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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第六章
48/117

48. メリクスの迷宮

 王都から百クリーグ東。ハイゼノンから、その数倍以上は西に位置する、街道の外れに、センテ・レーバンきっての名勝がある。その名は、メリクス湖畔。メリクスとは、センテ・レーバンの古い言葉で、満月を意味する。上空から湖の円周を見渡すことが出来たなら、ほぼ真円に近い形をしていることに気づくだろう。だが、丸いから名勝と呼ばれるわけではない。メリクス湖畔は、常に薄い霧が立ち込め、その霧の向こうに、うっすらとぼやけたアトリアの最高峰「シェラ山」を望むことが出来る。夕刻ともなれば、淡いオレンジ色の光が、霧によって拡散し、あたかもシェラ山から降り注いだ光に輝き、静謐な湖畔全体を照らしているかのように見えるのだ。この、幻想的な眺めこそ、名勝と呼ばれる所以なのである。

 センテ・レーバンは、宗教国家ではない。国の礎は剣と盾。そのため、ベスタ教の威光で国家を照らすガモーフ神国と違い、宗教に関して寛容なところがある。アトリアの麓にある村などでは、このメリクス湖畔の幻想的な景色を、「御山の精霊」と称して崇拝する、土地信仰まで存在している。

 そんな幻想的な景色を斜めに見下ろす、湖畔のほとり。そこには小さな丘があり、頂上にぽつんと邸宅がある。一見すると、夕刻の鮮やかな光にシルエットとして浮かぶ邸宅は、城のように見える。しかし、城と呼ぶにはいささか、小さいものの、つややかな大理石の外壁や、真紅の屋根、人があまり寄り付かなくなった今もそれらが、美しく輝いていることに気づけば、そこが並々ならぬお方の邸宅であると分かるだろう。

「十二年ぶりか……」

 鉄格子の正門前で、豪奢な邸宅の姿を見上げるアルサスは、そっと呟いた。背後では、すこし息を乱した馬のいななきが聞こえる。

 ハイゼノンの粛清事件から、早くも五日近くが過ぎていた。この湖畔の邸宅まで、寝食を惜しんで馬を飛ばし、ようやくたどり着いたばかり。だが、邸宅を見上げるアルサスの赤い瞳には、時間がない、という焦りが映し出されていた。

 本当は、ルウとフランチェスカに黙ってハイゼノンを後にしたことを少しだけ、後悔していた。今頃、二人は憤慨していることだろう。しかし、だからと言って、これ以上ルウとフランチェスカを巻き込みたくはない。この先は、二人とも、関係ない人間なのだ……。

 勿論いくらか迷いはした。一人でネルを救うため、王都に殴りこみをかけるには心もとない。それは、旅を始めて、初めて仲間とともに歩き、戦うことを知ったためだ。レイヴンになったときは、一人で何とかしようと頑なに思っていたのが嘘のように、ルウやフランチェスカ、そして何よりネルが傍に居てくれる温かさに、慣れてしまっていた。

 しかし、ルウは彼の興味だけで、ここまで付いてきた。フランチェスカは、ギルド・リッターとの仲違いで旅に同行してきた。広義の意味で言えば、これからおきるかもしれないことは、アルサスだけじゃなく、世界中の誰もに関係していること。しかし、狭義の意味で言えば、それはアルサスとネル、そして彼女の力を我が物とし、己の野望を果たさんとする、ライオット・シモンズの三人の問題だと言っても、過言ではないことを、アルサスは最初から分かっていた。いや、むしろ、そこで収まるのであれば、それに越したことはないのだ。

「俺が迷ったからだ」

 と、アルサスはタイムリミットが迫ることを悔いた。悔いてなお、脳裏に浮かぶのは、カルチェトの街やルミナスで見せた、ネルの朗らかな笑顔と、その手に伝わるネルの手の柔らかさと体温だ。

 でも、迷っていたら、関係ないとアルサスが線引きする、ルウやフランチェスカ……いや、それだけではなく、この広い世界に息づくあらゆる生命が危機に陥る。クロウには傷が癒えるまで、大人しくしていろと釘を刺されたが、その友人のありがたい申し出を耳にしてなお、じっとしているわけにはいかなかった。三度目の奏世の力を使ったネルの、絶望と狂気に満ちた顔は、記憶に残る笑顔さえ、かき消そうとする。

 それに耐えることが出来ず、アルサスは、ルウたちを巻き込まないよう、ひっそりと一人ハイゼノンを抜け出して、馬を飛ばしたのだ。

 馬は、騎士団のものを黙って拝借した。何頭も厩舎に並ぶ中から、適当に選んだ栗毛の一頭だったが、なかなかの駿馬だった。

 しかし、それでも、すでにギャレットたちな追いつくことは適わず、彼らはネルを連れて、王都にたどり着いているだろう。そうなれば、王城へ直接乗り込み、ネルを救う他ない。例え、城のものと刃を交えることになっても。それに、その方がここまで抱え続けた「迷い」を打ち捨てることが出来る。

 アルサスは、三日間の馬旅の間、ずっとそんなことばかりを繰り返し考えていた。

「さて、別邸を眺めていても仕方ない。そろそろ行くか。地下通路が残っていればいいんだけどな」

 ひとりごち、湖畔の邸宅の正門に手をかける。ポケットから取り出したのは、古びた鍵だ。それは、この正門の門扉を開くための鍵でもある。

 そして、そこにある秘密の地下通路。直線距離で百クリーグにわたって、王都への秘密通路が掘られており、内部は複雑な迷路になっている。正しい道を知らなければ、やがて入り口に戻ることも出来ず、屍をさらすことになる。

 それは、何百年も昔、王都にある城が敵に攻め落とされたときに、王家の人間が逃げおおせるように作られた、避難経路だ。そう、メリクス湖畔のほとりに建つ、打ち捨てられた邸宅は、王家の別荘として作られた、通称「メリクス別邸」である。

 アルサスは、門扉を開き、手入れがされなくなって、ずいぶんと雑草にまみれた庭を歩いた。十二年前、とある事件があって以降、この場所は捨てられた。その不要とも思える別邸の鍵を手に入れていたことは、アルサスにとって、好都合であった。

 地下通路の迷宮を越えれば、直接王都、しかも城内に出ることが出来る。王都の警備も、城の護衛もパスして、敵の懐に忍び込めるのだ。それは、ハイゼノンで、マレイアの元に向かったときよりも、容易なことだった。

 しかし、問題は、地下通路を越えることが出来るかということだった。直線距離で百クリーグといえば、走っても、一日以上はかかる。タイムリミットギリギリではあるが、他に王都へ侵入する手立てが思い浮かばなかった。

 庭を越え、入り口のドアを蹴破り、誇りっぽい別邸の中を進む。地下通路の入り口は、エントランスに掲げられた、この別邸を建造した王の肖像画の下にある。ずいぶんと、えばりくさした、髭面の男。第五代国王の巨大な肖像画である。もはや、誰も寄り付かない別邸に、今でも守り神のように、その肖像画はたたずんでいた。その真下の壁は、強く抑えると、亀裂が入り、開くようになっている隠し扉だ。

 むっと、湿気を帯びた風が、扉の隙間から流れ出してきたかと思うと、その先には真っ暗でがらんどうとした空間が広がる。よく目をこらせば、深遠の闇に吸い込まれるように、石造りの階段があることに気づく。

 アルサスは、リュックを下ろし、カンテラを取り出した。あらかじめ、途中の街に立ち寄って買っておいた、魔法装置のカンテラだ。カンテラの中心には、カーマインと呼ばれる石が安置されており、ここに、魔法カードでフランメを着火すれば、普通のカンテラの数倍の時間、明かりを点すことが出来る。

 魔法使いギルドが、さまざまな技術を開発してくれたおかげで、便利な世の中になった。それなのに、十年前から、歪み始めた世界が、安定することはない。異常気象、飢餓、争い。それらが、全体として表面化することはない。だが、世界の縮図とマレイアが言った、ハイゼノンでの出来事が、本当に世界の縮図と言うのなら、やがて、同じようなことが世界に起きるかもしれない。かもしれない、を放置すれば、必ず歪みは顕在化する。

 アルサスがしようとしていることは、この世界が滅びを向かえるかもしれない、その小さな芽を未然に摘み取ることだ。そうすれば、例え分かり合えなくても、争いが起きることはないだろう。

「行くか……」

 アルサスは、リュックを背負い直すと、意を決して、深遠へと続く階段を下りた。

 迷宮には、簡単な法則がある。右手、もしくは左手を壁につけて歩けば、いずれかの出口へと通じているものなのだ。しかし、メリクス別邸の迷宮は、何ブロックかに分かれており、現在位置を特定しにくくなっている上に、壁自体が連結していない構成になっているため、単純な迷宮であるにもかかわらず、出口や入り口に向かうことは難しい。それゆえ、一度入れば、その道を知らない限り、出口へは到達できない。

 脱出口というには、あまりに不可解な作りは、そもそも追っ手を撒く、という意味と、迷い込んだものを王都に近づけない、という二つの側面から、複雑な迷宮を構成しているのだ。これだけのものを全長百クリーグも築きあげたという、五代目国王が、えばったような肖像画になるのも無理はない。

 カンテラを暗闇にかざしながら、アルサスはそんなことを思う。いくつもの分かれ道、先ほど通った道と同じような景色の連続。すでに、道を誤っているのではないのかという不安に押しつぶされそうになる。

 似たような地下迷路を、ウェスアでも通った。ウルド・リーのことは今でも心残りだが、あの時は、ネルがいて、ルウがいた。ネルのか細い手を握っているだけで、実のところ安心していたのは、アルサスの方だった。

 どんなに余裕ぶった口ぶりをしても、それほど強い人間でないことは、アルサス自身が一番よく知っている。だが、自分が使命と思ったことに、もはや誰も巻き込むわけには行かない。己の手で、ライオットを止めると誓った日から、独りで戦うつもりだったのだ。それを一時の弱さに流されてしまったことは、恥ずべきことだと、思う。誰の助けも借りない。それは、強がりではなく、誰かの助けを借りるわけには行かないのだ。信頼すれば、その人たちを「戦争」に巻き込んでしまうかもしれない。そのとき、信頼した人は、敵であるか、味方であるか。いずれにしても、悲しい結末を迎えることだけは、必定というものだ。

 ライオットの野心を止められるのは、それを知っている者、そして、それを間違いだと分かっているものの務めだ。

「たとえ、無謀だと言われてもな……」

 幾度となく、角を曲がり、一体どのくらいの時間が過ぎたか。焦る気持ちを抑えながらの、地下迷宮の踏破は予想以上に、体力を蝕んでいく。アルサスはひとまず、休息を取るため、通路の端に腰を下ろし、壁に背を預けた。リュックを漁ると、保存食料として持ってきた、ワックが一袋。ただ、ワックは小麦粉をこねて焼いた菓子だ。幼いころからアルサスの好物ではあるが、今口にすれば、あっと今に口中の水分を吸い取られてしまう。水筒の水に限りがある事を思えば、腹を空かしていても、ワックを食べるというわけには行かない。

 アルサスは、ため息をつきながら、リュックにワックの袋を仕舞い込み、ぼんやりと通路の天井を見上げた。

 王国の歴史が始まって以降、この地下迷宮が使われたことは一度もない。それは、この国が武力によって、安定をもたらし、それを崩すことなく長い月日を経てきたという証であるが、内心に、誰も使ったことがなければ、もう崩れてしまっているかもしれない、という不安はあった。

 たしかに、迷宮の壁はかなり朽ちかけているものの、それでも頑健に造りを維持していることは、第五代国王の命を受けて地下迷宮を建造した人たちの、技術力の高さを思い知る。ただ、迷宮の狭苦しい圧迫感には、息苦しさを覚えてしまうのもまた事実だ。いや、あの時を思えばまだマシか……。ギャレットに付けられたこの傷の痛みさえも。

 しばらくの間、天井を見上げぼんやりとしていた頭が、すこしばかり眠気を欲する。休めるうちに休んでおこう。アルサスは、カンテラの明かりをすこしだけ小さく絞って、そっと瞳を閉じた。

 熟睡などできはしなかったし、するつもりもなく、その眠りは、ものの二時間ほどで覚める。しかし、両足に貯まりかけた疲労はすっかり取れて、十分な休息となったと感じたアルサスは、立ち上がり、ふたたびカンテラを手に、迷宮を歩き始めた。

 記憶の中にある地図が役に立つとは思えない部分もある。人間の記憶というのは、時にあいまいで、時に裏切る。しかし、頼れるものは、かすかな記憶にある地図だけなのだ。なぜなら、この迷宮の地図は残されていない。信じられるのは、レイヴンとして培った勘と、記憶だけ。ルウほど賢いつもりはないが、ルウよりもいろいろな経験を摘んできた分、フランチェスカにも負けない勘を持っていると信じたい。

 やがて、その記憶と勘を信じる気持ちは、目の前にぽつんと光となって現れた。比喩ではなく、実際に白い光の点が、長い一本道の先に現れたのである。それは、紛うことなき、迷宮の出口だ。

「ネル。今行くから……」

 呟いたアルサスは、カンテラを前にかざし、一歩ずつ確かな足取りで、光に向かって歩いた。少しずつ光は大きくなる。その光……即ち迷宮の出口の先は、王国の中枢にして、今まさにシオン次期国王の即位式典を控えた、センテ・レーバン王城である。 

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