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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第四章
27/117

27. アルサスとフラン

 暗闇の中で、小さな勉強机に向かう少年は、随分と身なりのいい服を着ているが、まだあどけない顔をしている。ただぼんやりと、それでいて悲しげな顔をして、赤い瞳で見つめる先にあるものが何なのか、それをアルサスは知っていた。なぜなら、その少年は幼少のアルサス本人だったからだ。

「ねえ、どうして戦争は起きるの?」

 六つになったばかりのアルサスが言う。何故そんな疑問が頭に浮かんだのか、よく分からない。ただ、その疑問を胸のうちにしまっておくことが出来なかった。

 すると、どこからともなく声が返ってくる。

「そんなことは考えなくてもいい。戦争は起こるべくして起きている。人間が英知を手に入れたという証なのだ」

 暗がりに姿は見えないが、男の声だ。ひどく重く、腹に響き渡るような声は、どこか怖さを秘めているように感じた。しかし、英知などと言われても、難しい言葉がまだ分からないアルサスには伝わらない。

「だけど、みんなが仲良くすれば、戦争なんて起こらない。そうでしょ?」

 机の上を叩いて、幼いアルサスはさらに問いを重ねる。

「そうだ、しかし人は奪い合うもの……それが正しいか間違っているかは関係ない」

 わずかに、声は震えていた。姿は見えないが、その怖い声は、困っているかのようだった。

「奪い合う?」

「そうだ」

 アルサスの疑問に、再び男の声が答える。

「今、お前の眼前に、お前の好きな菓子がひとつ置いてあるとしよう。今日のおやつはそれひとつしかない。だが、それを別の子どもが横取りしようとする。その時、お前は黙ってその子に、菓子をくれてやることが出来るか?」

 机の上に、アルサスの大好きな、「ワック」という大麦をこねた丸型のクッキーが置かれる。白い砂糖がふりかけられたワックからは、甘く香ばしい匂いが香り立っていた。

「できない……かもしれない」

 アルサスは思わず伸ばしかけた手を収める。

「このワックが、土地や財産、人の命だったとしたら、誰もそれを譲ることが出来ない。そうして、戦争が始まる」

「でも、でもっ、ぼくは、ワックを半分こにして、その子に半分あげるって言うよ。そうしたら、相手もわかってくれる。一緒にお菓子を食べようって」

 そう言って、机の上の菓子を半分に割った。いつもはきれいに割ることが出来ないのに、その時はきれいに半月が二つ出来上がった。

「ならば、あえて問い返そう。相手が、言葉の通じない子どもだったらどうする? 端から、お前の菓子を奪いたいと思っていたらどうする? 人間は、価値観や生きてきた環境、見ているもの、あらゆるすべての事象において、分かり合うことはできない、不器用な生き物なのだ」

 姿なき男の声は、少年の胸に突き刺さる。じっと、半分に割られた菓子を見つめ、そして小さく声を上げた。

「でも、ぼくは……」


「ぼくは、それでも戦争したくない!」

 自分の声でまさか目を覚ますとは思っていなかったアルサスは、一気に上体を起こした。あたりは、薄暗いエントの森。しかし、木々のざわめきは聞こえなかった。どのくらい気を失っていたのか、ここは広大な森のどのあたりなのか? 体中がキリキリと痛む。それ依然に、体中から冷たい汗が噴出している。

「『ぼく』ねえ……」

 すぐ傍で声が聞こえた。アルサスは慌てて、周囲を見渡す。すると、茂みががさがさと揺れた。また、エントが現れたのかと、思わずアルサスは身構えた。しかし、鞘に剣がない。エントに連れ去られた瞬間、剣を落としてしまったのだろうか。

「わたしよ、わたし」

 茂みが半分に割れて、顔を出したのは、フランチェスカだった。浅黒い顔には、少しばかり安心したような笑顔があった。

「なんだ、脅かすなよ、フラン」

 ほっと胸をなでおろす。見れば、フランチェスカは、アルサスの剣を手にしていた。

「そんなつもりはなかったんだけど……。辺りを調べていたのよ。随分奥地に連れ込まれたみたい。あ、アルサスの剣、借りたわよ。はい、返すわ」

 そう言って、フランチェスカはアルサスの剣を逆手に持ち替えて手渡す。剣身に刻まれた魔法文字の刻印に、少しばかり草木の汁が付着しているところを見ると、本当にあたりを散策してきたようだ。

「随分うなされていたようだけど……?」

「昔の夢を見てた。それだけだよ。あんまりいい思い出じゃないからな」

「ふうん」

 と返す、フランチェスカは意味深な視線を向けてくる。女性にそんな目で見られることになれていない、アルサスは思わず視線を逸らした。

「気にはなっていけれど、あなた、一体何者なの? その剣、レイヴンが持つにしては随分立派な剣よね」

「はあ? 何だよ突然。こいつは、依頼料のカタにもらったんだよ。俺は、ただのレイヴンだ。それ以上聞くな」

 受け取った剣を腰だめの鞘に戻しつつ、軋むような体を立ち上がらせた。フランチェスカの気遣いなのか、柔らかな草の上に寝かされていたことに、ふと気づく。

「そうだ、ネルたちは?」

 その辺にでもいるのだろう。エントに襲われて、気を失ってしまったなんて恥ずかしいな、などと思いながらアルサスは尋ねた。すると、図ったかのようにフランチェスカの顔が曇る。

「この辺りにはいないわ。エントたちに連れ去られたんじゃないかしら……」

「何だって!? どうして、それを早く言わないんだっ! すぐに探すぞっ!!」

「探すって、何処を? 森は広いのよ、闇雲に歩けば、わたしたちまで迷子になってしまうわ。こういうときは、動かないのが鉄則。幸い、ネルちゃんはルウと一緒のはずよ。あの子達が無事なら……」

 アルサスの傍に立てかけておいた、鉄槍を手に取り、フランチェスカが窘める。

「無事だって保障は何処にある? ルウが言ってたじゃないか、エントはまだ未確認の魔物なんだ! もしも、ネルを攫った理由が、捕食のためだったらどうするつもりだ!?」

 あからさまに青い顔をするアルサスは、フランチェスカの制止も聞かず歩き出す。

「どうして、そんなにムキになるのよ。ああ、さてはあなた、ネルちゃんのこと……」

 アルサスの背中に向かって、フランチェスカはニヤリとした。何かに思い至ったのなら、言えばいいのに、意味深に笑い、それ以上言葉にしない。アルサスは、怪訝な顔をしつつ振り返った。

「さては、何だよ?」

「何でもないわ。だって、聞いても答えてくれそうにもないし……」

 そう言うと、フランチェスカは何食わぬ顔をして、アルサスを追い越し先導し始める。

「食えない女だな。そういうあんたはどうなんだよ。あんなに簡単に、ギルド・リッターを辞めて良かったのか?」

 アルサスはフランチェスカのしなやかな黒髪を追いかけながら、問いかけた。ここまで、一度も切り出さなかったことだ。本人は、あっけらかんとしてアルサスたちに同行している。下心や企みがあるようなそぶりは見せていないが、アルサスの疑念がそれで晴れたわけではない。

「べつに、未練がないとは言わないわ。ただ、政治家の言いなりになるようなギルドに、こっちから三行半を突きつけただけよ。それにしても……分からないことだらけね」

 絡み合う蔦を、器用に槍の穂先で払いのけながら、森の奥へと分け入るフランチェスカ。「分からないこと?」と、アルサスが聞き返すと、フランチェスカは後ろを振り向かないで答えた。

「だって、そうじゃない。おそらく、センテ・レーバンは何かしらの目的のために、あの子、いいえ、あの子が持つ力を欲している。あなたたちの言う、奏世の力ね。だけど、ハイ・エンシェントもガモーフ神国もあの子を殺そうとしているのは、納得がいかないわ。わたしはまだ、信じてはいないけれど、あの子が『銀の乙女』だと言うなら、ベスタを国教とするガモーフは、あの子を護りこそすれ、命を狙う道理などない」

「確かにな。いや、ネルがガモーフに命を狙われてるなんて、あんたの話を聞いて始めて知ったくらいだ。あいつは、俺やあんたの知らないところで、欲されて、狙われている。本人でさえ、自分が世界の命運を握る鍵だって事を、まったくわかっていない」

「世界の鍵?」

「センテ・レーバンがもしも、ネルの力を手にいれれば、戦争が始まるかもしれない。少しずつ、ゆがみが生じているこの世界が、ネル一人によって、戦争と平和、そのどちらにも転がりかねない」

「この分だと、ガモーフもその危険性を認識しているかもしれないわね」

「そう。だけど、あいつは口には出さないけれど、まだ三ヶ月前の事を引きずってるんだ」

 アルサスも蔦を払いのけながら、頭の片隅で、ルミナス島への航路での出来事を思い出していた。星空を見上げながら、潮風に涙を流すネル。自分の所為で、村の人たちが、家族がひどい目に遭わされた。いっそ自分なんかいなければいいのに。きっと、アルサスが空から降ってくるまで、「運び屋」の馬車に繋がれて、そんなことばかり考えていたに違いない。

「センテ・レーバンが……いや、ライオット・シモンズが欲しがる『奏世の力』、そして、ハイ・エンシェントやガモーフが殺そうとする『銀色の乙女』。あいつの肩にはその両方が重くのしかかっているんだ。ウェスアで、真実なんて知るべきじゃないと、ウルドは言ったけれど、知らなければ、あいつは前に進めない。あいつが前に進むことが出来たら、世界はいい方に向かうと思ってる。たとえ、その答えを知って、後悔したとしても、ネルなら、迷ったり挫けたりしない」

「アルサスは、まるでその答えってやつを知っているみたいね」

「知らない。知らないから、こうして旅をしてるんじゃないか」

「ふうん。まあ、そういうことにしておきましょ」

 フランチェスカが含みのある笑いを、こちらに向けてきた。アルサスは、それに気づいていないフリをして、行く手をさえぎる蔦を切り裂いていく。

「なんにせよ、俺たちで、ネルを守ってやらなきゃいけない。これでも、あんたの槍の腕前、期待してるんだ」

「あら、嬉しい。信用してくれてるのね。ご期待に沿えるよう、お姉さん頑張るわ」

 それ以降、会話も途切れ一心不乱に蔦を分けていくと、唐突に蔦の茂みがなくなり、少しだけ開けた獣道が現れる。獣道は、アルサスたちの前を横切って、まっすぐ森の深部へと通じているようだった。

「足跡があるわ……女の子の靴跡かしら」

 獣道に沿って、点々と地面に刻まれた足跡に気づいたフランチェスカはしゃがみ、指先で足跡をなぞった。

「ネルの足跡か?」

「いいえ、少なくとも、数ヶ月は経ってる。ほら見て、泥が乾いてる。きっと、この道をまっすぐ、森の深部へ入っていったのね」

 フランチェスカは立ち上がって、いつもそうするように、鉄槍の穂先で、足跡の向かった先を指し示した。闇へと吸い込まれるように、長くのびる獣道。一体そこで何があったのか、知る術はない。

「あれは……」

 ふとその道の真ん中に、何か光るものが落ちているのに気がついた。アルサスは剣を鞘にしまうと、早足で駆け寄り、そっと土に埋もれかけたそれを拾い上げた。わずかに湾曲した飴色のべっ甲飾りに、止め具が取り付けられたバレッタ(髪止め)だ。

「これ、カチュアの鎖ね」

 と、アルサスの横から顔を覗き込ませたフランチェスカが、バレッタの飾りの表面に、丁寧な彫りで刻まれた、特徴ある鎖模様を指差す。

「カチュアの鎖って、ネルの服に描かれているカチュアの模様のことか? じゃあ、こいつはラクシャ村の民芸品かなにか」

「かも知れないわ。地図の上だと、ここからラクシャへはそう遠くないはずよ。もしかすると、これを落とした女の子は、ラクシャ村の子かもしれないわね」

「ネルなら何か知っているかもな」

 アルサスはそう言うと、もう一度バレッタに刻まれた模様を眺め、それをズボンのポケットにしまいこんだ。

「また、いやな気配がするわ」

 不意に、フランチェスカが言う。足跡や、バレッタに気を取られて、気づいていなかったが、不気味な気配と、木々のざわめきがアルサスたちを取り囲んでいた。

「エントか。もしかすると、森全体がエントで出来ていたりしてな」

 再び鞘から剣を引き抜き、身構えつつ、アルサスが言う。冗談を言うにしては、不釣合いな緊迫した空気が張り詰めているが、フランチェスカはそれに応えるように、小さく笑った。

「あながち、外れじゃないかも。背中は任せるわ。一気に畳み掛けて、この場を立ち去りましょう。また、どこかにつれて行かれる前に」

「がってん! 来るぞ、フランっ!!」

 アルサスの掛け声と、ほぼ同時に先ほどと同じように、不気味な気配は樹木の食指を伸ばし、アルサスとフランチェスカに襲い掛かった。

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