22. ここだけの話
ウェスアの町医者が「ここだけの話」を、アルサスたちに打ち明けたのは、理由あってのことだった。この街に住む人々は、そのほとんどが、熱心なベスタ教の信徒であり、大司教を深く尊敬している。そのため、今回の事件に非があるのは、神都の大臣たちであると考えていた。
「大司教さまは、おそらく教会の地下にある、古い牢屋に閉じ込められているはずだ。教会の地下牢は、この街に張り巡らされている地下水道とつながっている。これは、街に住むものもあまり知らないことだ。神衛騎士団は、もちろん知っているはずがない」
「つまり、その地下水道を通れば、大司教さまのところへ行けるんだね?」
アルサスが尋ね返すと、医者はやや神妙な面持ちで、静かに頷いた。
「お前さんたちが、ワケありなのを承知で、ひとつ頼みを聞いてはもらえないか。どうか、大司教さまを救って欲しい。法王さまは大臣どもの讒言にのみ耳を傾けて、無二の友であったウルド大司祭さまを早々に処刑しようとしている。教会騎士団は、神衛騎士団に捕縛され、街のものは、逐一監視されている。もうここには大司祭さまのために動ける者は誰も居ない。つまり、頼みに出来るのは、お前さんたちのようにワケありのよそ者だけだ」
「ワケありのよそ者ねえ……、否定はしねえけど、その言い方はきにいらねえな。戦争が終わって、もう十年になるんだ。大人たちが、そろそろセンテ・レーバン人とか、ガモーフ人とかそういう垣根を越えられないといけないんじゃねえのかよ」
あからさまに、渋い顔をして、自分よりはるか歳上の医者に説教じみた事を言うアルサス。それを聞いた医者は、からからと笑い、「違いない」と言った。
「ねえ、アルサス。大司祭さまをお助けしましょう。だって、大司祭さまは何も悪いことしてないんです」
急に、診察台の上に座るネルが真剣な眼差しを向けてくる。思えば、ネルはガモーフの辺境で育った女の子だ。彼女もまた、この医者と同じく、敬虔なベスタの信徒なのだ。
「ボクもそれ、賛成!」
そうだ、ルウもガモーフ生まれ。結局ここに居る人間で、ベスタに係わり合いのないのは、自分だけだと悟ったアルサスは、ネルとルウに苦笑とも微笑とも取れない笑顔を向けた。
「つまり、ついでに大司教を解放してくればいいんだな? ただ、俺はベスタの神さまなんか信じていない。だからそれは、レイヴンへの仕事の依頼と受け取ってもいいか?」
「しかし、わしにはお前さんに支払う金がない。歯牙ない町医者だ」
「依頼両なら、ネルの治療代で構わない。ところで、その地下水道、ウェスアの外まで通じているのか?」
「ああ、地震で崩れたところもあるだろうが、この街の外にある丘のふもとに出られるはずだ」
昔々、アルサスたちが生まれるより前「黒死病」と呼ばれる病が流行ったことがある。その折、地下水道を徘徊するネズミ型の魔物「モイゼ」が病原菌を運んでいることが、病の現況であると突き止めたウェスアの医者たちは、モイゼを駆除するため地下水道に潜った。もちろん、当時はまだ若かったこの町医者も、モイゼ駆除隊に参加した。
医者は、その頃の記憶を辿りつつ手早く、メモ用紙に地下水道の地図を書き記していく。
黒死病は間もなく沈静化し、地下水道への入り口は、すべて鉄柵により封鎖した。それから、数十年、次第に町の人の記憶から、地下水道の存在は忘れ去られて行き、今では、当時モイゼ退治に加わった医者たちしかその存在を知らない。まして、地下水道が教会の地下につながっている事を知っている人間は、ほとんど居ないと思っても差し支えないだろう。
「頼んだぞ、レイヴン」
そう言って、医者はアルサスに地図を認めたメモ用紙を手渡した。アルサスは「まかせとけ」と頷き、視線を仲間たちに向ける。
「表から出るのは得策じゃないな。ネル、足は大丈夫?」
「大丈夫です」
と、アルサスの問いに答えるネルだが、やはり痛々しく見える包帯に巻かれた足では、走ることは出来そうにもない。すでに窓外は、月影も薄い夜闇だ。病院を抜け出し地下水道に向かうなら、闇にまぎれて、町を警邏する神衛騎士団やフランチェスカたちギルド・リッターの目を盗むことが出来る今が、絶好の好機と言える。
いざとなったら、ネルのことは背負うしかないな……と、思案をまとめ、アルサスは診察室の窓を開た。平屋の病院の外は、夜風が通り抜ける路地裏に面している。こんなところから、出て行く姿を誰かに見咎められるわけには行かないと、注意深く路地の左右を確認するアルサス。幸い、路地の奥に野良猫の不気味な瞳が輝いている以外に、人の気配はない。
「世話になったな、先生」
と、振り返り礼を述べると、まずは、アルサスが窓枠に足をかけて外へ出る。次いで、ルウ。最後にネルが「ありがとうございました」と、いつものように丁寧に頭を下げて窓を出た。やはり、くじいた足が痛いのか、地面に降り立つと、ネルはその愛らしい顔を少しばかりしかめる。
「大丈夫。大丈夫です。行きましょう」
ネルの言葉に、多少の不安は拭い去れないまま、アルサスは頷き返し、窓辺から覗く医者に見送られながら、先頭を歩き始めた。
夜のウェスアは異様なほど静まりかえっている。本当なら、楽しげな夕餉の時間であるにもかかわらず、誰もが息を殺して、生活の物音ひとつ立てようとはせず、つんと耳が痛い。
そんな裏路地を駆け抜けて、大通りに出ると、軒を連ねて並ぶ商店も大半がすでに店じまいを終え、店主や売り子の代わりに、そこかしこに、いかつい顔をして周囲を警戒する、青銅色の鎧に身を包んだ神衛騎士団がうろついている。
アルサスたちは、ひとまず民家の壁に身を寄せて、神衛騎士団がいなくなるタイミングを待った。おそらく、警戒順路をぐるぐると回っているはずだ。安易に飛び出して、下手に見つかって、荒っぽいことになるのは、得策じゃない。
「アルサスは、やっぱりいい人ですね」
不意に、傍でネルが囁く。アルサスは何の事を言われたのか、すぐに思い至らず、思わずきょとんとしてしまった。
「何、藪から棒に」
「だって、大司教さまをお助けすること、引き受けてくださったじゃないですか。レイヴンは、仕事を投げ出したりしないんでしょう? それなのに、レイヴンとして仕事を引き受けたということは……」
「別に、ガ頼まれたから、やるだけ。それに、どちらかといえば、ネルの治療代ちょろまかしたかったんだよ」
にべもなく、アルサスは言い切って見せたが、その言い草にネルはクスクスと声を殺して笑う。彼女には、それがアルサスの本心ではないことが分かっているかのようだった。
「素直じゃないんですね。まるで、ルウのようですよ」
「ちょっ、お姉ちゃん! ボクとアルサス、一緒にしないでよっ!」
ネルの後ろで、ルウがぷうっと、頬を膨らませる。
実際のところ、ウルド大司教の謀反ともとれる発言は、ガモーフの内政問題なのだ。レイヴンになる時、国を捨てた身分としては、ガモーフの内情に干渉したくはない。しかも、アルサスはベスタ教の信徒ではない。以前、ネルに言ったように、神さまのような眼に見えないものよりも、自分の剣を信じている。それが、アルサスのスタンスだ。
しかし、その一方で、ウルドが憂う気持ちも分からなくもない。世界が、飢饉や貧困に喘いでいることはよく知っている。今、この世界は、究極の格差社会となっている。カルチェトやルミナス、ウェスアは富める側。旅の間に何度も目撃した、滅び行く村は貧しい側。
その現状を、ウルドは宗教家として憂いたのだろう。しかし、この国の王はそれに耳を貸さなかった。どこの国の王様も、自分は貧しくないから、その現実に気づかない。明日食べるものを必死でかき集める人たちの気持ちをわかってやろうとはしない。統治者なんてものは、どこに行ってもおんなじだ……と、アルサスは思う。
だから、ウルドを助けるのも悪くはない。ウルドの言ったことは間違っちゃいない。
「少しだけなら走れるか?」
大通りの騎士が、通りの向こうへと歩いていく。それを確認したアルサスは振り返って、ネルに問いかけた。ネルは、頷いてみせる。足手まといになりたくない、そんな風に思ったのかもしれない。
アルサスは、いつものようにネルの手を取った。女の子の手を握ることに抵抗がないわけじゃない。少し恥ずかしい気持ちもあるが、ネルの手を離すと、彼女がどこかに言ってしまうような、そんな気がしてしまう。どうして、こんな不安な気持ちになるのか。それは、多分、ネルが放っておけないような女の子だからなのかもしれない。
「よし、大通りを一気に横断するぞ! 地下水道の入り口は、その先だ!」
掛け声よろしく、アルサスはそう言うと、大通りへと足を踏み出した。すでに、警邏の騎士の姿はどこにもない。静かな大通りを、三人の足音だけか響き渡った。
「どこへ行くつもりだ!」
突然、あらぬ方向から声が浴びせかけられて、アルサスたちは心臓をつかみ出されたような思いがした。足を止め、振り返る。すると、アルサスたちの背後から、そして、病院の表通りの曲がり角から、見覚えある男たちが姿をあらわした。フランチェスカの部下、ベイクと、ランティだ。
アルサスたちの背後から現れた、ランティはすでに、剣を鞘から抜いている。病院の表から、走ってきたベイクも、あの魔物を一撃で仕留めた、鉄槍を構えていた。
「くそっ! こいつら、見張ってやがったな!」
ネルを後ろに下がらせ、アルサスは舌打ちと共に、腰に帯びた剣を引き抜いた。
「隊長の懸念が的中したか。どこへ行くつもりだ、お前たち」
屈強なベイクの口元には笑み。ランティは、冷たい視線をこちらに投げかけてくる。彼らの瞳には、アルサスたちが、犯罪者の類のように映っているのかもしれない。
「ちょっと、夜のデートに」
冗談だと分かるように、しかし、相手にこちらの焦りを気づかせないように、アルサスが言う。
「魔法使いギルドのガキと一緒にか? やはりお前、空白地帯で、『運び屋』ゲモック・ラボンから積荷を奪ったガキだな」
「分かってるなら、聞くなよ、筋肉ダルマ」
ネルは走れない。その事を見越しながら、アルサスはわざと相手を挑発するような口調になる。やはり、嫌な予感は的中した。フランチェスカは最初から、アルサスたちのことに気づいていたのだろう。見張りを残す用意周到さには、舌を巻く。
「だれが、筋肉ダルマだっ!」
そして、思ったとおり、ベイクは頭に血を上らせた。挑発に弱いタイプらしい。
「ベイク、落ち着け! アルサスくんと言ったね。われわれは、君たちを逮捕しようってワケじゃないんだ。ただ、事情を聞きたい。その娘さんも保護したい」
一方のランティは、見た目どおり、冷静な男のようだ。彼の言う言葉に、嘘偽りはないだろうが、ギルド・リッターに保護なんてされれば、ここで旅は終わってしまう。それは、アルサスも、ネルも、ルウも望んではいない。
「悪いが、これはレイヴンである俺の仕事だ。依頼主も、仕事も手渡すつもりはないね。ルウ、魔法だ!!」
「がってん! 緑の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、疾風の槍となれ……ヴィント・ランツェ!」
アルサスの指示に、ルウが魔法の言葉を口にする。掲げた魔法杖が輝き、その先端から放たれたのは、二本の風の槍。一本は、ベイクの元へ、もう一本はランティのもとへと、稲妻のような速度で着弾する。
「青の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、水流の盾となれ……ヴァッサー・バックラー!!」
瞬間、ランティも魔法の言葉を唱える。構えた剣の先端から巻き起こった、水流は瞬くうちに、ベイクとランティ、それぞれを半円状の水の膜で包み込んだ。
水のバリアに防がれた、風の槍が空しく四散するのは、目に見えていた。
「やっぱり、あのランティってやつは、魔法使いかっ! こんな大通りで暴れてたら、神衛騎士団の連中が来てしまうな。ルウ、炎の盾を展開して、時間稼ぎしてくれ。逃げるぞ!!」
「人使い荒いようっ」
などといいながら、自分の魔法がいとも簡単に防がれてしまったことに衝撃を受ける暇もなく、ルウは次なる呪文を唱える。
「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の盾となれ……フランメ・バックラー!」
魔法杖の輝きと共に、今度はアルサスたちの周りを、炎のカーテンが包み込む。アルサスは、すかさず背負ったリュックをお腹側に掛けなおし、ネルに背中を向けてしゃがんだ。
「ネル、俺の背中に乗って!」
「でも……」
言いかけた言葉を、ネルは飲み込んだ。男の子に背負われるのは、手をつなぐよりも恥ずかしいことだが、迷っている暇はない。ネルは、恥ずかしさを偲びながら、アルサスの背中に体を預けた。
「魔法、消えるよっ!!」
ルウの声とともに、炎のヴェールが跡形もなく消え去る。
「走れ、ルウっ!!」
ネルを背負ったアルサスが駆け出す。ルウもそれに続いて、大通りの反対側へと走り出す。背後では、ベイクとランティの「待て!」と言う声が、輪唱のように重なった。
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