15. ガムウ襲来
魔法使いギルドの本拠地であり、当該ギルドが管理・運営するルミナス島には、独自の防衛システムがある。ヴァッサー・バックラーの魔法で作られた魔法結界である。これは、ルウが説明した「魔法の応用」の一種で、ルミナス島の近海に、島を取り囲むようにいくつも設置された、アクアマリンの魔法装置によって増幅され、魔物を寄せ付けないための障壁を形成している。
もしも、魔物が結界を通り抜けようとすると、装置が作動して、水の盾が魔物から島を守るのである。そのため、ルミナス魔法学校に学生や研究員は安心して、勉学・研究に勤しむことができるのだ。
しかし、ルミナス島に突如現れた魔物は、この結界を潜り抜けたのだ。どうやって潜り抜けたのかは分からないが、無論そういう事態も想定して、第二の防衛策もあらかじめ講じてある。
それが「全島防衛体制」と呼ばれるものだった。ルミナス島には、ギルドメンバーの魔法使いをはじめとして、魔法学生や研究員などが二千人ほど在中している。緊急事態には彼らが各々武装して、戦うことを「全島防衛体制」と呼ぶ。
「全島防衛体制を発令します! 島内魔法使いは、全員戦闘体制に移行。魔法学校生徒の各学年は、上級生の指示に従って、日ごろの訓練どおり、落ち着いて行動してください!」
エーアデ通信技術を用いた、島内放送の呼びかけに応じ、学園都市は騒然となる。先ほどまで、のんきな会話を交わしていた隣席の魔法生徒も、飯を食べている場合ではないと、慌て始めた。島にいる者たちにとって、この島にギルドの本拠地が築かれてはじめての事態であり、平常心ではいられない。
「全島防衛体制なんて……ただの魔物じゃないのか!?」
ルウの言葉に、ネルとアルサスはハッとなり、互いに顔を見合わせた。魔法使いギルドの設置した、魔法障壁を乗り越えて、港へ侵入するほどの魔物。それは……。
「もしかして、わたしのことを……」
言いかけたネルの口を、アルサスが微笑みでふさいだ。
「大丈夫。俺が守るから。ネルを殺させたりしないよ」
「でも、わたしの所為で、この島の人たちに迷惑をかけるなんてできません!」
「分かってる。でも、相手がハイ・エンシェントなら、説得できるかもしれない」
「バセットさまのように、譲らなかったら?」
真剣な瞳でネルが、アルサスの顔を覗きこむ。だが、アルサスは笑顔を崩すことなく、「戦って追い払う」とはっきりとした口調で返した。
どこから、その自信があふれてくるのかはよく分からなかったが、アルサスの言葉は、ネルを勇気付けてくれる。大丈夫、この人なら、わたしを真実へと導いてくれる。だから、信じよう。
「行こう、港へ。魔物を止めに」
アルサスが左手を差し伸べる。ネルは軽く頷いて、その手を取った。心配そうに港の方を眺める、食堂のおばさんに、一飯のお礼と早く非難するよう促し、二人は表へと出た。
「ちょっと待って、アルサス!!」
食堂通りを港へと走る、アルサスとネルをルウが追いかけてくる。アルサスが足を止め振り返ると、息を切らせながら、駆け寄ってきたルウは、ズレかかった丸ぶちの眼鏡を直し、「ボクも行くよ」と言った。
「お前は、全島ナントカの、持ち場があるんじゃないのか?」
「そんなの、ボクがいなくても、他の人たちがやるよ。それより、相手がハイ・エンシェントなら、この眼で見てみたいんだ。足手まといにはならない」
そう言って、ルウは制服の内ポケットから、差し棒程度の長さのステッキを取り出す。そして、知識欲と好奇心で満たされた瞳をくりくりさせながら、アルサスの返事を待った。
「怪我してもしらねぞ」
アルサスは、ニヤリと笑って、顎をしゃくった。「付いて来い」の合図だった。
ルウを加えた三人が、食堂通りから大通りへと出ると、港の方角にもくもくと上がる煙が見える。露天や購買部はすべて戸閉め、店主たちは魔法生徒たちに誘導されて、避難場所である校舎へと、階段状のコンコースを上っていく。それとは反対に、校舎から港へと一直線走ってくる一団。それは、上級生の魔法生徒を従えた、魔法使いギルドのメンバーだった。
「第一班は、消火活動、第二班は魔物に対処せよっ!!」
チームリーダーと思しき魔法使いが、声を荒げながら、アルサスたちの前を通り過ぎていく。アルサスは、ネルの手を引いて、ルウを従え、その一団の後を追いかけた。
最初の轟音と振動が伝わってからというもの、ひっきりなしにそれは続き、島全体が揺れ動いているような錯覚を覚えながら、アルサスたちは港へとなだれ込んだ。
港に停泊する船が木っ端微塵に打ち砕かれ、物見やぐらは押し倒され、物資を満載したコンテナ木箱は原形をとどめていない。
それらすべての所業が、たった一匹の魔物によるものであることも驚愕に値するが、それよりも、アルサスたちを驚かせたのは、その魔物の巨大さたるや、桁外れであったことだった。
「お、大っきいよっ」
ルウが、あんぐりと口をあけて、水辺から今まさに這い上がろうとする魔物の巨躯を見上げた。ハイ・エンシェントは、同じ種族の魔物の中にあって、巨躯である。たとえば、トンキチやバセットがそうであることを知っているアルサスには、魔物の大きさくらい予想がついていた。
だが、ルミナスを襲った魔物は、その予想をはるかに凌駕していた。全長は人間の五倍はあるだろうか。赤黒い皮膚、長い頭部の下には、ギョロリとした二つの目。そして、目の付け根の辺りから、二十本はあろうかと言う、吸盤のびっしりと張り付いた食指が蠢いていた。イカの化け物、そういう表現がぴったり来るだろうか。
「ガムウ……。スキード族の、ハイ・エンシェント! この世に七匹しかいない、ハイ・エンシェントの一匹だよ」
ルウが、本から得た知識を叫ぶ。
「ガムウってのが、あいつの名前か」
抜き身の剣を両手に構え、アルサスは呟いた。スキード族は、大きいものでも、食指の長さを合わせて、人間ほどの体長しかない。食用されるイカと違うのは、食指の数である。ガムウと言う名のスキードの長は、その食指をぶんぶんと振り回して、港を破壊していく。それは、まるで理性を失った獣が、手当たり次第に暴れているかのような光景だった。とても、崇高な知性を持ち合わせているようには見えない。
「アルサス! 見てください。ガムウさまの額!」
とネルが、ガムウの両目のすぐ直上あたりを指差した。キラリ、何かが光る。それが、銀の金具に固定された大粒の宝石だと、気付いたのは、ルウの方が先だった。
「魔法装置。あの石は、レバードだよ」
宝石は、黄色と黒の交じり合った独特な模様をしていた。アンバーやマラカイトとはまったく異なる石だ。
「でも、どの魔法とも共振しないレバードを使った魔法装置なんて、そんなものありえない!」
ルウの叫びは悲鳴に近く、目の前で繰り広げられる壮絶な光景すべてを信じられないと言っているようだった。実際、魔物を取りまとめるハイ・エンシェントが、むやみに暴れることはない。
「あり得なくっても、目に映るものは、本当のことだ。こいつが夢じゃない限り、あのハイ・エンシェントがレバードの魔法装置に操られていることは、揺るぎのない事実だ! ルウ、ネルを頼むっ!!」
そう言うと、ルウとネルが止めるのも聞かずに、アルサスは剣を片手に、ガムウに向かって走り出した。ガムウは「るおおん!」と奇妙な叫び声を上げながら、食指を縦横無尽に振り回す。
先ほどの魔法使いに率いられた魔法生徒の一団は、すでに配置につき、各々魔法の杖を構えていた。
「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の矢となれ……フランメ・プファイル!!」
魔法生徒たちの、呪文詠唱に合わせて、杖の先端が輝き、炎の矢が無数に飛び出す。だが、それらは、食指の一蹴であっと言う間に霧散していく。何度魔法を唱えても、ガムウに一撃を与えることさえ出来ない。
「くっそうっ!! 赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の槍となれ……フランメ・ランツェ!!」
「待て、止めろっ!」
剣を振り上げながら、アルサスは無謀にも魔法を唱え続ける魔法生徒の一人に叫んだ。案の定、放たれた魔法の矢は、食指が絡めとり、消えてしまう。しかも、呪文詠唱に気を取られている隙に、その魔法生徒は側面から忍び寄る別の食指に気付いていなかった。
「危ないっ!!」
アルサスは、咄嗟の判断で、魔法生徒の背後から体当たりをした。さらに、ポケットから魔法カードを取り出す。
「青の精霊、その封印を解き放ち、水の盾となれ。ヴァッサー・バックラー!」
カードが輝き、カードに封じ込められた魔法の力が解き放たれる。魔法はアルサスと生徒を包み込むように半円状の水のバリアを形成する。
「た、助かったよ。君」
魔法のバリアを叩いた、ガムウの太い食指に、ぞっとしたような顔をして、助けられた魔法生徒は礼を述べた。アルサスは、魔法が消えると同時に立ち上がり、剣の切っ先で、ガムウの額を指し示す。
「相手が、でかすぎるんだ。小手先の魔法なんて通用しない。あの、レバードの魔法装置を破壊できないか? アイツは、あの装置に操られているかもしれない」
「何だって!? でも、そうしたいのはやまやまだけど、食指の数が多すぎて、魔法が届かないんだ」
「分かった、食指の数を減らす。それまで、魔力を使い果たすな!」
アルサスはそう言うと、生徒の返事を待つことなく、駆け出した。
別の場所では、悪戦苦闘する生徒たちが、食指の攻撃になぎ払われていた。戦闘が始まって、まだものの数分足らずしか時間がたっていないと言うのに、すでに劣勢だ。このまま、我を忘れ暴れまくるガムウが上陸したら、ルミナス学園都市は、あっと言う間に破壊されてしまう。魔法学校の校舎に逃げ込んだであろう、あの食堂のおばちゃんたちも、無事では済まされないだろう。
誰に操られている? ネルを探してここに来たんじゃないのか?
アルサスは、食指に立ち向かいながら、思案をめぐらせた。バセットのように、「奏世の力」を持つ銀の乙女であるネルを殺しに来た、と言うのであれば、こんなにむやみやたらに暴れる必要はない。
事態の本当の意味に当惑しながらも、アルサスは剣を振るう。しかし、その太さだけでも、丸太並の食指は、微妙に柔らかく、剣の刃を通さない。ぐにゃっとした気味の悪い感触とともに、はじき返されるのだ。そのたびに、アルサスは、身軽に反撃をかわしていく。
だが、不意に視界を、三本の食指がふさいだ。左右、そして上空から叩きつけるように伸びてくる食指。その太い腕に押しつぶされたら、死んでしまう。アルサスは、魔法カードに手を伸ばした。魔法の矢を打ち払うほど強靭な食指が三本だ。防御の魔法であるバックラーを用いても、防ぎきれる自信はなかった。
と、その時。背後で、声が上がる。
「赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の矢となれ……フランメ・プファイル! 固定! 赤の精霊と契約の名の下に、具現せよ。汝、火炎の槍となれ……フランメ・ランツェ! すべての魔法を解除する、アレス・フライセンっ!!」
ルウが魔法を唱えたのだ。激しく破裂音のような音が鳴り響いたかと思うと、左側から迫る食指に、炎の矢を纏った槍が突き刺さる。その一瞬、ガムウの食指がひるんだ。アルサスはその隙を見逃さなかった。
「いちかばちかだ! 緑の精霊、その封印を解き放ち、風の剣となれ。ヴィント・シュベーアト!!」
アルサスは、解放の呪文と同時に魔法カードを、剣にたたきつけた。剣身が俄かに輝いて、魔法のカマイタチを帯びる。それを、一気に振り上げてやった。
一閃。瞬くよりも早く、魔法の力を借りた刃が、食指を切り裂く。
「るおおんっ!!」
ガムウのその叫びは、痛みによるものなのか、分からないが、切り取られた食指がのた打ち回る。
「大丈夫? アルサスっ!!」
ルウが魔法のステッキ片手に、駆け寄ってくる。
「助かった、ルウ。ありがと。しかし、すげえな、魔法を組み合わせるなんて」
「固定魔法は、初歩的な応用だよ。アルサスもやるじゃん、魔法の剣で戦うなんて」
「お前の固定魔法が突き刺さっただろう。だから、もしかしたら、って思ったんだよ」
こともなげに言ってのけるが、ルウはアルサスの判断の早さに、舌を巻いた。同様に、アルサスはルウの魔法の腕前が、伊達に飛び級するほどの神童、と呼ばれているわけでないことを目の当たりにして、感心してしまった。
二人は、各々の武器を手に背中合わせになり、食指をけん制する。
「ボクが、ヴィント・シュヴェーアトの魔法で、アルサスの剣に魔法を付帯するよ」
「頼む。一気に、カタをつけてやる」
これならいけるかも、確信めいた思いが、二人の胸に過ぎった。だが、その淡い期待は、絹を裂くような悲鳴によって打ち砕かれた。
「きゃああっ!!」
突然のネルの悲鳴。アルサスとルウは咄嗟に振り向いた。少し離れた場所、食指が届かない場所で、不安気にアルサスとルウ、そしてガムウを見つめていたネルは、何の前触れも、音もなく、背後から近付いたものに、羽交い絞めにされた。
「あれはっ……シャドウズっ!!」
アルサスが絶句とともに叫ぶ。全身を黒の装束に包み、クローガントレットを身に着けた黒装束の集団、「影走り」こと「シャドウズ」の一人に違いない。覆面を着用しているため、はっきりとは分からないが、その男は、ニヤリといやらしく笑ったような気がした。
しまった! と思う間もなく、シャドウズの男はまるで影が走るように、ネルを連れ去ってしまう。周りにいる者たちは、ガムウとの応戦に集中していて、誰もそのことに気がついていなかった。
「アルサスっ!!」
連れ去られるネルが叫んだ。
「ネルっ!!」
アルサスもまた、彼女の名を叫んだ。だが、その一瞬の後には、ネルの姿はみえなくなってしまった。
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