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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第五章
39/117

39. ハイゼノン公のお触れ

 遠くガモーフより訪れたと言う、旅の少年たちに寝床を貸してやった翌朝、クレイグは騒々しい声にたたき起こされた。

「クレイグの旦那っ!! 大変ですぜっ!」

 玄関戸を乱暴に叩くのは、クレイグと同じ貧民街に住む若者モートンである。モートンは、家主であるクレイグの断りもなく、扉を開けると部屋の中に駆け込み、危うく床に寝るアルサスとルウを踏みつけそうになった。

「なんだ、朝っぱらから騒々しい」

 やれやれと言った顔つきでクレイグが起き上がり、床のアルサスたちも驚いて、毛布を跳ね除ける。モートンが開け放した扉からは、早朝の冷え切った空気が流れ込み、思わず身震いをしてしまう。だが、モートンはそんなことお構いなしに、

「一大事だっ!! ハイゼノン公が、貧民街を軍隊で取り囲んで、バリケードを築きやがった! やつら、とうとう俺たちを実力で排除するつもりだっ!!」

 と、クレイグにまくし立てる。

「落ち着け、モートン。順を追って説明してくれ」

 クレイグは焦りが表情に浮かんだモートンを一喝する意味を込めて睨みつけた。凄みのある視線に、モートンはやや落ち着きを取り戻し、緊急事態をクレイグに説明する。

 もともと、この街に対立があったことは、昨日一日で、アルサスたちの知り得るところとなった。「貧乏人と外国人に関わるな」という、ハイゼノン公爵からのお触れは、即ち貧民街に住むクレイグたちや、ガモーフからの難民を示していた。その根幹には、ハイゼノン市民の保守的な思想と同時に、貧民街の人々が「少しでも暮らし向きを楽にして欲しい」と、公邸であるハイゼノン城に向けて、幾度となく待遇改善を要求することにあった。

 貧民たちの待遇を改善すると言うことは、市民から集めた税金が投入されると言うことだ。そんなのたまったもんじゃない。というのが、市民たちの当たり前の意見だった。貧民街に住む者たちが、助け合いの精神にかこつけて、楽をしようとしているようにしか、市民の目には映らなかった。

 そのため、常に市民と貧民の間には、軋轢と深い溝があった。それでも、これまで、乱暴な事件に発展することはなかったのだが、その微妙な均衡が破られたのは、つい昨日の深夜のことだった。

 ちょうど、寝付けないアルサスとメルが、星空を見上げていた時刻、街の片隅で市民の若者が暴れたのだ。その若者と言うのが、昨日の夕刻、街角でメルにちょっかいを出していた男たちだと言うことは、誰も知らない。彼らは、自分たちの非は棚に挙げておいて、アルサスに伸されたことを逆恨みして、貧民街に魔法で火をつけようとした。それを見咎めた、貧民の若者と揉み合いになり、ついには、貧民の若者が過って、市民の若者を殺めてしまったのである。

 ちなみに、市民の若者の暴挙を見咎めたのは、他ならぬモートンであり、彼らを殺めたのは、モートン自身であったが、彼はそのことを伏せた。

 しかし、都合が悪かったのは、その市民の若者と言うのが、ハイゼノンでも有数の実力者であり、ハイゼノン公に仕える役人の息子であったため、事件は一夜にしてハイゼノン公の耳に届いたことだ。そして、ついに軋轢が顕在化した事をハイゼノン公は悟り、兵隊に指示を送ると、貧民街にバリケードを作らせたのだ。

「それだけで、ハイゼノン公がわしらを排除しようとしているとは、言い切れないだろう。どれ、わしが確かめてこよう」

 モートンの話を黙って聞いていたクレイグは、難しい顔をすると、ベッドから立ち上がった。すでに、彼の横顔は貧民をまとめる長としての顔になっている。

「クレイグさん、俺たちも行きます」

 モートンを従えて、バラック小屋を出ようとするクレイグに、アルサスが言った。振り返ると、赤い瞳の少年は、すでに枕もとの剣に手を伸ばしている。その隣では、魔法学生だという眼鏡の少年、ルウがまだ眠そうな目をこすりながら、きょときょとしている。クレイグは、少しばかり笑って、

「お前たちは、関係のないことに首を突っ込まなくてもいい。これは、俺たち貧民とハイゼノン市民の問題だ」

 と言うと、少年たちを残し玄関戸を閉めると、バラック小屋を後にした。

 外はまだ、街が眠りから目覚める前の時間。それにも拘らず、騒ぎを聞きつけた貧民たちの多くが井戸広場に集まっていた。井戸広場と言うのは、貧民街に一つしかない共同の汲み井戸で、街の通りと貧民街を分ける境界線のような役割を持っていた。

 ハイゼノン城からやってきた兵隊たちは、その井戸広場と街の境界線に沿って、有刺鉄線の張られたバリケードを築きあげていた。

「皆、下がっていなさい」

 怯えながら、その異常な光景をただ黙って見つめていた貧民たちの間に、クレイグがやってきたことで、俄かにざわめきが起こった。そのざわめきに、兵隊たちも、クレイグに気づく。

「これは、いかがいたしたのでしょうか?」

 クレイグが兵隊の隊長らしき男の元に歩み出ると、一際豪奢な剣を携えた男がクレイグを睨みつけるようにして、一枚の紙切れを取り出す。

「ハイゼノン公より、貴様たちに新たなお触れが出た。本日中にここを立ち退き、街の外へ出て行かなければ、我らは貴様たちを排除する」

 差し出された紙切れには、簡潔な文章と、ハイゼノン公のサインが入れられている。

「それは、また物騒なことを……」

「物騒なのはどちらだ? 街の端とは言え、ここを占拠して、市民に不安を与えているのは、貴様たちではないか」

「話は、このモートンから伺っております。しからば、私めが身命を賭して、罪人を探します故、何卒、ここは穏便に済ませてもらえませんか? 今、街を追い出されれば、我らは飢えて死にます」

「貴様たちが死のうが、我らには関係ない。ハイゼノン公のお触れは絶対である」

 何を言っても聞く耳は持たない。男は、ともすればその腰の剣に手を伸ばしかねない勢いだった。

「横暴だっ!!」

 貧民たちの中から声が上がる。やがて、それに呼応したかのように、貧民たちから次々と怨嗟の声が巻き起こった。

「ええい、静まれっ!」

 一喝の声を上げたのは、クレイグだった。その一声だけで、貧民たちはしんと静まり返る。

「せめて、我らの言い分を一度でも聞いていただく機会はお持ちいただけないのでございましょうか? 我々とて、市民に迷惑をかけるつもりなどありません。しかし、ここを放逐されれば、明日さえも分からなくなります。どうか、ご慈悲を……」

 クレイグは貧民たちを代表するように、深々とお触れの紙切れにお辞儀した。


 大変なことになってしまった……。

 バラック小屋にいろと言われたところで、大人しく出来ないアルサスとルウが井戸広場に駆けつけると、すでに貧民たちの群れの中に、ネルとフランチェスカの後姿があった。ネルの髪は他のものたちと違い、銀色をしているし、フランチェスカの背丈は飛びぬけて長身であるため、見つけるのはとても容易だった。

「ネル、フランチェスカ!」

 アルサスが声をかけると、二人は揃って振り返った。やや、ネルの目元にくまが出来ていることに気づく。察するまでもなく、ネルもまた昨夜は寝付けなかったのだろう。それは無理もないこと。両親の死を知らされ、メルに辛辣な言葉を浴びせかけられた彼女の心中は、察して余りある。

「おや、あんたたちは……」

 駆け寄るアルサスとルウの方に振り返ったのは、ネルたちに寝床を貸し与えた、隣家のソアン婦人である。痩せぎすな体つきからは、母性を感じることは出来ないが、優しげな目元は、彼女の性格を現していた。そして、彼女の傍ら、ちょうどソアンをはさんで、ネルと反対側に、メルの姿もあった。だが、二人のその距離が、姉妹感のわだかまりが、まだ解消に至っていないということを、アルサスに知らしめる。

「ネル……大丈夫か?」

 そう尋ねれば、ネルが空元気を見せることくらい分かっていた。だが、やはりネルはあえて、メルの方を見ようとはしない。メルもまた、赤の他人であるかのように装っている。

 アルサスは溜息をつきたくなるのをこらえつつ、「どうなってる?」とフランチェスカに目配せした。アルサスたちは、群集の最後尾にいるため、黒山の向こうで何が起きているのか見ることは出来ない。

「どうもこうもないよ。ハイゼノン公があたしたちに、ここを出て行けなんて言うお触れを出したんだ。出て行かなければ、あたしたちを剣で排除するって」

 憤りを見せつつ、フランチェスカより先にソアンが口を開いた。

「お城の高みにいて、町を見下ろしている身分の人には、あたしたちが地べたに這いつくばって生きていることなんて、到底分かりゃしないのさ」

 ともすれば、愚痴にも聞こえる言葉を吐き出して、ソアンが見つめたのは、町の中心に聳える古城である。意匠のない無機質なミスリルの壁に対して、センテ・レーバン王都の城を思わせるような、古めかしい建築様式の城は、城郭都市ハイゼノンの行政を司る中心にして、センテ・レーバン諸侯の一人、ハイゼノン公爵が住まう居城でもある。 

「ウェスアのときといい、どうにもボクたちは大変なことに巻き込まれるみたいだね……」

 と、呟いたのは、アルサスの傍らで、人ごみの背中を見つめるルウだ。たしかに、ウェスアでも、街で起きている事件に巻き込まれた。そして、レイヴンとして仕事を請けたにも拘らず、大司教の命を救えなかったことは、アルサスにとっても、心残りがあることだった。

「このご時世、何処の街も少なからず問題を抱えているってことなのよ」

 ルウの呟きに、フランチェスカが返す。その問題の渦中に巻き込まれそうにも関わらず、フランチェスカはいつものように、落ち着いた口調だった。

 人ごみの向こうでは、クレイグたちの声がしているが、ここからでは何を話しているのかはっきりと聞き取れない。しかし、バリケードをこしらえ、剣や槍を手に居並ぶハイゼノン兵の威容たるや、まるで貧民を脅しているようにしか見えない。しかも、クレイグの言い分はまったく通さないと言わんばかりに、お触れの書かれた紙切れを貧民たちに突きつけている。

「でも、不味いわね……。クレイグさんたちは、ここを出て行くわけにも行かない。でも、ハイゼノン公は彼らを街から追い出すつもりでいる、となれば、一触即発は免れないかもしれない」

「それって、喧嘩ごとになるってことですか?」

 フランチェスカの言葉に敏感に反応したのは、ネルだった。不安を表すかのように、胸の前で両手を合わせた彼女が願うのは、アストレアへの救済の言葉だろう。だが、フランチェスカの言うように、このままでは、一刻もたたぬうちに、いさかいが顕在化する。それは、「喧嘩ごと」などという生易しい言葉では済まされないかもしれない。

 もちろん、アルサスたちは、この渦中に関わるべき立場にはなく、この街の遺跡、即ち城壁を調べに来た旅人なのだが、こうなってしまえば、遺跡を調べている余裕などありはしない。

 ハイゼノンは諦めて、あの遺跡船のメッセージにあった、ダイムガルドのダスカード遺跡を目指すのが正解だったか……。今更そう思っても、詮無きこと。

「フランチェスカ、俺がハイゼノン公に会って、直談判をして来る。その間に、ルウと一緒に、騒ぎが起こらないよう時間稼ぎをしてくれ」

 アルサスが言うと、フランチェスカとルウは同じような顔をして、驚いて見せた。

「何言ってるんだよ、アルサス! 直談判って、あのハイゼノン城へ忍び込むつもり!?」

 ルウは素っ頓狂な声を上げて、朝靄に煙るハイゼノン城を指差す。

「いや、面会して、説得してくるだけだ。余計な騒動は起こしたくないからな」

「面会って、ハイゼノン公は、諸侯なんでしょ? 旅のレイヴンなんかに、あってくれるわけないじゃん!! それとも、アルサスはハイゼノン公と知り合いなの?」

「いいや、一度も会ったことはない。だけど、打算がないわけじゃない。心配するな」

 アルサスはそう言うと、ルウの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。だが、ルウの不安そうな顔は変わらない。それどころか、ネルまでも不安な顔をして、アルサスに視線を送ってくる。アルサスは、あえてネルの耳に入らないように、ソアンの向こう側にいるメルにそっと近づくと、

「努力、するんだよな? ネルの事を頼む」

 と囁いた。メルは困ったような顔をしながらも、こくりと頷いた。

「でも、どうやって時間稼ぎしたらいいの?」

 と、フランチェスカがこちらを見る。

「その鎧は、伊達じゃないだろ。それに、ルウの魔法学校の制服も。ギルドの名前を出すのは、気に食わないけれど、ギルド・リッターと魔法使いギルドが間に入ると(うそぶ)けば、少しくらい時間稼ぎになるはずだ」

「無茶をいうのね」

「無茶は承知の上。このまま、貧民たちと兵隊がぶつかるようなことになれば、俺たちだって危うくなるかもしれない。それは、避けなきゃ、だろ? まだ、『奏世の力』のこと、何も分かってないんだ」

 アルサスは、踵を返す。

「アルサスっ! あのっ、気をつけて……」

 ネルの言葉に、アルサスは少しだけ振り返って、ニッと白い歯を見せると、人ごみを離れて走り出した。目指すは、ハイゼノンの城。アルサスの胸中にある「打算」とやらが何なのか分からない、ネルはその後姿を見送った。

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