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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第四章
25/117

25. ヨルンの悲劇

 クァドラ山脈は、ガモーフ神国の中央部に横たわる。ガモーフの人々は、クァドラ山脈より北を「北部」と呼び辺境扱いする習慣があった。実際、ガモーフの北部にはそれほど大きな都市は存在していない。あるのは、ヨルン平原と呼ばれる広大な平野と、エントの森などの森林地帯。その奥には、隣国センテ・レーバン王国との国境を隔てる、アトリア連峰が(そび)え立っているのだ。

 ちなみに、ここで語るべきことではないのだが、ネルが暮らしていた酪農の村「ラクシャ」も、このクァドラ山脈より北に位置していることを付記しておきたい。

 ウェスアを後にした、アルサスたちはまず、エントの森へ向かうために、クァドラの山道を歩いた。クァドラ山脈は、標高の高い山々で構成されてはいない。そのため、穏やかな気候と相まって、その旅は終始穏やかであった。

 死を覚悟したウルド大司教の姿に、一時は気を落としかけたネルだったが、新たな随伴者となったフランチェスカは、予想よりも明るくよくしゃべる女であり、減らず口のルウとともに、大いに明るい雰囲気を作ってくれたため、アルサスの心配は取り越し苦労に終わった。

「クァドラの山道なんて、もう随分使われていないからねえ」

 と、道端に生え広がる、白い花をつけた野草の群生を横目に、感慨深そうに言うフランチェスカの右手には、穂先を鞘で包んだ鉄槍が握られていた。別れ際、ベイクが細剣の代わりにと、フランチェスカに手渡したものだ。武器を選ばない、と言うのがフランチェスカの信条であり、すでに時折山並みの影から姿を現すヴォールフの前で、その華麗な槍さばきを披露している。

 あの時、ウェスアの丘で、フランチェスカと剣を交えることになっていたら……想像するだけ、ゾッとしてしまう。

「フラン、ひとつだけ聞いてもいいか?」

 アルサスは、そんなフランチェスカの武術の腕前を思い浮かべながら、ふとした疑問を口に出した。少し前を歩くフランチェスカは、ニコリとしながら浅黒い顔をこちらに向けてくる。

「なあに、改まって。わたしのスリーサイズなら、ご想像にお任せするわよ、ぼ・う・や」

 自らの唇に小指をあてがって、淫ぴな口調のフランチェスカに、アルサスは顔を真っ赤にする。「あ、アルサス赤くなってる!」とルウがそれを冷やかしたのは、言うまでもない。

「違うっ! あんたこの間、十年前に軍属を退いたって言ってたよな」

 ルウに拳骨をお見舞いしながら、アルサスは続けた。

「ええ、そうよ。ダイムガルド正規軍の末端にいたの。懐かしいわ……」

「ということは、あんた、今いくつなんだ?」

「あら、軽々しく女性に年齢を聞くものじゃないわよ。まあ、想像より若いかしら。今年で、二十七。そろそろ、優しい旦那まが欲しい年頃よ。だから、正規軍にいたときには、今のあなたと同じくらいの年頃だったわ。そう、ちょうどネルちゃんみたいに、可愛かったのよ、これでも」

 フフッと笑いながら、フランチェスカの視線は、アルサスの傍に寄り添うネルに向けられた。あれから幾日かが過ぎ、くじいた足もすっかり治ったのか、山育ちの健脚はしっかりと地面を捉えている。

「そ、そんなこと! フランさんは、今でも十分美人ですっ!! わたしも、フランさんみたいになりたいです」

「あらま! 嬉しいこと言ってくれるわね」

 ネルの言葉に、フランチェスカは上機嫌、と言った具合に鼻を鳴らした。もちろん、ネルの言葉に裏はない。お世辞は苦手な娘なのだ。

「でもさ、でもさ。十年前に、どうして軍隊を辞めちゃったの? フランお姉ちゃんくらい強かったら、きっと今頃は将軍さまになってるかもしれなかったのに」

 ルウの言葉に、隣でうんうんと頷いたアルサスは、

「確かに。将軍は大袈裟でも、あんたのその武技なら、高い位に上り詰めるのも、夢じゃなかっただろう?」

 と、鉄槍を指差した。柄まで鉄で作られた長尺の鉄槍は、それを振るうだけでも、強靭な腕力を要する。ベイクのように、筋肉に包まれた腕の持ち主なら分からなくもないが、ネルほどではないにしろ、フランチェスカの腕は華奢だ。そんな彼女曰く、コツさえ掴めば、武器を振るうのに腕力は必要ないというのだ。

 そんな事を軽々しく言ってのけられるフランチェスカの槍さばきは周知であるし、それを差し引いても彼女が、女だてらにギルド・リッターの小隊長を務めている事を鑑みれば、軍属においても、屈強な戦士たちを追い抜くのは容易なことのように思えた。

「それは、わたしにとって、出世が夢じゃなかったってことね。それに、軍属を辞めたのは、もっと別の理由……」

 そう言って、フランチェスカは歩きを止めた。彼女の前髪が爽やかな風にあおられ、漆黒の瞳が静かに眼下を捉える。そこは、ちょうど両側に広がる山のみねが切れたところで、張り出した岩の上に立てば、広大な草原を見下ろせる、自然の展望台になっていた。

「ヨルン平原……」

 岩の縁に立ち、槍の穂先で指し示す、広大な草原。ガモーフ神国の北部の大部分に広がる、あまりにも広大な

草原は、その全景を両目に収めることは敵わない。

「十年前、わたしはあそこにいた」

 まるで、思い出話でもするかのような、遠い目をするフランチェスカの顔は、ある一点を見つめていた。草原の中心、そこだけ何故か大きくくぼ地になっており、周りの草原とは違い、茎も生えず黒い土をむき出しにしていた。何かが衝突した後、いや、爆発した後のようなその場所は、「墓標の地」と呼ばれていた。

「あそこって、墓標の地にいたのかよ!? ってことは、まさか、『ヨルンの悲劇』に?」

 アルサスは、珍しく驚きを言葉に乗せて、フランチェスカの横顔を見やった。やや、自嘲するように、フランチェスカは笑う。

「そう、その当事者の一人よ……」

「あ、あのっ。『ヨルンの悲劇』って何なんですか?」

 不意にネルが、手を挙げる。この世界に生きていれば、その名を耳にすることは少なくない。だが、当時、アルサスもネルも六歳になったばかりの子どもだったし、ルウにいたっては、図書館の本で得た知識こそあるが、まだ生まれたての赤ん坊だった。しかも、辺境の地に暮らしていた、ネルにとっては、なおさらその実態を知ることは出来なかっただろう。

「あまりいい思い出じゃないけれど」

 ネルの質問に答えるように、フランチェスカは、そう前置いて、十年前の記憶を語り始めた。


 話は十年前にさかのぼる。この世界には、三つの国があった。八百諸侯を束ねる連合王国「センテ・レーバン王国」。ベスタ教を宗主とする宗教国家「ガモーフ神国」。そして、砂漠の中心に豊富な鉱物資源を有する鋼鉄国家「ダイムガルド帝国」。

 三つの国が、戦争を始めた理由については、定かではない。数百年ほど前から、何度も戦争と休戦を繰り返してきた。時には、一年足らずで、休戦したこともあったし、二十年近く戦乱に明け暮れたこともあった。しかし、十年前には、確かに三つの国は、互いに(しのぎ)を削る戦争の真っ只中にあった。

 長きに渡る戦のために、三国の軍隊はそれぞれに疲弊し、決戦の時を待ちわびていた。その決着の瞬間が訪れたのは、期せずして、十年前のヨルン平原であった。最初に、国境を越え、ガモーフ国領のヨルン平原に進駐したのは、センテ・レーバン軍であった。

 ヨルンの平原には、二国の国旗が翻り、互いにアトリアの麓と、クァドラの麓に陣を張ってにらみ合ったものの、互いの様子を伺うだけで、こう着状態が続いた。遅ればせながら、ダイムガルド軍が南よりヨルン平原に姿を現したのは、それから半月あまりが経った頃。黄金の鎧に身を包んだ、ダイムガルド軍。その末席に、まだ十七の少女あった、若き日のフランチェスカの姿もあった。

 戦線が動く。こう着状態が終わり、三つ巴の様相を呈するに違いない。

 もしも第三者的な立場で、その戦場を俯瞰していたものがいたとしたら、おそらくそう思ったであろう。しかし、戦局は思わぬ方向に動いた。ダイムガルド軍は、ガモーフ軍と結託し、センテ・レーバン軍に攻撃を仕掛けたのだ。

 だが、数では圧倒的に勝る、センテ・レーバン軍。三つの国の軍隊は、弓矢と剣戟、そして魔法弾の飛び交う中、ヨルン平原の中心でもみ合い状態となった。そして、半時もしないうちに、ガモーフ、ダイムガルド連合軍は、劣勢に追い込まれることとなる。

 その時である……。


「わたしは、その時部隊の最後方で、センテ・レーバンの別働隊と戦っていたの」

 フランチェスカが槍の穂先で指し示した方角は、ヨルン平原の西の端。ここからでは空気にかすんで見えないが、空白地帯とガモーフを結ぶ関所がある方角だ。当時、戦線は何百クリーグにもおよび、ヨルン平原の中心「墓標の地」で戦っていた本隊以外にも、たくさんの分隊がぶつかり合っていた。

「別働隊って?」

 尋ねるルウに、フランチェスカは思い出すのも辛いといった顔をして、「黒騎士団よ」と答えた。

「黒騎士団って、あのシャドウズの前身になったっていう、センテ・レーバンの部隊か……」

「あら、アルサス、よく知っているわね。センテ・レーバンでもシャドウズを知っている人間は、ごく限られているはずよ」

「そりゃあ、まあ、あれだ。情報がものを言う、レイヴンの端くれだからな」

 小さくアルサスは笑う。苦笑とも微笑ともとれるあいまいな笑顔に、その横顔を目の端に捉えていたフランチェスカは気づいていた。だが、「そういうことにしておきましょう」と、あえて心の中に留め置き、話を続けた。

「わたしのいた部隊は、黒騎士団に取り囲まれて、劣勢だった。隊長たちは、次々と戦死していき、まともに立っていられたのは、わたしを含めて数人だけ。その時は、死を覚悟した。でも、突然。そう、本当に突然、あの場所で、光はまっすぐ上から降ってきた……ように見えたわ」

 墓標の地と呼ばれる、その直上に降り注いだ、辛辣(しんらつ)なまでに眩い光。その瞬間、激しい爆音と土埃、さらには吹きすさぶ爆風が、フランチェスカたちを見舞った。

 何が起きたのか、それすら理解することも出来ず、フランチェスカの華奢な体は一気に吹き飛ばされて、意識を失った。

「気がついたときには、戦争は終わっていた。三国合わせて、二百万人の命が失われてね」

「ニ百万人ですか……」

 フランチェスカの言葉に、ネルが青ざめた顔をする。十年前、ここから見下ろすあのくぼ地で起きた、爆発のために、二百万人の命が奪われたと言うのなら、その墓標は、二百万の人たちの墓標なのだ。

「魔力の暴発、新兵器、神さまの怒り、色々な噂話が流れたわ。中には、『神々が争い合った黄昏の時代に、神さまが使った武器が爆発した』なんていう、実しやかな噂まで流れた。戦場伝説ってヤツね。結局のところ、あの光と爆発が一体なんだったのか、それは今でも分からない……。ただひとつ、確かなのは、あの戦場で、一瞬のうちに、二百万もの人の命が消えたってことよ」

「それで、フランお姉ちゃんは軍隊を辞めたの?」

 墓標の地を見つめながら、ルウが問いかけた。それに答える、フランチェスカの言葉は、あまりにも客観的すぎて聞こえた。

「そうね。あの戦いは、あまりにも悲惨すぎたのかもしれない。二百万の命が奪われたなんて、悲劇というしかない。そんな悲劇を目の当たりにしたら、戦争屋である軍隊なんかにいられなくなっちゃったのね、きっと」

 今でも、あの時のことが、夢であったなら、フランチェスカは言外にそう言っているようだった。しかし、十年の歳月を経て、ふたたび見下ろすヨルン平原。そこには、抉られた巨大なくぼ地が、確かに存在していた。あれは、夢でもなんでもない。ここでたくさんの人が、一瞬で命を奪われた。それが、現在、三国が結んでいる表面的な停戦関係だとしたら、あまりにも悲しすぎるような気がしてならないのだ。

「さて、お姉さんの昔話はここまでよ。エントの森まではまだまだ時間がかかるわよ。この辺りは、夜になると、魔物も出没しやすいわ。はやく行きましょう」

 踵を返し、岩場を後にするフランチェスカの顔には、元通りの笑顔があった。

「ヨルンの悲劇か……」

 アルサスは一人、もう一度だけ、墓標の地に目をやると、人知れず呟いた。

 そよそよと、ヨルン平原の草原(くさはら)を駆け抜けた風が、クァドラの尾根を上り、アルサスの前髪を吹き上げる。この風は、十年前にもこの草原を駆け巡っていたのだろうか。すべての歯車が、十年前を境に少しずつおかしな方向へ進み始めた。だから、人々は、昨今の貧困や飢饉を「ヨルンの悲劇」の所為にしたがるのだ。だが、果たしてそれが真実なのか、知っているのはおそらく、この風だけなのかもしれない。

「おーい、アルサス! 置いてくわよ!」

 すでに山道を下りはじめた、フランチェスカが振り返りながら、アルサスを呼んだ。アルサスは、はっと我に返り、フランチェスカたちの後を追いかけた。

 うねりながら下っていく山道の先、目を凝らせばかすんだ風景の奥に、かすかに漆黒の森が見える。エントの森……それこそが、アルサスたちの目指す場所だった。

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