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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第六章
46/117

46. クロウとアルサス

 アルサスが目を覚ましたそのとき、彼は一瞬、そこが天国のような場所のように思えた。真っ白な空、ほのかに暖かな光と、頬を撫でるさわやかな風。ああそうか、自分は使命を果たすことも出来ずに、死んでしまったのだ、と思う気持ちのどこかに、ようやく重荷を下ろせたという安堵感と、何も出来なかった自分への後悔が入り混じった、複雑な思いがこみ上げた。

 だが、全身がきりきりと痛み、背中と腹の傷がうずいた瞬間、ぼやけたアルサスの意識は、一気に現実に引き戻された。真っ白な空は清潔な天井、暖かな光は魔法装置の電灯、さわやかな風は開け放たれた窓から吹き込む現実の風で、ここは天国などではなく、ハイゼノンの街角にある病院の一室だった。

「俺、生きてるのか……?」

 アルサスはかすれた声で一人ごち、ベッドの中から手を取り出し、それを天井にかざしてみた。その指と指の隙間に、貧民街の惨劇が蘇る。累々と築かれた死体の山、燃え上がる魔法の炎、メルの亡骸。そして、黒衣の騎士団に連れ去られる……。

「ネルっ!」

 白い布団を跳ね除けて、飛び起きたアルサスは、狭い病室の隅で、背もたれのない丸椅子に腰掛けて、報告書の束とにらめっこをする青年の姿を認めた。彼の銀色の鎧は、センテ・レーバン騎士が着用する重鎧。彼は、アルサスが目を覚ましたことに気づくと、手元のテーブルに報告書を置いて、こちらに向き直った。

「良かった、気がつかれたのですね……」

 と、丁寧な言葉の裏に、安堵と親しみをこめた口調が漂う。

「クロウ!」

 驚きとともに、青年の名を呼んだアルサスは、ベッドから這い出そうとしたが、また傷口が傷む。見れば、腹と背中に巻かれた包帯には、赤い血がにじんでいた。

「傷口に障ります。安静にしておくようにと、お医者様より仰せつかっておりますので」

 騎士の青年……クロウ・ヴェイルは精悍な顔に困ったような表情を浮かべ、アルサスを諌めると、ベッドに戻るよう指示した。渋々従うアルサスは、その視線を病室の窓外へと投げる。夕日の色に染まった、穏やかなハイゼノンの町並み。まるで、喧騒など嘘のように、静かであった。

「クロウ……、俺はどのくらい眠っていたんだ?」

 再び、クロウの方に視線を戻したアルサスも、親しみのある声音で問いかける。だが、答えるクロウの言葉に、アルサスは青くなった。

「あれから、三日です。」

「三日も!? くそっ! 貧民街はどうなった!? フランは、ルウはっ、ネルはっ!?」

 アルサスの心に湧き上がった焦りが、クロウにぶつけられる。

「そのように一度に尋ねられましても、困りますっ! 順をおってご説明しましょう。……ところで、今はアルサスと名乗っておられるようですね?」

 再びクロウに諌められたアルサスは、ため息混じりに「ああ、そうだ」と返事を返す。焦りは収まらないが、

「だから、そういう堅苦しいしゃべり方はやめてくれ。それに、お前の方が、俺より年上なんだ。兄貴みたいなもんだろ?」

「そう、だね。分かったよ、アルサス。さて、何処から話そうか……」

 肩の力をフッと抜いたクロウは、旧知の友に語りかける、打ち解けた表情になった。

 ハイゼノンに入った親衛騎士団は、瞬くうちに事態の収拾に乗り出した。生き残った貧民の保護、さらには消火活動に当たった。幸いであったのは、ハイゼノン兵たちがほとんど抵抗しなかったことだ。親衛騎士団の掲げた、王国の御旗には、その存在だけで、大きな威力を秘めている。その御旗を倒すということは、王国に対して反乱を起こすということである。おかげで、それ以上の犠牲を払うことなく、本国への治安維持部隊派遣の要請、さらには、ハイゼノン公の逮捕と、市民たちに混乱が波及する前に、事態を沈静化させることが出来た。その背後には、クロウの敏腕があったことは言うまでもない。

「今は、治安維持部隊が街を、代理統治している。貧民たちも疲れきっていて、暴動がおきる様子はない」

 そう言って、クロウ報告書の束を、アルサスに見せた。治安維持部隊や、親衛騎士団からこと細かく上がってくる報告が、つぶさに記されている報告書から、街が平穏を取り戻したことを、アルサスは伺い知ることが出来た。

「マレイア・ハイゼノン公は?」

「現在は、我々親衛騎士団の監視下で、私室に軟禁状態だ。大人しくしている。彼女には、ファレリア公反乱への援護を行っていたという嫌疑もかかっているから、ひと月のうちに、宰相府に召還されると思うよ」

「そうか……」

 報告書を閉じたアルサスは、ふとマレイアの顔を思い出す。十年前、ヨルンの戦いで命を落とした、前ハイゼノン公の跡を継いだ彼女は、その重責に耐えながら、この壁に囲まれた街の統治に尽くしてきた。その結果が歪んだ統治であったというのなら、それをマレイア一人の責任として押し付けることは出来ない。もしも、その害意の発端を探すとすれば、十年前だ。

 すべては「ヨルンの悲劇」から始まっている。世界のバランスがおかしくなり、それが飢饉や異常気象という目に見えた形で現れたことをはじめとして、フランチェスカがギャレットを前に冷静さを失ったことも、クレイグたちが貧民となりハイゼノンに集まったことも、マレイアが重責に押しつぶされそうになったことも。

 そして、アルサスの目の前にいる、クロウ・ヴェイルもまた、ヨルンの戦いで父、ホーク・ヴェイルを失っている。

 だが、過去を悔やみ、過去に縋ったところで、目の前の現実は変えられないことを、アルサスは重々承知している。それを人は、後悔と呼ぶことも、承知しているつもりだ。それでも、せめて、マレイアが貧民たちの気持ちを少しでも分かってやったら、クレイグたちがマレイアの重責を少しでもわかってやれたら、ことは大きくならなかったと、思いたい。

「所詮はワックと同じか……」

 アルサスの呟きに、クロウは柄にもなくきょとんとする。クロウの瞳はアルサスと対照的に青い。まるで海のような色をしている。アルサスは、そんな友の顔を見て、思わず苦笑してしまった。

「いや、なんでもない。ハイゼノン公には、温情も必要かもしれない。あの人に、責任を押し付けても、ハイゼノンの街が元通りにはならないだろう。この街の人たちは、ハイゼノン公の一族を深く信頼している」

「うん。分かってるよ。もう、本国へは赦免の文を届けさせた。エーアデ通信ではなく、きちんとした文書で。ライオット閣下がそれを、取り上げてくださるか、それは僕にも分からないけどね」

「ライオットか……あの蛇野郎」

 そう毒づいてから、思い出すのは、ライオットの飼い犬、ギャレット・ガルシアの憎らしい顔である。野獣……いや、悪魔のような凶悪なその面は、思い出すだけでも気分が悪くなる。あれで、元センテ・レーバンの騎士というのだから、クロウやその父親とはひどい違いだ。

「フランとルウは無事なのか?」

 と、アルサスが尋ねる。

「ああ、二人とも無事だ。ルウくんは、君たちのことを、とても心配していたよ。仲間のことが心配だ、連れて行ってくれって。いい子だね、あの子は」

「かなり生意気なやつだけどな」

 合いの手を入れるアルサスに、クロウは苦笑を返した。

「フランチェスカさんも、無事だ。もっとも、肋骨にいくつかひびが入っていて、無傷とは言いがたい。今は、隣の病室で眠っているよ」

「そうか……」

 思わず、アルサスの口から、安堵の息が漏れる。仲間とはいえ、もともとアルサスとネルの旅に無縁の二人だ。それを、よりにもよってハイゼノンの事情に巻き込んでしまった自責の念は耐えない。ハイゼノンへ来るべきでなかった、と思うのは、それもまた後悔の念というやつだ。

「こんなところで、君と再会するとは思っても見なかった。もう二度と会えないものだと思っていたからね。だから、あの書状を見たとき、本当に驚いたよ」

 クロウは、しみじみと言う。クロウの指す書状とは、ルウに託した親衛騎士団への命令書である。アルサスは、それを捏造したものだ、と言ったが、その書状がなければクロウたちはハイゼノンの門前で立ち往生していたのは事実だ。

「皮肉のつもりか?」

「そうじゃない。詳しい話は、ルウくんから聞いた。君たちの旅の話、ネルという女の子のことも……。それで、君が言った、君の使命というやつのことが、ようやく、僕にも分かった。それに、ライオット閣下が何故、僕たちをへのハイゼノン行きの命令を取り下げたのか」

「どういうことだ?」

「ギャレット・ガルシアだよ。彼らが君たちに追いついたから、僕たちは用済みになった。でも、その命令を無視してハイゼノンに来てよかった」

 にこりとするクロウに、アルサスは複雑な気持ちになった。自分は、ハイゼノンなんかに来るんじゃなかったと思っているのに、友は来てよかったと口にする。まるで正反対だが、クロウが来てくれなければ、貧民たちは皆命を奪われていたかもしれないと思うと、背筋が冷たくなってしまう。

「だけど」

 クロウは、そんなアルサスの内心など知るはずもなく、続ける。

「ネルさんは、おそらくギャレットたちに連れ去られた。彼らの行き先はおそらく……」

「王都だ」

 クロウの言葉にかぶせるように、アルサスが言う。意識が途絶える前、ギャレットが部下に言っていた言葉。たしかに、王都へ向かうと言っていた。直接的にハイゼノンから王都へ向かったのなら、もうじき、ギャレットたちは王都へと到着するだろう。もしかすると、もう到着しているかもしれない。

「ずっと、分からなかった。なぜ、ライオット閣下が、僕たちにアローズで辻馬車から荷物を受け取るよう命令したのか。ベスタ経典に書かれた、銀の乙女が持つと言う『奏世の力』、それを手に入れるためだったんだね」

「いや、ライオットは、それを手に入れたも同然だ。そうなったら、戦争は避けられないかもしれない……」

 アルサスは、布団の端を握り締める。悔しさが震えとなって、腕の先から伝わっていく。

「でも、ベスタの経典なんて、眉唾じゃないのかい?」

「それなら、ライオットが執着する意味はない。それに、俺はこの目で、『奏世の力』を見たんだ。あいつは……ネルはもう半分以上、その力に目覚めている。もしも、記憶を取り戻したら」

 そう言いつつも、アルサスは頭をぶんぶんと左右に振った。

「俺が、迷ったからだ」

「迷いは誰にだってあるよ、アルサス……。それに、まだ時間はある。四日後にシオンさまの即位の儀が行われることになっている。王都はいまごろ、お祭り騒ぎだろう。ライオット閣下だって、それを無視することは出来ない。四日、まだタイムリミットは残されている」

「その間に、迷いを捨てろってか?」

 アルサスが尋ねると、クロウは報告書を片手に、椅子から立ち上がった。

「君がどうするべきなのか、それを考えるんだ。これは、年上からのアドバイス。だから、今日のところは、大人しく寝てるんだ。傷の癒えないうちは、何も出来やしない。僕は、まだ仕事か残ってる」

 そう言うと、クロウは踵を返し、病室から去っていった。すでに、その背中には友ではなく、騎士団の隊長としての威厳が現れているように、アルサスには見えた。

 静かになった病室の中、アルサスはぼんやりとする。焦りは禁物だと言われても、ネルのことを考えると平穏ではいられない。あの時、もう少し手を伸ばせれば、ネルの細く小さな手を取ることが出来た。なのに、伸ばさなかった。伸ばせなかったんじゃない、伸ばさなかったのだ。

 それが、迷い……。

 窓外の町並みが夜の帳に覆われていく中、再びベッドに身を横たえたアルサスは、その言葉だけを何度も反芻し続けた。



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