かりのほとんどない廊下の両端には、まさに牢を表すかのように、鉄格子の小部屋がいくつも立ち並んでいた。そして、今まさに罪人の収監を終えたばかりの、騎士が二人、地下牢に入ってきたクロウたちを見咎めた。だが、見咎めてうろたえる。

「なっ、何故クロウ隊長がここに!?」

 彼らは、クロウと同じ親衛騎士団の一員であるが、クロウ隊の隊員ではない。しかし、クロウの名も顔も知らないわけではなかった。クロウは、先ごろファレリアの反乱を鎮圧した分隊の隊長、しかもヴェイル家の跡取りである。一方、いち隊員に過ぎない彼らの動揺ぶりは、却って滑稽に見えた。

「見張りか……お前たち! 収監した賊徒が誰だか分かっているのか?」

 クロウは剣を構える。威厳に満ちた声音は、騎士団隊長のそれである。しかし、戸惑いを隠せない騎士たちは、その問いかけに答えることなく、各々鞘から剣を引き抜いた。相手が誰であろうと、地下牢に通すな、とでもライオットに言いつけられているのだろう。彼らが戸惑いの中で、判じたのは、騎士団分隊長よりも、宰相の言葉に重きを置いたと言うことである。

「やる気みたいよ」

 フランチェスカがクロウの耳元で囁くまでもなかった。クロウは両手で剣を握り締め、その切っ先を騎士たちに向けた。

「彼らは任務に忠実なだけです。命まで奪う必要はありません」

 そう言うと、クロウは床を蹴った。センテ・レーバン王国騎士団に伝わる、王家の剣技「迅雷」である。一対一の突撃戦法に特化させ、強い蹴りだしとともに雷が天から降り注ぐがごとく駆け抜けて、一瞬のうちに敵の急所を斬ることから、その名で呼ばれている。センテ・レーバン王国が、八百諸侯を纏め上げ、同時に数で勝るガモーフ神国や、鋼鉄国家ダイムガルド帝国に比肩してきた、その背景を支える、センテ・レーバン王国騎士団の強さの秘密である。

 しかし、クロウがその剣技を扱えるように、おなじ親衛騎士である彼らも迅雷の剣技を習得している。手の内は、読まれているのだ。

 地下牢の廊下に、剣と剣がぶつかり合う音が鳴り響き、赤い火花が散った。

「例え相手が、クロウ殿でも、容赦はいたしません!」

 騎士は強くクロウを睨み付ける。そして、剣を無理やり降りぬくとその返しで、クロウの胸元を狙った。クロウは咄嗟の判断で、一歩飛びのき切っ先を寸でのところでかわす。

 クロウはそれほど剣技に自信があるわけではない。将が、絶対的な剣術センスを有していなければならないと言うことはなく、畢竟、彼が分隊長という役目にあることと、剣の腕前はまた別の話なのだ。少なくとも、相手との剣の実力は伯仲している。

 一方、騎士の片割れはそんなクロウの傍をすり抜けて、フランチェスカの元に迫る。剣と槍。リーチの長さは槍が優れるものの、狭い地下牢の廊下では、槍の取り回しはすこぶる悪い。しかし、フランチェスカはそれをものともせず、まるで蜂が刺すように、穂先を繰り出し、騎士の剣を防いだ。

 他人の心配をする必要はなさそうだ。クロウはそう感じ、剣先に念を込めた。自らが握る得物は、人の命を殺めることができる、凶器である。一歩間違えれば、剣技の差は関係なく、あいてを殺めてしまうかもしれない。しかし、目の前にいるのは敵ではなく、おなじセンテ・レーバン王家に仕える、親衛騎士である。年のころは、自分と変わらないだろう。そんな騎士を殺してしまうことと、アルサスたちに協力することは、また別の問題だと分かっている。

「やあっ!」

 クロウとのにらみ合いに痺れを切らした騎士が、迅雷の剣を振り上げる。殺意はないが、害意のあるその剣が振り下ろされる瞬間、クロウは足を軸に、それをかわした。隊長の印であるマントがひらりとはためき、騎士の視界をふさぐ。クロウはその隙を見逃さなかった。そのままの流れに身を任せつつ、騎士の背後に回った彼は、甲冑唯一の弱点である、後頭部に(つか)の先端を打ち付けた。その強力な打撃は、おそらく痛烈な痛みを与えたであろう。騎士は、短く「ぐえっ」と悲鳴を上げて、うつぶせに倒れこんだ。

 落雷のごとく、一瞬で勝負が付く。迅雷の名の由来のもう一つの意味である。

 フランチェスカも、もう一人の騎士が一瞬怯んだ隙を見逃さなかった。迅雷の剣技ならば、十年前にギャレットたちに見せ付けられているし、彼女がその後ギルド・リッターで鍛えた戦闘術は伊達ではない。狭い空間を大きく動くことなく、効果的な槍の打ち出しに加え、隙を突いての蹴りは、見事に騎士の腹に抉りこまれたのである。たとえ、全身甲冑と言っても、体重も乗せた蹴り込みにその衝撃は甲冑内部を貫く。騎士はうめき声を上げながら、クロウの相手と同様にうつぶせに倒れた。

「フランさん、彼らをそこの空いている牢に閉じ込めておきましょう」

 そう言って、クロウは倒れこんだ騎士の腰から、鍵の束を取り出した。この地下牢が使われていなかったことを表すような、古びた鍵である。それを、フランチェスカに投げると、自らは牢の奥へと走った。

 廊下の両脇に並ぶ格子の小部屋は、両側併せて二十近くある。政治犯が一度に、二十人以上も出たという話は聞いたことがないし、クロウ自身、この地下牢に入るのは初めてのことだった。一部屋一部屋、アルサスの姿がないか確認して回る。すると、もっとも奥まった部屋に、人影が。

 どうやら、先ほどの騎士たちに気絶させられたのか、小部屋の中でうずくまっている。見たところ怪我をしている様子はないことから、頭でも殴られたのだろう。牢に閉じ込められる前、アルサスが悪あがきしようとしたことは、想像に難くない。

「アルサスっ! アルサスっ!」

 鍵はひとまずフランチェスカに預けた。クロウは、格子を持って揺らしながら、友の名を叫んだ。何度か叫ぶうちに、気を失っていたアルサスはゆっくりと目を開く。

「クロウ? 何でお前が」

 視界にぼやけたクロウの姿をみとめたアルサスが起き上がる。つと、頭を駆け巡る痛みに顔をしかめ、自身の後頭部にできたこぶを押さえた。

「無事かい、アルサス? 怪我はしてない?」

「大丈夫だけど……、どうしてお前がここにいるんだよっ! ハイゼノンは?」

 格子まで駆け寄ったアルサスが、クロウを睨み付けて来る。

「わたしもいるわよ」

 ひょこっと、クロウの隣に顔を出したのはフランチェスカ。騎士たちを空き部屋に閉じ込め、鍵をかけたフランチェスカは、図らずも驚くアルサスを他所に、ニコニコと再会を喜んでいるかのようだ。

「ハイゼノンで言っただろう、フラン? あんたたちはそれぞれ、自分の居場所に戻れって、聞いてなかったのか?」

「あら、わたしたち、耳が遠いのよ」

 悪びれる様子もなく、アルサスの言葉に答えるフランチェスカ。彼女は、先ほどの鍵の束をクロウに手渡す。

「わたしたちって……まさか、ルウもいるのか?」

 慌ててアルサスは、あたりに視線をめぐらせて見たものの、丸ぶち眼鏡の少年は何処にも見当たらない。それもそのはずだ、街角ではぐれてから、ルウがどうしているかは、想像が付いても確かめる術がクロウたちにもない。アルサスの訝るような視線を受け取ったクロウは、鍵を開けながら答えた。

「いや、街角の雑踏ではぐれてしまった。あの子のことだ、きっと心配することはないと思う。とにかく、牢屋からでるんだ。ここは、君には似合わない」

 クロウはアルサスの閉じ込められた牢の扉に手をかける。長い間使われず錆ついた格子の扉は、甲高い音を立てて開いた。

「まったく! 僕に何も告げなかったことはまだしも、あんな素っ気無い書置き一つで、フランさんやルウくんまで置き去りにするとは、困った人だな、君は! だから、こんなところに閉じ込められる始末なんだ!」

 アルサスが牢屋から出てくるなり、クロウはアルサスの行いを叱責した。バツの悪そうな顔をしたアルサスは、ちょろりと舌を出して、

「クロウ……ルウみたいなこと言うなよ」

 と、アルサスが助けを求めるように、フランチェスカに目配せをする。しかし、フランチェスカは苦笑するにとどまり、アルサスに助け舟は出さなかった。彼女としても、ハイゼノンに置き去りにされたことは、ルウと同様、少しばかり腹に据えかねていたのだ。

「それで、君はメリクスの迷宮を抜けたのか?」

 溜息交じりに、問いかけるクロウ。

「ああ、あそこはよくお前と探検したからな。道順ならだいたい分かってた。しかし、ライオットめ、俺が来ることを見越してやがった。レイヴンには、薄暗い地下牢がお似合いだとさ」

 アルサスは自らの後頭部にできたこぶをさすってみせる。再びクロウは、友のあっけらかんとした物言いに、溜息を漏らした。

「誰も助けに来なかったら、どうするつもりだったんだ!? こと、ライオット閣下は君のことを邪険にしか思っていないことは、重々承知のはずだろう? 命を危うくする前に、もう少し思慮深くしてくれ。閣下がなんと言おうが、君はこの国の……」

「その先は言うな!」

 突然大きな声で、クロウの言葉を制するアルサス。その声は何度か、地下牢に反響した。空き部屋に閉じ込めた騎士たちが目を覚ますのではないかと、一瞬懸念したが、反響した声が静まり返っても、その様子はなかった。

「すまない、大声を出して。でも、ライオットが言うことは正しい。俺は、レイヴンのアルサスだ。俺を買いかぶるな、クロウ……」

 アルサスがそう言うと、クロウも返す言葉を失ってしまう。

「それで、ネルは見つかったの?」

 沈黙だけが無駄な時間を作り上げようとするのを、フランチェスカは本題に触れることで割り込んだ。アルサスは、フランチェスカの問いかけに頭を左右に振って答えた。

「いや、宰相府で丁重にもてなしていると、ライオットは言っていたけど、それを信用することは出来ない」

「じゃあ、すぐに宰相府へ向かいましょう。ネルを救い出すために、王都まで来たんだから」

 フランチェスカが揚々と言うと、アルサスはそれにも頭を左右に振る。

「時間がない。即位式が始まれば、ライオットはネルの力を使う。客人などと言っても、心の底じゃ、ネルを道具程度にしか思っていやしないんだ!」

「どうしてそう言い切れるのかしら? まるで、あなたは、ライオットのことを良く知っているようじゃない?」

「それは……今話している余裕はない。俺のことなんてどうでもいい。即位式を台無しにしてでも、とにかく、ライオットを止める。それが先決だ」

「まさか、アルサスっ!! 君は即位式に殴りこむつもりかい?」

 クロウが慌てて、アルサスの肩をつかんだ。そんな馬鹿なことは止めろ、と視線を尖らせたが、逆にアルサスの赤い瞳に射すくめられる。

「ネルの『奏世の力』は、傷を癒す力じゃない。どうして、そんな作用がもたらされるのか、俺にもわからない。だから、俺はネルと旅をした。『銀の乙女と奏世の力』の真実を知るため。それでも、結局その真実にはいたることが出来なかったけれど、これだけは確かだ」

 奏世の力は、白き龍を蘇らせるための力……。

 アルサスは、たっぷりと重みを含ませた語気を吐き出した。その言葉に、クロウは驚きを隠せない。薄々は、感づいていたからかもしれない。その感覚は、おそらく『奏世の力』を目の当たりにした、あるさすとて、同様だったに違いないと分かる。

 アルサスは、クロウの驚きを踏まえつつ、続けた。

「この世に、再び白き龍はよみがえらせてはならない。龍が幸福をもたらすなどと言う言い伝えは、その力に魅了された人たちの、まやかしだ。巫女だった、俺の母さんの言葉……俺は忘れていない。クロウ! お前はどうなんだ?」

 いつになく、威厳のある声音に、クロウは掴んだ肩を離した。その言葉、自らもアルサスと同じように聞いた。そして、ライオットは少女に宿るその力を使って、センテ・レーバンの伝承に残る「白き龍」を蘇らせようとしている。そんな彼が望むのは、ファレリア公が思い描いた平穏な世界とは程遠い。

 そこまで分かっておきながら、目の前の友はライオットの野望を阻止しようとしているにもかかわらず、自分はどうだ? 騎士として(まも)るべきものはなんだ? このまま、ライオットの悪意の一翼を担う、子飼いの騎士でいていいのか? それは、ヴェイル家の名に恥じることではないのか?

「それでも、間に合わなかったら? ライオット閣下が白き龍をよみがえらせたら?」

 クロウは、あえてそう問いかけた。問いかけながら、同じ言葉を自分にも投げかける。

「そのときは……そのときは、迷いを捨てる」

「その覚悟はできているのか? 迷いを捨てると言うことの意味、分かっているのかい?」

「分かってる。だけど、そうなる前に、刺し違えてでも、ライオットの野望を止めなければ。それが、俺があいつにしてやれる唯一のことだ」

 アルサスは小さく笑った。クロウには、その笑みの意味と、向けられた先に誰がいるのか分かっていた。だが、迷いを捨てると言う言葉、それが真偽如何であっても、友の言った言葉の末尾だけは嘘ではないだろう。ならば、自分は……。

「じゃあ、僕も即位式に殴りこもう。僕も迷いを捨てる」

 そう言うとクロウは、アルサスの微笑みに微笑みで返した。そこには、親友同士でなければ分からない、意思の疎通のようなものがあって、フランチェスカは独り蚊帳の外であったが、彼女は拗ねるでもなく、鉄槍を手に、

「あなたたちの話は良く分からないけれど、仲間として放っておくわけには行かない。わたしも行くわ」

 と、朗らかに言った。

「フラン、いいのか? 今ならまだ、ギルド・リッターに戻れる。ルウを探して、あいつとともに居場所へ戻ってくれ。これは、センテ・レーバン王国の問題なんだ。ハイゼノンの時みたく、あんたたちを巻き込みたくはない」

「あら、優しいこと言ってくれるのね。でも、騎士さまにも言ったけれど、あなたを一人で行かせるわけにはいかないわ。だって、あなたも、ネルもわたしの旅の仲間。ネルを救い出したいと言う気持ちは、わたしもルウも同じよ」

 いつものように、飄々とした物言いは、アルサスを丸め込むにはうってつけだった。「仕方ないな」とアルサスは、フランチェスカの助力にまんざらでもない様子。ルミナスから、ウェスアから、山を森を谷を越えた長い旅路の苦楽を共にしてきた「仲間」と言う言葉は、アルサスの心の内を透かした言葉であった。

「しかし、このままの恰好というのも、親衛騎士団の目に付きやすいな」

 クロウは話がまとまったことを確かめ、二人の衣装を指して言った。アルサスとフランチェスカは、ギルド・リッター特製の白銀の鎧を纏っている。色合いこそ、センテ・レーバン騎士団の銀の鎧に近いものがあるが、堅実な防具であるギルド・リッターの鎧とは、明らかにデザインが違うため、却って目立ってしまう。

 即位式には、ギルド・リッターの幹部も祝賀に訪れているものの、彼らに紛れ込むことは難しいとなれば、その鎧は邪魔なだけだ。

「そう言うと思って……」

 フランチェスカが踵を返し、先ほどの騎士たちを閉じ込めた牢屋の前に向かう。

「さっきの騎士たちの、身包み剥いでおいたわ。使えるかしら?」

 そして、再び戻ってきた彼女の両腕は、センテ・レーバン騎士団の甲冑と剣一式を抱えていた。


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