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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第四章
30/117

30. バレッタ

 こっちだよ、こっちだよ。遅れないように付いて来て。

 ひらひらと、翅をばたつかせながら、行く先を先導するルリボシタテハは、まるでそう言っているかのようだった。勿論、蝶はハイ・エンシェントではなく、ただの昆虫だ。人間の言葉を理解したり話したりすることはない。そんな、蝶に導かれ、本当に「遺跡船」という場所にたどり着けるのか、少しばかりの不安はあるが、泉からの獣道は少しずつ森の最深部へと進んでいた。おそらく、その先に「遺跡船」はあるのだろう。

 ただ、獣道はとても狭く、一列に連なって歩かなければならなかった。一行の先頭を歩くのは、アルサス。続いてネル、ルウの順番だ。

「もう夜かしら、空気が随分つめたくなったわ」

 最後尾を歩くフランチェスカが言うとおり、時刻はすでに宵の口となっていた。歩きづらい、森の道を進むことは、本人たちが思っているよりも、時間がかかる。だが、その時刻を知ることはできない。なぜなら、木々の枝葉が密集した、エントの森は常に薄暗く、かつ、空を見上げても枝葉に邪魔されて、それを確かめることが出来ないのだ。

「確かに、空気が冷たくなってきたな。ネル、寒くはないか? 薄手のコートならあるぞ」

 そう言って、ネルの目の前で、アルサスが後ろ手に、背中のリュックをぽんぽんと叩く。

「ありがとう、アルサス。でも大丈夫です。わたしよりも、ルウは寒くないですか?」

 アルサスの気遣いに笑顔で返し、ネルはルウの方を振り返った。すると、ルウはやや興奮ぎみに、頬を紅潮させ、なにやら手帳のようなものに書き記している。

「歩きながら、よく書きものができるわね。何を、そんなに熱心に書いているのかしら?」

 と、フランチェスカが背後からルウの手帳を覗き込む。子どもらしい雑然としたクセのある文字と、なにやら画才のない絵。それでも、本人にとっては、大事なものらしい。

「ローアンの事を書いてるの。他にも、アルサスから聞いた、トニア、バセットっていう魔物のこと、あと、ガムウ。世界には、七匹のハイ・エンシェントがいるって言われてる。その生態や存在は、まだ不透明なことが多いんだ。だいたい、目撃した人も少ない」

 説明しながらも、ルウの手は止まらない。ローアンの事を思い出しながら、その姿や声、あらゆる印象を事細かに記していく。

「でも、ボクはそのうちの二匹をこの目で見た。アルサスはボクをからかって嘘吐いてる可能性もあるけど、ネルお姉ちゃんは嘘なんか吐かない。だから、少なくとも、四匹のハイ・エンシェントがこの世界には実在している。これってすごい発見だよ!」

「嬉しそうですね、ルウ」

 にこやかなルウの姿に、少しだけネルの顔にも安堵が浮かぶ。

「うん! これを学校に帰ったら、ちゃんとレポートにするの。きっと、先生たちびっくりすると思うよ。それを考えたら、ちっとも寒くなんかない!」

 そういいながらも、ルウぶるぶると体を振るわせる。寒くない、などと強がって言っても、春の夜の風は体温を奪っていく。アルサスは溜息交じりに、足を止めると、

「ネル悪いけど、リュックからコートを出して、人のこと嘘つき呼ばわりするクソガキに、着させてやってくれないか?」

 と言った。当然のように「いいよ、コートなんて!」とルウからの反論が返ってくるが、ネルはなんだかんだといって、お互いに仲間として信頼を寄せている二人の事を苦笑交じりに見ながら、アルサスの背中のリュックから、薄手のコートを取り出した。センテ・レーバンでよく見かける、雨合羽のようなデザインの防寒コートだ。くすんだ草色は、雪のよく振る場所での視認性を高める効果があるらしいが、その色と相まってとても地味である。

 ネルはしゃがんで、ぐずるルウにそのコートを着させてやった。

「ネルはいいお姉ちゃんねえ。なんだか、あなたたち三人兄弟みたいよ」

「じゃあ、一番年上のあんたは、お母さんってか?」

 目を細め、クスクスと笑うフランチェスカに、アルサスは冗談交じりに返した。

「あら、そうかもしれないわね」

 勿論、三人の母親というには、フランチェスカはまだまだ若い。しかし、あえて否定の言葉を返してこないところを見ると、まんざらでもないようだ。

 エントの森で別れ別れになってしまうまで、アルサスはどこかフランチェスカを信用していない節があった。しかし、いつの間にか、すこしはかり打ち解けているような雰囲気を、ネルは感じていた。

 共に旅をする者同士が、家族のような親近感を持つことは、とても大事なことである。言い換えれば、何かしらの絆を持っていなければ、たちまち危険に飲み込まれてしまうことだってある。とくに、エントの森のような、そのほとんどが未開の地で、常に危険が潜んでいるかもしれないような場所では。

「わたし、ラクシャ村に、妹がいるんです。わたしは、拾われっ子だから、妹とは血が繋がっていないんですけど……。優しくて、とても明るくて、時々ちょっと生意気で。ルウを見てると、そんな妹のこと思い出すんです」

 コートのボタンを留めてやりながら、ネルは恥ずかしそうにするルウと、思い出の中のメルを重ね合わせるように言った。メルにも、よくコートを着せてやった。高地にあるラクシャ村では、夏が近づくまで朝夕の気温は低く、油断していれば簡単に体調を崩してしまいかねない。子どもは風の子とはよく言うが、早く遊びに行きたいと、うずうずするメルを止めて、コートを着させてやったのは、それほど遠い思い出ではなかった。

「妹って……ボク、男の子だよ?」

「分かってますよ。それに、メルより、ルウの方がずっとお利口さんです」

 一番上のボタンホールにボタンを通し終えたネルはそう言って、ルウに微笑んだ。

 メルは、今もどこかで元気にしているだろうか? 黒衣の騎士団の凶刃から逃れることは出来ただろうか。無事でいてくれることだけを信じて、毎晩の眠りにつくネルにとって「もう、メルはこの世にいない」と暗示するような あの夢は胸の奥を抉られる気分だった。そんな暗い気持ちを、みんなには見せたくない。見せちゃいけないんだと、ネルは気を張って笑顔を作る。

 だが、そんな笑顔、アルサスはお見通しだということくらい、ネルにも分かっていた。

「そう言えば……フランと二人っきりの時、こんなものを見つけたんだけど」

 不意に、何かを思い出したように、アルサスが自分のズボンのポケットを探った。中から取り出したのは、小さなべっ甲のバレッタ。ガモーフの古い言葉で「幸福」を意味する、カチュアの模様が丁寧に掘り込まれたものだ。

「これ、ラクシャ村のものかと思って拾ったんだ。ネル、何か心当たりない?」

 そう言って、アルサスが差し出したバレッタを受け取ったネルは驚きを隠せなかった。

「どこで、これを拾ったんですか?」

 声が上擦ってしまう。体中が震えてしまう。

「どこって、こことは別の獣道をずっーと下った先だよ。それを拾ったすぐ後に、エントに群がられて、正確な場所は思い出せないけど」

 バレッタを両手で大事そうに抱きしめるネルの姿に、アルサスは少し怪訝な顔をする。

「これ、メルの……妹のバレッタです」

 ネルの頬を一筋の涙が伝い、バレッタを抱きしめるネルの手のひらの上に雫を落とした。

「去年のお誕生日に、わたしが村長(むらおさ)さまから教わって作ったんです。」

「ええっ!?」

 今度は、アルサスたちが驚く番だった。偶然見つけたバレッタは、偶然にもネルが最も心配してやまない、妹のもの。偶然にしては、出来すぎぐらいの偶然だ。ネルは、小さなバレッタを抱きしめながら、心の中で、この偶然が、アストレアさまの導きだと信じたい、そう思った。

「あの日も、わたしが黒衣の騎士団に連れ去られたあの日も、メルはこれを身につけていました……とても大事にしてくれて」

「もしかして、ローアンが言っていた、三ヶ月前の客人って、ネルの妹さんのことだったのかしら?」

 と、フランチェスカ。そういえば、ローアンがそんな事をいっていた気がする。だが、その時はまさか、その客人というのが、メルのことだったなんて、夢にも思わなかった。

「これがエントの森に落ちてたってことは、メルはラクシャから逃げ(おお)せたってことだ。それで、この森を抜けてどこかに向かったんだ。エントたちが危害を加えるとは思えない。きっと、ううん、必ずメルは生きてる」

 そっと、アルサスの温かな手のひらがネルの震える両手を包み込む。優しい暖かさが心にしみこんでくるような気がする。

「そう、ですね。そうに違いありませんよね!」

 泣き顔のネルに、ややわずかな希望の光が少しだけ灯った。メルが生きている。それだけでも、胸の奥が熱くなる。また涙がこぼれ始める。だけど、その涙は悲しみの涙ではなく、嬉しさの涙だ。

「でもでも、どこかってどこへ?」

 丈の合わないコートの袖をまくりながら、ルウが疑問を口にする。

「まったく、空気読めよ、ルウ……」

 呆れながらも、アルサスは頭の中の地図帳をめくる。エントの森の周りには、ウェスアのような大きな都市は存在しない。森の外には、ラクシャのような小さな村がいくつか点在している。そのどこへ向かったのか、いや、たどり着いたのかを知る術はない。

「国境を越えた先にあるセンテ・レーバンの『城郭都市ハイゼノン』よ」

 フランチェスカが言う。彼女もまた、頭の中に地図を広げていたのだろう。ギルド・リッターという国境を越えて活動する組織に所属していた彼女は、アルサスよりも地理に詳しかった。

「どうして、そう言いきれるんだよ、フラン」

「いくら、ラクシャが小さな村だとしても、人が住む村落が襲われた。それは、ウルド大司教の反抗と同じぐらい大事件のはずよ。ガモーフ神都がどのくらい、ネルを取り巻く事情を知っているのか、わたしには分からないけれど、少なくとも、事件の調査のためにラクシャへ派兵するはず。派兵が行われれば、その情報はギルド・リッターにも自然と流れてくる」

「じゃあ、神都は、黒衣の騎士団がラクシャを襲って、ネルを拉致したことは知らないっていうのか?」

「さあ、どうかしら。すくなくとも、メルちゃんがガモーフの街に逃げ込んだとすれば、情報は必然的に神都へも伝えられる。お大臣たちが、いくら無能だったとしても、彼らだって遅かれ早かれ、センテ・レーバンの関与に気づくはずだわ」

「だから、ここから一番近い、城郭都市ハイゼノンへ……?」

 うーんと、アルサスは顔をしかめる。フランチェスカの言わんとすることは分かるのだが、可能性のひとつしかない。広い世界で塵のように小さいメルのバレッタを、アストレアの導きにしろ、偶然にも見つけたことだけでもすごいことだが、どこにいったかも分からないメル本人を捜し当てることは、もっと難しく思えた。

「行ってみる価値はあるんじゃないかしら?」

「しかし、それは、ちょっと突飛すぎやしないか? センテ・レーバンの辺境で最も大きな都市、ハイゼノンには、ガモーフ人を毛嫌いするヤツもいる……」

 ルウの顔をちらりと見つつ、言外に「気が進まない」という顔をするアルサス。ハイゼノンへ、ガモーフ人であるルウや、ガモーフの民族衣装を纏ったネルを連れて行く事を渋っているというよりは、センテ・レーバンそのものへ行く事を嫌がっているようにも見えた。

 ネルはふと、ルウの言葉を思い出した。アルサスは、自分の事を語ってくれない……。センテ・レーバン人であることと、家を飛び出してレイヴンになったこと。ネルが知るアルサスのことはそれくらいだ。

「アルサス……わたし、わがままばかり言ってごめんなさい。でも、メルがそこにいるかもしれないなら、わたし、ハイゼノンへ行きたい」

「メルがハイゼノンへ行ったっていう保障は何もないんだぞ」

 アルサスはそういいながら、難しい顔をして仲間の顔色を伺うように視線をめぐらせた。しかし、ルウもフランチェスカも、反対する意志はなさそうだ。

「わたしは、異論ないわよ。だいたい、わたしの勝手であなたたちについてきてるんだから」

「ボクも。古代遺跡の上に造られたっていう、ハイゼノン。一度見てみたかったんだ」

 二人は、そう言って仲良く顔をあわせる。

「なんだよ、お前ら。そりゃ、俺だってメルを探すのは反対したくないけど……」

 アルサスはひとり、腰に手を当てて、困ったように溜息をつく。

 と、その時、なかなか追いかけてこないアルサスたちを心配したのか、ルリボシタテハがひらひらと舞い戻ってきて、アルサスの目の前を横切った。

 なにしてるの? 早く来ないと置いて行っちゃうよ。

 とでも言いたげに、瑠璃色の翅を羽ばたかせ、虹色の燐粉を撒いていく。アルサスはそれを目で追いながら、蝶の迎う先に踵を返した。

「今は、遺跡船へ向かおう。ハイゼノンへ行くのはそれからだ」

 あきらめたというよりは、自分の都合を押しとどめたかのように、アルサスは背中を向けたまま、そう口にした。小声で、ルウとフランチェスカが「やったね」とネルに囁く。

「はい! ありがとうございますっ!!」

 アルサスの言葉に、ネルは潤んだ瞳を拭って言った。 

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