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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第一章
3/117

3. アトリアの森

 夜闇が、アトリアの森を覆い隠す。わずかに見える木々の隙間からは、春の星がきらめいていた。今から、ガモーフの国境を越えることは出来ない、今日はここで野宿して、明日ガモーフの国境を越えよう、と提案したのは、アルサスだった。

 野営の支度は、すべてアルサスが一人で準備した。薪を集め、石を積み上げて焚き火を準備する。その間、ネルはトンキチが持ってきた、アルサスの鞄から、食料品を取り出して、夕飯の支度を始めた。どうして、トンキチがアルサスの鞄を持っていたのかは、よく分からなかったが、トンキチとアルサスは古い知り合いのようだと、彼らの会話からネルは察していた。

 ようやく焚き火と夕飯の支度を終えて、アルサスとネル、トンキチは焚き火を囲んだ。

「あの、センテ・レーバンの味付けとか、よく分からなくて、美味しくないかもしれませんけど」

 ネルは、食事を前に、少し恥ずかしそうに言った。ネルが用意してくれた夕飯は、アルサスが鞄にしまっていた、調味料と何の肉か分からない干し肉を川の水でしっかり煮込んだスープと、携帯用の小さな黒パンだ。スープは、少し白く濁った、ガモーフ特有の「キャチャ」と呼ばれる羊肉のスープに似ている。

 もっとも、アルサスが持っていた調味料はすべて、センテ・レーバンの調味料だ。ガモーフとセンテ・レーバンでは言語こそ同じだが、北国と東国では、多少なりとも文化に差異がある。そのため、センテ・レーバンの調味料で作った「キャチャ」が、果たしてアルサスの口に合うか、ネルは不安だった。しかし、

「美味しいよ、すごく美味しい! ネルは料理が上手なんだね」

 という、アルサスの屈託のない笑顔は、お世辞を言っているようには見えなかった。それが証拠に、ネルの作ったスープはあっと言う間に、空っぽになってしまった。

「トンキチさん、なんだかわたしたちだけご飯たべて、ごめんなさい」

 二人の食事を毛づくろいしながら眺めていたトンキチは、夕飯を食べていない。ネルは食事の間も、トンキチに悪いような気がして、トンキチの分も用意しようとしたのだが、「人間の食べ物は食べられない」と断られてしまった。

「わしらは、動物と一緒。生の肉しか食べられんのじゃよ。気持ちだけ、ありがたく頂いておくよ、娘さん」

 生の肉、という言葉だけが、異様に怖く感じたが、たしかに、スプーンもフォークも、トンキチには小さすぎる。ネルは、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、スープをすすった。

「それよりも、娘さん。あんた、わしらに聞きたいことがあるんじゃないかの? そういう顔をしとる。わしらも、あんたに聞きたいことがある」

 食事が終わるタイミングを見計らって、トンキチは、真っ黒な瞳に焚き火の炎を映しこみながら、ネルに尋ねた。ネルは、ちらりとアルサスの顔を見る。満腹になって、幸せそうな顔をしていたアルサスは、その視線を受け取って、「そうだね」とトンキチに視線を回した。二人と一羽はそろって頷く。

「あの、まだお礼を言ってませんでしたね。アルサスさん、助けていただいて、ありがとうございました」

 ネルは、金属の皿をひざの上において、丁寧に頭を下げた。もともと、ネルは物静かな女の子だった。おしとやか、と言い換えてもいいかもしれない。そんなネルに頭を下げられたアルサスは慌てて、

「ううん、いいんだ。礼には及ばない。誘拐なんて許せないし、それに、これが仕事だからさ、気にしなくていいよ」

 と、ネルに頭を上げるよう促した。

「仕事? それがレイヴンなんですか? レイヴンって何なんですか?」

「レイヴンってのは、放浪者のこと。国にもギルドにも参加せずに、自由気ままに旅をして、たまに路銀を手に入れるために、人助けをするんだ。それで、俺がちょうどガモーフの関所で立ち往生してたときに、たまたま入った酒場で、君を助けて欲しいと頼まれたんだ」

「え? 誰にですか?」

「さあ、名前は聞いてない。男だったよ。前金でいいから君を助けて欲しいって。五百ドラクマ(※2)と引き換えに、俺が依頼を引き受けたんだ」

 そう言って、アルサスは食料品や着替えなど、旅の道具が詰まった麻の肩掛け鞄から、小さな皮袋を取り出した。中には、ジャラジャラと音がするほど、金貨が詰まっている。五百ドラクマは、路銀としては破格の金だ。

「男の人……」

 ネルは、アルサスの話に、小首をかしげた。アルサスに、ネルの救出を頼んだのは、一体誰なのだろう。村の人だろうか? 新たな疑問符が、ネルの頭上に浮かぶ。

「それで、君を乗せた荷馬車を追いかけたんだけど、なかなか追いつけなかったんだ」

「そこで、こやつは昼寝をしていたわしの棲家にやってきて、空から運んで欲しいと言いよった。しかもタダで。辻馬車とて、金を取る時代にじゃぞ」

「いいじゃんか、トンキチ。昔馴染みなんだからさ、よしみってやつだよ」

「しかし、辻馬車の直上に落としてくれと言われたときには、肝を冷やしたぞ。あんな危ない真似、二度とせんでくれよ、年寄りのわしには、刺激が強すぎる」

「いや、その方がかっこいいかなって。正義の味方、参上! みたいな? ほら、幌がクッションになったし、あの人さらい野郎も、ヒビってたし」

「老体の心臓もビビったぞ」

「でかいの図体だけかよ。まるで、栗鼠(リス)の心臓だな」

「繊細と言わんか。そもそも、お前と出会ってから長いが、ロクなことはなかった。依頼で盗賊団のアジトに忍び込んだときもそうじゃった。この間の……」

「まあまあまあ、いいじゃん。細かいことは気にしない。俺もネルも無事だったんだから、結果オーライってことでひとつ」

「なにが、ひとつじゃ……」

 ニッと、アルサスは白い歯を見せて笑い、トンキチはあきれ眼で溜息をつく。すると、突然、ネルがクスクスと声を殺して笑い始めた。

 あれほど怖い思いをして、故郷から攫われ見知らぬ国へ連れて行かれそうになり、馬車の隅っこで、涙に暮れて女神さまに祈っていたのが嘘のように、笑いがこみ上げてくる。二人の気心の知れた会話が、冷たくなりかけたネルの心を、溶かしていくようだった。

 もともと、ネルは物静かなところがあるが、根暗な少女ではない。屈託なく笑えるし、人並みに感情も持ち合わせている。

「お二人は、仲がいいんですね」

「腐れ縁じゃよ、娘さん。昔、こやつがガルナックの西にある別邸で……」

「トンキチ! 俺たちの話はどうでもいいよ!」

 昔話を語ろうとする、トンキチの口をふさぐように、アルサスが語気を強めた。まるで、昔のことなんか話したくないといわんばかりだ。

「そんなことよりも、ネル。どうして、あの人攫いに連れ去られたの?」

「それは……わたしにも、よく分からないんです」 

 核心に触れられ、ネルの顔か再び曇る。思い出したくないことなのか、思い出すのがつらいのか、ネルは瞳を伏せた。

 それは、突然のことだった。今から三ヶ月ほど前、ネルが十六歳になったばかりの日のこと。平和な村ラクシャに、胸に牙の模様が刻まれた黒い鎧を着た数人の男たちが現れた。男たちは「銀色の髪の少女を差し出せ。さもなくば、村を焼き払う」と言った。

 長老も、ネルの両親も、もちろんそれには応じず、なぜネルを差し出せと言われるのか分からないまま、家の地下室にネルを隠した。

 村人たちが要求に応じないと悟った黒い鎧の男たちは、村に火を放った。逃げ惑う村人たちを次から次へと切り殺した。平穏だった村が、地獄に変わった瞬間だった。凄惨で無慈悲な叫び声が、地下室の仲間で響き渡り、それを思い出すだけでネルの心臓は、まるで悪魔に握りつぶされたように苦しくなり、涙腺から大粒の涙があふれてくる。

 すると、アルサスがそっと近づいてきて、こわばったネルの両手を、暖かな手のひらで握ってくれた。

「ごめん、ネル。たくさん怖い思いしたのに、また、つらいこと思い出させたね」

 アルサスの優しい微笑みに、ネルは頭を軽く振って答えた。

「しかし、その黒い鎧の男とは一体何者であろうか?」

 トンキチが首をかしげる。

「前に聞いたことがある。裏ギルドに『黒衣の騎士団』と呼ばれる傭兵団がいるって話。やつらは、依頼があれば、どんなに非道なことでもやってのけるらしい」

「依頼か。ならば、誰かが、娘さんの村を襲い、娘さんを攫ってくるように命じた、と言うことかの?」

「ああ。おそらく、センテ・レーバン親衛騎士団だ。センテ・レーバン王国はガモーフ神国との国境を越えられない。ガモーフとセンテ・レーバンは今、休戦協定を結んでいるからね。いたずらに、国境を越えれば『十年前の悲劇』を繰り返すことになる。だから、『黒衣の騎士団』にネルを攫うように依頼したんじゃないかな?」

 アルサスは、あの人攫いの御者ゲモックが口にした言葉を思い出していた。しかも、馬車の行き先はセンテ・レーバンの領内だったことを思えば、奴の口にした「俺のバックには、センテ・レーバンの親衛隊がいるってわけよ」と言う言葉が、ブラフでなかったのだろう。

「しかし、一国の正規騎士団が、違法集団に依頼してまで、どうしてこのような可愛らしい娘さん一人を攫うのじゃ?」

「さあ、それは分からない。ネル、何か心当たりない? 黒衣の騎士団は、どうして君をさらったりしたのかな?」

 アルサスの赤い瞳が、ネルの瞳を覗き込む。しかし、自分が攫われたことに心当たりのないネルは、困ったような顔をして、「ごめんなさい……」と答えるほかなかった。

 あの日、地下室に隠れていたネルは、黒衣の騎士団に見つかり、連れ去られた。燃え上がる炎のなか、村人の屍骸がいくつも転がっていたが、その中に父や母、妹のメルの姿は見つけられなかったことだけが、せめてもの救いだった。その後、ネルは手錠をかけられ、馬車に乗せられた。それが、ゲモックの馬車である。ゲモックの馬車は、「辻馬車ギルド」の乗合馬車に偽装され、いくつかの町を経由しながら、ガモーフの関所を越え、空白地帯へと入った。

 三ヶ月にも及ぶ長い旅路だった。その旅路の間中、ネルが思うことは、自分がなぜ攫われたかと言う理由よりも、故郷の家族が無事であるか、故郷に帰りたいと言う願いだけだった。

「その銀色の髪……」

 不意にトンキチが口を開く。トンキチの黒い(まなこ)は、焚き火の火に照らされたネルの銀髪に注がれていた。

「ガモーフの人間に、銀色の髪をした者はいないはずじゃ。それに、娘さんのその肌の色。まるでセンテ・レーバン人のように白い。のう、娘さんや。あんたは、本当にガモーフの人間か?」

「トンキチ! 突然なに言い出すんだよっ!」

 アルサスが、トンキチを睨みつけて、声を荒げる。

「しかしの、アルサスや。今の話を聞いて、不思議に思わなかったのかの? 黒衣の騎士団は、最初から娘さんを攫うつもりだったようじゃ。娘さんを誘拐した事件が、ただの人買いじゃないとしたら、何か理由があってしかるべきじゃろう? 特に、その美しい銀色の髪、気にはならんのか?」

「それは……そうだけど」

 トンキチが、悪気があってたずねたわけではないことくらい、アルサスにも分かっていた。ガモーフ人の多くは、きれいな黒髪をしている。いや、この世界の何処を探しても、銀色の髪をした人間などいない。ネルの髪は、老人の白髪とは違い、つややかで美しい銀色をしているのだ。そのことに、トンキチが疑問を持っても不思議ではなかった。

「あの、ごめんなさい……わからないの」

 ネルが、声を上ずらせる。

「わたし、小さいころの記憶がないの。お父さんとお母さんは、わたしが小さいころに崖から落ちて、強く頭を打ったから、記憶がなくなったんだって教えてくれました。でも、そうじゃない。わたしは、父と母の子どもじゃないんだって、分かってました。だって、わたし普通じゃないから……。髪の色だって、両親や妹とも、村のみんなとも違う。わたしは、普通の子じゃないんです」

 普通の子じゃない。その言葉は、随分と実感がこもっているように、聞こえた。もしかすると、髪の色が違うことで、ネルは誰かにいじめられた経験があるのかもしれない。それは、想像に難くないが、ネルの十六年を知るのは難しい。

 それでも、アルサスはなぜか、ネルの悲しそうな顔を見ていられなかった。

「だから、わたしの所為で、村の人たちが……。わたしがいなかったら、よかったのに」

 ネルの瞳から、とうとう涙が零れ、アルサスの手の甲に落ちる。

「ネル……もう、この話はやめにしよう。どんな理由で、君が攫われたのかなんて、どうでもいい。知らなくても、いいんだ」

 アルサスの人差し指が、ネルの頬に触れ、零れ落ちる涙を掬った。

「アルサスさん」

「誰かを思って泣けるんだ。髪の色なんて関係ない。君は、普通の女の子だよ。俺たちと同じ。さあ、今日はもう寝よう。ラクシャまでは、ガモーフの関所を越えて、ヨルン平原を渡らなければならない、長い歩き旅になる」

 再びアルサスは優しく微笑むと、その手をネルから離した。その暖かな手に、ネルは少しだけ名残惜しさを感じた。

 それからすぐに、アルサスとトンキチは、あわただしく就寝の準備を始める。アルサスは、ネルのために一枚しかない毛布を、鞄から取り出してくれた。

 ネルにとって、ごつごつした川原の石の上に寝るのも、そもそも野宿をすること自体、初めての経験だったが、嫌ではなかった。

 ネルは毛布に包まり、静かに瞳を閉じた。こんなに安心して眠れるのは、いつ以来ぶりだろう……。この三ヶ月、馬車の中で手錠につながれ、恐怖に怯え、家族の安否を心配して、ぐっすり眠ることなどなかった。

 本当は、アルサスのことを少し疑っていた。突然空から降ってきて、何者なのかも分からない少年に、内心不安があった。だけど、きっとアルサスもトンキチも悪い人じゃない。悪い人の手は、こんなにも安心させてくれるほど、暖かくはない。

 ネルは、涙を拭ってくれたアルサスの手の暖かさ、優しさを思い出しながら、そっと静かに眠りについた。


※2 ドラクマ……この世界で広く使われている通貨単位。ただし、国によって相場は多少ちがう。

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