12. ルミナス魔法学校
潮風を辿り、海面ぎりぎりを滑空する風鴎は、海の男たちのコンパスの代わりでもある。そんな風鴎がアルサスたちの乗る船を、ルミナス島へと導いてくれた。
翌朝、風鴎の猫を思わせる鳴き声で目を覚ましたアルサスは、船窓から見えるルミナス島の全景に、思わず目を奪われた。
それほど巨大な島ではない。全景を目の中に収められるほどの大きさだが、驚きなのは、城がぽっかりと海上に出現したのかと勘違いしてしまうほど、巨大で荘厳な要塞が島の上に聳え立っているのだ。つまり、島全体が魔法使いギルドの本拠地である「ルミナス魔法学校」である。
魔法使いギルドは、大小五十あまりのギルドが連盟して作られる、大ギルドである。組織規模としては、ギルド・リッターやギルド・マーチャントを越える。その、魔法使いギルドの本拠地である「ルミナス魔法学校」はその名前の通り、次代の魔法使いを育てるための学校が中心にあり、さまざまな魔法技術の研究機関が研究室を設け、世界中の知識と技術が集約する、最先端の街でもある。
噂は耳にしていたものの、アルサスもこの島を訪れるのは初めてのことだった。まして、ガモーフ神国の辺境にあるラクシャ村から出たことがなかったと言うネルにとって、ルミナスの全景は多大な衝撃をもたらした。
アルサスよりも早く目を覚ましたネルは、今度はアルサスを起こさないように気を遣い、そっと部屋を抜け出した。甲板に出ると、透き通るような青空に吹き抜ける朝の潮風が心地よく、昨晩抱いた不安や悲しみを吹き飛ばしてくれる。どうしても、夜は心細くなってしまう。妹のメルや、家族、村の人たちのことを考えると、胸が苦しくなる。そんな自分を、アルサスが優しく元気付けてくれたのは、心から嬉しかった。
ネルは甲板で伸びをして、あたりを見回した。甲板には、他の乗客の姿もあった。灰色のローブに身を包んだ青年や、商人らしき男、お金持ちの夫婦など、乗客の素性はさまざまだが、客の姿は少ない。だから、あの水夫はネルたちに個室を用意できたのだろう。
そんなことを考えていると、
「おはようさん。どうだい、船旅は? よく眠れたかい?」
と、例の筋骨隆々の水夫が、姿を見せた。昨日と同じく、真っ白な歯をキラリとさせながら、水夫はネルのもとに寄って来る。
「あ、はい。おかげさまで。何から何まで、ありがとうございました」
「礼には及ばねえさ。金ももらってるし、どうせ客の少ない就航便だからな。それよか、お嬢ちゃん、あっちを見てみなよ」
水夫が太い腕で、海の向こうを指差す。そこには、洋上に浮かぶルミナス島があった。朝日の逆光を受けて、シルエットとなったルミナス魔法学校の城は、ネルに驚嘆を与えた。巨大な建造物など見るのは初めてだ。
「あ、あれがルミナス魔法学校ですか!?」
ぽっかりと口を開け、校舎というよりは城塞のような魔法学校を見つめて、ネルが驚きの声を上げる。水夫は、ネルの素直な驚きように、嬉しくなったのか、すこし自慢気になった。
「そうさ。魔法使いギルドの初代ギルド長が建造させた校舎だ。学園島のシンボルでもある。あそこには、二千人もの学生と研究者、それから世界中の本が集まってるんだ」
まるでガイドよろしく水夫が解説を加えると、ネルは感心したような声を上げながら、徐々に船が接近していくルミナス島の全景を見つめた。
「そう言えば、連れの小僧は、どうした? 女の子一人にして、まだ寝てやがるのか?」
水夫は、客室のある船室の方を見やって、仕方のないやつだな、と付け加えるように言った。ネルは慌ててアルサスのフォローを入れようとしたが、水夫はアルサスにはあまり興味がないらしく、くるりと顔をネルの方に向け、執拗なほど白い歯をキラリとさせる。
「しかし、ルミナスへ行きたがる奴なんて、珍しいぜ。大体が魔法使いか商人。あとは、ルミナスへの物資だ。たまに、そこの夫婦みたいに観光ってのもいるけど。君たちも、観光かい?」
「えっと、観光……みたいなものです」
ネルは、答えを濁した。自分たちを助けてくれた水夫に、嘘をつくことは、少しだけ良心がちくりとする。しかし、だからと言って、「奏世の力」などと、無関係の人間に話せることではない。
「そうか、観光か。若い男女が、二人きりで観光旅行ねえ……もしかして、あのアルサスって小僧、君のカレシ?」
突然、ニカリと笑って、水夫が野暮ったく尋ねてきた。その問いかけは、一瞬でネルの顔を真っ赤に染め上げる。ネルが、頭を左右に振ると、三つ編みにした長い銀色の髪が、尻尾のように揺れる。
「ええっ!? ち、違いますっ」
「じゃあ、まだ友達以上、恋人未満ってところか?」
水夫の顔が、やたら意地悪な人に見えてくる。
「ううっ、それは、その友達以上でさえないと言いますか。その、わ、わたしが勝手に、アルサスのことを……」
そう言い掛けた、まさに最悪のタイミングで、
「おはよう、ネル、水夫のおっちゃん。何か楽しそうだね。何の話してたの?」
と、客室の方からいつもどおりのニコニコとした笑顔をたたえたアルサスが姿を現した。アルサスは、すでに旅支度を終えて、白銀の鎧をまとい、リュックを背負い、腰に剣を帯びていた。
アルサスの姿を見たネルの頭上に、ぽんっと煙があがる。
「な、ななな何でもないですようっ!」
そう言って、ネルは耳まで真っ赤にして俯き、水夫は愉快そうに笑い、アルサスはわけが分からずきょとんとした。
そうこうしているうちに、ついに船は接岸を知らせる半鐘を鳴らしつつ、ルミナス島の南岸にある波止場へとゆっくり接岸した。錨を下ろし、艀をつなぐ。船を降りる人は少ないが、港は船の届けてくれた生活物資で賑わっていた。ルミナス島は、そこに滞在する魔法ギルドの人間にとっては、生活空間であり、一種のコロニー(共同生活体)を形成しているため、学園全体が都市となっていると言い換えてもいいかもしれない。
アルサスとネルは恩人である水夫に慇懃に礼を述べた。水夫は陽気に笑いつつ、
「困ったことがあったら、いつでも声をかけてくれ」
と、世話好きの顔を見せて、入島するアルサスたちを見送った。
この島へ来た目的は、ネルの体に眠る「奏世の力」について調べるためだ。アルサスたちは港を後にすると、まずは、魔法使いギルドによる、入島審査を受けた。といっても、堅苦しいものではない。学園である島に、争いごとを持ち込まないため、武器に魔法の封印を施し、荷物を調べられる程度である。
「ようこそ、ルミナス島学園都市へ」
と、審査の歓迎でゲートをくぐると、そこからは、学園都市が広がっていた。長いコンコースは、階段状になっており、まっすぐに校舎の入り口へとつながっている。その両脇には、購買部や食堂が軒を連ねており、昼時ともなれば、学生や研究員で賑わうことは、想像に難くない。すでに、コンコースには人の往来があり、先ほどアルサスたちとともに到着した物資が、校舎へと運ばれていた。
「ネル、カルチェトみたいにはしゃぐなよ」
校舎に向かう階段を上りながらアルサスは、物珍しそうに辺りを見回すネルに釘を刺した。「わかってますよ」とネルは微笑むが、アルサスは内心不安だった。元気を取り戻して、明るくいてくれることは、アルサスとしても願ってもないことなのだが。
「おや、あんたたち、見ない顔だね」
不意に、すれ違う中年の女性が、アルサスたちの顔を見て振り返り、声をかけてきた。「観光かい?」とたずねてくるおばさんのふくよかな顔は、いかにも気さくな笑顔だった。
「いや、ちょっと調べものをしたくて。そうだ、おばちゃん。この島て一番魔法に詳しい人って、誰だか知ってる?」
アルサスは立ち止まると、おばさんに問いかけた。おばさんは、校舎の天辺を見上げるようにして、
「そりゃ、多分魔法学校の校長だろうねえ。でも、お忙しい方だから、あんたたちみたいな、旅の人に構っているヒマはないだろうねえ」
と、申し訳なさそうに言う。ちなみに、ルミナス魔法学校の校長は、魔法使いギルドの長が歴任している。現在の校長も、現魔法使いギルドの長であり、世界中の魔法使いの頂点にいる雲の上の存在だ。もちろん、そんな人にお目どおりがかなうとは、アルサスも考えていない。
「いや、さすがにお偉いさんじゃなくてもいいんだけど」
「そうねえ、他に心当たりがあるといえば……」
しばらく腕組みをして考えたおばさんは、まるで頭上に明かりでもともるかのように、ぽんっと、両手を叩いて、
「そうだ、パットンに会ってみなさいな。ここの学生だけど、とても頭のいいのよ。ちょっと食が細いのが難点だけど」
と、アルサスたちに教えてくれた。よく見ると、おばさんは給仕の格好をしている。どうやら食堂のおばさん、と言ったところだろうか。
「パットンね、ありがと、おばさん!」
「あ、ありがとうございます、おばさま」
アルサスにあわせて、ネルもぺこりと頭を下げる。すると、おばさんはエプロン越しに自らの太鼓腹を叩く。
「あら、お嬢ちゃんも、食が細そうね。ちゃんとご飯食べなきゃ、あたしみたいに立派になれないよ」
いや、なりたくないだろう。ネルの隣で聞いていたアルサスは、口に出しかけた言葉を飲み込んだ。
「よし、お昼には、家の食堂に食べにきなさいな。うんと、大盛りサービスしてあげるから。あたしの食堂は、ここから、ふたブロック先にある、『ラ・リシェール』と言うお店だよ。絶対くるんだよ、いいね!」
そう言うと、おばさんは踵を返して、コンコースの階段を駆け下りていく。
「なんだか、親切な方でしたね」
おばさんの後姿を眺めつつ、ネルが苦笑した。
「親切って言うか、世話焼きっていうか。どこの街にもああいう人はいるもんだよ。人の好意は素直に受け取るってのが、旅の鉄則だから。そんじゃ、昼になる前に、そのパットンってやつに会いに行こう」
「どんな人なんでしょうか?」
「食が細いって言ってたから、もやしかごぼうみたいにひょろ長い奴じゃないかな。会ってみれば分かるさ」
アルサスは、ネルを促して、魔法学園の校舎の方へ歩いていく。
「わたしって、もやしみたいですか?」
おばさんに食が細いといわれたことを気にしたのか、ネルはアルサスの背中を追いかけながら尋ねた。確かに、背は低いし、腕も細いけれど、もやしみたいなつもりはない。山育ちで、足腰は丈夫なつもりだ。しかし、アルサスは苦笑するばかりで答えてはくれなかった。
魔法学校の校舎は、巨大な校門をくぐった先にある。城のように見える建物の大部分が、講義講堂や研究施設となっている他、上層階にはギルドの運営部などがある。また、建物は上空から見ると、ドーナツ状になっており、中心には校庭が存在している。
校舎に足を踏み入れたアルサスたちは、ひとまず受け付けへと向かった。城ならぬ、校舎内部は、その概観に合わせた調度にそろえてある。特に、赤いカーペットは本当に王様の住むお城を思わせた。
「ようこそ、魔法使いギルド・ルミナス魔法学園へ。御用は何でしょうか?」
受付でアルサスたちを迎えてくれた女の子は、魔法学校の生徒だ。右胸のエンブレムが印象的な、紺色の制服に身を包んでいる。アルサスたちと年のころはそう変わらないだろう。
「パットンってやつに会いたいんだけど」
と、アルサスが言うと、一瞬何のことだか分からないといった風に、眉をひそめて、「パットンですか?」と怪訝そうにした。彼女は、二千人もいる島の人間の中から、思い当たる人物を手繰り寄せているのだろう。そう思った、アルサスは言い直す。
「ここの学生らしいんだけど。ちょっと教えてもらいたいことがあって……」
「ああ! 三年生のパットンくんですね。彼なら、北棟の図書館にいると思いますよ。今日は、講義がお休みの日ですから」
「図書館? 俺たち部外者が入ってもいいの?」
「はい。わが校は、広く多くの方に門戸を開いています。学内もご自由に見学なさっていただいても結構ですよ。何なら、ガイドしましょうか? あの有名な、大魔法使いエルフォードさまの像など、ご紹介さしあげますが」
営業スマイルを思わせる笑顔とともに、受付の女の子が言う。どうやら、学校の受付は生徒たちが持ち回りで受け持っているのだろう。そして、この島には観光客も訪れる。そんな観光客のために、学内や島のガイドも行っている。中でも、ギルド設立者でもありこの魔法学校を開校したという、大魔法使いエルフォード卿の巨大銅像は、観光の目玉となっているのだが、アルサスたちにはそんなものを観る為にこの島を訪れたわけではない。
「ありがとう。でも、今はパットンに会いたいから、また今度頼むよ」
アルサスは片目を瞑って、受付の女の子に返すと、ネルとともに廊下を歩いた。すれ違う学生たちに、図書館への道を尋ねながら、さも迷路を思わせる廊下に辟易し始めたとき、目の前に一際大きな観音開きの扉が現れた。扉には「図書館」の文字。
「ここ、ホントに学校か? 要塞だろこれじゃ」
誰に言うでもなく、アルサスは愚痴をこぼしながら図書館の扉を開いた。そこは、一階から三回までを吹き抜けにして、巨大な本棚が並べ立てられた、本に囲まれた部屋だった。
「すごい、本がいっぱいです」
頭上よりも遥かに高い本棚を見上げて、ネルが本日二度目の驚嘆の声を漏らした。遥か天井には、明かり窓が設けられているのだが、本棚と本棚の感覚が狭くて、光はほとんど下まで届かない。そんな圧巻の光景には、アルサスも思わず驚いてしまう。アルサスは世界の知識が集まる場所、と呼ばれるゆえんの一端を垣間見たような気がした。
「と、とにかくパットンを探そうか」
とは言ったものの、図書館には受付の女の子と同じ制服姿の学生がちらほら見受けられる。皆真剣な顔をして、本とにらめっこしている。その誰がパットンだか、容姿を知らないため、一人ずつ聞いて回るほかない。
図書館では静かに、という張り紙を尻目に、とりあえず手近な人に声をかけようと、アルサスが思ったその瞬間だった。
「危ないです、アルサス!」
突然、張り紙を無視したようにネルが叫ぶ。だが、ネルの顔は、アルサスではなく、図書館の天井を見上げていた。何事だ? と、アルサスも上を見た。
唐突に視界が何かにさえぎられたかと思うと、硬いものの角が、アルサスの額を叩く。その拍子に、次から次へと、硬いものが頭上から降ってきた。それが、本だと分かった時には、アルサスは降り注いだ大量の本に埋もれてしまった。
「きゃあっ! アルサス、大丈夫ですか!?」
焦るネル。騒然となる図書館。アルサスは痛みをこらえて、自分を埋めた本を払いのけた。
「痛ってえな! 何すんだよっ!!」
本の角が当たって赤くなった額を押さえて、アルサスは頭上を睨みつけた。
「やあ、ごめんごめん」
それほど悪いとは思っていないような、からりとした男の子の声。その声は、三階部分の本棚から、聞こえてきた。
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