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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第三章
24/117

24. フランチェスカの微笑み

 街医者が言ったとおり、地下水道はウェスアの北にある、丘のふもとまで続いていた。幸い、追っ手が迫ってくる様子はなく、難なく出口までたどり着くことが出来たのだが、出口も入り口と同様、鉄柵で頑丈に閉じられていた。今更、入り口まで戻るわけには行かない。ということで、後に鉄柵を修繕する人たちの苦労と涙を偲びながらも、ルウの魔法で鉄柵を吹き飛ばした。

 じめついた地下水道から出ることが出来た開放感は、この上なくすがすがしいもので、夜更けの丘へと駆け上った、アルサスは両手を広げて、新鮮な地上の空気を肺いっぱいに吸い込む。丘から見える夜空には、美しい星がいくつも瞬いていた

「クァドラとアトリアにはさまれた、エントの森か……。ヨルン平原を抜けていくのが一番近道だな」

 と、呟きながら見つめる先は、星の輝く夜空にシルエットとなって浮かび上がる、クァドラの山々。巡礼の道は、ウェスアを中心に三本に分岐している。ひとつはサジウ平野を越え空白地帯へ向かう西街道。もうひとつは、ガモーフ神都へ通じる東街道。そして最後の一本は、クァドラ山脈を越えて、ヨルン平原へ向かう北街道。エントの森は、ヨルン平原からさらに北東へ上り、センテ・レーバンの国境沿いにある。

「行くの? エントの森へ……」

 アルサスを追いかけて、丘に登ってきたルウが尋ねる。アルサスは、すぐに答えずネルを見やった。傍らネルは、少しだけ落ち込んだように、星空ではなく地面に目を落としていた。思うことは、ウルド大司教のことだろう。その内心まで見抜くことは出来ないが、死を覚悟した彼の瞳は、少なからず少女の心に衝撃と影を落としたに違いない。

「ネル、もう一度聞く。もしも、ラクシャへ帰りたいなら、俺は反対しない。ちゃんと、ラクシャ村まで君を送っていくよ」

 そっと、声のトーンを落として、アルサスが尋ねると、ネルは俄かに顔を上げた。銀色の髪が、夜風に流される。

「行きます、エントの森へ。そのために、ここまで来たのですから」

 と言う、ネルの笑顔はどこかぎこちない。戸惑いがあるのだ。ウルドは、知るべきではない、その方が世界のため、ネルのためになると言った。本当にそうなのか? トンキチは知ることが、世界のためになると言った。どれが真実なのか分からない。でも、トンキチのことも、ウルドのことも疑いたくはないという気持ちがある。そして何よりも、ネル自身は、真実を知りたいのだ。ネルのぎこちない笑顔は、その狭間で迷いを打ち消そうとする心の顕われだったのかもしれない。

「アルサスっ! 見て!!」

 突然、ルウの叫び声が、静寂な丘の上に響き渡った。彼の視線は、ウェスアの方角を見つめていた。ウェスア北門、そこを今まさに三頭の騎馬がこちらへと駆け抜けてくる。十分夜目に慣れた、アルサスたちには、それがひと目で、フランチェスカたちだと分かった。なぜなら、彼らは目を引く白銀の鎧を星影に輝かせていたからだ。

「くそっ! 早すぎだろっ!!」

 ひとりごちる間もなく、アルサスは剣を抜き、ネルを後ろに下がらせる。走って逃げたところで、馬の脚力に敵わないことくらい、誰の目にも明白だ。しかも、ネルは足をくじいて走ることすらおぼつかない。

「やっぱり、ここにいたのね。地下水道の鉄柵が壊されていたから、きっとここへ逃げたのだろうって。読みが当たってよかったわ」

 丘の上、アルサスたちの下まで駆けてきたフランチェスカは、いななく馬上からアルサスを見下ろす。

「こっちとしては全然よくねえけどな。何の用だよ」

 アルサスは、警戒心よりも、敵愾心(てきがいしん)をむき出しにしたような口調で、フランチェスカたちを牽制する。

「少年! いや、レイヴンよっ!! 大人しくその娘をこちらに引き渡してもらおうか。抵抗するなら、ギルド・リッターの名において、手荒な事をしなければならない!」

 答えたのは、ランティだった。馬上から睨みつける目つきは、異様なまでに鋭く、大通りであしらわれた事を根に持っているようだ。

 だが、アルサスはその程度で、臆するような少年ではなかった。

「やれやれ、ギルド・リッターまで、ネルの事を狙うのかよ。これじゃ、裏ギルドのゴミ連中と変わらないな」

「なんだとっ! このガキっ、痛い目をみたいのか!?」

 挑発じみたアルサスの言葉に、あからさまな喧嘩腰をみせるのは、アルサスの見立てどおり挑発に乗りやすい性格のベイクだ。だが、隊長であるフランチェスカだけは、読み辛い。何を考えているのか、あまりに冷静な顔色をしており、表情からそれを読み解くことは出来なかった。

「二人とも、落ち着いて」

 隊長らしく、威厳ある口調でそう言うと、フランチェスカは静かに馬を降りた。その行動は、二人の部下にも予想できなかったらしい、うろたえる表情がどこか滑稽だ。

「アルサスくん。ギルド・リッターは、ネルさんの命を狙っている……。わたしたちは、その子を殺せと命じられたの」

「はあっ!?」

 唐突な、フランチェスカの打ち明け話に、思わずアルサスは素っ頓狂な声を上げた。だが、彼女はそれを気にも止めず「わたしには、事情はよく分からない」と、前置いてから続けた。

 アルサスたちが空白地帯での一件に絡んでいると睨んでいたこと。ガモーフ神国からの要請で、銀色の髪の少女、即ちネルを殺せと命じられたこと。淡々とそれらを語り、そして、フランチェスカは無表情のまま、腰に帯びた細剣を引き抜いた。

「ガモーフまで、ネルのことを……。それで、あんたは、ギルドの誇りを捨てて、ネルの命を狙うのか?」

 驚愕をもってフランチェスカの話に耳を傾けたアルサスは、引き抜かれた剣をじっと見据え、フランチェスカに問いかけた。すると、フランチェスカは不気味なほど顔色も変えないで、

「センテ・レーバンは、その子を欲している。それは何故? 教えて頂戴。そうでなければ、わたしはあなたたちと戦わなければならない。わたしに誇りを捨てさせないで」

 と、返す。

「さあな、俺にもわからない。ネルにもわからない。だから、旅をしている。そう言えば、剣を収めてくれるのか?」

 じりじりと、迫るフランチェスカ、一歩ずつ後ろへ下がるアルサス。三対一。どちらが先に仕掛けるか、それを黙って見つめる、ネル。今までの戦いとは少し違う……緊迫した空気が、ぴりぴりと二人の間に張り詰めテイルのを感じたネルは、咄嗟にアルサスの前に歩み出た。

「あ、あのっ! フランチェスカさん!」

「ネルっ!!」

 アルサスが慌てる。だが、ネルは制止も聞かず、両手を広げフランチェスカの前に立ちはだかった。

「止めてください。アルサスもルウも死なせはしません。わたしも死にません!」

「ネルさん、状況が分かっているの? 逃げ場なんてどこにもない」

「わかっています。でも、わたし、ここで死にたくないんです。わがままだと仰られるかもしれません。でも、わたしは、わたしが何者なのか知らなきゃいけないんです! どうして、フランチェスカさんに命を狙われなきゃならないのか。そのために、エントの森へ向かいます」

「知ってどうするの?」

「もしも、わたしの『奏世の力』が誰かを助けることに使えるのなら、今困っている人、苦しんでいる人を一人でも多く助けたい。それが、きっとアストレアさまに仕える、天使の役目だから」

 強い口調は、ネルらしくはなかった。しかし、ネルの青い瞳はまっすぐにフランチェスカの顔を捉えていた。

「天使……」

「はい。ハイ・エンシェントのバセットさまは、わたしのことを『銀の乙女』だと仰られました」

「それを信じているの?」

「信じるとか、信じないではなくて、現実にわたしはあなたに剣を向けられています」

「そうね……あなたの言うとおりだわ」

 くすり。無表情だったフランチェスカの横顔に、少しだけ笑顔が灯る。

「わたしも、あなたが何者なのか、興味があるわ。道中、いろいろと聞かせてもらわなければならないかもしれないわね。ここまでの、あなたたちの旅のこと。それから……、この先のこと」

 そう言うと、フランチェスカは抜いた時と同じように、静かに剣を鞘に収めた。だが、フランチェスカの言葉に驚いたのは、アルサスたちだけではない。

「た、隊長!? それってどう意味なんスか!?」

 槍を携えた、ベイクが屈強な体に似合わないような、高い声を上げて、驚きを露にする。

「言ったとおりの意味。わたしも、この子たちについていくわ」

「はい!? 何言ってるんですかっ!!」

 ランティが馬から飛び降りて、フランチェスカの元に駆け寄った。時々、突拍子もない事を口にしたりするところのあるフランチェスカだったが、今度ばかりは、信じられない! とランティの顔に書いてある。

「ランティ……わたしは、人を殺すために『ギルド・リッター』になったわけじゃないの。十年前、軍属を退いて、ギルド・リッターに参加したのは、一人でも多くの、困っている人を、この剣で救いたいと思ったから。その思いは、ネルさんの思いと同じ。そんな子を殺せと命じるような、ギルドに忠節を尽くす義理はない。国家とは違う、己の信念と正義のみで立ち上がる、それがギルドの誇り。それを失ったギルドは、もはやギルドではない」

「愛想が尽きた、とでも仰るのですか、隊長っ!!」

「そんなことはないわ。でも、わたしの心は、間違っていると言っている。己の信念を曲げて、こんなか弱い女の子を殺すことが出来ないだけ。どちらを取るか。表か裏か、白か黒か、光か影か、上か下か、あなたかわたしか。わたしが選ぶのは、わたし。それだけのことよ」

 憤るランティの肩に軽く手を置いて、細剣を手渡す。ギルド・リッターのメンバーが常に帯刀している武装。それをランティに手渡すと言う行為は、訣別を意味していた。

「あなたたちに、わたしの行いを強要するつもりはない。でも、わたしの部下であった(よしみ)を感じてもらえるのなら、黙って見送ってもらえるかしら?」

「黙って見送る……」

 フランチェスカの細剣を受け取るランティは、困ったようにオウム返しをした。

「ええ、そうよ。支部には、わたしが裏切ったと報告してもらって構わない」

「そんなこと、出来るわけがないでしょう……まったく、隊長、あなたと言う人は困った方ですね。でも、信念を曲げられるよりはマシというものです。分かりました、行って下さい」

 溜息混じりに、ランティは言う。だが、彼の表情言うほど戸惑った様子はなかった。

「支部には上手く取り成しておきます。よもや、手配者になることはないでしょうが、我々があなたに出来ることは、見送ることくらいです」

「お、おい、ランティ! それでいいのか!?」

 ベイクも馬上より降りて、駆け寄ってくる。

「いいもなにも、隊長が頑固者だということはお前も知っているだろう。それに、わたしもこの子たちを殺せと言う命令には、いささか不満があった」

「そりゃ、そうだけどよ……」

「ちょっと待ったー!!」

 突然、話のカヤの外に置かれていた、アルサスが三人の会話に割って入った。見れば、ルウとネルは突然の予想だにしない展開に置いてけぼりにされて、同じような顔をしてぽかんとしている。

 アルサスはずいずいと、フランチェスカの元に歩み寄った。背丈は、少しばかりフランチェスカの方が高い所為か、睨みつける瞳が上目遣いになってしまう。

「こっちは、何にも聞いてないし、納得もしてねえんだけど!?」

「あら、そうね。ダメかしら?」

「ダメかしらって、あんたなぁ!」

「そうカリカリしなていで。ここからエントの森までは遠いわ。護衛は多い方がいいと思うわよ。それに、レイヴンのあなたより、役に立つこともあるかもしれないし」

 からからと笑うフランチェスカ。思わずアルサスは呆れ顔になってしまう。

「何だよ、それ。変な女だとは思ってたけど……」

「あら、こんな美人を捕まえて、変な女だなんて、失礼しちゃうわね。そう思わない? ルウくん」

「えっ!?」

 何の前振りもなく、話を振られたルウは、びっくりしながらも、「フランチェスカさんがついてきてくれたら、鬼に金棒だと思うよ」と、しっかり答える。

「ルウくんの賛成票はもらったわ。ネルさん、あなたはどうかしら?」

 フランチェスカは、ニコニコとしながら、さらにネルのほうに顔を向けた。

「えっ、あの、は、はいっ! よろしくお願いします」

 それまでの強い調子はどこへやら。いつものように、丁寧に頭を下げるネル。そんな二人の姿に、アルサスが吐き出した溜息は、ランティのそれとよく似ていた。しょうがない、という溜息だ。

「変なまねしたら、女だからって容赦しないぞ、フランチェスカ」

 せめてもの、悪あがきといでも言わんばかりに、アルサスはそう言うと、フランチェスカに背中を向けた。フランチェスカは、再びランティたちの方に向き直ると、後事を任せる旨を伝えた。それ以上、隊長の翻意に苦言を呈したりせず、素直に従う彼らは、フランチェスカのことをよく分かっているのだろう。それでいて、彼らも彼らなりの信念を捨てられずにいるのだ。

「さあ、行きましょうか」

 揚々と、クァドラ山脈を指差すフランチェスカの後を、アルサスたちは付いていく。少し丘を下ったところで、ネルは振り返り、ランティたちに深々と頭を下げた。そんなネル越しに丘の上を見れば、ランティとベイクは別の道を歩むこととなった、フランチェスカを静かに見送っていた。

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