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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第五章
43/117

43. こんな世界

「次は、お前たちの番だ、小娘! 『ヨルンの悲劇』での、同胞の仇をお前たちに押し付けるというのは、いささか心苦しいが、恨むなら、生まれの不幸を恨め」

 ハイゼノン兵は、再び戟を振り上げる。ネルの傍らで、メルはソアンの亡骸にすがって震えていた。もはや、彼女の魔法も間に合わない。だが、ネルは気丈にも、メルの前に立ち、ハイゼノン兵を睨みつけた。他人の事をこんな風に睨みつけるのなんて、初めてのことで、内心、とても気分が悪かった。

「生まれの不幸って何ですか?」

「何!?」

 突然の問いかけに、ハイゼノン兵はうろたえる。ネルの声はよく通り、一瞬だけだったが、ハイゼノン兵を戸惑わせたのだ。

「貧民に生まれることが、外国人に生まれることが不幸だなんて、おかしいです。だって、見て下さい! あなたのその武器についた血を!」

 ネルの指先を辿り、ハイゼノン兵は自らが振り上げた戟の先端に視線をやった。そこには、拭いきれないソアンの真っ赤な血が、べったりとついている。

「その血の色は、あなたのと同じはずです。貧しいから、民族が違うから、だから憎しみあうなんて、間違ってますっ! だって、わたしたちはみんな同じ人間なんです」

「だから、このままお前たちを見逃せというのか!? バカも休み休み言え。十年前、多くの同胞を新兵器で殺めたのは、ガモーフ人だ!」

 十年前、ヨルンの地で起きた悲劇。戦場の真ん中を駆け抜けた、一条の光。それに包まれた、二百万もの人間が、一瞬で消えた。残されたのは、平原の真ん中にぽっかりと開いた、草木も生えない、「墓標の地」と呼ばれるくぼ地だけだ。

 その実、あの光が、はたしてガモーフの新兵器だったかどうかは分からない。現に、ダイムガルド軍の末席に居たというフランチェスカは、センテ・レーバンの秘密兵器だったという噂を教えてくれた。結局のところ、誰にもあの光の正体はわかっていないのだ。

 しかし、ネルの目の前で、戟を振り上げるハイゼノン兵は、その時、少年兵として、部隊の最後列に居た。直接的に、敵軍と剣を交えたワケではないが、光が見えたその刹那、もしも逃げ遅れていたら、自分も死んでいたかもしれない。現に、隣に居た部隊長は返らぬ人となった。

 あの日の悲しみと絶望。それは、その場にいたものしかわからない。だが、日増しに募った悲しみが、やがて憎しみへと変貌する。それは、メルが三ヶ月の間に辿った心の変化と同じだった。そして、このハイゼノン兵の男は、十年かけて、その矛先をガモーフ人と、彼らを匿う貧民たちに向けたのだ。

「だけど、ガモーフ人であるソアンさんは、わたしたちに優しくしてくれました。決して悪い人じゃありません。ここにいるわたしの妹だって、とってもいい子ですっ。ガモーフの人や、貧民の人が、悪い人だって思う前に、何故分かり合おうとしないんですか? 知ろうとしないんですか?」

 ネルの声も瞳も、鋭い棘となって、ハイゼノン兵の胸に刺さる。いつしか、彼の顔には悪意よりも、戸惑いが占拠していた。

「分かり合っていれば、こんなことにはならなかった。そうじゃないですか? 分かり合い、許しあい、互いに手を取り合って生きていく……」

「そんなことが出来ていれば、とっくの昔に、戦争なんてなかった。小娘よ、そんな戯言じみた説得で、命を永らえようと思っているのか? 愚かなっ」

 ハイゼノン兵は頭を振って、戸惑いを打ち払った。再び、彼の顔に殺意が蘇り、空を切る鋭利な音とともに戟がネルの頭上へと振り下ろされた。

「お願い、これ以上あなたの手を血に染めないで下さいっ!」

 嘆願とも言えるような言葉を口にしながら、ネルはその瞳を閉じた。

 もはや、その刃を止める術はない。せめて、メルに生き延びる時間を与えてほしい。ネルは女神アストレアに祈りを捧げた。だが、いくら経っても、ネルは痛みも衝撃も感じない。その代わり、あたりは、しんと静まり返えった。

「だめ、お姉ちゃんを殺させない!」

 瞼の奥で、メルの声だけが聞こえ、ネルは不穏な空気を感じ取った。そして、瞳を開いたネルは愕然とする。

 残酷切り落とされた左腕。滴る血。苦しい息遣い。それらは、ネルのものではなく、先ほどまでソアンの亡骸にすがっていたメルのものだった。メルはその身を呈してネルをかばったのだ。

「メル……!」

 全身の血の気が失せていくのを感じながら、ネルは息を呑み、両手で口許を覆った。

「もう、家族の誰も、失いたくないっ!!」

 ネルの前で悲鳴にも近い甲高い声でメルは叫ぶと、残された右腕を伸ばし、ハイゼノン兵の顔面にかざした。

「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の槍となれ……フランメ・ランツェ!!」

 メルの魔法の言葉が轟く。突然のことに、再び戸惑ってしまったハイゼノン兵に、逃げる余裕などなかった。直後、メルのまだ幼さの残る手のひらから、炎の槍が繰り出されたかと思うと、ハイゼノン兵の顔面にそれは直撃した。

「ぎゃああっ!!」

 断末魔の悲鳴のような声を上げ、ハイゼノン兵が吹き飛ばされる。それとほぼ同時に、メルもその場に倒れた。

「メルっ!! しっかりしてくださいっ!」

 ネルはメルに駆け寄り、傍にしゃがんだ。切り落とされた肩口からは、だくだくと血が零れ、メルの顔は蒼白となっていた。

「お姉ちゃん……」

 風が吹けば飛ばされるようなメルの声。ネルは胸中を締め付けられる思いで、メルを抱き起こした。すでに、その命の灯は消えかけているのだろう。心なしか、抱きしめた妹の体温は低くなっているような気がした。

「どうして、わたしのために」

「ごめんなさい……、お姉ちゃんにひどいこと言って」

 メルは泣いていた。痛みからだろうか、それとも死ぬのが怖いからだろうか。いや、そのどちらでもない……。

「お父さんが死んだのも、お母さんが死んだのも、本当はお姉ちゃんの所為なんかじゃないって分かってた。なのに、誰かの所為にしなきゃ、あたし、耐えられなかったの」

「いいんですっ! もうそんなことどうだってっ。すぐにお医者さまのところへっ」

 ネルがそう言うと、静かに妹は頭を左右に振った。

「この街には、ガモーフ人を診てくれるお医者さまなんていないよ。分かってる、あたし、もう助からない……。だから、お姉ちゃんは生き延びて。黒衣の騎士団なんかに捕まらないで」

「メルを見捨ててなんて、行けるわけありません。なんとかしますっ」

 頭の中で、メルを助ける方法はないかと、思案をめぐらせるが、焦りばかりがネルの頭を支配した。メルの傷口からは、もう助からないほどの血が溢れている。それが、ネルのワンピースを汚していく。

「お願いメル、わたしを一人にしないでください」

「大丈夫、お姉ちゃんには、アルサスさんたちがいる。あの人は、いい人よ。信じても大丈夫。だから、お姉ちゃんは一人ぼっちになんかならない。あたしも、お姉ちゃんの心の中で生き続けることができるなら、死んだって、さびしくなんかないよ」

「メルっ」

 言葉に詰まってしまう。メルは、自分が死に直面しているというのに、あまりに晴れやかな顔をしており、それが却って、ネルの心を強く痛めた。零れだす涙が、ネルの頬伝い、メルの額に落ちる。メルは、ぼんやりとした視線で空を見上げた。

「雨、かなぁ……」

 かすれた声で、メルがつぶやく。ネルの涙を、雨と勘違いしながら、ないはずの左腕を必死に空にかざそうとする。だが、そこにあるのは、ハイゼノンの喧騒とは裏腹なほど、のどかな青空だった。

「空が曇ってる……。ああそうか、あたしがくすんでいるから。お姉ちゃんを悪者呼ばわりしたからだ。もう、青空を見ることはできないのかなぁ、いやだなぁ、あたし。いやだなぁ、こんな世界」

 うわ言に近いその言葉を最後に、メルの全身から力が抜け落ちていった。自分のために、また一人、大切な人が死んでいく。

「メルっ! 目を開けてくださいっ、メルっ!!」

 ネルは大粒の涙をこぼしながら、何度もメルの名を叫んだのだが、メルは二度とその瞳を開くことはなかった。


 いやだなぁ、こんな世界……。


 こんなことなら、センテ・レーバンへ帰ってくるんじゃなかった。

 ハイゼノン城から飛び出したアルサスは、そんなことを思いながら、貧民街へ急いだ。遠目に見える、あの黒煙と白煙は、ハイゼノンの兵隊たちが、街に火を放った証拠だ。昨日街についたばかりだというのに、たった一夜で、街のいざこざに巻き込まれてしまった。これでは、遺跡の調査などできはしない。それどころか、自分たちの身まで危うい。

 もっとも、そのために、アルサスはこの遺跡に囲まれた街の領主マレイア・ハイゼノンの城に押し入ったにもかかわらず、ハイゼノン公の説得は失敗に終わったばかりか、アルサスの帰りを待たず、貧民たちとハイゼノン兵たちが衝突を始めてしまった。

 嫌な予感がする。額ににじむ汗は、ぬめりを帯びた脂汗。それを拭ういとまもなく、アルサスは街角を駆け抜ける。ネルたちは無事だろうか? アルサスの心は騒いでいた。

 街を二分したような、争いの音が、街中に響き渡っている。無論、ハイゼノン兵たちが一方的に、貧民たちを蹂躙していることは火を見るよりも明らかだった。

 やがて、朝靄の代わりに、火災の煙が包み込む、貧民街の入り口……即ち井戸広場が見えてくる。思えば、そこに張り巡らされたバリケードは、貧民たちを囲い込むためのものだったのだろう。

「何だ、貴様はっ!! ええい、止まれ、止まれっ! ここから先へは、部外者の立ち入りを禁じているっ」

 バリケードの傍で、ハイゼノン軍の徽章が胸に彫刻された鎧を身に着けた兵隊が、走り来るアルサスの姿を見つけ、声を荒げた。

 アルサスは、兵隊たちを睨み付け、

「これが見えないかっ!!」

 と一喝すると、アルサスは左手にした、一枚の書簡を掲げた。

「センテ・レーバン王国からの書簡であるっ!! 我を害するは、次期国王陛下シオンさまを害するも同じっ、ここは押し通らせてもらうっ!!」

「何だと!?」

 うろたえる、ハイゼノン兵。しかし、王国の銘と紋章の描かれたたった一枚の書簡の効果は覿面であった。まるで、道を譲るかかのように、ハイゼノン兵たちが雲の子を散らす。アルサスは、勢いよくバリケードを飛び越えて、彼らの見守る中を走り抜けた。

 井戸広場には、いくつもの貧民の亡骸が転がっている。その中に、クレイグの姿もあった。だが、ネルやフランチェスカ、ルウの姿は見えない。少なくとも、無事であることに賭けたいアルサスは、少しばかり胸をなでおろしつつ、迫り来るハイゼノン兵を斬りふせながら、貧民街の奥に向かう。

 すでに、貧民街の南半分は、火の海であった。魔法で点けられた炎は、魔法の水でしか、沈下することがでない。おそらく、この炎は貧民街を飲み込むまで、消えないだろう。

「貧民を皆殺しにでもするつもりなのか!? それがあんたの望む『結末』なのか?」

 アルサスは赤い瞳に、紅蓮の炎を映しこみながら、マレイアの言葉を反芻した。

『わたしは、為政者として、その争いを操作し、結末を導くだけ』

 今頃、ハイゼノンの領主は城の高みから、貧民街の惨状を見下ろしているだろう。根本が違うのだ。地べたを這っている生きる者の気持ちを、理解するとかとしないとかではない。彼女は、この街を治める者という立場だけしか見ていない。だから、分かり合う必要などないと、口にする。

「だったら、何のための領主なんだ!?」

 そこにいるはずもないマレイアの頑なな顔を、炎の中に思い浮かべ、アルサスは言葉を吐き出した。

 と、その時である。

「アルサスっ!!」

 背後より、名を呼ばれたアルサスははっとなり、後ろを振り返った。こちらへ向かって走りよってくる、見覚えのある顔が二つ。

「フラン、ルウっ!!」

 アルサスも、二人の下に駆け寄る。

「どうやら、交渉は決裂したみたいね……」

 開口一番、アルサスの眼を見てそう言ったフランチェスカの鉄槍は、赤黒い血に濡れていた。ルウも、顔を泥だらけにしている。あえて問うまでまでもなく、二人の姿を見れば、何があったのかくらい容易に想像できた。

「ああ。暖簾に腕押しだ」

「じゃあ、ハイゼノン公に会うことはできたの?」

 と、ルウ。

「まあな……。ルウ、ひとつ頼みがある。今から、壁門へ走って、こいつを届けてほしい」

 そう改まった口調でアルサスは言うと、ポケットから一枚の書簡を取り出した。蝋で封印された書簡には、ハイゼノン公のサインがある。ルウは、それを受け取りつつ少しだけ驚いた。

「これ、何!? せ、センテ・レーバン王家直筆の命令書じゃない?」

「ああ、そうだ。マレ……ハイゼノン公のところで、こいつだけは手に入れることができた。その書簡は、王国から、センテ・レーバン親衛騎士団クロウ・ヴェイルに宛てた命令書だ。自治権を有する諸侯の領地に、騎士団の介入を許可する旨と、貧民たちの身柄を王国が預かる旨が書かれている」

「クロウ・ヴェイル?」

「ああ、今この街には、センテ・レーバン王国の親衛騎士団が来ている。その隊長の名がクロウ・ヴェイル。だけどおそらく、壁門が封鎖されて、やつらは門の前で立ち往生している。この書状があれば、門兵に壁門を開かせることも可能なはずだ。だから、こいつをクロウ・ヴェイルに届けて、やつをここまで連れてきて欲しい」

「ねえ……アルサスってば何者? ただのレイヴンじゃないよね。どうしてこんなものが、ハイゼノン公のお屋敷にあるのさ?」

 アルサスは、訝るルウの視線を受け流し、

「いや、俺はレイヴンで、そいつは俺が王国の名を騙って、捏造したものだ。回りくどい方法だが、この馬鹿げた騒ぎを収めるには、どうしても王国の力が必要なんだ」

 と、ルウの背中を強く押し出した。

「分かった。任せて。それよりも、ネルお姉ちゃんと、メルの姿がどこにも見当たらないんだ。きっとどこかにいると思う。早く、見つけてっ」

「ああ、そっちは任せろ!」 

 ルウの走り去る背中に向かって言うと、アルサスはフランチェスカと頷き合わせ、ルウとは反対方向に走り出した。

「親衛騎士団が来たら、事態の鎮静までに、混乱が増すかもしれない。だから、状況を聞いてる暇はねえっ!! ネルのいそうな場所へ急ごうっ!!」

「ええ、そうしましょうっ!」


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