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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第五章
44/117

44. 仇討ち

 王国の書状を託されたルウは、それを掲げ、貧民街を抜け出した。大通りを駆け抜け、わき目も振らずに、まっすぐハイゼノンの壁に設けられた、街の入り口、通称『壁門』へと急いだ。

 アルサスの言ったとおり、書状に書かれた、王国の名は効果覿面であり、恐ろしい顔をしてガモーフ人であるルウを睨み付ける兵たちが、手出しをしてこない。それは、壁門の番をする門兵も同じであった。詳細を話している余裕などなく、ルウが書状のサインを見せ、「門をあけてっ!」と迫ると、怪訝な顔をしながらも、門兵は門扉を開くよう、魔法鍵を解いた。

 巨大な壁に作られた巨大なミスリルの門扉は、魔法装置によって制御されている。ひとたび、封印の呪文を唱えれば、門は硬く閉ざされ、軍隊がよって集っても破ることはできない堅牢さを誇示する。しかし、開放の呪文を唱えれば、人間の手を煩わせることもなく、簡単に開くのだ。

 観音開きに、地鳴りのような音を立てながら門扉がひらくと、すぐそのそばに、馬にまたがる、騎士たちが待ち構えていた。

 太陽の光を受けて、まばゆく輝く銀色の鎧、そして、はためく剣と盾の紋章が刺繍された旗。彼らが、アルサスの言った、センテ・レーバン親衛騎士団である。その先頭で、白馬の背に乗るのは、アルサスと年の変わらないような、眉目の整った青年だった。

「親衛騎士団さまに、ご書状ですっ!!」

 ルウはそう叫びながら、青年の下へと駆け寄った。

「隊長のクロウ・ヴェイルさまは、どなたでしょうか!?」

 と、問いかけると、白馬の青年がよく通る声で「私です」と答えた。ルウはひざまづき、書簡をクロウに差し出す。クロウは、馬上からでは手が届かないと思ったのか、わざわざ馬を下りて、ルウの手から書状を受け取った。そして、蝋の封印を解いて、書状にすばやく目を通す。

 文面を読み勧めるうちに、それまで冷静な顔をしていたクロウの顔色が変わった。だが、書状にに何が書かれているのか、ずっと下を向いたままのルウには分からなかった。

「君は、街の人……ではなさそうですね」

 書状を読み終えた、クロウの視線は、ルウの纏う魔法使いギルドの制服に注がれていた。

「いいえ、ボクは魔法使いギルドの、魔法学生です」

「そうですか」

 そういうと、クロウは踵を返し、すぐ背後に控えていた馬上の副官ブレックにそれを見せる。ひげ面のブレックは、やや驚きをもってその文面を見つめた。やがて、文面を読み終えると、物言わず頷き返す。

 それを確かめてから、クロウは再び、ルウの方に向き直ると、膝を折った。

「貧民街の一件、了承しました。これより、センテ・レーバン親衛騎士団は、王国の名代として、諸侯の領地に軍事介入します。危険があるかもしれませんから、君は街に戻らない方がいい」

 と、穏やかな、しかし、芯のしっかりした声音でクロウはルウに言う。

「でも、アルサスが、あなたたちを貧民街まで案内しろって……」

「アルサス?」

「ボクの旅の仲間です。それに、ネルお姉ちゃんともはぐれちゃって。心配なんですっ。だから、ボク、街に戻ります」

 懇願するようにルウが言うと、クロウは何故か、口調を変え、

「分かったよ。なら、僕の馬に乗るといい」

 親しみのある声音になって、軽くルウの手を取って立ち上がらせた。

「よしっ! クロウ隊、前進っ!!」

 副官ブレックの、太い声が響き渡る。手にした指揮棒を振れば、それを合図に、控えていた騎士団総勢二十名あまりが、馬の蹄鉄の音を響かせて、壁門をくぐっていく。その威容は、ルウに心ばかりの安堵をもたらした。


 アルサスたちが、ひと度、貧民街の曲がり角を曲がれば、どこもかしこも血の海だった。幾人もの貧民がハイゼノン兵の手にかかって、無残にも殺されており、まともに直視することすらできなかった。抵抗した貧民も数知れず、ハイゼノン兵の遺体も転がっている。すでに、街の中は、殺し合い……いや、戦争に近い状態になりつつあった。

 十年前、父親である前ハイゼノン公の急逝により、その地位と責任を受け継ぐことになったマレイアにとって、貧民への処遇は、諸侯としての重圧に拍車をかけていた。そうして、マレイアが下した決断を、町の外の人間であるアルサスがとやかく言える立場ではないことは、重々承知している。

 しかし、一方的な殺戮が招く反発は、ハイゼノン兵にも及び、やがて市民たちが暮らす場所にまて波及するだろう。

 そうなってからでは遅い、ということが、マレイアは分かっていないのか。もしも、この街が世界の縮図だというなら、やがて世界に同じような騒ぎが起きるというか。そのとき、それは確かに「戦争」という二文字で語られる。

『それを防ぐために、レイヴンになったんじゃないのか!?』

 何を言っても、立て板に水だったマレイアの言葉を聴くたびに、アルサスは悔しさを思い知らされた。

『戦争をとめる方法……それはひとつしかない……』

 もはや、迷いを捨てるときが来てしまったのだろうか。二つを天秤にかけ、アルサスが決断を下せば、ひとつの危機を収められる。そうすれば、少なくとも、この街のありさまは、世界の縮図ではなくなるはずだ。

「アルサス、いたわっ! ネルよっ!!」

 フランチェスカの声に、我に返ったアルサスは、彼女が槍の穂先で指し示した方向を見据えた。聳え立つ壁のふもと、うずくまるようにして座り込むネルの後姿。その傍には、顔面を焼かれたハイゼノン兵の亡骸と、背中を切り裂かれたソアンの遺体があった。

 それだけでは、何があったのか察するのは難しい。ただ、ネルが無事であったことに少しばかり胸をなでおろしたアルサスは、ネルに駆け寄った。

「ネルっ!!」

 その名を呼んだアルサスは、ネルの姿をみてぎょっとなった。ネルが膝に抱えていたのは、彼女の妹、メルだった。左腕がばっさりと斬り取られ、青白い顔をしたメルは、すでに息がない。それなのに、ネルはなぜか愛しむように、妹の黒髪を撫でていた。

「一緒ラクシャへ帰りましょうね……。帰ったら、お母さんのキャチャを食べましょう。そうしたら、野原へでかけるの。今頃、野原には、シェムの花が咲いているはずです。それを編んで、お父さんとお母さんのために、真っ白な花冠を作りましょう」

 メルの亡骸に語りかけるネルの姿は、あまりにも哀れであった。妹の死を受け入れられず、泣きながら微笑んでいるのだ。

「しっかりしろ、ネルっ!!」

 と、アルサスが肩を揺さぶっても、ネルはメルの髪を撫で続け、アルサスには意味の分からないことを、つぶやき続けていた。その顔には、いつもの朗らかさなどない。

「ネルっ! よく見ろっ、メルはもう死んでるんだっ!!」

 アルサスは、そう怒鳴りつけると、ネルの頬を思い切りはたいた。女の子に手を上げるのは、気が引けたが、うつろな顔をしたネルのことを見ていられなかったのだ。

「アル……サス? メルが、わたしを守ってくれて……いやぁっ、メルっ!!」

 頬の痛みに、ようやく我に返ったネルは、アルサスの顔を見ると、強くメルの亡骸を抱きしめ、半狂乱にも近い声を上げて泣いた。正気を失い、堰きとめようとしていた悲しみが、どっと溢れかえってくる。アルサスには、そんな彼女の悲しみを止める方法は、思いつかなかった。

「ネル、この街から出よう。悲しみに浸るのはそれからにしてくれ」

 辛辣な物言いではあるが、もう直、親衛騎士団が街に入ってくる。そうなれば、事態が鎮圧するまで、更なる混乱が生じるはずだ。その前に、この場を離れなければ……。

 アルサスは、メルの遺体をネルの膝からおろす。ネルはそれを拒否して、いやいやを繰り返したが、アルサスは許さなかった。

 不意に、メルのワンピースから、バレッタが零れ落ちる。

「メル……」

 アルサスの思ったとおり、メルはネルのことを憎みきれなかったのだろう。彼女が最期に何を思ったのか、推し量ることはできない。それでも、その穏やかな死に顔は、最期に姉を守ることができた、満足感のようなものに充たされているように思えた。

 アルサスは、ネルを立たせながら、バレッタを拾い上げ、自らのポケットに仕舞い込んだ。

「フラン、とにかく街から離れよう……」

「でも、ルウはどうするつもり?」

 ネルを気遣うような面持ちをしていたフランチェスかの問いかけに、「置いていく」とアルサスは言うと、歩き出した。

「まさかあなた、最初からそのつもりで、ルウに王国の書状を届けさせたの?」

「ああ、そうだ。あんたも、この街を出たら、ギルド・リッターへ戻れ。後は、俺一人で何とかする……」

 無感情に、抑揚なく、アルサスが言う。フランチェスカはその言葉に驚いた。何か、アルサスが隠している、フランチェスカはそう思ったのだが、

「何とかって、どうするつもり」

 と、尋ねようとしたその口は、アルサスの足が止まると同時に閉じられた。

 前方から鎧のこすれる音。白煙を割って現れる、幾人もの人影は、ハイゼノンの兵士などではなかった。漆黒の鎧。血に濡れた剣。黒衣の騎士団である。

「てこずらせてくれる……。貴様が、その娘をゲモックから奪ったという、レイヴンか?」

 頬に傷がある大柄な男が野獣のような声でアルサスに尋ねる。

「人にものを尋ねる態度じゃねえな、ギャレット・ガルシアさんよ」

 と、アルサスが言うと、ギャレットはいささか驚いたような顔をになった。

「なんと、俺のことを知っているのか? フンっ、俺も有名になったもんだな」

「裏世界じゃ、あんたのことは、どこの国の王様よりも有名人だろうが。だが、その実、ライオットの犬風情だとは誰も知らねえみたいだけどよ」

 左腕でネルを抱え、右腕で剣を引き抜く。アルサスは、余裕のある振りをしながらも、内心は予想だにしていなかった相手の登場にうろたえていた。憔悴しきったネルを抱え、フランチェスカと二人で、十名近い黒衣の騎士団を相手にすることができるかどうか、その自信はなかった。

「フラン、あいつらを牽制してくれ。俺は、ネルを背負って逃げる。あんたも、すぐに逃げて……」

 ちらりと視線を送り、フランチェスカに囁いたアルサスは、フランチェスカの異変に気づいた。いつも、どこか飄々とした雰囲気はどこかに消え、まるで猛禽のような目つきで、フランチェスカはギャレットたちをにらみつけている。

「元、センテ・レーバン黒騎士団……。こんなところで、お目にかかれるとは、思っても見なかったわっ!」

「待て、フランっ!!」

 アルサスの制止も聞かず、フランチェスカは槍を構えて駆け出した。センテ・レーバン黒騎士団、その名を一度だけ、フランチェスカの口から聞いたことがある。十年前、ヨルン平原でダイムガルド正規兵として、フランチェスカの部隊が戦った相手が、センテ・レーバン黒騎士団。

 そして、あまり知られてはいない事実だったが、ギャレットたち、黒衣の騎士団はその成れの果てである。センテ・レーバンでは、ヨルン平原の戦いで生き延びた者たちを英雄扱いすることなく、死んだ者たちと同じように冷遇した。剣と盾で八百諸侯を纏め上げた「武の国」にとって、敗北の二文字は恥以外の何者でもなかったのだ。そのため、ヨルン平原の端っこで戦っていた、ギャレットたち黒騎士団も、王国から爪弾き者にされた。そして、王国を離れた彼らは、裏ギルド「黒衣の騎士団」として活動を始めたのだ。

「あんたたちが、隊長やわたしの仲間たちをっ! あれほど、命乞いしたというのに、笑いながら殺したっ!!」

 冷静さなど欠片もなく、フランチェスカは槍を繰り出す、しかし、その一撃一撃は、笑みさえ浮かべるギャレットに、すべてかわされていく。冷静さを失った剣戟など、歯牙にもかけない。それは、ギャレットとフランチェスカの実力の差を示していた。

「貴様の隊長? ああ、十年前の腰抜けダイムガルド人どもの生き残りか。あれは傑作だった。戦争はもう終わったなどと抜かして、俺に命乞いをしてきたんだからな! あの、白い光を見て臆したか、戦場で、騎士が命乞いをするなど、女々しいことこの上ないっ!」

「何をっ! 死者を愚弄するの!?」

「戦場では、最期に生き残った者だけが、正義っ!」

 ギャレットの剣がフランチェスカを捉える。しかし、瞬間的に危険を察知したフランチェスカの感性は、刃が喉元を切り裂く前に、身を翻させた。空を切るギャレットの剣。一端間合いを取ったフランチェスカは、きつくその剣先をにらみつけた。

 ギャレットの背後では、黒衣の騎士団のメンバーたちが、にやにやとしながら、観戦を決め込んでいる。アルサスが、ネルを抱えていて手出しできないと分かっているからなのか、それともリーダーであるギャレットの実力に全幅の信頼を寄せているのかは分からなかった。

「ただの人殺し風情が、正義を語るなぁっ!!」

 フランチェスカの右足が地面をけり、高々と舞い上がる。そして、空中で槍を逆手に持ち帰ると、落下の速度に任せて、ギャレットの頭上へと突撃する。

「だめだ、フラぁンっ!!」

 咄嗟にアルサスが叫んだ。その瞬間、剣ではなく、ギャレットの太い脚が伸び、その靴底がフランチェスカの腹をたたいた。

「きゃあっ!!」

 女らしい悲鳴を上げながら蹴飛ばされるフランチェスカ。地面に横わり、「ううっ」ともらすうめき声を上げるのは、全身を駆け巡る激しい痛みの所為だろう。

「残念だが、その程度の腕では、仇をとるなど、途方もないこと。だが、かつて剣を交えた敵としてのよしみだ、最期くらいは楽に死なせてやろう」

 そういうと、ギャレットは、ゆっくりと倒れたフランチェスカのもとに歩み寄り、刃を喉元に突きつけた。

「やめろ、ギャレット・ガルシアっ!」

「吼えるな、レイヴンの小僧。おとなしく、その銀色の娘を渡してくれるなら、この女の命は助けてやろう」

 不敵な笑みが、アルサスの赤い瞳に叩きつけられる。フランチェスカか、ネルか。それを選べとギャレットは言うのだ。

 できるはずがない。しかし、ギャレットの手首が少し振れるだけで、フランチェスカの首筋は切り裂かれ、そのダイムガルド人特有の浅黒い肌から、鮮血が噴出すだろう。

「さあ、どうする? 十数える間に、答えを聞こう。ひとーつ!」

「待て、ギャレット! その前にひとつだけ聞きたい。どうして、俺たちがハイゼノンにいるって分かったんだ?」

 アルサスが問うと、ギャレットはカウントを止め、再び不敵な笑みを浮かべる。

「あるお方の予測だ。貴様らが『奏世の力』の謎を求めて、エントの森へ向かったなら、その先はハイゼノン……『始まりの地』へと向かうだろうと。俺たちは、そのお方の命を受けて、ここへ至ったまでのこと」

「始まりの地だと……? そのあるお方とは、ライオットのことか?」

「さあな、そこまで答える義理はねえ。時間を稼ごうってのなら、お生憎だな。俺たちも、影走り(シャドウズ)がルミナスでしくじってくれたおかげで、少々時間がないものでな。ふたーつ!」

 不穏な空気をはらんだまま、フランチェスカ処刑のカウントが再び始まった。


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