37. 姉妹の事情
「いや、驚かせてしまったかな。そんな物騒なものを持っているから、もしやと警戒してしまった。わしは、クレイグ・ノースと言う。お前たちは、見たところ、ダイムガルド人とガモーフ人のようだが……」
人壁に立てかけられた槍を指差し、野犬のようだと思った初老の男……クレイグの瞳は弱弱しいランプの下で、優しく微笑みを湛えた。バラック小屋の中は、人が最低限生活できるだけのものしかなく、また人家というには、人が五人も入ればいっぱいになってしまうほど、恐ろしく狭い。フランチェスカとルウが腰掛けた椅子も、椅子と言うにはお粗末な、ただの丸太で、テーブルは少しばかり斜めになっている。そんなテーブルの上には、威かしたお詫びにと、フランチェスカたちのためにクレイグが淹れてくれた「モック」という木の根を煎じたコーヒーが、ゆらゆらと湯気を立てていた。
フランチェスカの隣でルウは、歩きつかれたのか、その湯気を眺めながら、ぼんやりとしている。ともすれば、舟をこぎ始めそうだった。
「わたしは、フランチェスカ・ハイト。そして、この子はルウ・パットン、ルミナス魔法学校の学生です」
フランチェスカが名乗ると、クレイグは深い彫りの奥にある瞳で、しげしげと二人の事を観察する。
「難民というわけではなさそうだな」
「ええ、色々と事情があって、この街にやってきました。ですが、この町の方々は、ひどく疎外的ですわね」
あてつけるつもりはないが、正直なところを口にする。すると、クレイグは、白髪交じりの頭をぼりぼりとかいて、溜息をついた。
「やつらは、街の端に居座る、わしらが疎ましいんだろう。自分たちは、何不自由なく暮らしているのに、街の平和と安全、美観を損ねるわしらが、邪魔で邪魔で仕方がないと、顔に書いてある。だから、難民や仕事を求めてやって来る、外国人や貧乏人は毛嫌いするんだ」
クレイグの言葉は、やっかみのようにも聞こえるが、あえてフランチェスカは指摘しなかった。
「言ってみれば、ここは、社会の最底辺の受け皿だ。現実の在り処とも言える」
そう言って、クレイグはモックをあおる。やはり飲みなれた人間でも不味いのか、一瞬だけクレイグは顔をしかめた。
情報集めに街をさまよった、ルウとフランチェスカがたどり着いたのは、ハイゼノンの西側、最も壁に近い一帯にある、貧民街と呼ばれる場所だった。その名の通り、貧しい者たちが肩を寄せ合って暮らしている。その大半は、他の街から仕事を求めて移住してきた者や、戦災孤児、自分の住む村を失ったガモーフ人と言った、まさに貧民たちだった。多かれ少なかれ、どこの国のどんな大都市にも、こうした貧民街と呼ばれる場所はあるものなのだが、ここはある意味特別だった。なぜか? それは統べて、この街がハイゼノンの壁と呼ばれる、巨大な遺跡の壁に取り囲まれていることに起因している。
「では、あなたは、この貧民街の人達のまとめ役、ということですか?」
しばらく、愚痴のようなクレイグの話を聞いたフランチェスカは、このまま愚にもつかない老人のやっかみを聞かされ続けるのも面倒だ、と内心に思い、話を変えるべくそう切り出した。
「ああ。わしは、貧民街では古株だからな。もとは、この街に屋敷を持ってたんだが、この足の所為で、転落人生だ」
自嘲気味に言ったクレイグはズボンの裾をめくって見せた。そこから覗くのは、人間の足ではなく、木製の義足だった。そういえば、クレイグの歩き方が少しおかしかった事を思い出す。尋ねるまでもなく、クレイグは傷痍軍人の類なのだろう。
「じゃあ、この街にある遺跡についてもお詳しいのですか?」
「なんだ? わしにも分かることと分からんことがあるぞ」
怪訝な顔をするクレイグ。フランチェスカは本題に移る前に、モックを口に運んだ。泥のような味がする。しかし、鼻に抜けていくなんとも香ばしい匂いは、好きな人にはたまらないだろう。
「遺跡のことです。わたしたちには、この街の遺跡を訪ねて、ガモーフはウェスアより来たんです」
「ほう、それはまた、遠路はるばるなことだ。しかし、何でまた?」
「それは……」
言いかけたフランチェスカは、ちらりとルウの方に目をやった。とうとう、瞼がくっついてしまったルウは、座ったまま、器用に寝息を立て始めていた。
「この子の研究を手伝うためです」
と、口に出してから、フランチェスカは我ながら嘘が下手だと思った。しかし、クレイグは疑う様子もなく、ルウの着る、ルミナス魔法学校の制服に目をやった。フランチェスカの鎧もそうだが、その衣裳は、それだけで身分の証になる。
「それで、ここの遺跡はあのミスリルの壁だけなんでしょうか? たとえば、地下に坑道のようなものがあったりはしませんか?」
「という話は聞いたことがないな。そもそも、そんなものがあれば、今頃ギルドの学者どもが、研究に研究を重ねているだろうよ」
確かにその通りだ。フランチェスカには、遺跡に関する学術的な知識はないが、遺跡船のように、まだ誰も発見したことのない、秘密の遺跡が眠っていたとしても不思議ではない。しかし、このように街となり、人の多い場所にある遺跡が、学者たちによって、その全容を明らかにされていないはずはない。
やはり、ダスカードへ向かうほかないのか。クレイグの言葉を受けて、フランチェスカは脳裏に、遥か遠方の故郷、ダイムガルドの遺跡を思い浮かべた。ダスカードへは、以前、ギルド・リッターに入ったばかりの頃、一度だけ赴いたことがある。フランチェスカが、アルサスたちの見た案内役を買って出ることに、何の不足もないだろう。
「さてと、ランプの燃料ももったいない。その少年ももうオネムのようだ。お前たち、どうせ、夜を明かすところもないんだろう? だったら、家に泊まっていくといい。もうじき、同居人も帰ってくるはずだ」
クレイグは、義足の足を庇うように立ち上がった。どうやらこの男には、ハイゼノンにあって、民族意識の薄い男のようだ。警戒するに越したことはないが、その厚意に甘えてもいいかもしれない、とフランチェスカは思った。だが、その前にアルサスたちと連絡を取り合わなければ。
「同居人というのは?」
フランチェスカが尋ねる。
「浮浪児だよ。ちょっと、お使いごとを頼んでいて、出ているがかれこれ小一時間は経っている。そろそろ戻ってくるはずだ」
時計代わりにクレイグが確認するのは、板張りの壁の隙間から覗く、外の暗さだ。
「浮浪児ですか……。いや、わたしたちにも、あと二人連れがいるんです」
と、フランチェスカが打ち明けると、クレイグは驚いて少しだけ困ったような顔をする。この狭いバラック小屋に、クレイグと同居人、そしてアルサスたち四人が寝るようなスペースはどこにもない。狭苦しいことこの上ないのだ。
「ソアンにでも、頼んでみるか、ちょっと待っていなさい」
そう言うと、クレイグはテーブルを離れ、玄関扉代わりの板をどける。すると、それを待っていたかのように、聞き覚えのある声がバラック小屋の中に舞い込んできた。
「待ってください、メル!!」
あの声は……。フランチェスカが振り向く前に、目を覚ましたルウが言う。
「ネルお姉ちゃんの声だ!!」
どうして、メルが突然逃げ出したのか、ネルにはちっとも分からなかった。何度も待ってくださいと、促しては見たものの、メルは振り向きもしないで、走っていく。そうして、ようやくメルの腕を掴んだのは、みすぼらしいバラック小屋が立ち並ぶ、貧民街の真ん中だった。
「待ってください、メル!!」
「離してっ!! 来ないでっ!!」
振り向いたメルは、金切り声を上げて、ネルの腕を振り解いた。そして、向ける眼差しは、ネルの知る妹の目つきではなかった。
「どうして、逃げるんですか? わたしの顔を忘れたんですか?」
最愛の家族に、冷たく睨みつけられたネルは、悲しくなって問いかけた。
「忘れるもんかっ!!」
「じゃあ、どうして。どうしてそんな風に怒ってるんですか? せっかく、せっかく再会できたのに……」
再会できたことが嬉しくないのだろうか? いや、そんなことはない、とネルは心に言い聞かせる。だが、返ってきた言葉は、ネルの胸を深く抉った。
「うるさい。わたしは二度とお姉ちゃんの顔なんか、見たくなかった!」
「どうして、そんなこと……」
困惑するネル。ラクシャに居た頃、何度か喧嘩をしたことがある。少なくともそれは、ごくありふれた姉妹喧嘩であって、憎しみをぶつけあうようなものではなかった。しかし、眼前のメルが吐き出した言葉は、何故か黒々とした憎悪にまみれている。
「どうして、どうして、どうしてっ、聞かなきゃ分からないの? あたしが言わなきゃ分からないの!?」
「ごめんなさい、わたし馬鹿だから……」
睨みつける翠の瞳から、逃れるように、ネルは俯いた。
「全部、ぜんぶっ、お姉ちゃんの所為なんだ。三ヶ月間、あたしはずっとお姉ちゃんが死んでればいいって思ってたっ」
「えっ?」
「銀の乙女だかなんだか知らないけど、お姉ちゃんの所為で、ラクシャ村の人達はみんな、あの黒い鎧の人たちに殺された! 村長さまも、カエデお婆も、リンもチェットも、みんな殺された! お姉ちゃんが村にいたからだっ! お姉ちゃんがいなければ、お父さんもお母さんも死なずに済んだんだ!!」
恨み言を次々と重ねるメルに、そうであって欲しくないと思っていた現実を突きつけられたネルは、思わずよろめいた。地震でもないのに、空がぐらぐらと揺れ、地面が水で出来ているように不安定な感覚を覚える。お父さんと、お母さんが死んだ……?
「消えてっ! 今すぐあたしの前から消えてっ!!」
唐突な訣別の言葉。血は繋がっていなくとも、ずっと妹として共に育ってきた。三ヶ月前のあの日まで、一緒に笑いあった。なのに、たった三ヶ月で、目の前の妹は、怒りを露にする。家族を、村を、無慈悲な者たちによって奪われた恨みを、悉く言葉に乗せて、ぶつけてくる。
「おおーいっ! お前らこんなトコで、喧嘩なんかしてんじゃねえよっ!!」
背後から声が飛んでくる。遅ればせながら追いついてきたアルサスだ。アルサスは、こちらへと走り寄ると、仲裁者よろしく、ネルとメルの間に割って入った。
「喧嘩の理由は分からないけど、折角会えたんだ、ちっとは喜べ」
アルサスの言葉に、メルはぷいっとそっぽを向く。
「これっぽっちも嬉しくなんかない。っていうか、あんた誰?」
「年上に向かって、あんたって言うなよ。俺は、レイヴンのアルサス。君は、ネルの妹さん?」
確認の意味も込めて、アルサスそう尋ねたが、メルはネルの顔もアルサスの顔も見ないで、その問いかけに答えようとはしなかった。アルサスはやや困った視線を、ネルに向ける。そして、ズボンのポケットを探ると、何やら取り出して、メルに差し出した。
それは、エントの森でアルサスが拾った、バレッタだった。アルサスが預かっていたものだ。
「どうして、それを? 森で捨てたのに……」
ちらり、とバレッタに目をやったメルはやや驚いてみせる。
「これを見つけたから、俺たちはハイゼノンにやって来たんだ」
そう言って、アルサスはメルの手を取って、まだ幼さの残る手のひらに、ちょこんとそれを載せた。しかし、メルは何を思ったのか、アルサスにまで辛辣な視線を向けて、受け取ったバレッタを地面目掛けて、投げつけた。
「こんなもの、いらないっ!!」
派手な音を立てて、バレッタの金具が飛んでいく。まるで、メルの憎しみを表現するかのように。それに比して、アルサスたちは沈黙に包まれた。憎しみ、困惑、悲しみ、色々な感情だけが、沈黙の三角形の真ん中をぐるぐると飛び交う。
「なんだなんだ、メル。大声出して。領主親衛隊にモメごとだと思われたら、どうするんだ?」
メルの背後、バラック小屋の一つが扉を開ける。中から現れたのは、初老の男だ。目つきは鋭く、一見して軍人であった事を匂わせてはいるが、見た目はひどくみすぼらしい。おそらく、貧民なのだろう。メルとこの男は知り合いのようだが、ネルはそんな男のことは知らない。改めて、メルが言った「三ヶ月間」が、姉であるネルの知らない月日であった事を、感じずに入られなかった。
「クレイグさん……ごめんなさい」
振り返ったメルは男の名を呼んで頭を下げる。クレイグと呼ばれた初老の男は、メルのそばにいる、アルサスとネルを見止めて、「誰だ、そいつらは?」と言った。
「あの、わたしたちは……」
口を開きかけた、ネルの瞳が、バラック小屋から出てきた別の人影を捉えた。見覚えのある顔が二つ。向こうも驚いたような顔をしてこちらを見ている。
「アルサス、ネルお姉ちゃんっ!」
二人の名を叫んで勢いよくバラック小屋から駆け出し、ネルの元へと駆け寄ってきたのは、ルウだった。
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