16. 罠と入れ知恵
誤算はあるとして、うかつだったことは否めない。ルウにもその責任はあった。アルサスから、「ネルを頼む」といわれたにもかかわらず、ネルの傍を離れてしまった。しかし、ルウが魔法を唱えてくれなかったら、アルサスは、ガムウの食指に押しつぶされていたかもしれない。
だから、アルサスにルウを責める気はなかった。すべては想定外だった所為だと、言いたい。ハイ・エンシェントがルミナス島に現れたことも、ガムウが何者かに操られていることも、シャドウズが現れたことも、すべてが想定外だったのだ。
「何? あいつら何なの!?」
ルウが、頭上にクエスチョンマークを浮かべながらうろたえる。無論、ルウの指す「あいつら」とはシャドウズのことだ。すでに、シャドウズの姿は街の方に消えて、見当たらない。
「くそっ! ライオットめっ!! どうすればいい!?」
アルサスはルウの質問に答えることなく、シャドウズの消えた方角と、眼前で暴れるガムウの両方に視線をめぐらせた。ガムウを放っておくわけには行かない。アルサスはバセットと戦って、ハイ・エンシェントの強さはよく知っている。魔法学生が束になっても、簡単にかなう相手じゃないだろう。しかし、ネルを見捨てられないのも分かっている。
迷っているアルサスの眉間に出来た、シワに気づいたルウは、軽くアルサスの背中を押した。
「事情はよく分からないけど、お姉ちゃんを助けてあげて。あいつらが、いいヤツにはとても見えない。きっと、お姉ちゃんを攫って、悪いことしようとしてるんだってことくらい、ボクにも分かるよ。だから行って!」
「だけど、それじゃあ、お前たちが……!」
「大丈夫。こう見えても、ボクは学園一の神童だよ。それに、ハイ・エンシェントと戦えるなんて、めったにないことだからね。何事も、経験だよ」
本当は、その場にいる誰もが、ハイ・エンシェントの来襲に怯えている。実戦経験がある者でも、魔物の長を相手にしたことがある者など、そうそういないだろう。ルウとて、それは同じことのはずだ。しかも、まだ十歳の少年には、目の前の魔物はとても強大に映っているに違いない。
だが、ルウはそれをおくびにも出さず、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「なんだ、お前、結構いいヤツかもしれないな」
「今頃気づいたの、アルサス?」
「減らず口がなきゃ、完璧ってことだよ。分かった、ここは任せる。すぐに戻ってくるから、それまで頑張ってくれ」
アルサスは手を上げて、踵を返すと、駆け出した。ルウは、「了解!」と威勢良く返しながらも、その背中を見送ることなく、先輩たちとともに、ガムウに立ち向かう。
一方、ネルを攫った影走りの男は、その鍛え抜かれた跳躍力と脚力で、気を失ったネルを小脇に抱えて、ルミナスの街角を疾駆していた。すでに一般住民の退避が終わり、街はがらんどうとしていた。賑わいを見せていた食堂通りも、購買部も、学生寮もすべて、扉に硬く閉ざされており、まるで町全体がもぬけの殻になったようだ。
少女の華奢な体は、思うよりも軽い。しかも、すぐに気を失ってくれたおかげで、騒がれずに済むのも、男にとって好都合だった。このまま、街の西側にある、小さな艀まで駆け抜ける。そこで待つ仲間たちと合流し、その後は、ガムウに仕掛けた魔法装置を遠隔操作で爆発させる手はずとなっている。レバードの希石には、三万発分のフランメ・プファイルの魔法が詰め込んであり、それが解放されれば、ルミナスはひとたまりもないだろう。三万発分の紅蓮の炎は、ルミナス島とともに、ガムウを使ったことの証拠をすべて隠滅してくれる。
あとは、この娘をライオットさまに届けるだけ。ライオットさま付の参謀官、メッツェの入れ知恵だが、非道も辞さない影の部隊でも、舌を巻く大胆にして豪快な作戦だ。
ただ、腑に落ちないのは、何故これほどまでにして、ライオットさまはこの娘を欲しがるのか……。いや、それは、影の知るべきことではないし、興味もない。与えられた任務をこなすだけ。それが、センテ・レーバン宰相府附属特殊部隊「シャドウズ」だ。
そう考えが至ったところで、下宿通りのさらに奥まったところに、小さな階段が現れる。調度日陰になった場所で、その先には、簡素な木組みの艀が取り付けられただけの船着場があった。船着場には、五、六人が乗り込めるほどの小さな小型艇が泊めてあり、ボートには仲間の姿があった。
『守備は?』
仲間の一人が、声を立てずに、手信号で尋ねてくる。
『上々だ、娘はここに』
男も手信号で答えた。
ボートは、ヴィントの魔法を応用したマラカイトの魔法装置が取り付けてある。これで、手漕ぎなしでも、ガレオン高速船の数十倍の推力を得ることが出来る。たとえ、追手の船が放たれても、帆船などでは、到底追いつくことが出来ないし、ルミナス港の船はすべてガムウが破壊した。
とどのつまり、階段を下りて、ボートに乗り込めば、この作戦は完遂したも同然なのだ。勝利を確信した男は、覆面の下でニヤリと笑った。
「なるほど、ガムウを操って暴れさせ、ドサクサに乗じて、ネルを攫うのと同時に、ガムウに港の船を壊させて、追手を排除する。随分、ド派手で回りくどいことしてくれるじゃねえか」
唐突に背後から声が聞こえ、男は、階段を下りる足を止めて振り向いた。両側を下宿の壁に囲まれて、薄暗い路地を、誰かがこちらに向かって歩いてくる。ギラリ。抜き身の剣だけが光った。
「貴様は……っ!」
絶句する男の前に、影からアルサスが顔を見せる。
「だけど、手っ取り早く、合理性は整ってる。メッツェの作戦か? ライオットのバカにこんな作戦、考え付くはずないもんな。打算でしか動けない政治屋に、魔法使いギルドと事を荒立てる勇気はないだろう」
赤い瞳が、きつく男を睨みつける。
「なぜ、レイヴン風情が、ライオットさまやメッツェさまのことを知っているのだ?」
「さあてね。風評なら、レイヴンでも耳に出来るってことだよ。もっとも、悪評しか聞いたことはないけどね」
「同じセンテ・レーバン人が、宰相閣下を愚弄するとは……」
アルサスと、男がにらみ合っている間に、ボートにいた影走りの仲間たちも、男の様子が変だと気づき、クローガントレットを構えて、階段を駆け上がってくる。階段の上は少しばかり開けており、その場であっと言う間にアルサスは、シャドウズに取り囲まれた。だが、アルサスの瞳は怯えなど見せない。
「命が惜しかったら、その子を返せ」
アルサスは剣を構えて、シャドウズたちを威圧するように言った。
「残念だが、それは出来ない。我らが任務を放棄する時は、死ぬ時だけだ」
「だろうね。じゃあ、悪いけど死んでくれっ!!」
そう言うが早いか、目にも留まらない勢いで、アルサスの剣が空を薙ぐ。ややあって、どさり、と音が聞こえた。そこに転がるのは、胸をばっさりと斬られた出来立ての死体。
さらに、アルサスは身を翻す。そして、シャドウズたちのクローガントレットが振り下ろされるよりも早く、彼らを貫き、切り殺していく。最後に、ネルを抱えた男が一人残るまで、ものの数十秒だった。
「つ、強い。昨日とは別人のようだ……太刀筋に何の迷いもない」
男は、クローガントレットの刃を、ネルの喉元にあてがいながら呻いた。幸い、ネルは気を失ったままだ。
「迷ってたら、お前たちは、この島ごとすべて破壊してしまうだろ?」
「なるほど、全部お見通しと言うわけか」
「そういうこった!」
アルサスが地面を蹴る。一瞬で男との間合いが詰まり、アルサスは剣を薙いでクローガントレットを弾きとばした。激しい金属音が鳴り響く中、アルサスはさらに、男の腹に膝蹴りを入れる。「ぐえっ」と唸った男の姿勢が崩れて、抱えたネルを離してしまう。アルサスはその隙を見逃さなかった。
蜂が刺すように、剣先が男の喉元を貫く。剣の先端はそのまま、男の首を貫いて、後頭部から姿を見せる。血に濡れた切っ先が、太陽の光に照らされて、不気味に光る。
「その迅雷の剣技……きさま、な、ぜ……」
何かを呟きながら、覆面の下の瞳がアルサスを睨みつける。だが、その瞳が濁ると同時に、男は絶命した。アルサスは、ふうっと、小さく溜息をついてから、男の首元から剣を引き抜き、鞘に収めた。
「それでも、一番迷っちゃいけないことは、ずっと迷いっぱなしなんだよ」
男の死に顔に、アルサスはそう言うと、辺りを見回した。そこには、四人のシャドウズの変わり果てた姿が転がっている。あるものは、胸を突かれ、ある者は首筋を切り裂かれ、確実に急所を仕留めてられていた。
人の命を奪うことを、平然とした気持ちでやってのけたつもりはない。たとえ、相手が敵であっても、心は痛むものだ。だから、出来ればそうしない方法を模索したかった。だけど、今はそんな時間もない。迷っていたら、ネルも島の人たちも救えない。それを天秤にかけた自分が、少しだけ怖かった。
アルサスは雑念を振り払うように頭を何度か振って、膝を折った。息絶えた男の装束を探り、小さな箱を取り出す。箱には、魔法文字が刻まれており、呪文を唱えれば、ガムウに取り付けられた魔法装置が爆発するようになっていた。
『こんなことに、魔法使いたちの努力を無駄遣いしやがって!』
アルサスは、箱を目の前の海に投じた。小さな波紋が広がって、箱は海の中に消える。
ネルに、この惨状は見せられない。何も知らないで、平和にラクシャ村で過ごしていた少女にとって、人間の死体が転がる光景は、あまりにも刺激が強すぎるだろう。
気を失ったまま、うずくまるネルを抱え上げたアルサスは、もう一度だけ、自分が殺めた者たちに、別れの一瞥を送って、その場を後にした。
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