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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第五章
42/117

42. 黒衣の騎士団

「だめですっ!」

 ネルは咄嗟に叫び、ソアンの前に出る。穏やかでない胸中に蘇るのは、父の最後に見た姿。ギャレットたち黒衣の騎士団に、ネルを渡せと要求され、それをきっぱりと断ったネルの父は、ギャレットの凶刃にかかって、殺されてしまった。今また、ソアンは、ギャレットたちに気丈にも立ち向かおうとする。だが、戦う術を持たないソアンが、殺されるような光景を、ネルは見たくなかったのだ。

「騎士さま。どうか、ソアンさんと、メルのことは見逃して下さい。わたしなら、何処へだって行きますっ」

「ほほう、殊勝な心がけだ。分かった、老婦人とガモーフの少女の命は保障してやろう。約束しよう」

 ネルの言葉に頷いたギャレットの口許が、不適な笑みに染まる。その顔に、ネルは覚えがある。あの日、地下室に隠れ潜んだネルの腕を掴み、引きずり出したギャレットが、見せた魔物よりも恐ろしい、悪意と殺意、狂気と血の色に満たされた、おぞましい笑顔だ。

「しかし、随分と手こずらせてくれた。アローズ経由でお前を運ぶことには、俺もゲモックも反対だった。確実性を求めるなら、頷けない話しではないが、距離がある分、安全な道のりとは言いがたい」

 落ち着き払った声で、ギャレットがこちらへと歩み寄ってくる。そして、こわばったネルの腕をあの日と同じように、乱暴に掴んだ。

「危惧というのは、往々にして当たるものだ。俺は、そういうのをいやと言うほど、戦場で経験してきた。十年前のあの日も……。しかし、まさかレイヴンごときにお前を掻っ攫われるとは思ってもみなかったよ。依頼人も、そのことには随分焦っていたようだ」

「依頼人?」

 引っ張られる腕の痛みをこらえながら、尖った視線と一緒にネルが問う。

「どうせ、分かっているだろう? 俺たちにお前の拉致を依頼してきたのはセンテ・レーバン王国の人間だ。俺たち『裏ギルド』は、レイヴンと同じく依頼人の依頼を通して活動する。しかし……そのレイヴンの姿は見えないようだが」

 と、ギャレットは、あたりにアルサスの姿がないことを確認する。ハイゼノンの喧騒とは無関係に、ネルたちを追いかけてきたギャレットは、アルサスがハイゼノン公に会うため、ハイゼノン城へと向かった事を知らない。

「アルサスなら、ここにはいません……」

 ネルがその名を告げると、ギャレットは、ネルに視線を戻しその眉をひそめた。

「アルサスと言うのか……。おそらく、そいつは偽名だな。アルサスとは、センテ・レーバンの古い言葉で、平和の王を表す『アーサー』の変じた言葉だ。アルトスは、武力で国の礎を築き挙げた王国の歴史を汚すものと伝えられているため、その名を付ける者は誰もいない」

「物知りなんですね」

 わざと、余裕のある口ぶりを見せても、ネルの心は恐怖と不安に満たされていた。それが分かっているのか、ギャレットはニヤリと顔をゆがめる。

 せめて、ソアンさんとメルだけは助けなきゃ。それが出来るのは、わたしだけ。自分はどうなっても構わない、とその顔を睨みつけるネルは心の中で何度も反芻した。

『お姉ちゃんがいなければ、お父さんもお母さんも死なずに済んだんだ!』

 メルにそういわれた事を気にしないはずがない。昨夜は、一晩中眠れず、ソアンの貸し与えてくれた毛布の中で、泣き腫らしていた。メルも眠れなかったようで、外に出て行く足音を聞きながらも、そんなメルに声すらかけられなかった。

 何と言って許してもらえばいい?

 メルの言うとおり、確かに、自分がいなければ、父も母も死なずに済んだかも知れない、というのは拭い去れない事実だ。記憶も身寄りもないネルを引き取って育ててくれた、心優しい人たちに、自分は恩を仇で返したのも同然だと、ネルは思う。記憶がなくても、悪いのは間違いなく自分なのだ。

 そのせめてもの償いは、ギャレットたちに殺された、愛すべき両親と村の人達のため、メルを救うことだ。

 唯一つ、アルサスとの約束は守れなくなってしまう。それでも、許して欲しい……。

「物知りと言っても、そのアルサスとやらほどではないさ。我々がラクシャを襲撃したことは、今を以って、ガモーフ神国の大臣連中くらいしか知らないことだ」

 ギャレットは、ネルの睨みつける瞳にそんな意志があることまでは気づきもせず、饒舌に語る。

 ラクシャ村が、ギャレット率いる黒衣の騎士団によって襲撃されたことは、かなり早期にガモーフ首脳の知りうるところとなっていた。ガモーフ神国は、ガモーフ法王を頂点とする宗教国家であるが、その政府機能は、センテ・レーバンやダイムガルドとそれほど変わらない。女神の言葉を代弁する法王の傍には、ちょうどセンテ・レーバンで言うところの「宰相府」にあたる、「十二神官議会」と呼ばれる大臣たちが侍っており、彼らが主に国家の運営を行っていると言っても良い。

 十二神官議会は、すぐに村人ほぼ全員が全滅したという「ラクシャ村襲撃事件」の事後調査を開始した。あらゆる情報が集められる中、憶測と疑念が飛び交い、事件の背後に敵国であるセンテ・レーバン王国の陰を見つけた。

 しかし、ちょうどその頃、ウェスア大教会の長である、ウルド・リー大司教が、事実上の謀反とも言える、法王に対し苦言を呈する演説を行ったため、十二神官議会の大臣たちは、そちらへの対処に追われることとなった。

 そこで、ラクシャ村の事件は、徒に、和平状態にあるセンテ・レーバンとの関係を悪化させない、つまり、事を荒立てないように、緘口令を敷いて、議会に近いごく一部の人間を除き、一般民衆には一切知らせないという政治的な判断が下されたのだ。

 もっとも、黒衣の騎士団にネルの誘拐を依頼した、ライオット・シモンズがそこまで考えていたかどうかは、図りかねるところである。

「だが、アルサスとやらは、お前がラクシャから連れ去られた事を知っていて、かつ我々が依頼者の指示通り、ゲモックにお前を運ばせていたことも分かっていた。もはや、物知りを通り越して、神通力の域だとは思わんか? よもや、十二神官議会に近い人間かとも思ったが、影走り(シャドウズ)を介して、依頼者から伝えられた情報では、その少年はセンテ・レーバン人というではないか。どうやって、事のあらましを知りえたのか。胡散臭いというなら、そのレイヴンの方だ」

 淡々と言ってのけるギャレットの言葉に、ネルはアルサスの言葉を思い出していた。

『ガモーフの関所で立ち往生してたときに、たまたま入った酒場で、君を助けて欲しいと頼まれたんだ』

 レイヴンであるアルサスに前金で、五百ドラクマという大金を支払って、ネルの救出を依頼したという男。それが誰なのか、アルサスも知らないと言っていたが、物知りと言うのであれば、アルサスではなく、むしろその男の方だと考えるのが自然だろう。

 しかし、ネルはあえてその事を告げなかった。今更、そんな事を言及したところで、どうしようもないからだ。

「さて、ハイゼノンの小競り合いに巻き込まれる前に、娘を連れてこの街をずらかるぞ」

 ギャレットは、ネルの腕を掴んだまま、振り向き様に部下たちに目配せをした。すると、ギャレットと同じく、漆黒の鎧に身を包んだ黒衣の騎士たちが、おもむろに剣を引き抜いた。それが、何を意味するのか、分からないはずがない。

「待ってっ、待って下さいっ! ソアンさんとメルは関係ありません!!」

「残念ながら、俺たちの顔を見た者を生かしておくわけには行かないのでな。なにせ、俺たちは、日陰の『裏ギルド』だ……!」

 凶暴な殺意がギャレットの顔を染め上げていく。ネルは背筋の凍る思いがした。無我夢中で、ギャレットの腕を振り解こうとするが、華奢すぎる少女の力では、丸太のように太いギャレットの豪腕を振りほどくことなど到底かなうはずもなかった。

「二人の命は助けてくれるって、約束したじゃないですかっ! わたしなら、どうなったていいんですっ。だから、メルだけはっ! メルだけはっ!」

「お嬢ちゃん、平穏な山奥の村で過ごしてきたお前に、いい事を教えてやろう。約束と言うのは、破るためにあるんだ」

 にべもなくそう言うと、ギャレットは再び部下たちに目配せをして、ただ無感情に「片付けろ」とだけ命じた。


 姉が何を思って、自らを差し出そうとしたのか。それを知ることは出来ない。共に同じ親に育てられたと言っても、メルとネルは血の繋がらない姉妹だ。それなのに、ネルはいつも優しくて、メルのことを本当の妹のように接してくれた。悪い方に考えれば、記憶を失ったネルが居場所を得るために、姉を演じていただけだと、ひねくれた考え方も出来るが、しかし、ネルの笑顔にそんなあざとさは感じられなかった。だから、メルも妹でいることに幸せを感じていた。

 それがたった一夜で崩壊した……。今、目の前にいる、黒い鎧の男たちの手によって、メルの幸せだけじゃない、村の人すべての幸せも、そしてなにより、ネルがようやく手に入れた家族さえも。憎むべき相手は、姉ではなく、その黒い鎧の男たちではないのか?

『エントの森でこいつを見つけたとき、ネルは心の底から、君の無事を喜んでいた。その心に偽りなんかない。十年一緒に暮らせば、血のつながりがなくったって、家族だ。家族が家族の事を心配しないなんて、ありえないと俺は思うんだ』

 メルはアルサスの言葉を思い出し、ワンピースのポケットに納めた、バレッタを確かめた。それは、アルサスが昨日の夜、渡してくれたメルのバレッタ。たとえ、姉の事を恨んだとしても、一つだけ確かなことがある……少なくとも、姉が生きていてくれたことは、間違いなく嬉しいことだ。

「悪く思うな」

 黒い鎧の男たちが、剣を引き抜きゆっくりと迫ってくる。彼らには慈悲の色などありえなかった。ラクシャ村を襲った時と同じ、魔物と言うよりはもはや、悪魔と言った方が近いような狂気を見せ付けている。何の迷いもなく、数瞬あとには、その剣の切っ先で、ソアンとメルを殺めるのだろう。

 だけど、死にたくなんかない。母が言った「生き延びて」の言葉を忘れることなんか出来ない。それは、メルにだけではなく、ネルにも向けられた言葉であったはずだ。

「全ての魔法を解除するっ!! アレス・フライセンっ!」

 黒衣の騎士団が剣を振り上げた瞬間、メルはポケットから手を出し、それを高く突き上げた。目いっぱい広げたメルの手から、風の矢が巻き起こる。だが、その一つ一つは、ルウの魔法に比べてあまりにも弱弱しかった。

 メルの巻き起こした風の矢は、狙いを黒衣の騎士団ではなく、地面に向ける。それは、先ほどモートンが魔法のカードでやって見せた方法と同じだった。風の矢は、舗装されていない土の地面に直撃すると、爆ぜ、土埃を巻き起こす。

「ぬおっ、あの娘っ! 魔法使いか!?」

 巻き起こった土煙は、火災の白煙を押し退けて、目潰しの要領で黒衣の男たちをうろたえさせた。魔法の力は弱くとも、逃げるだけの隙を作るのには十分と言えるメルの不意打ちを受けたギャレットが思わず、ネルを話してしまったのは、その瞬間だった。

「お姉ちゃんっ、こっち!!」

 メルは力いっぱい叫んだ。驚きを隠せないネルは、目を白黒させていたが、すぐさま踵を返した。

 何処へにげたらいい? 姉の手を取り、ソアンと共に走り出したメルは必死に考えた。井戸広場の方からは、ハイゼノンの兵隊が、背後からは、黒衣の騎士団が追いかけてくる。しかも、貧民街は、ハイゼノン兵が放った火によって、白煙に包まれている。ともすれば、走るだけでも息苦しい。

「メル、魔法なんて、何処で覚えたの?」

 メルに手を引かれて走るネルが、驚きを込めた声音で尋ねてくる。

「クレイグさんに教えてもらったの。この世界に住む人は、ダイムガルド人以外、全ての人が魔力を持ってる。練習次第で、誰だって魔法を使えるんだって。あとは、本人に才能があるかないか、それだけだって」

 クレイグに拾われて、ひと月あまり、メルはクレイグの家に世話になる傍ら、魔法の使い方について教わった。飲み込みがいいのか、もともと素養があったのか、それとも、元軍人であるクレイグの教え方がよかったのか、メルは瞬くうちに魔法の基礎を習得した。だが、魔法の師であるクレイグは、メルの本心を知ることなく、ハイゼノン兵の凶刃に斃れた。

 メルの本心。それは、魔法に興味を示した空などではない。すべては、父と母の仇を討つため……。メルは、魔法を一つ覚えるたびに、復讐の炎に身を焦がしていたのだ。

「いたぞっ! 貧民と外国人だっ!!」

 不意に、背後とは別の方向から、声が聞こえた。それは、ハイゼノン兵の声だった。不味い! そう思った瞬間、目の前に現れたのは、絶望だった。

 人の背丈の何倍もある、黒いハイゼノンの壁。わずかにミスリルの持つ魔力の輝きが感じられるその壁面は、メルたちを逃がさないように、眼前に立ちはだかった。

「なんでっ!? こんな壁っ」

 メルは蒼い顔をして、物言わぬハイゼノンの壁に毒づきながら、振り返った。

「追い詰めたぞっ!! ちょこまかと逃げやがって、このドブネズミどもがっ」

 がしゃがしゃと、鎧の音がしたかと思うと、白煙の中から、ハイゼノン兵が現れる。メルたちの背後は登る事の出来ない壁。左右は、密集したバラック小屋。おそらく黒衣の騎士団も迫っているだろう。つまり、そこは逃げ場のない、袋小路だった。

「きえぇっ!」

 煙の中から現れたハイゼノン兵は、奇妙な掛け声と共に、(げき)を振りかぶって、大きく飛び上がる。もはや、相手が女子どもであろうとも、容赦はしない、貧民への恨み言をその一撃に込めてやる。そう顔に書いてあるようだ。

 メルは凍りついた。悪意はここまで人の顔を変貌させるのか。普段は、ただのハイゼノンの兵隊。きっと家に帰れば、その兵士とて、妻子には良い父であろう。だが、今の彼の、悪魔のような顔は、黒衣の騎士団のそれと何一つ変わらない。積もり積もった侮蔑と憎悪が、彼の心に巣食っているいるのだ。

 そんなハイゼノン兵の戟が振り下ろされた瞬間、メルの視界が何かに塞がれた。

「ソアンさんっ!!」

 メルがその名を呼んだのもつかの間、ソアンの背中を戟の刃が袈裟に切り裂く。ソアンは悲鳴を上げなかった。その代わり、メルとネルをしっかりと抱きしめ、二人を守ったのだ。

「あなたたちは、この街の子じゃない……、あなたたちが殺されるいわれなどないのよ。生き延びて、メルちゃん」

 ソアンが小さく呟いた。そして、それがまるで遺言のようにソアンの体は力を失い、崩れ落ちていった。

「フンっ、ババアめっ」

 唾を吐き捨てるように、ハイゼノン兵は言うと戟で空を切って、刃の先に付いたソアンの血を払った。

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