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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第四章
26/117

26. エントの森へ

 ヨルン平原での、悲劇。その命の代償として、停戦協定を結んだ三国は、戦争を止め自国の復興にその歳月を費やした。しかし、最初の五年は、すでに軍隊としての様相を失っていた騎士団の再建に努力した彼らも、その役目が終わると同時に、鬱憤(うっぷん)をもらすようになった。そもそも、騎士団は剣と盾を持って、戦うことを生業としているのだ。そこに正義如何があるなしに関わらず、そういうものなのだ。

 とくに、剣と盾を以って、八百諸侯を纏め上げたと言う自負のあるセンテ・レーバン騎士団の鬱憤は、想像を超えていた。中には、貧困に喘ぐ辺境の農民を駆り立てて、「一揆」を起こすなど、野蛮な騎士もいる。無論、騎士の憂さ晴らしにつき合わされ、農民たちには同情を禁じえないが、騎士にしろ農民にしろ、平和であることを享受できないということは、忌々(ゆゆ)しきことである。

 悲劇が生んだ安寧の時間。それが仮初(かりそめ)の平和であることを、誰も理解していない。この平和は永遠に続きはしない。すでに、その日はやってこようとしている。せめて、一時の平穏を楽しむことも出来ない人間は、とても憐れではないか。

 そんな中、騎士団の中にあって、騎士の務めは国を守ること、と多少浮き足立つ騎士団を冷静な目で見つめる若き騎士がいる。親衛騎士団の、クロウ・ヴェイルである。

 彼は、もともと王国に仕えた名家ヴェイル家の嫡子。クロウの父親は、ヨルン平原での戦いにおいて、前線の部隊を率いた、ホーク・ヴェイルである。常に勇猛果敢にして冷静沈着、配下からの信頼も厚い男だった。クロウは、父親の資質を存分に受け継いでいると言えるだろう。

 だが、ライオット・シモンズは、彼の有能さにはまったく目もくれず、「没落した家の息子」「使ってやるだけ、ありがたく思え」などと、傲慢な態度を取る。

 その日も、ライオットの執務室に呼びだれた、クロウはライオットの見下すような視線を、静かに受け流していることに、ただ一人、メッツェは気づいていた。

「然るに、ファレリアのボレウス公爵は、領地の安定化が促されないのは、王国の怠慢であると抜かし、兵力を蓄えている。これは、反乱の兆しありとシオンさまは仰った」

 ライオットの蛇のような目つきが、クロウの顔を捉えている。そんなライオットに、クロウは抑揚のない言葉で「シオンさま、がですか?」と問う。

「左様である。フェルトさまが不在である以上、シオンさまが次王になられる。その儀も、すでに準備を整えつつあることは、クロウ、そなたも知っていることであろう」

 クロウが尋ねたのは、そういうことではない。だが、受け流すと言うよりは、ライオットには質問の意図を読みこなせていないのだろう、とメッツェは部屋の隅から二人を俯瞰しつつ、思った。

「それで、ライオットさま。わたくしめをお召しになられた理由をお聞かせ願いたいのですが」

「話は単純だ。兵三千を与える故、ボレウスを逮捕してくるのだ。無論、ボレウスの生死や、ファレリアの住人の命は問わん。そなたにとっては、ヴェイル家の汚名を返上する、良い機会だと思うが?」

 いやらしく、相手の弱みを笑うその顔にも、クロウは動じることはなく、いたって冷静に、抑揚を見せないように、

「我が一族に機会をお与え下さることは、大変光栄なことと存じます。しかし、我らは親衛騎士団。王家を(まも)ることが務めです。すでに、部下たちからも不平の声が上がっております」

 と、返した。すると、ライオットの顔色が変わる。明らかに「気に入らない」と書いてあるようだ。

「断ると申せば、永久に失地回復は望めないぞ。そもそも、誰のおかげで、親衛騎士団にいられると思っているのだ? ヨルンでの失態の責任を負わされ、国賊同然となったヴェイル家を救ってやったのは、誰だ? それに、戦うしか能のない、騎士団に戦いの場を与えてやろう、と言うのだ。ありがたく思いこそすれ、断る道理はないであろう」

 自分の言い分だけを相手に押し付ける。宰相という立場を利用して、上からものを言う姿勢を、快く思っている人間などそうはいないだろう。しかし、相手はシモンズ家。ヴェイル家にとっては、頭の上がらない相手なのだ。クロウの答えは、ライオットにも、そしてメッツェにも分かっていた。

「拝命いたします。ただちに、軍備を整えて、ファレリアへと向かいます。吉報をお待ちくださいませ」

 クロウは深々と頭を下げた。背中のマントがひらりと翻り、悔しさに固く結んだ彼のこぶしを覆い隠したことなど、ライオットは気づいていなかった。

 クロウが執務室を後にし、その足音が聞こえなくなると、ライオットは溜息を吐き出し、窓の外を見やった。眉目に刻まれたシワがよりいっそう濃くなる。

「クロウめ、口ごたえしようとはな。使えるヤツだから、使っているだけのこと。ヤツめ、そのことに気づいていないのか?」

「さあ、それは分かりかねます。人の心の内は、読めないものですからね。ボレウス公爵にしてもそうでございましょう」

 メッツェは部屋の隅から、ライオットの前に歩み出て、ライオットの見つめる窓外へと視線を投じた。いつもと変わらぬ、アトリアの峰と広がる王都の城下町。ライオットは、それを我が世と見つめているに違いない。

「反乱の兆しは読めなかったのか?」

「読めていれば、このような事態にはなりませんでした。閣下、起きてしまったことより、これからの事を算段するべきでしょう。ガモーフ国領に入った、銀色の娘とレイヴンの行方は、ウェスアを最後に(よう)として知れません」

 メッツェの言葉に、ライオットは振り返る。

「厄介なことよ。黒衣の騎士団のギャレットからは何の連絡もないのか?」

「それが……先日のウェスア大司教の一件以来、ガモーフはエーアデ通信に妨害(ジャミング)を入れているようで、連絡がつきません」

「ギャレットめ、目をかけているというのに、成果を挙げられんとはな。シオンさま即位の日は近い……、それまでに、ボレウスの反乱を制圧し、なおかつあの娘を我が手中に収めねばならん」

 ライオットの苛立ちは、机の縁を小刻みに叩く人差し指に顕われていた。

「承知しております、閣下。彼らの行き先が、私の予想と同じならば、彼らは、近いうちにハイゼノンへ向かうはずです」

 ライオットの苛立ちを目の端に捉えながら、メッツェは確信めいた口調で言った。ライオットはいささか驚いたように、目を丸くして指先の動きを止める。

「ハイゼノン? 城郭都市ハイゼノンか?」

「ええ、彼らがセンテ・レーバンへ向かえば、ことは容易くなります。よく言うではありませんか、飛んで火にいる夏の虫と。クロウの采配を持ってすれば、ボレウス公爵の反乱は数日のうちに収められるでしょう。その後、クロウ隊は、ハイゼノンへと向かわせます。ファレリアからなら、とても近いですから」

「そうか、任せる。わしは、シオンさま即位の準備に忙しい。ガムウの時のような失態は見せんでくれよ」

「ご期待に沿えるよう、努力いたします」

 メッツェは、クロウがそうしたのと同じように、ライオットに向かって、深々とお辞儀した。


 クァドラ山脈の山道を下れば、その道は吸い込まれるように、漆黒の森へと入っていく。エントの森。エントとは、樹人と呼ばれる魔物の名であり、幾度となくこの森で樹人の姿が目撃されたため、その名がついたと言われている。

 確かに、森は不気味なほど鬱蒼(うっそう)としていた。アトリアの森が森林と呼ぶのなら、エントの森は密林と呼ぶのがふさわしいか。一歩森に入れば、まだ昼過ぎであるにも関わらず、太陽の光が一切入ってこないほど、木々が頭上に覆いかぶさっている。足元には、蔦や木の根が張り出し、油断すれば足元をすくわれかねない。現に、ネルはすでにニ、三度、根に足を取られて地面と仲良しになりつつある。

 険しさだけで言うのなら、それは、アトリアの森を悠に超えるほどで、森に入って小一時間、あてどなくさまよえば、アルサスたちの体力と精神力をことごとく奪っていった。

 そもそも、ウルドから示された目的地は、エントの森という漠然とした目標だった。エントの森といっても、何クリーグにも及ぶ、広大な森林地帯。そのどこへ行けばいいのか、具体性のない目的地は、徐々にアルサスたちを苛立たせた。

「この森のどこへ行けばいいんだよ?」

 目の前に垂れ下がる、蔦を剣で切り裂きながらぼやくアルサスの後ろで、ネルが再び派手な音を立てて転ぶ。くじいた足の痛みは治っているものの、どうにも患部を庇って歩くクセがついたらしく、山育ちには似合わないほど、足元かおぼつかない。

 アルサスは剣を逆手に持ち替えて、ネルの手を取り立ち上がらせる。

「大丈夫か? 気をつけて。また足をくじかないように」

「は、はい。大丈夫です! 少しだけ、森を歩くのにも慣れてきましたから」

 ニコニコと笑って返すネル。だが、泥だらけになったスカートの裾を見れば、とてもなれたようには見えない。

「アルサス、何か不気味な気配がしない?」

 唐突に、フランチェスカが言う。彼女は、ぐるりと森を見渡し、警戒心を眉間に集めていた。ネルを助け起こしたアルサスは、ネルの手を離しつつ、フランチェスカに倣って、周囲を見渡してみる。鬱蒼と覆い茂る木々。時折「ゲーッ!」と奇妙な鳥の鳴き声が薄暗い森に響き、ともすれば迷子になってしまいかねない自然の迷宮は、それだけで不気味さを演出している。

 しかし、その不気味さの中に、確かに、一点だけ妙に生々しい気配を感じる。ヴォールフか、それとも野犬か。こんなところで襲われでもしたら、ネルを護ってやることが出来ないかもしれない。

「ちがう。これは、獣の息遣いじゃない……」

 フランチェスカはそう言うと、物音を立てないように、槍の穂先を覆う鞘を外した。アルサスは、三人でネルを護るように円陣を組むよう、ルウに目配せをする。

「獣の気配じゃないって、まさかエントとか言わないよね!? だって、エントを本当に見た人は誰もいないんだよ。学校の図書館の本にも、『エントは、未だ確認されていない、謎多き生き物である』って書いてあったもん!」

 魔法杖を構える、ルウが珍しく怖がっているようだった。

「もしかして、怖いのですか?」

 ネルとしては、そんなルウの事を心配して言ったつもりだったが、そう言われれば、自尊心にかけて、ぐっと胸をそらし「こ、怖くなんかないよっ!」と強がって見せるルウ。

 と、その時である。森の木々が風もないのに、不自然にざわめく。

「来るわよ! みんな、構えてっ!!」

 フランチェスカが一際声を張り上げた。この間まで、ギルド・リッター実働隊の隊長であった彼女らしく、よく通るその声が響き渡った瞬間、ざわめいた木々が一瞬だけ、しんと静まり返り、不気味な気配は頂点に達した。

 静寂が破られる。枝葉が揺らぎ、鳥の鳴き声によく似た泣き声が響き渡ったかと思うと、その枝葉が、あちらこちらから伸びてきて、アルサスたちに襲い掛かった。

 まるで生き物が飛び掛ってくるが如く、うねりを帯びて、緑が迫ってくる。

「何あれっ!!」

 と、ルウが悲鳴を上げたのも無理はない。まるで木々が腕を伸ばし、アルサスたちを捕らえようとしているかのようで、恐怖と驚愕は誰しもが感じていた。

 それでも、アルサスは剣を振るい、枝葉の食指を切り落とす。生き物のように動いてはいるものの、それは樹木に変わりはない。鋭い刃にかかれば、軽く両断される。フランチェスカも、鉄槍をまるでバトンか何かのように、ぐるぐると振り回し、絡めとろうとのびてくる枝を払いのける。

「ぐぐっ、ボクだってっ!!」

 ぶるぶると、頭を振り、恐怖をふるい落としたルウは、ずれた眼鏡を戻しつつ、魔法の呪文を口にする。

「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の盾となれ……フランメ・バックラー!」

 魔法杖の先端が輝きを帯びると、たちまち火炎のヴェールがアルサスたちを包み込む。樹木には炎。着眼点は間違っていなかった。枝葉は、まるで獣が怯えるかのごとく、しゅるしゅるとひるむ。

 だが、喜ぶのもつかの間。魔法の盾は、持続時間が短い。魔法の効果が切れるや否や、一度はひるんだ枝葉は再び勢いを取り戻した。

「こうなったら、一気に()してやるっ」

「待て、ルウ! そんなことしたら、森が丸焼けになっちまう!! 俺たちも無事じゃ済まされないぞ!」

 怒り心頭と、叫ぶルウを慌ててアルサスは止めた。その声を、その言葉の意味を理解しているとでも言うのか、枝葉はここぞとばかりに大挙を押して、アルサスたちを瞬くうちに包み込んだ。

 葉っぱが顔中に張り付いて視界をふさぎ、しなりを帯びた枝や蔓が、体を打ち据える中、アルサスは、手探りでネルの手を探した。こつん、としなやかで細い指先に触れる。ネルの指だ! アルサスは必死でその手を掴もうとしたが、腹や足首に巻きついた蔓が、予想以上に強い力で、アルサスの体を引っ張った。ネルの手がほどけていく。

「アルサスっ!!」

 視界が深い緑一色に包まれる中、最後に聞いたのは、ネルの呼び声だけだった。

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