19. 出会い
にわか雨はすでに小康状態。雨雲の隙間からは、「天使のはしご」が降り注いでいる。本当なら、雄大なサジウ平野の風景を眺めながらの旅だが、今は絶体絶命の大ピンチ。
「だいたい、魔物が何で、街道沿いの木の下で寝てるんだようっ!!」
ルウが両手を目いっぱい振りながら、アルサスに問いかけた。だが、返ってきた答えは、「知るかっ!!」の一言。怒り狂ったボアルは、手がつけられないことを知っているアルサスは、ネルの手を引くのに必死だった。
「なんだか、アルサスといると、走ってばっかりだよっ!!」
ぼやきと言うよりは叫びを、天使のはしごに向かって吐き出すルウ。
「うるさいっ! 図書館にこもってなまった体には、ちょうどいいだろ!」
「ボクは、運動嫌いなんだっ! こっち、こっちでがんばるタイプなのっ」
ルウは、ぽんぽんっと自分の頭を人差し指で小突いてみせた。
「なにが、こっち、だよっ! お前がくしゃみなんかするから、あいつ目を覚ましたんじゃないかっ! あいつに轢き殺されたくなかったら走れ、クソガキっ!」
「分かってるよう、赤目っ!」
ああいえばこういう、二人は、ぎゃあぎゃあとわめきながら、街道をひた走る。
「二人とも、言い合いなんかしてる場合じゃないですっ! ボアルさん、ものすごく怒ってます、何とかして止めないとっ!」
アルサスに手を引かれ、二人のやや後ろを必死に駆けるネルが叫ぶと、ルウは振り向きざまに、魔法杖を構えて、呪文を唱える。
魔力を帯びる魔法杖は、魔法使いが愛用する装備であり、自身の魔力を高める効果がある。ただし、魔法自体は、使用者自身の魔力に拠るところが大きく、もともと魔力の素養がないアルサスなどは、魔法杖を使ったところで意味を成さない。ちなみに、魔法杖の多くは、奇しくも「とねりこの樹」で作られている。とねりこの樹は、最も魔力を帯びた樹木なのだ。
「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の矢となれ……フランメ・プファイル!!」
ルウの呪文に応えて、魔法杖の先端が輝きを帯びる。そして、放たれた無数の矢が、ネルの脇をすり抜けて、背後に迫るボウルを狙い撃った。だがルウの魔法は、着弾とともに四散する。それは、水が油をはじくかのようだった。
「だめだよ! あいつ、魔法防御してるっ!」
前に向き直り、悲鳴混じりに叫ぶルウにアルサスが問いかける。
「魔法防御?」
「魔物の中には、魔法の効果を打ち消すことが出来るやつがいるんだ。四つの精霊の力、つまり精霊元素を結集して具現化するのが魔法。それと同じだけの相対する、精霊元素を身に纏うことが出来たら、魔法の効果を打ち消せる、という学術的な論文がある。たしか、センテ・レーバンの技術院が、三年前に発表したんだ。知らない?」
と言われても、ルウが早口で説明することの大半を理解できないアルサスは、思わず小首を傾げてしまう。魔法防御? 精霊元素? 学術的な論文? いくつもの疑問符が、年上の少年の頭の上を飛び交っていると察した、ルウは、「あー、もうっ! アルサスのボンクラっ」と前置いてから、
「つーまーり! あいつは魔法が効かない、超厄介な魔物なのっ!」
と、後ろを指差した。
「ボンクラで悪かったな。俺は魔法なんて使えねえっつうの。だったら、神童のルウさんよ。この前みたいに、魔法と魔法をくっつけてやれば?」
「固定応用? 走りながらじゃムリっ!! 今度はアルサスの番っ、その剣で何とかしてよっ。雨宿りしようって言ったのは、アルサスなんだからね!」
こうなりゃ責任のなすりあいだ、とばかりに、ルウが怒鳴る。ガムウよりも小さい魔物、とは言え、人間の倍はあろうかと言う大きさ。勇敢に立ち向かったところで、前方に突出した鋭い牙に跳ね飛ばされるか、鉄のような色をした蹄に轢き殺されるかのどちらかだ。
「あれを剣で? 無茶言うな! 大事な剣が折れちまうっ!」
「アルサスの、バカーっ!」
「二人とも、こんな時に喧嘩しないで下さい!」
三人の声が、地鳴りのようなボアルの足音とともに、巡礼の道に反響した。
助けを求めようにも、あたりに人影は見当たらない。「巡礼の道」と言うくらいだから、ウェスア大教会への巡礼者の一人や二人ぐらいいてもいいはずだ。あわよくば、街道警備をしているはずのガモーフ教会騎士団(※6)にでも助けてもらえるかもしれないと思っていたアテは完全に外れてしまった。
どこまで走れば、ボアルはあきらめるのか、途方もない追いかけっこを続けていれば、先にばててくるのは、人間の方だ。
「きゃっ!」
不意に、小石に足元を取られたネルは、短い悲鳴とともにアルサスの手を離し、地面に転んでしまった。すぐに起き上がったものの、足首を押さえて、顔をゆがめる。
アルサスとルウは慌てて急ブレーキをかけ、踵を返すと、ネルの元に駆け寄った。
「お姉ちゃんっ! 大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
と、ルウの問いかけに応えつつ、立ち上がろうとするが、痛烈な痛みが頭の天辺まで駆け巡り、ネルは再び跪いた。
「お二人とも、わたしに構わず逃げてください……」
「だめだ、足を挫いたネルを独り、置いていけるわけないだろ!」
アルサスは少し腫れたネルの足首を見るやいなやそう言うと、二人を庇うように、ボアルの前に立ちはだかり、剣を引き抜いた。魔物を斬るのは、人間を斬るときほどの心の抵抗がない。しかし、無益な殺生になることは分かっている。だからと言って迷う余裕はなかった。ただ、猪突猛進が如く走りこんでくるボアルを斬り殺すことが出来るかどうか、それは別の問題だ。
もしも、自分が跳ね飛ばされれば、ネルとルウは蹄に踏みつけられてしまう。一瞬の油断も許されない。そして、一撃で仕留めなければならない。
じり、と両足を踏ん張るアルサス……。
と、その時だった。視界に、一本の鉄槍が飛び込んでくる。それは、ちょうどアルサスたちの背後から頭上を通過して、狙い済ましたかのように、ボアルの脳天に突き立った。一瞬何が起きたのか分からず、三人はきょとんとしてしまう。
脳天を貫かれたボアルは、大きな悲鳴を上げると、まるで荷馬車が横転するかのように、その場に斃れた。だが、アルサスたちに危機が去ったと言う安堵感はない。
「何、何? どうなってんの?」
ルウがうろたえを口にしながら、自分たちの後方、即ちウェスアの方角に顔を向けた。蹄鉄の音が近づいてくる。目を凝らしてみれば、天使のはしごにキラリと光る白銀の鎧をまとう、三人の騎士。彼らは、馬にまたがり、悠然とこちらに向かってきていた。
「ギルド・リッターだ」
と、口にしたのは剣を鞘に収めたアルサスだった。アルサスは、彼らと同じ白銀の鎧を着ている。もっとも、アルサスのそれは、ノミの市で買い求めたものであるが、彼らが着ている鎧は、紛うことなく私設傭兵団「ギルド・リッター」のそれだった。
「危ないところだったね、キミたち!」
アルサスたちのところまでやってくると、先頭の女性隊長が、馬を下りた。にこやかな顔をして入るものの、鋭い目つきは、アルサスたちの素性をうかがっている。
肌が少し浅黒い……この女、ダイムガルド人か? アルサスもまた、ギルド・リッターと思しき三人組に警戒した。
胸の大きな女だと思う。そして、彼女の左右に従う部下の二人は、筋骨隆々の男と、細面で知性を漂わせる男。随分とでこぼことしたトリオだが、どうやら、助けてくれたのは彼らのようだ。
アルサスは、すっと、ネルたちの前に歩み出ると、
「危ないところを助けていただき、感謝する」
なるべく、警戒心を見せないように、言葉を選んだ。
「お前、その鎧は俺たちの……」
と、アルサスの鎧に最初に目を留めたのは、筋骨隆々の男の方だった。彼もおそらくダイムガルド人だろう。そして、細面の男は、アルサスと同じように白い肌をしているところを見れば、センテ・レーバン人といったところか。国籍も身分もを問わないギルドらしい、混成部隊だと、アルサスは思う。
「これは、ノミの市で安く買ったものだ。きっと、あんたらのお仲間が、売ったんじゃないのか?」
「旅人には似合わない代物だ」
筋骨隆々の男は馬上からアルサスを見下ろして渋い顔をする。たしかに、その鎧はギルド・リッターの証であり、身分証とも言える。だが、アルサスは男の皮肉めいた言動をするりとかわす。
そんなアルサスに、女性隊長は少しばかり笑って、
「そんなことはないわよ、ベイク。ボアルに立ち向かうなんて、なかなか勇敢な少年よ。とりあえず、自己紹介するわね。こっちの筋肉ダルマはベイク。そして、そっちの瓜実顔がランティ。そして、わたしは、『ダイムガルド・ギルドリッター』のフランチェスカ・ハイト」
と、自己紹介がてらの握手を求めてくる。アルサスは、剣の柄に左手を添えながら、その手を取った。ある種の奇妙な緊張感が漂う。本来ならば、助けたものと助けられたもの、のはずなのになぜかアルスとフランチェスカの間には、言い知れぬ、不穏めいた空気が流れている。その理由を今ひとつ分かっていないルウは、アルサスとフランチェスカの顔を交互に見つめた。そして、気がついた。フランチェスカの視線は、アルサスにではなく、自分の傍でくじいた足の痛みに耐えている、ネルに向けられていることを。
「俺はアルサス・テイル。レイヴンだ。それから、こっちはルウ・パットン。魔法使いギルドの学生。それから……そっちの子は、ネル・リュミレ」
手短にアルサスが返すと、今度は細面の男……ランティが口を開いた。
「キミたちは、どうしてこんなところに?」
と言うその口調は、どこか尋問でもしているかのようだった。
「それは……」
ちらりと、アルサスはルウに視線を向ける。言外に「何か、上手い言い訳を頼む」と言っていることに気づいたルウは、
「じゅ、巡礼の旅です。それで、お祈りのために、ウェスア大教会に向かう途中だったんですが、ボアルに出くわしてしまって。本当に危ないところ、ありがとうございました」
と、取り繕う。嘘は言ってないぞ、とルウは思うが、そもそも行き先を告げたくなかったアルサスは、少しばかり苦渋の顔色をした。
「へえ、ウェスアへ……」
案の定、握手の手を解いたフランチェスカは好奇の声音で、ネルを見る。カチュアの服と帽子を見れば、彼女がガモーフ神国の出身者であり、必然的にベスタ教の信徒であることは分かるだろう。だが、巡礼の旅装ではないし、センテ・レーバン人のレイヴンと魔法使いギルドの学生という奇妙な旅の仲間の組み合わせは、十分にフランチェスカに疑いを与える余地があった。
ところが、次にフランチェスカが口にした言葉は、意外な言葉だった。
「あなたたち、知らないの? 今、ウェスア大教会に行っても、お祈りできないわよ」
「は? それはどういうことだ?」
「本当に知らないみたいね。今、ウェスアではちょっとした騒動が起きているのよ。おかげで、ご覧の通り、巡礼の旅をする人なんて、一人もいないわ」
そう言って、フランチェスカは周囲を見渡した。相変わらず、巡礼者の姿も、教会騎士団の警備隊も見当たらない。
「騒動?」
小首をかしげるアルサスに、「ええそうよ」と答えたフランチェスカは、
「ちょうど、わたしたちもウェスアへ向かう途中だったの。あなたたちの叫び声が聞こえて、引き返して来たんけどね。どうかしら、一緒に行かない? その子、足をくじいてしまってるみたいだし、早く医者に見せた方がいいでしょ?」
と続けて、自らの愛馬の背をぽんぽんと叩く。だが、アルサスは同意しかねた。フランチェスカたちギルド・リッターは、空白地帯で起きた辻馬車襲撃事件を知っている。もっとも、アルサスが襲った辻馬車はネルを連れ去ろうとしていた裏ギルドが偽装したものであったが、いずれにしても、今頃空白地帯を自主警備するギルド・リッターは、消えた積荷とそれを奪った者を探しているはずだ。
アルサスの警戒心は頂点に達するが、ルウの傍で青い顔をして、必死に痛みをこらえているネルを放っておくことは出来そうにもない。
「遠慮するこたあねえ。たとえ相手がレイヴンだろうが、魔法使いギルドだろうが、困っているヤツを助けるのも、俺たちギルド・リッターの仕事だ」
筋骨隆々の男……ベイクが言う。アルサスは小さく溜息をついて、
「じゃあ、ネルを頼める? 俺たちは歩けるから」
と返事を返した。そして、ネルの傍に近づくと、リュックを下ろし中から、薬効の強い大きなアルテミシアの葉を取り出した。
「ごめんなさい、アルサス。足手まといになっちゃって」
心から申し訳なさそうにするネル。アルサスは、アルテミシアの葉をネルの足首に巻きつけて、布切れで覆ういながら、少しだけ微笑んで、
「仕方ないさ。それより、あいつらには要注意だ」
と、内緒話でもするかのよな、小声で言う。
「いい人たちじゃないですか?」
「だといいんだけど……。とにかく、君は馬に乗せてもらうんだ。ルウ、いざって時の対処頼むよ」
「う、うん」
そんな三人の脇を通り過ぎ、ベイクがボアルの屍骸から、鉄槍を引き抜く。どうやら、それを放ったのはベイクのようだ。遠方からの正確無比な投擲は、思わずゾッとする。いや、ベイクだけではない、フランチェスカの一挙手一投足にも隙がないし、細面のランティはおそらく、ルウなみかそれ以上の魔法使いだろう。
何事もなければいいのだけど。アルサスは、ギルド・リッター三人組の姿をそれぞれ目の端に捉えながら、思った。
※6 ガモーフ教会騎士団……ガモーフ神国の騎士団のひとつで、ベスタ教会の頂点である、ウェスア大教会の指示によって活動する。他に、「ガモーフ神衛騎士団」が存在するが、こちらは法王(ガモーフの王)の命令のみに従う、国軍である。兵の数は、神衛騎士団の方が多い。
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