18. 巡礼の道
忌々しいのは、影走り・シャドウズの失態ではない。影を縫うように疾駆する彼らとて、ミスはある。「勝敗は兵家の常」と言う言葉があるように、一度の失敗で、彼らへの評価を変えるつもりはない。メッツェ・カーネリアにとって忌々しいのは、「運び屋」ゲモック・ラボンから娘を奪ったレイヴンの男と、そしてなによりも、自らの上司であるライオット・シモンズだ。
レイヴンの男が、十五、六歳の少年であることは、シャドウズ本隊からの報告から分かっている。名前も「アルサス」と言うらしいのだが、素性ははっきりとしない。それと言うのも、レイヴンとはギルドの名ではなく、剣や魔法だけを頼みに、当て所なく放浪の旅をする流浪人のことを、誰ともなくそう呼び始めたのだ。そのため、レイヴン個々の情報を手にすることは容易ではない。すでに、「アルサス」という名のレイヴンについて、調査を行っているが、今のところ分かっていることは、背格好と名だけだ。
だが、おそらく、此度のルミナス島での失態は、そのレイヴンによるところが大きいだろう。ガムウを使い、ルミナスに騒動を起こさせ、娘を奪還する。乱暴な策だとは思ったが、こちらにも事情がある。第一に、娘のことを騎士団の連中に知られるわけには行かない。第二に、シオンさまの耳に入れてはならない。知れば、シオンさまはお怒りになられるだろう。第三に、ガモーフに知られてはならない。
時がたてばたつほど、情報は自然と漏洩し、センテ・レーバン王国がガモーフの娘を攫ったことは、白日の元にらされることになるだろう。黒衣の騎士団がラクシャ村を襲撃したその日から……いや、もっとその前から、すべての刻限は決まっていたのだ。その日のことを「約束の日」とライオットとメッツェは呼んでいる。
その日までに何としても銀色の娘を、手に入れなければならないのだ。だから、ことを急いてしまった。その結果、シャドウズに人的な被害を与えてしまったことは、ほかならぬメッツェの失策だった。おそらく、その人的被害を与えたのは、アルサスというレイヴンが殺めたのだろう。すでに、ガムウがルミナスの港で暴れている隙に、娘を奪還させるべく送り込んだ、五人編成のシャドウズ分隊が、帰投しなかったという報告は受けている。しかし、特殊な鍛錬をしたシャドウズを、たった一太刀で殺められるとは、アルサスという少年、何者なのであろうか……。
実に、謎の人物だ。忌々しい! メッツェは涼しい顔を見せつつも、胸焼けにも似た不快感を感じていた。
そして、それに拍車をかけたのは、ライオットだ。
「これはどういうことだっ!!」
ガムウ襲撃から、五日後のことである。メッツェを宰相府の自室に呼び出したライオットは、開口一番、彼を責め立てるように怒鳴った。ライオットの言った「これ」とはルミナスの魔法使いギルドから直々に送られてきた、親書であった。
メッツェは、それを手に取り、文面に目を通す。
「こいつも同封されておった」
そう言って、ライオットが投げてよこしたのは、センテ・レーバンの紋章が刻まれた指輪である。親書には、丁寧な文言で、ガムウ襲来とセンテ・レーバンの関与を疑う文書が書かれていた。つまり、シャドウズの遺体に残されたセンテ・レーバンの指輪を発見した魔法使いギルドが、抗議の親書を送りつけてきたのだ。
「メッツェ、私の断りもなくガムウを使い、あまつさえ、ギルドに干渉するとは何事か!?」
もしもギルドとの関係性がもし崩れれば、国家はギルド連盟を敵に回すことになる。物流や交易など様々な分野をギルドによって支配されている以上、ギルド連盟とことを構えれば、センテ・レーバン王国はライフラインを失うことになる。それは、国際政治上最も避けなければならない事態である。
だが、ライオットは、もっとことの重大性に気づいていない。ルミナスで、新たな未知の力が魔術師府によって感知されたと言う報告も受けている。しかもアトリアの森のときより、強力になっている。確実に「約束の日」は刻一刻と迫っているのだ……。
ライオットはそのことに気づいていない。いや、そもそも「約束の日」の意味すら分かっていないのだ。彼の頭の中にあるのは、己の利益と保身のみ。シモンズ家はそうやって、宰相家と呼ばれるまでのし上がった、政治家一族だ。
「ガムウは、わが国の技術院が極秘裏に捕獲し、新型魔法装置の実験を行っていた、大事なモルモットだったのだ。それを失ったばかりか、大ギルドの魔法使いギルドと事を荒立てて、この失態の始末、どう付けるつもりだ!?」
ライオットの、耳を劈くような怒鳴り声に、メッツェは「ほらね」と思う。ライオットは、ガムウを失ったことよりも、ギルドと険悪になるかもしれないと言うことよりも、もっと大事な「娘を奪還できなかった」ということに、まるで気づいていない。
何よりも、優先されるべき事項は、銀色の娘を手に入れることだ。そうすれば、ギルドなど恐れるに足らない。新型魔法装置など、不必要な代物と化する。何度説明しても、このボンクラには分かるまい。
「ガムウを使い、あまつさえギルドに疑念を抱かせたこと、弁明するつもりはありません。シャドウズの生き残りは、すべて本国へ引き上げさせるよう命じました。ガモーフ領へ入ったと思われる銀色の娘とレイヴンの行方は、シャドウズよりも勝手のいい『黒衣の騎士団』に追わせています。直に彼らが、追いつき銀色の娘を手に入れるでしょう。私の処分は、娘を手に入れてからにして下さい」
メッツェが語気を強めて整然と言うと、ライオットは何故か出鼻をくじかれたように、しゅるしゅると萎んでしまう。勢いだけで怒鳴り散らせば、冷静な返答に太刀打ちできなくなる、ライオットがそういう人間だと言うことを、メッツェは知っていた。
「今肝要なことは、シオンさま、騎士団、ガモーフどもに気づかれぬよう、娘を手中に収めること。それが、わたしの責務と考えています。ギルドへの対処は、宰相府親書による返答で、無関係の一点張りで通します。われらの技術院が、ガムウを捕獲していたことは、誰も知りません。幸いこの指輪は、多く世間に出回っている代物です。これしき指輪ごときで、センテ・レーバン王国とガムウの関連性を決定付けることは出来ません。こちらが、知らぬ存ぜぬを通せば、彼らとて、完璧な証拠が揃っていない以上、王国とことを荒立てたくはないはずです。それが、政治的なかけひきと言うものではないないでしょうか」
「知った風な口を!」
ドンっ、と執務机をたたくライオット。だが、メッツェはその先の扱い方も心得ている。この男に仕えて五年余り。
「いえ、ライオット閣下もそうお考えだったのではありませんか?」
そうおだてた物言いをすれば、
「む、むう。その通りだ……」
と返ってくることぐらい、容易に予想できた。
「では、至急、魔法使いギルドへの親書を書かせます。それをアローズへ運ばせる適任者は誰か居りますでしょうか?」
あえて、相手に決断のひとつを委ねてやる。挙がる名前はひとつしかないことをメッツェは分かっているが、そうすることで、ライオットに決断をしたと言う自己満足を与えてやるのだ。
「親衛騎士団のクロウ・ヴェイルに持たせ、アローズ関所へ向かわせろ」
「しかし、彼は先日戻ってきたばかりで、とんぼ返りになりますが……」
「あの没落一族の、子倅ならば、我がシモンズ家には逆らえん。嫌とは言わぬさ」
ニヤリ、ライオットがいやらしく笑う。メッツェは、その笑顔を見るのも嫌気がさして、一例を返すと部屋を後にした。
廊下でライオットのメイド長とすれ違う。年の頃は、メッツェと大して代わらない若さだが、いつも鉄面皮のような女だ。彼女は、メッツェの姿をみるや、廊下の端に寄り、彼のために道を明けた。だが、彼女は、
「ご苦労」
と言って、通り過ぎるメッツェの眉間に、シワがよっていたことなど気付きもしなかった。
「えーっと、色々と聞きたいことはあるんだ。でも、まずは、この状況について説明してよっ! 何、何、どうしてボクたち、魔物に追われてるワケ!?」
ルウが絶叫にも近い悲鳴を上げる。アルサスは、ネルの手を引きながら、
「いいから走れっ!! あいつら、見た目はイノシシだけど、平気でターンしてくるから」
と、怒鳴った。
「そんなこと聞いてるんじゃなーいっ!!」
語尾の部分だけが、周囲にこだました。だが、その声も、背後より怒涛のごとく迫り来る足音にかき消される。彼らの後ろを、まさに猪突猛進で追いかけてくるのは、ボアル族と呼ばれる魔物の一種だ。アルサスの言葉通り、見た目は食用にもされることがある角イノシシによく似ている。だが、違うのは、草色の毛並み、そして先端に瘤状のスパイクを有した太い尻尾を持っていることだ。しかも、強靭な脚力で、一度狙った獲物は逃がさない。機敏に踵をかえして、獲物を狙う執拗さは、灰色狼に似たヴォールフ族に近いものがある。
「ボアルさん! お願いです、気を静めてくださいっ!」
ネルが振り向きざまに言う。だが、そんなことで彼らの足はとまらないし、そもそも……。
「あいつら、ハイ・エンシェントじゃないから、言葉通じないよ、お姉ちゃんっ!!」
と、ルウが突っ込みを入れるが、それも空しく、ボアルの足音にかき消された。
何故、彼らがいきなりボアルに追いかけられているのか、その状況を説明するには、少しばかり時間を戻さなければならない。
ルミナスを出たアルサスたちは、その日のうちに、ガモーフ神国はアダーの街に到着した。小さな漁村らしく、簡単な入国審査を経てアルサスたちはガモーフの地を踏んだ。
ちなみに、レイヴンのアルサスともともとガモーフからルミナスの魔法学校に入学していたのルウはガモーフの通行手形を所持していたが、ずっと辺境のラクシャに住んでいたネルは、そんなものを持ってはいなかった。ところが、入国審査所を通り抜けられたのは、アルサスが連絡船の中で用意した偽造手形のおかげだった。本来ならば、三国が戦争状態にあった十年前ほど、正規手形を入手することは、それほど難しくはないのだが、なに分にも、慌ててルミナス後にしたため、それを買い求める余裕がなかった。
アダーで一晩宿をとった後、アルサスたちは、第二の目的地となった「ウェスア大教会」へと向かうことにした。ウェスアへの旅は、アダーからいくつかの村や町を経由して、街道沿いに北上する。旅程としては、昼夜歩き通して、一週間以上かかる道のりだ。整備された街道を歩く旅だから、それほど険しい旅ではないが、旅路としては長い。
そうして、星空の下で野宿を取りつつも、ようやく、二日目に差し掛かったとき、アルサスたちの目の前に分かれ道が現れた。東の道はウェスアにつながる一本道。通称「巡礼の道」と呼ばれている。そして、西の道は空白地帯への関所へとつながっている。
無論、目的地はウェスアであるから、東の道へと進路をとる。
「巡礼の道」とはそもそも、ベスタ教を信奉する人たちが、聖地へのお参りに使う道である。いくつもの、丘陵が折り重なり、草と花が風に揺らぎ、時折小鳥の鳴き声が聞こえるのどかな風景は、まさに神の聖地へと向かう道にふさわしいものがあった。
だが、昼過ぎから降り始めたにわか雨は、のどかな風景とは裏腹に、激しく巡礼の道を叩きつけた。街道の傍に、一本の立派な「とねりこの樹」をみつけ、その下で雨宿りをしよう、と切り出したのはアルサスだった。にわか雨なら、雨が通り過ぎるまでしのげばいい。急ぐ旅でもなければ、何も慌てることはひとつもない。ネルもルウもすぐに同意し、とねりこの木立の下に入った。
ところが、とねりこの樹の下には先客がいた。成体のボアルである。ボアルは木の下で、ぶるる、ぶるると大げさないびきをかきながら、昼寝を取っている真っ最中だった。
アルサスは、思わず「きゃっ!」と悲鳴を上げそうになったネルの口を押さえ、
「しーっ、静かに。雨がやむまで、そっとしておこう」
と、提案した。眠っていてくれれば、何も恐れることはない。獣と変わりないのだから。太いとねりこの幹をはさんで、アルサスたちはなるべく物音を立てないように、魔物と背中合わせで雨宿りすることにした。しかし、雨に濡れた体は、徐々に冷えてくる。
「くしゅんっ!」
緊張感が和らぎ始めたその時、豪快に、ルウがくしゃみを飛ばした。それが、ボアルにとってはモーニングコールとなったことは言うまでもない。鼻息荒く立ち上がると、その鋭い目で、昼寝の邪魔をした人間たちを睨みつけ、猛烈な勢いで彼らを追い立てたのだ。
随分とお粗末な話だが、これが、アルサスたちがボアルに追いかけられる事となった顛末である。
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