51. エルフォードの会
魔法学生ジャレン・ジャラ率いる、「エルフォードの会」のメンバーは、皆、魔法使いギルドの来賓の付き添いとして、何の弊害もなく、あっさりと正門から城内へと入った。それは、クロウたちが門兵に追い返される少し前のことである。
「エルフォードの会」のメンバー五名は、ルミナス魔法学園の学内でも優等生たちがそろっている。会長である、ジャレンも、すでに主席卒業が内定している秀才だ。また、そのほかに、三名のメンバーも、皆級長や寮長を務めるガモーフ人ばかり。ナタリーもその中の一人だった。
ナタリーは、ずっと無言のままだった。学園支給のモスグリーン色したコートの下には、赤い腕章がある。それは、「エルフォードの会」の証でもある。そして、なにより、その赤が意味しているものは……。
「ナタリー。ねえ、ナタリー。やっぱりダメだよっ」
ルウが声を押し殺して、ナタリーの袖を引っ張る。来賓控え室へと案内される魔法使いギルドの幹部一行、その最後尾に従う「エルフォードの会」のメンバーたちの、さらに最後尾についていくルウは、センテ・レーバン王城の美しく豪奢で、かつ落ち着きのある、調度品などには目もくれなかった。いつものルウなら、そういったものに興味を示さないはずがなかったが、今はそれどころではない。必死に、ナタリーの後ろを付いていき、ことあるごとに、彼女のコートの袖を引っ張っては、ナタリーを思いとどまらせようとする。
「だったら、付いてこないで、ルウっ」
取り付く島もないといった風に、ルウの手を振り解いたナタリーは、「エルフォードの会」の先輩たちに遅れないよう、その後ろを必死に追いかけた。
街角でナタリーの姿を見つけて、それを追いかけたルウは、そこで「エルフォードの会」と出会った。表向きは、魔法使いギルドとルミナス島の歴史を研究する、魔法学園のサークルのひとつとして有名である。秀才たちかそろうこのサークルが、魔法使いギルドからの来賓に付き添うことを許されたのは、彼らがギルドメンバーからも信頼が厚いということの顕われだろう。
しかし、ナタリーとルウの元に現れた、会長ジャレンの話を聞いたルウは驚愕した。脈々と学園の歳月とともに受け継がれる「エルフォードの会」の裏の顔……彼らが魔法使いギルドの幹部に随伴してきた、本当の理由。
『われらは、祖国のために、エルフォード様に倣い、敵を討つ』
魔法使いギルドの祖にして、大魔法使いエルフォードは、ルミナス島の独立を守るため、彼女の雇い主であった国を裏切り、戦争をした。そうして、勝利と独立を勝ち得たのである。彼らは、それに習い、たとえルミナスの魔法学園を裏切っても、祖国ガモーフ神国のために立ち上がろうというのだ。そして、彼らが「敵」と称するのは、ほかならぬ、センテ・レーバンの新国王シオンである。
それは、テロルにも近い行為。何故彼らがそんなことを言うのか。ルウには冗談にしか聞こえなかったが、赤い腕章と、彼らのギラついた瞳がなによりも、冗談などではないということを証明していた。
ジャレンたちが、テロルを辞さないという考えにいたったのには、ルウも知るあの事件が関わっている。そう、ルミナス島で起きた、ハイ・エンシェント「ガムウ」の襲撃事件である。王国と魔法使いギルドの間に、政治的な駆け引きがあって、ことは有耶無耶になってしまったが、ガムウを操っていたのが、王国の者であったことは、周知の事実となっていた。そのため、ルウがアルサスに引っ付いて旅立った後、ルミナス魔法学園では、センテ・レーバン人の生徒とガモーフ人の生徒の間で、対立が起きていた。そんな中、対立は徐々に大きくなり、ガモーフ人の下級生の一部が謂れのないイジメに会い、女学生の一人が図書館で首を吊った。痛ましいその事件は、センテ・レーバン人の多い魔法使いギルドの幹部によって、表沙汰になることはなかったものの、ジャレンたちガモーフ人で構成される「エルフォードの会」のメンバーは怒りに震えたのである。
思えば、ヨルンの悲劇で何万人ものガモーフ兵の命を奪ったのもセンテ・レーバン人。罪なき魔物の長を操ってルミナス島を襲ったのもセンテ・レーバン人。そして、女学生を自殺に追いやったのもセンテ・レーバン人。何もかも、センテ・レーバンが悪い。ジャレンたち、ガモーフ人で構成され、かつ愛国心の強い「エルフォードの会」のメンバーは、怒りを露にしたのである。
その怒りを分からなくもない。ルウにも、ガモーフ人であるという誇りはある。ジャレンの話を聞いて、胸の奥にふつふつと怒りさえ覚えた。そこに、無常な粛清を行ったハイゼノン公や、外国人や貧民を冷たくあしらうハイゼノンの街の人たちがダブって見えた。
だが、その一方で、アルサスやクロウ、貧民のまとめ役として分け隔てなく接するクレイグという、センテ・レーバン人のことを知っている。だからこそ、ジャレン……いや、いつもちょっと喧嘩腰ではあったものの、自分のことを心配してくれていたナタリーがしようとしている無謀なことを、放っておくわけには行かなかった。
センテ・レーバン人が悪いからといって、十一歳の新国王を殺すなんて、間違っている……。そのことに、ナタリーが気づいていないなら、止めなくちゃ!
「お前もガモーフ人だ。付いてきたいなら、好きにするといい」というジャレンの言葉に、ルウはナタリーを止めるという本意を隠し、フランチェスカたちとはぐれたまま、彼らに先んじてセンテ・レーバンの城内に入った。
「本当に、やるつもり? そんなことしたら、魔法使いギルドも学園も……」
ルウは、ナタリーの後ろにぴったりと付いて、何度もその言葉を口にした。もう十回目だろうか。ほとほと嫌気が差したのか、ナタリーは返事を返してこない。その代わりに、前を向いて廊下を歩きながら、
「ルウはどうして、王都に来たの? もう一ヶ月近く、学校をズル休みして、何をしていたの?」
と、級長らしい威厳を垣間見せる。
「ボクは……」
ここまでの旅のことを、ナタリーに話して聞かせたい。初めての野宿やキャンプ。ボアル族の魔物に追いかけられたこと、ウェスアでの出来事、フランチェスカを加えてクァドラ山脈を越え、エントの森での冒険。ハイ・エンシェント「ローアン」との出会い。そして、何よりもルウの知識欲をそそった、遺跡船。辛いこともたくさんあったけれど、学園の図書館に篭っていては、体験することのできなかった様々な旅の日々を、ルウが学園で最も心を許す友達に聞かせてあげたい。きっと、以前のままのナタリーなら、興味深くその話に耳を傾けてくれたはずだ。
しかし、今はそんな時間もないし、目の前を歩くナタリーの背は、以前の彼女のそれとは違う。ある種異様な正義感や復讐心にとらわれていることを、ひしひしと感じる。
「別に話したくないなら、いいけど。余計なことはしないで」
口ごもってしまったルウに、最初から返答など期待していなかった、とでも言いたげな冷たい視線をナタリーは投げかけてきた。
「余計なことって……」
何が余計なことなのか。暴挙を止めようとすることは、余計なことではない。そう口を開きかけたルウは、突然列が足を止めてしまったため、ナタリーの背中にぶつかってしまった。
「それでは、魔法使いギルドの来賓の皆様と、付き添いの学生諸君は、こちらの控え室でお待ち下さい」
係りの文官らしき、身なりのさっぱりした男が、扉を開けたのは、来賓用に用意された個室だった。個室と言っても、ルミナス学園にある百人用・階段講義室ほどもある。しかも、部屋の中は豪華なタピストリーや壷、美しいレースのカーテンに、きめの細やかな赤いカーペットで飾られ、部屋の中央にはこれまた豪勢な軽食が用意されていた。
即位式は、センテ・レーバン王国きっての大事業。同時に、ガモーフやダイムガルド、ギルド連盟に王国の経済力を見せ付けるという政治的側面を持っていた。来賓として招待された、魔法使いギルドの幹部たちは、皆「ほほう」と関心して色めき立ち、あるものは軽食にかじりつき、またあるものは美しい調度品に目を奪われていた。
しかし、「エルフォードの会」のメンバーたち、そしてルウは、黙りこくったまま部屋の隅に置かれた、椅子に腰掛けた。
暢気なもんだ。幹部たちの姿を見て、ルウは思う。幹部たちは、忙しい身の上の魔法使いギルドの長、即ち校長の名代としてここに訪れているのだ。その責任は重い。しかし、この中の一人として、随伴する「エルフォードの会」が腹に抱えた計画を知っている者はいない。
落ち着かない表情でセンテ・レーバン人である幹部たちの姿を見つめているナタリー。その横顔を、そっと見やるルウの頭の中は、どうすれば、ナタリーを止められるのか……、懐に隠し持った、ミスリル製のナイフを取り上げることができるのか……、そのことでいっぱいだった。
「ライオット閣下に、火急の用である! 取次ぎ不要っ、我らを通し給え!」
正門の門兵に追い返されたクロウは、攻め方を変えた。一路、四つある城の門のうち、西の門に、フランチェスカを従えて向かったクロウは、声高に言った。親衛騎士団の分隊長であるクロウの顔と、ヴェイル家がライオット・シモンズの子飼いであることは、周知のこと。火急と言われては、門兵といえども、騎士に口答えできる身分ではない。しかも、宰相ライオット・シモンズの名まで持ち出されては、例え命令を破ってでも、クロウたちを通さざるを得なかった。
門さえ潜り抜けてしまえば、こっちのものだ。クロウの顔とその鎧があれば、誰も怪しむ者はいないのは至極当然のこと。更に、クロウとともに城内に入ったフランチェスカに、すれ違う者たちは、一瞬怪訝な顔をするものの、即位式にはダイムガルドの来賓も招かれているし、なによりギルド・リッターの来賓も招待されている。ダイムガルド人やギルド・リッターがそこにいても、なんら不思議なことはないのだ。それでも、親衛騎士がギルド・リッターの、それもダイムガルド人の美女を従えているという光景は、やはり城の者たちには奇妙な取り合わせに映るのだろう。
「ぐずぐずしていたら、面倒なことになりそうね」
と言ったのは、フランチェスカだった。彼女の言うとおり、奇妙な取り合わせは、きっと城の者たちの記憶に残ってしまうだろう。そもそも、ありもしない「ライオットへの火急の用事」という名目で城内に入ったのだ。取り次ぎ入らないと言ったが、クロウがハイゼノンから王都に帰ってきたことは、直にライオットの耳に入ることだろう。そうなる前に、やることは三つ。
まず、城に入り込み捕まったアルサスを救出する。そして、ギャレット・ガルシアによって王都に連れ去られたネルを見つけ、これも救出する。あとは、即位式のどさくさに紛れて、城から脱出する
作戦を立てている余裕はない。しかし、勝機もない。騎士として、算段の付かない戦ほど、不透明で不安を感じずにいられないが、ことは親友とその仲間に関わることだ。そして何よりも、今のクロウを突き動かしているのは、自らが討ち取ったファレリア公の最後の姿。自分が正しいと思うことのために、命を賭けた男の姿である。
すでに、シモンズ家の飼い犬であるつもりはない。自分は、影走りとは違う。信念と誇りを持った、センテ・レーバン騎士団の一人なのだ。
「おそらく、アルサスは地下牢に閉じ込められているはずです」
足早に廊下を進むクロウは、フランチェスカの方に顔を向けずに言った。
「地下牢? お城に牢屋があるなんて、物騒ね」
「地下牢と言っても、政治犯などを仮に閉じ込めておくものです。現在は使われていませんが、即位式の日に『賊徒』が城に忍び込んだという不名誉を表沙汰にしないために、地下牢へひとまず閉じ込めているはずです。しかし……アルサスを賊徒呼ばわりするとはっ!」
クロウは拳を握り締める。その口調に、ただならぬものを感じたフランチェスカは、訝るような視線を向けてきた。
「どういうことかしら?」
「えっ、あ、いや、深い意味はありません。それよりも、急ぎましょう、フランさん」
言葉を濁し、クロウは更に歩く速度を速めた。地下牢へは、五つの塔のうち、東塔から入れる。クロウの言ったとおり、ずいぶん昔には、政治犯などを臨時収監するために設けられたものなのだが、現在はほとんど使われることはなくなっている。
そのため、地下牢へと続く長い階段の先には、長い間開かれることのなかった錆付いたドアがある。その足元に、錆の赤茶けた粉が落ちているのは、つい今しがた、誰かがその扉を開けたと言うことだ。
「アルサスっ!」
クロウは用心のため、剣を引き抜き、地下牢の扉を開けた。
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