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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第三章
21/117

21. ギルドの命令

 病院というのは、どこでも薬のにおいが染み付いている。天井に、壁に、診察台に、医者の白衣に。薬の多くは、アルテミシア葉や生薬を混ぜて作られる。そのため、アルテミシアの葉特有の、鼻の粘膜にまとわりつくようなにおいがするのだ。ルウは、それを称して「学園の保健室みたい」と言ったが、結局保健室も同じようなものなのだ。

 フランチェスカが紹介してくれた医者は、ウェスアの町の片隅にある小さな町医者だった。他に大きな病院や、協会が運営する救護所があるのだが、そういったところは、ウェスアでの大司教逮捕事件に端を発して、ガモーフ神衛騎士団が閉鎖させている。

 実際、町に入って驚いたのは、そこかしこに騎士団の兵隊が立っていることだった。全員、槍や剣を携え、青銅色の鎧を纏っている。その様相は、戦時下の都市を思わせた。町に入ってくるものは、兵隊たちによって、町の入り口で厳しく審査される。ネルの偽造手形も、さすがにバレてしまうところだったが、フランチェスカたちギルド・リッターが居てくれたおかげで、安易に通行を許された。それが、ギルドの威光のおかげであることは明白だった。

 しかし、町並みは、どこか暗く沈んでいる。いつもなら、貧しくとも、巡礼者で賑わうような町だが、まるで通夜の夜を思わせるほど暗く沈んでいる。町の人の話に寄れば、いつも町の生活リズムを刻むように鳴り響く、教会堂のミスリルの鐘も事件以来、一度も鳴っていないそうだ。

「ややこしい時に、来ちゃったわね」

 同情するかのように、フランチェスカは言った。たしかに、ややこしい時にきてしまった。この状況では、ギルド・リッター如何(いかん)に関わらず、「奏世の力」の事を聞きまわるなんてできやしない。下手をすれば、兵隊たちに怪しまれて逮捕されてしまいかねない。そのくらい、町の空気が、ぴりぴりとしているのだ。

 そんな中、フランチェスカに案内された町医者の診療所で、アルサスとルウは、ネルの手当てが終わるのを廊下で待っていた。

「お姉ちゃん、大丈夫かな?」

「ああ」

「お姉ちゃん、自分にあの力を使うことできないのかな?」

「ああ」

「今夜の宿を取らなくちゃね。まさか、街角で野宿するつもりじゃないでしょ?」

 診察室の前に置かれた長いすに腰掛け、床に着かない足をプラプラさせていたルウが、沈黙に耐えかねてアルスに話しかけた。アルサスは窓から、夜の街を眺めつつ、しかし、心ここにあらずといった風に、何を聞いても「ああ」と短く答えるだけ。

 何を考えているのか、時々アルサスのことが分からなくなる。ネルは、それでも「アルサスはとても優しい人ですから」と笑うのだが、今のアルサスはどこか怖いとさえ、ルウには思えた。

「手当て、終わりましたよ」

 がらり、と診察室の扉が開き、看護師の中年女性が顔を出す。診察室に案内されると、診察台の上に腰掛けたネルの足首には、包帯が巻かれており、なんとなく痛々しげであった。

「ご迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」

 開口一番、そう口にするネルに、アルサスは固い表情を崩して微笑んだ。だがそのぎこちない微笑みに気づいたのは、ルウだけではなかった。

「ずっと、浮かない顔をしていますね、アルサス……」

「そんなことは」

 ないと言いかけた、アルサスは診察室の壁に貼り付けてある姿見に映る、自分の不恰好な笑顔に気づき、閉口してしまった。そして、ちらりと医者の方を見やる。視線に気づいた、白髪の老医者はかすかに笑い、

「わしのことは気にするな。大丈夫、お前さんたちがワケありなのは、見れば分かる。ギルド・リッターに告げ口したりしやせんよ。もっとも、あやつらのことじゃ、今頃お前さんたちの素性を調べているかもしれんがな」

 と言って、丸いすをくるりと回し、アルサスたちに背を向ける。アルサスはそれを確認してから、医者の科白に続けた。

「多分、その通りだ。ここで、ギルド・リッターに捕まるわけには行かない」

「アルサス、何か悪いことしたの?」

 ルウが魔法杖の先端で、アルサスを小突きながら尋ねる。

「ネルを誘拐した犯人から、俺がネルを誘拐した。つまり、誘拐犯の誘拐犯なんだよ」

「誘拐犯!? アルサスって、やっぱり悪い人だったんだね!」

 かいつまんでしか事情を聞かされていなかったルウにとって、アルサスの発言は爆弾発言にも近く、メガネの奥で、そうでなくともつぶらな瞳を丸くする。

「やっぱりって、お前なあ……そういう目で俺を見てたわけ?」

 呆れ顔のアルサスに、驚いて見せたのもつかの間、ルウは急に真面目な顔に戻る。

「冗談だよ、間に受けないでよ。要は、誘拐犯から、アルサスがお姉ちゃんを助けたんでしょ? それで、消えたお姉ちゃんとアルサスの事を追いかけているかもしれないギルド・リッターに捕まれば、あれこれ取調べを受けることになっちゃう。そうしたら、このまま、『奏世の力』のことも調べられないままになるかも知れない、そう思ってるんでしょ?」

「そういうこと。都合が悪いのは、ギルド・リッターだけじゃない。町中に、ガモーフ神衛騎士団が居ることも、予定になかった。少しでも怪しまれたら、それこそ、大司教と同じ目に合わされるかもしれない」

「それで、ずっと、怖い顔してたんだね。アルサスが悪い人じゃないってことは分かってるつもり。お姉ちゃんには優しいし、ルミナスを救うために戦ってくれたもん。でも、大変だね、あの黒服の男たちに、ギルド・リッター、ハイ・エンシェント、いったいどれだけの人に追われているのさ?」

「さあな、少なくとも、シャドウズは気にする必要はない。あれでも、あいつらセンテ・レーバン王国の人間だ。ガモーフ領でむやみに暴れることは出来ない。外交問題になるからね。ただそうなると、当面問題なのは、あのギルド・リッターだ。一番『奏世の力』の事を知っているだろう大司教に会えないまま、この街を去るのは口惜しいけど、ここに留まっていたら、きっと大変なことになる」

「大司教さまに会えない……。仕方がないですよね、ウェスアの街が、こんなことになってるとは、思いもしませんでしたから」

 ネルの言葉を前に、また空振りとなってしまった事に思い至り、三人は重い空気に包まれる。ベスタ教の言い伝えにある「銀の乙女」。その「銀の乙女」に与えられた力。それは、ルミナスの知識を以ってしても分からず、ならばベスタの総本山へと、旅してきたのだが、ここでも空振りとなれば、どっと肩に疲れがのしかかる。

「大司教さまなら、会えないこともない」

 不意に、三人の間に割って入ったのは、今の今までカルテを書いていた医者であった。ふたたび丸椅子をくるりとこちらへ反転させて、「ここだけの話だ」と声を潜めた。


 世界中で活躍する自警組織ギルド・リッターは、各国に支部を設けている。ダイムガルドでは、砂漠の入り口と呼ばれる「レメンシアの街」にダイムガルド支部を持っている。当然、ガモーフ時部も存在し、それがこのウェスアの街角にあるのだ。

 フランチェスカたちは、ダイムガルド支部所属の隊員ゆえに、到着の知らせをするため、アルサスたちを町医者に案内した後、夜闇の街路をガモーフ支部へと向かった。その途中、街角でフランチェスカは不意に馬を止め、振り返る。

「ベイク、あなたはこのままあの子たちを見張って。ランティ、あなたはもう一度、町の入り口にある臨時管理局で、あの子たちの素性を洗い出して」

 と言って、フランチェスカはポケットから、メモを取り出した。アルサスと言うレイヴンの少年が、すっとこちらを警戒していたことは分かっていた。それだけに、フランチェスカにはピンと来るものがあり、通行手形を見せてもらう代わりに、そこに書かれた身元を人知れずメモしておいたのだ。

「すると、やはり……」

 ベイクとランティ。フランチェスカが信頼する部下の二人も気づいていたのだろう。ランティは、メモを受け取りながら、フランチェスカの顔を見た。

「ええ、おそらく、あの女の子が、ゲモックの積荷だった、銀色の髪の女の子」

「一緒にいた、レイヴンの少年は、センテ・レーバン人でしたよね?」

「だから、気になるのよ。お願いできるかしら?」

 フランチェスカは、片目をつむって合図を送る。声に出さず、頷いたベイクとランティは、その場で馬の首を返した。

 蹄鉄が舗装された街路をかける音が聞こえなくなると部下と別れたフランチェスカは一人、ギルド・リッターのガモーフ支部へと向かう。事務所としている建物は、他の民家とほぼ変わりはないが、表の看板には騎士の鎧をモチーフとした紋章が描かれていた。そもそも、リッターとは、ガモーフの古い言葉で「騎士」をあらわしているらしい。つまり、ギルド・リッターは私設騎士団を気取っているのだ。

 馬をつなぎ、事務所に入ると、すぐに係りの女性がフランチェスカを支部長の下へと案内した。いつもは、出張任務ではなく、空白地帯の警備にあたっているフランチェスカが、この町の支部を訪れるのは初めてのことだった。

「ギルド・リッター、ダイムガルド支部所属、小隊長、フランチェスカ・ハイト。ただいまウェスアへ到着いたしました」

 支部長の個室に入ると、敬礼のポーズとともに、名を名乗る。もちろん、その間に、相手の容貌を確認する。随分と、白銀の鎧が窮屈そうな、やたらと太ったガモーフ人の中年男だ。容貌で相手を判断するような予断は許されないことたが、どうにも仕事の出来る男には見えない。

「ようこそ、ウェスアへ。ボスから、事情は伺っている。しかし、面倒な時に来てくれたものだ……。ウェスアで、今起きている事を知らんわけではないだろう。教会騎士団は直に解体される。下手をすれば、大司教さまの処刑が行われるかもしれない」

 支部長は、溜息交じりに言う。

「はっ、知らないわけではありませんが、こちらも任務ですから」

「律儀だのう、ダイムガルド人は。ならば、律儀ついでに、わしからの命令を聞いてもらおうか。一度しか言わんぞ」

 そう言うと、支部長はすうっと肺に息を吸い込んだ。

「銀色の髪の娘を殺せ」

 低く重たい言葉のはずが、するすると支部長の厚ぼったい唇からこぼれてきて、一度しか言わないといわれたにもかかわらず、思わず聞き返していた。

「それは、どういうことでしょうか?」

「それが、ガモーフ神国からの依頼なのだ。どうしてもこうしてもないだろう?」

 これ以上聞くな、言外に支部長がそう言っていることは分かっているが、突然の理解不能な命令に当惑してしまう。

「わたしたちは、『運び屋』ゲモック・ラボンの証言をもとに、黒衣の騎士団によって、ラクシャ村から連れ去られた銀色の髪の女の子を救うために、方々の情報を集めながら、遠路はるばるここまで来たのです」

「救うだと? ボスからの命令は、銀色の髪の娘を見つけることであろう。勘違いするな、救えとは言われていないはずだ。センテ・レーバンの手に渡る前に、娘は見つけ次第殺せ。法王さまは、ボスにそう命じられた」

「法王さまが? お待ちください、われらはギルドです。ガモーフの王に命令される謂れはありません」

「だから、律儀だと言っているんだ。ギルドも国家との信頼関係なくして成り立たない。国家に義理立てする必要はあるんだよ」

「それでは、ギルドの本懐は……」

 フランチェスカの言いかけた言葉を、支部長はまるで蛇のような目つきで睨みつけた。

「命令を履行しろ。さもなくば、ギルドに立てた貴様の誓いは、破棄され、裏切り者の(そし)りを受けることになるぞ! わかったら、さっさと娘を殺せ!」

 これ以上何を言っても、聞く耳は持たないだろう。そう悟ったフランチェスカは、わざとしぶしぶといった声音で、「了解しました」と口にした。

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