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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第五章
38/117

38. 妹

「あなただけでも、生き延びて」

 母はそう言って、メルを家の窓から逃がした。メルは、一人で逃げたくないと、何度も母に言ったけれど、母は窓を閉じ、「行きなさい」と目配せをする。二人の娘、一人は実の娘、もう一人は十年前に拾った娘。しかし、そのどちらにも生き延びて欲しいと言う母の願いだったのかもしれない。

 メルは、恐怖の中に後悔の二文字を描きながら、母の意を汲んだ。姉のように大人しく利口でない妹は、いつも母の手を煩わせてばかりだった。だから、せめて最後くらいは、母の気持ちに沿うことが、実の娘のして出来ることだと、心に言い聞かせた。

 村は、突然の襲撃によって、紅蓮の炎に包まれた。襲ってきたのは、黒い鎧を身に纏ったセンテ・レーバン人たち。血も涙もない、残虐非道な連中だった。迷うことなく、人家に火をつけ、逃げ出してきたものを剣で切り裂き、槍で突く。メルは、息を殺して村のほとりの森に身を潜め、その凄惨な村の姿を目に焼き付けた。そして、やがて、黒い鎧の男たちは我が家へと忍び寄った。

 窓にかけられた白いカーテンに、母の血飛沫が花のように咲いたのは、今も忘れられない。そして、炎の光に照らされて、村のあちこちに無造作に転がった、遺体の数々は、今も瞼に焼き付いている。その中に父の姿を見つけたときの絶望感は今でも、胸を抉る。

 怖くて怖くて仕方がなかった。生き延びて、という母の言葉だけを頼りに、メルはひたすらに逃げた。村から、いや悲劇的な現実から、一歩でも遠くへ離れたかった……。

 黒い鎧の男たちが、村を襲った理由はとても呆れるほど単純なことだった。メルの姉である、ネルを連れ去るため。どうして彼らが、姉を攫おうとしたのかは、分からない。

 姉はみなしごだった。メルがまだ四つの頃、森で彷徨っていた少女を、不憫に思った父と母が引き取った。そうして、家族の一人となった少女は、何故かあらゆる記憶を失くしており、住んでいた場所も自分の名前すら分からなかった。だから、母は、メルの名前になぞらえて、「ネル」という名前を与えた。

 自分より年上だったので、メルはネルの事を「お姉ちゃん」と呼んだ。そんなネルは、記憶を失っても、心優しい女の子であり、メルの事を本当の妹のように可愛がってくれた。だから、メルも姉となったネルのことを慕った。それは、とても平穏で暖かな毎日。

 しかし、一瞬でそれは、脆くも崩れ去った。黒い鎧の男たちは「銀色の髪の娘を差し出せば、お前たちの命までは奪わない」と言ったけれど、そんな約束、何の保障もないことくらい、十四歳のメルにも分かる。たとえ、父たちが姉を引き渡したところで、彼らは容赦なくラクシャ村を蹂躙(じゅうりん)しただろう。

 アストレアさま、どうか大好きなお姉ちゃんをお助けください!

 クァドラの山をエントの森方面へと駆け下りながら、空に浮かぶ月に、何度もそうねがった。しかし、村から一歩離れるごとに、熱の冷めてきた脳裏に浮かぶのは、怒りの色であった。

 もしも、お姉ちゃんがいなかったら? 村は襲われることもなく、誰も死ぬこともなく、リャマの世話をする平穏な暮らしが続いていたんじゃないだろうか。

  お姉ちゃんさえいなかったら……!

 ラクシャ村を後に、メルはエントの森を彷徨い、不安と恐怖の中で、ついに結論に至った。そのメルの心境の変化を辿ることは難しい。本人も、分からないだろう。だが、一度そう思うと、それが正しいか間違いかは、もう、どうだってよく、胸の内に生じた憎悪の芽は、止め処なく膨らんでいく。夢だと思いたいような、悲惨な現実の責任を誰かに負わせなければ、メルの心はとても平静を保っていられる状況ではなかったのだ。

 そして、訣別の証として、三つ編みの根元を止めていた、バレッタを捨てた。姉が、誕生日を祝って作ってくれたものだ。その時、憎しみは完全な形で、メルの心に根を張った。あんなに大好きだった、姉がもはや憎くて仕方がない。人を好きになるよりも、嫌いになることの方が、こんなにも簡単だという事を、メルは始めて知った。

 村を出て、一月あまり。エントの森を抜け、アトリアの山を越える。その先が外国であることをメルは知らなかった。行く当てなんて、どこにもなかった。そもそも、ラクシャ村から一歩も出たことのないメルは、何処に行けば、他の街にたどり着けるのか、それさえも分からない。それでも、矛先を歪めた怒りだけが膨らみつづけ、ただ無意味にメルの足を動かした。草の根をかじり、川の水を飲み、生き延びてという母の言葉だけを頼りに、冒険家をして険しいと言われる、ガモーフ~ハイゼノンの山道を越え、ついに眼下にハイゼノンの街が見えたとき、メルは力尽きた。

 そんな彼女を救ったのは、芝刈りに現れたクレイグだった。クレイグは、行き倒れとなったメルを担ぎ、貧民街で彼女を介抱した。

 貧民街の人たちは、メルがガモーフの人間だと知っても、嫌な顔一つしないで、まるで我が娘のように、面倒を見てくれる。時には暖かな粥を持ってきてくれたり、ラクシャからの長旅でぼろぼろになってしまったカチュアのワンピースを丁寧に繕ってくれたり。その一つ一つの優しさが、荒みかけたメルの心と体を癒してくれた。

 困った時はお互い様だ、とクレイグは笑うが、メルにとっては、命の恩人にも等しい存在だった。

 そうして、ひと月あまり、クレイグたちと生活を共にして、ようやくハイゼノンの暮らしにも慣れ始めたその日、クレイグの言いつけで出かけた先で、ハイゼノン市民の男たちに絡まれたところを助けてくれたのは、見知らぬ赤い瞳の少年と……あの日以来、ずっと憎み続けた、姉だった。


 さすがにクレイグのバラック小屋に、アルサスたちの寝床はない。ということで、アルサスとルウは、クレイグの家に、ネルとフランチェスカはクレイグの隣家、ソアンの家にお世話になることとなった。ソアンは、十年前のヨルンの悲劇で、夫と息子を同時に失くし、この貧民街に流れ着いたらしい。気のいい老婦人で、寝床を貸すことに、快く同意してくれた。

 貧民街の人々は、やたらと気さくなところがあり、ことあるごとに「困ったとはお互い様」と彼らは、合言葉のようにして言う。大都市ハイゼノンの隅っこで肩を寄せ合いながら暮らしていくには、そういう心がけが大事なのだ。

 しかし、一方で、ハイゼノン市民からの風当たりは冷たい。「貧乏人」と烙印を押し、まるで害虫かなにかのような目で、彼らの事を見る。貧民たちの中には、ガモーフからの難民も含まれており、もともとこの街にある、外国への悪感情と併せて、市民たちは貧民を蔑むのだ。それなのに、貧民たちは居心地の悪い、ハイゼノンから出て行こうとはしない。

「不毛の壁の外で暮らすより、バカにされたって、壁の中で暮らす方がマシだ」

 と、貧民たちは口をそろえて言う。確かに、ひもじくとも、明日をつなぐための食べるものや、清潔な水がここには揃っている。街の外は、異常気象や飢饉などで、徐々に村が消え去っている有様であることを考えれば、彼らの言うことには一理ある。

 だが、アルサスはそこに、この世のひずみと、悪循環を感じずにはいられなかった。世界は刻々と悪い方向に進んでいる。それが、この壁の内側に吸い寄せられて、溜まっていっているのではないか? 一度壁の中に入ったひずみは、そのまま壁の外へ出ることはなく、ハイゼノンの街を埋め尽くしているのではないか? 貧民と市民の区別、それこそが、ひずんだ世界の縮図ではないか?

 薄手の毛布に包まり、穴の開いた天井から見える小さな星を見つめながら、アルサスは思った。寝床言っても、テーブルをどけて毛布を敷いただけのお粗末なものであるにも拘らず、隣では、ルウが心地よさそうな寝息を立てている。

 固い床の所為で、背中が痛いからか、なかなかルウのように寝付けない。寝付けないと、余計な思案が頭の中を巡っていく。たっぷり、一時間以上はそうしているだろうか。これでは、明日からの遺跡調査に響いてしまう、と感じたアルサスは、気分を変えるため、こっそりと寝床を抜け出すことにした。

 なるべく、クレイグとルウを起こさないように気を遣いながら、玄関戸を開き外に出ると、ややひんやりとした夜風が、ふわりと頬に当たる。

「あれは……」

 背伸びをしたアルサスは、前方の暗がりに、ぼんやりと星空をみあげる人影を見つけた。草色のワンピース。三つ編みにした長い黒髪は、メルの後姿だとすぐに気づく。メルも、クレイグの家から出てきたアルサスに気づいた。

「アルサスさん、でしたよね? 眠れませんか?」

 アルサスたちに自らの寝床を提供したため、メルはソアンの家に泊まることになってしまった。だが、メルが寝床を抜け出しているのは、同じソアンの家に泊めてもらっている、ネルの所為だろう。

 メルが姉であるネルの事を、恨んでいることは分かっている。それがお門違いもいいところだということを、アルサスは告げたかったのだが、ネルに止められた。「いいんです」なんて、ネルは言ったけれど、なにがいいのかアルサスには分からない。家族に誤解されたままで、いいはずなんてない……。

「メルこそ、眠れないの?」

 と、アルサスが問えば、案の定返答に困ったように、メルは俯く。アルサスは、メルの傍までやってくると、同じように夜空の星を見上げ、少しばかり溜息を漏らした。

「俺にも、妹がいるんだ。君より少し年下だけど、俺より利口で賢い」

 いきなり、何の脈絡もなく切り出したアルサスに、メルは少し怪訝な顔をして、「何の話ですか?」と問いかける。すると、アルサスはにっこりと笑って、

「ネルのことだよ」

 と返し、話を続けた。

「いろいろワケがあって、俺と妹は半分しか血が繋がってないんだ。しかも、妹と始めて対面したのは、俺が十歳になった時のことだ。でも、妹は俺を慕ってくれたし、俺も妹のことを大切に思ってる。だって、俺たちは家族だから」

 メルは何も言わない。ただ押し黙ったまま、アルサスの言葉に耳を傾けていた。アルサスは、ポケットから、今一度、バレッタを取り出した。メルが怒りに任せて投げつけ、止め具は壊れてしまったが、ネルが作った飾りは、傷一つついていない。

「エントの森でこいつを見つけたとき、ネルは心のそこから、君の無事を喜んでいた。その心に偽りなんかない。十年一緒に暮らせば、血のつながりがなくったって、家族だ。家族が家族の事を心配しないなんて、ありえないと俺は思うんだ」

 アルサスは、メルの手のひらにバレッタを載せ、ルミナス島への航路での出来事を聞かせた。甲板に佇んだネルが、月影を眺めつつ、その瞳に涙を引いていたこと。メルのことが心配だと、アルサスに打ち明けたこと。

「ラクシャ村が襲われたのは、ネルの所為かもしれない。でも、本当に悪いのは黒衣の騎士団の連中だ」

「分かってます。でも、あたしは……」

 お姉ちゃんの事を許せない。そう続いたのだろう。しかし、メルは言葉を飲み込んだ。じっと、バレッタの飾り彫りを見つめ、思い出すのはそれをプレゼントされた日のこと。お姉ちゃんは、何処までも優しくて、何処までも自分の事を想ってくれる。その反面、お姉ちゃんがいなければ、ラクシャ村が襲われることはなかったという結論をかき消すことが出来ない。それは、アルサスにも分かるほど、はっきりとした葛藤として、メルの顔に現れていた。

「俺たちは、ネルが何故攫われなきゃいけなかったのか、それを知るために旅をしている……。その旅が何時終わるのか、分からない。だから、すぐに心の整理がつかなくてもいい。でも、旅が終わって、ネルが……お姉ちゃんが帰ってきたら、その時はもう一度家族として迎え入れてやってくれないか? この世にたった二人だけの姉妹なんだからさ」

 アルサスがそう言うと、メルはそっと顔を上げた。そして、ちらりとアルサスの赤い瞳と視線を合わせ、また、バレッタに目を落とす。何度かそうして、メルはこくりと頷き、「努力します」と付け加えた。

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