35. 城郭都市ハイゼノン
ハイゼノンの町並みは、他のセンテ・レーバンの町並みと大して変わらない。センテ・レーバン生まれのアルサスにとっては、何の変哲もない石畳の道が城門より続き、その両側に、白壁と赤い屋根瓦の家々が立ち並ぶ。民家や商店などが、ブロック単位で敷き詰められて区画を形成しているのだ。それでも、センテ・レーバンの街を初めて訪れるルウは、終始目を輝かせていた。
「すごいねー、おっきいねー!」
と、見聞を広められることにいちいち、喜ぶ様は、どこか空白地帯のカルチェトの街を訪れたときのネルによく似ているような気がした。もっとも、アルサスの隣を歩くネルは、はしゃいでなどいない。ネルもまた、センテ・レーバンの街を訪ねるのは初めてのことなのだが、「はやく妹を見つけたい」と、そんなことばかりが頭の中を占めているのだろう。ネルは通りを歩く、十三、四歳の少女を見つけては、それがメルではないか、と確かめる。そんなネルに、アルサスは、
「とりあえず、宿を取ろう。メル探しと情報集めは、それからだ」
と、言い含めた。
遺跡の上に造られたという大都市だけあって、宿を探すのには、それほど手間を取ることはなかった。宿だけでも、何軒もあって、ハイゼノンへの数少ない客を待ち構えていると言う状況なのだ。だが、旅の路銀はそれほどたくさんあるわけではない。アルサスの分、ルウのお小遣い、それにフランチェスカの財布を合わせても、それほど高級な宿を取ることは難しかった。幸いだったのは、ベッドが固くても、夕飯が冷や飯であっても、文句を言うような四人ではなかったことだ。ウェスアからこっち、ろくな寝床で寝ていないアルサスたちにとって、ひとまず腰を落ち着けることが出来るのなら、わがままなど言うつもりはない。
ところが、宿を取ることに難色を示したのは、アルサスたちの方ではなかった。
「いらっしゃい」
と、愛想よく出迎えてくれた、場末の宿の主人が、「一晩宿を取りたいんだが」というアルサスたちに、一変して渋い顔をしたのだ。カウンターの向こうに座る主人の視線は、アルサスの後ろのルウに注がれていた。
「悪いが、うちの店は、そのガキみたいなガモーフ人お断りなんだよ。それに、そっちの背の高い姉ちゃんは、ダイムガルド人だろう?」
「そういうのを、人種差別っていうんだよ、おじさん」
明らかに難色を示した、主人にルウは食って掛かった。ガモーフ人だから、と言われれば、さすがのルウも我慢できない。
「わめくな、ガモーフ人。そういう決まりなんだよ。貧乏人と外国人には関わるなってね」
「人種も職業も貴賎も問わず、お客を泊めてあげる。それが、旅籠ギルドなんじゃないの!?」
「そりゃ、ウチだって旅籠ギルドの加盟店だ。しかしな、ハイゼノンで店を構えている以上、ハイゼノン公の決めたの決まりごとに従わなければならないんだ。それが、大人の社会ってやつだ。まあ、女神さまだかなんだか得体の知れないものにすがるしか能のないガモーフ人のぼっちゃんには、分からねえかもしれんがな。とにかく、出て行け」
取り付く島もなし。主人はそう言うと、手の甲をひらひらさせて、まるで野良犬でも追い払うかのように「しっしっ!」とアルサスたちを店から追い出す。大人の社会、などと言うものの、主人の態度は明らかに、自らがガモーフ人嫌いである事を表しているようだった。
「おぼえてろーっ! 魔法使いギルドは旅籠ギルドの横暴を許さないぞ!」
がるるっ、とまるで子犬が癇癪を起こしたように、通りから宿に向かってルウは叫んだ。
「落ち着きなさい、ルウ。仕方ないわよ、ハイゼノンはセンテ・レーバンでもガモーフ嫌いで有名な都市だって聞いているわ」
と、ルウをなだめるフランチェスカ。
「だけどさ! フランお姉ちゃんもダイムガルド人だからって、バカにされたようなものじゃないか。ボク、ああいう大人、大嫌いっ!」
通りの真ん中で、ルウは怒鳴り散らした。ルミナスから出たことのない、ルウにとって、初めての屈辱だったのだろう。頭の上に、湯気が立ち上るほど、怒りを露にしている。そんなルウに、往来を行くセンテ・レーバン人は奇異の目を向けてきた。
「仕方ありませんよ、あの方も商売をされているんですから……」
フランチェスカに倣って、ネルもルウをなだめようとした。しかし、その言葉は返って、火に油を注ぐ結果となってしまった。
「そりゃ、ネルお姉ちゃんは、センテ・レーバン人にそっくりだから、いいよね。ガモーフ人のくせに……」
ムスっとした顔で、ルウがネルを睨みつけた。ネルの言うことは分かっているつもりだった。だから、行き場のない怒りが、ルウそうさせたのだろう。
たしかに、ルウの言うとおり、ネルは髪の毛が美しい銀色をしている事を除いても、可憐な顔立ちも肌の白さも、瞳の色も、ガモーフ人よりもセンテ・レーバン人に近い。そのことで、昔、村の幼なじみたちにいじめられた経験を持つネルにとって、その事を指摘されるのは、心苦しいことだった。
「ごめんなさい……」
としか、答えることの出来ないネルは、困ったように俯いてしまう。その姿を見たルウも、自分がネルを傷つけてしまったと言うことに気づき、しょんぼり俯き、二人を中心に、あたりはどんよりとした空気に包まれた。
「まったく、腹が減ってるから、イライラするんだ。ほれ、ふたりともっ、次の宿を探すぞ」
「そうよ。ぐずぐずしてたら、今日も野宿になっちゃうわよ」
アルサスとフランチェスカは、少しばかり溜息を吐き合い、アイコンタクトを交わすと、アルサスはルウの背中を、フランチェスカはネルの背中を軽く叩いた。
しかし、次の宿も、その次の宿も、訪ねた宿すべてが、明らかに空き部屋があるにも拘らず、「ただいま満室です」などと言って、その言葉の裏に「ガモーフ人やダイムガルド人はお断り」とアルサスたちを追い払った。
さすがに、六件目に断られる頃になると、アルサスまでも、頭に血を上らせていた。「同じ、センテ・レーバン人として恥ずかしい!」と、石畳に地団駄を踏む。
現在は、空白地帯を設け、停戦協定下にある三国の微妙な平和関係。しかし、センテ・レーバンには、根強く十年前の恨みがあるのだと言う事を、浮き彫りにされたように感じずにはいられなかった。ヨルンの戦いの時、ガモーフとダイムガルドは密約を交わし、結託してセンテ・レーバン軍を攻めたという過去は、事実として拭い去ることは出来ない。だが、その恨みを関係のないルウにぶつけるのはお門違いだと、アルサスは思う。ルウはまだその頃生まれてはいなかった。フランチェスカも、ダイムガルド軍の末席にいたに過ぎない。
「アルサス、提案なんだけど……」
そんなルウが、そう言ったのは、ついに七件目の宿にあしらわれた後のことだった。すっかりあたりは夕刻の気配が忍び寄っていた。もうじき、城壁に囲まれるハイゼノンには、早い夜がやってくる。
「さすがに、このままじゃホントに野宿になっちゃう。だから、ここからは二手に分かれたほうがいいと思うんだ。ボクとフランお姉ちゃんは、メルちゃんとハイゼノンの遺跡についての情報を集めるよ。だから、アルサスとネルお姉ちゃんは、宿を探してきて欲しい」
家路へ急ぐ人の群れとは逆方向を向いて、ルウが言う。アルサスに、異存はなかった。
「確かに、その方がいいかもしれないな。じゃあ、ルウ、フラン、頼めるか? 俺たちは、お前たちが情報を集めている間に、宿を何とかして取っておくから」
「うん。晩御飯、たくさん出してくれる宿にしてね」
もちろん、それはルウなりの冗談だった。もはや、疲れた体を休めることが出来る寝床が確保できれば、何だって構わない。
「あの、ネルお姉ちゃん。あの、その、頑張ってメルちゃんのこと、探してくるから」
ルウはネルの方に向き直り、そう言うとネルの返事を待たずに踵を返して走り出した。あっと言う間に、背の低いルウは往来の人ごみに紛れてしまう。
「まったく、素直じゃないわね、あの子も。ちょっと待ちなさい、わたしを置いてくつもり?」
慌ててルウを追うフランチェスカの姿も、あっと言う間に人ごみに消えた。
アルサスとネルはその場で、しばらく二人を見送る。すると、不意にネルが、
「わたし、ホントはセンテ・レーバンで生まれたんでしょうか?」
と、口にする。ルウに言われた事を気にしているのか、浮かない顔が夕日に照らされていた。アルサスは、小さく溜息を吐き出すと、右手の甲でこつんとネルの頭を小突いた。
「センテ・レーバンの生まれだろうが、ガモーフの生まれだろうが、そんなこと、どうだっていいじゃない」
「アルサス……」
小突かれた頭を押さえながら、ネルがこちらを見る。アルサスはあえて視線を合わせなかった。遠目に見える、ハイゼノンの中心地。そこに聳える城。センテ・レーバン諸侯の一人であり、この町を統治するハイゼノン公の居城を、アルサスは見つめていた。
「ネルはネル、俺は俺。どこで生まれても、誰の血を引いても、人間であることに変わりはない。俺はそう思ってるけどな。生まれた場所や住んでる場所、生き方や考え方、裕福だからとか貧しいからとか、そういった価値観の違いで、他人のことを蔑んだり、恨んだり、妬んだりすることは、争いにつながる。そういうのは、ナンセンスだよ。ルウだって、分かってる。お腹が減って、ちょっとイライラしてただけだよ」
「そう、ですよね……。ルウは、とてもいい子ですから」
「じゃあ、さっさと宿を探すか。ルウのリクエスト通り、晩飯をたくさん出してくれるような宿」
アルサスはそう言って、いつものようにネルの手を取った。しかし、宿探しはさらに難航することとなる……。
アルサスたちと別れた、ルウとフランチェスカは、遺跡の情報を得るため、街のあちこちを訪ね歩いた。往来を歩くハイゼノン市民たちは、皆一様に、ガモーフ人とダイムガルド人の二人を奇異の目で見つめる。ともすれば、敵意のある視線さえ飛んでくる。しかし、最初はその視線が気になったものの、慣れてしまえば、気にするほどのことでもなかった。「市民は外国人にかかわるな」という、領主ハイゼノン公からのお触れがでているのだから、敵意を行動に移そうとする市民など居はしない。
しかし、こうも外国人に警戒心が強い街となると、情報を得るのも容易なことではない、と言うことに気づかされる。街行く人に、「あの、お聞きしたいことがあるんですが」などと尋ねても、無視されたり、話しかけるな、と邪険に扱われるのだ。そうして、へとへとになりながら、重たい足を引きずった。
箱庭だ。そう呟いたのはフランチェスカだった。振り向いたルウは、彼女の視線が町を取り囲む遺跡の名残、城壁へと向けられている事に気づいた。センテ・レーバンの都市は、多くが城を中心にした城下町であり、町は堀と城壁に囲まれている。
しかし、このハイゼノンの城壁は、異様なまでに高い。敵の侵入を拒む城壁としては、無駄なほど高いのだ。まるで、人や魔物ではない何かから、町全体を守ろうとしているかのようにさえ、見えてしまう。それが、民族意識というのなら、まさに、ハイゼノンは箱の中にしか存在しない、箱庭と言って過言ではなかった。
「この町に、ギルド・リッターの支部ってないの? ほら、今ならまだ、フランお姉ちゃんがギルド・リッターを辞めたっていう報告が、ここまで届いてないかもしれないよ」
ルウが言う。情報を集めるなら、警備のためにそれを多方面から収集しているギルド・リッターは、うってつけだ。だが、フランチェスカは頭を左右に振った。艶やかな黒髪が、さらさらと揺れる。
「残念だけど、ハイゼノンには、ギルド・リッター支部はないのよ。もともと、この街は閉鎖的だったから、ギルド・リッターも、支部を配置しなかったって聞いているわ」
ヨルンの悲劇以前から、人種混合で構成されるギルドの中にあって、もっとも、多種多様な民族が集まるギルド・リッターにとって、ハイゼノンのような街が、一番厄介な街であった。そのため、長い間、ギルド・リッター支部が設けられることはなかったのだ。
「どうしよう……。このままじゃ、アルサスとネルお姉ちゃんをがっかりさせちゃうよ。いっそのこと、壁まで行ってみよっか?」
「でも、外から見た限り、ミスリルで出来た、ただの壁だわ。もっとも、これほどまで大きな金属の壁を精製することができる、神々の時代の技術には、目を見張るものがあるけれど」
「そこは、興味の尽きないところだけど」
そういいながら、二人は街角を練り歩く。どことなく、遺跡船に似た印象を放つ、ハイゼノンの壁は、フランチェスカの言うとおり、総ミスリル製の壁だった。現代の鋳造技術では、これほど大きなミスリルの壁を鋳造することは不可能に近い。学術的にも、科学的に言っても、それは遺跡と呼ぶに相応しいものだった。しかし、そこに、真実に繋がる手がかりを得ることは出来そうにもない。
アルサスたちが、未だ宿を取れず苦戦していることなど知らない、ルウは、出来ないからと言ってあきらめるつもりはなかった。なんとかして、ひとつでも幸先の良い情報を仕入れなければ、思わずネルに向かって吐き出した暴言のお詫びが出来ない、と子ども心ながらに思うのだ。
「そういえば、この街って遺跡の『上』に作られたんだよね。って言うことは、この下にも何かあるのかな?」
ふと、気付いたルウは、地面を指差した。指先は、丁寧に切り出された石を組み合わせた石畳、その遥か下、ハイゼノンの地下を示している。
「それは、言葉のアヤってやつじゃない?」
「だよね。言葉尻を捕らえて、希望を託すなんて、いよいよ末期症状かもしれないね……。誰か、この町の歴史に詳しい人に話を聞けると、手っ取り早いんだけど。こんな調子じゃ、誰も何も教えてくれそうにもないよ」
はあっ、と溜息を吐き出したルウは、暮れなずむ茜空を見上げた。
「ボク、センテ・レーバンがこんな国だと思わなかった。がっかりだよ」
溜息が、茜空へと霧散する様をルウは眺めつつ、ぼやく。どんな旅にも、そこに住む者たちがいる限り、どんな形であれ、人と人の触れ合いが待っている。そこに、外国への憧れが重なれば、それはもう旅の醍醐味と言っても過言ではなかった。
しかし、逆に見知らぬ土地で、見知らぬ人たちから冷たく当たられることは、とても辛く、落胆に値する。
「センテ・レーバン王国は、三国の中でも最も保守的な国なのよ。その中でも、ハイゼノンはさらに特別。仕方ないわよ。でも、人間は十人十色っていうじゃない? きっと親切な人もいるわ、アルサスみたく」
がっくりと肩を落とすルウの頭を、軽くはたくと、フランチェスカは口許に笑みを浮かべた。しかし、ルウは内心に「十人中九人は同じ色だ」と思う。
事実、人のよさそうな街人を見かけては、声をかけてみるものの、ルウたちが外国人だと見るや否や、みな一様に閉口する。
そうこうしているうちに、薄暮の時間となり、人の姿もまばらになってしまう。途方にくれたルウは、憔悴した気分を引きずりながらも、フランチェスカと共に街角を練り歩く。と、いつの間にかあたりの風景が一変する。センテ・レーバン特有の赤い屋根瓦に白壁の家々は、一斉に姿を消し、古びた木を組み合わせただけのバラック小屋が姿を現す。そこは、ハイゼノンの壁に近く、おそらく日中でもほとんど陽の光が当たらないのだろう。やけにじめじめとしていて、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
それを、ルウは「寂れている」と表現する。
「たしかに、寂れているわね……大都市には似合わない光景だわ」
立ち止まり、フランチェスカはバラック小屋が軒を連ねる町並みを見渡した。ふと、その隣でルウは「貧乏人」という言葉を思い出す。
ここって、もしかして、そう言いかけたときだった。突然足音と気配が、二人の背後に迫った。
「おいっ、お前たち」
声をかけられ、驚いたルウとフランチェスカは各々武器を手に、振り返った。こんな場所で暴れたくはないが、彼らに向けられる視線には、明らかな敵意が含まれていたからだ。
「ガモーフ人に、ダイムガルド人か? お前ら、こんなところで何してやがる」
ドスの効いた、ガラの悪い声を纏いながら、こちらへ近づいてくるのは、初老の男だった。白髪が目立つ頭に似合わず、どこか野犬のような鋭い目つき、歳に似合わぬ逞しい双腕。返答次第で、タダじゃおかない、と彫りの深い顔に書いてあった。
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