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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十二章
115/117

115. コンテイル

「帰るって、何処に帰るんですか? もう、わたしには帰る場所なんてありません。お父さんもお母さんもメルもこの世にいない……。フォトンになって消えたんじゃなくて、その命は永遠に戻らないんです」

 差し伸べられた手を、ネルは掴まなかった。頑なに拳を握り締め、メッツェの隣で訴えるネルの姿は、アルサスの胸をきつく締め付ける。

「だから、世界を生まれ変わらせるのか? 永遠に命が戻らないなら、君はそれを受け止めて、前に進まなきゃダメだ」

 アルサスは差し出した手をそのままに、ネルに問いかけた。ネルは、静かに首を左右に振る。

「違います……。これは、わたしに与えられた使命なんです。メッツェ……いいえ、わたしの兄フォンが記憶を呼び戻してくれたおかげで、すべて思い出しました。マリアさまは、ずっと悩んでいました。自分のしたことで、沢山の命を奪ってしまった事を。だけど、世界は終わりを迎えようとしていて、自分には何もできない事を苦しんで、そういう母の姿を見たくないから、わたしと兄さんは、アストレアの天使となる事を自分で望んだんです」

「自分で……? 二千年もの間、使命を背負い続ける事を、自分たちで望んだのか?」

「はい。それが、孤児(みなしご)だったわたしたちを救ってくれた、母に対する唯一の恩返し。そして、何より、わたしたちが世界を救いたいという思いを持っていたからです。しかし、奏世計画の完成は、世界が終わるその日と同じ瞬間でした。わたしは、長い間遺跡船の中で眠っていました。だから、昨日のことのように思い出せる。わたしたちに、すべての責任を押し付ける形になってしまった事を、以後まで後悔していた母の顔を……」

「それなら、なんで世界を生まれ変わらせる必要があるんだ? 今地上では、三つの国が互いに手を取り合って、戦っている。やっと分かり合えたんだ。憎しみあい、殺しあってきた三つの民族が一つになったんだ。まだ人間には可能性が残されているって思わないか?」

 アルサスの問いかけに、ネルは長い睫を伏せた。代わって答えたのは、二人の会話に何も言わず耳を傾けていたメッツェである。

「危機が訪れて、心が一つに結ばれた。しかし、危機が去れば、人間はまた互いに争いを始める。白き龍の存在は世界に解き放たれた。次に起きる戦争は、二千年前と同じ核戦争だ」

 あくまで、冷淡なメッツェの言葉に、アルサスはどう言っていいのか分からなかった。

「何度でも過ちを繰り返す。私は二千年の歳月を生きて、その事を学んだ。人間とは、この世界で最も愚かな生き物だ。なまじ、本能を理性で押し殺し、知能という天恵に縋り、己の欲を全うしようとする姿は、畜生にも劣る。しかし、人間は永遠にそのことに気付くことはないだろう」

「人間は永遠に分かり合えない、だから争う。だったら、分かり合える世界を作りたい。言葉だけじゃなく、心と心が通い合う世界を。その世界には、悲しみも苦しみもない。白き龍に代わって、わたしたちがそれを実現するんです」

 二人の間にあるのは、幾重にも積み重なった絶望だ。今よりもひどい戦争の時代に生まれ、本当の両親を失い、互いに身を寄せ合って生きた二千年前、絶望的な生活から救ってくれた母との別離、そして、本当の兄妹のように過ごした短い時間が終わり、一人きりで生きぬいたそれからの二千年。やがて、少年は二千年をかけて大人になり、少女は永い眠りから目覚め、新たな家族を手に入れた。しかし、その家族を失った少女は絶望の中で、少年と同じ結論に至った。

 それらの絶望と悲しみを、アルサスにはどうすることも出来ない。改めて、二人を前にして、無常なまでネルと自分の生きてきた人生の隔たりを感じ、少女が遠い人であることを痛感した。

「ネル……メッツェ、どうして人間を信じられない? 確かに、愚かな生き物だとしても、お前が二千年で学んだように、俺たちも未来に様々なことを学ぶかもしれない。その可能性を信じてくれないのか? 三国が手を取り合えたように、人は手を取り合えるかもしれない。誰の心にも優しさはあるはずだ」

「かもしれない。私もその言葉に二千年賭け続けた。フォトン・アクシオンがなければ、私もハンナも、ただの人間だ。だが、二千年の間、私を裏切り続けたのもまた人間だ。マリアはこうなることを予測して、我らに使命を与えたのだ」

 メッツェの淡々とした言葉は、ますますアルサスを引き離していく。

「人間が再び戦争に明け暮れ、核兵器に手を出すなら、この世界を生まれ変わらせると」

「でも、ライオットをそう仕向けたのは、お前だろ!?」

「少し背中を押しただけだ。踏みとどまろうと思えば踏みとどまれた。現に、ガモーフの法王は自ら過ちを犯したではないか」

「それは、何も知らなかったから……」

「知らないから許されるのであれば、それを理由に罪を犯してもいい、と言うことにはならない。無論、私も沢山の罪を犯した。だからこそ、世界を生まれ変わらせる。苦しみも悲しみもない素晴らしい世界に。あえてお聞きしよう、フェルト殿下。何故それを拒むのだ?」

「未来は誰かに与えられるものじゃない。自分で切り開かなきゃいけないんだ。俺……いや、ぼくもお前たちも。アストレアだって、そういう未来を望んで、お前たちを生かしたんじゃないのか?」

「違うな。人間に未来を切り開く力はない。だから与えるのだ。女神の子である我々が。よく見てみろ、ここに至っても、私たちとお前の間には意見の相違がある。分かり合えないんだ。分かり合えない気持ちは、やがて憎しみに変わり、争いを生み、悲劇となる。そんなことが繰り返されていいはずがない。繰り返させないために、私とハンナは二千年を生き抜いたのだ。お前ごときには、到底分かるまい」

 メッツェはそう言うと、腰に携えた剣をおもむろに引き抜いた。精錬な輝きを放つ剣は、メッツェの意思に何ら曇りがない事を示しているかのようだ。

「わかってもらう必要もない。ここでフォトンとなり、次に目覚めた時には、新世界が誕生している」

 俄かに、メッツェの剣に殺意が篭った。

「あいにくだけど、俺はフォトン化しない。俺のフォトンは、アストレアから受け継いだ特殊なものらしい」

 と、アルサスが言うと、それまで黙りこくって睫を伏せていたネルが、驚きを顔に浮かべた。しかし、メッツェはそのことを知っていたのか、さして驚く様子もなく、剣の切っ先をアルサスに向ける。

「なるほど、ならば死ねばいい。私とハンナが奏でる物語の中に、貴様という異物は不要だ。マリアのフォトンを受け継ぎながら、その意思を理解できない人間よっ!」

 メッツェが床を蹴る。咄嗟にその剣を受け止めるも、すでに疲れが蔓延した腕では、メッツェの攻撃を受け止めることは出来ず、アルサスは袈裟に肩から胸を切り裂かれた。


 真っ白な床に、ぱらぱらとアルサスの赤い血がこぼれる。ネルは両手で口元を押さえ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「ネル、思い出して。旅の間に出会った人たちの優しさを。ルウ、フランチェスカのことを。バセットやトンキチ、ガムウ、ローアンたち魔物の事を。みんなお前のことを守ろうとした。ウルドも、メルも、ソアンさんも! そんな人たちが望んだのは、新しい世界じゃない」

 アルサスは掠れた声で、必死に訴える。だが、メッツェは容赦なく「黙れっ!」と叫んで、アルサスを斬りつけ続け、その度にアルサスの体から大量の血があふれ出していき、アルサスの顔は見る見るうちに青白くなる。それなのに、アルサスの顔は何故か死を覚悟した悲壮な顔ではなく、あまりにも状況にそぐわないほど、穏やかな顔をしていた。

「貴様が死者の言葉を代弁するな! それは、冒涜だ、傲慢だ!!」

「傲慢なのは今に始まったことじゃないさ。分かり合えない世界には、辛いことや悲しいことが世界には溢れてる。でも、ネル。お前がラクシャで暮らした六年間のように、幸せなことも世界には沢山あって、世界はとっても輝いている。空も、風も、星も、海も、山も、緑も、そこに暮らす人たちも!! それを全部壊していいなんて、間違ってる。人間は何度でも失敗する。でも何度でも反省する。そうして、一つずつ未来を作っていくんだ」

「御託などもう沢山だ! 奇麗事なら、あの世で言えっ!!」

 メッツェの剣がアルサスの肩に食い込む。ダイムガルドの鎧など、メッツェの剣の前では、紙切れに等しいほど(やわ)であった。とうとう、アルサスは立っていられなくなって、その場に膝を付いた。それなのに、アルサスの眼は真っ直ぐにネルを見つめている。

 耐え切れなかった。もうアルサスの事を信じたくない、と思っていたのに、ネルは心の奥で、アルサスが傷ついていくのを黙ってみていることは出来なくなった。

「もう、やめて下さい、兄さん!」

 ネルの叫びは、メッツェを止める。ズルリと音を立てて、アルサスの肩から引き抜かれる、メッツェの剣。

「どうして、戦わないんですか? その聖剣を振りかざして、わたしたちを殺そうとしないんですか? アルス答えてください……」

「どうしてって、俺はお前たちを殺しに来たんじゃない。世界は分かり合えるんだってことを教えたかった。だってそうだろ? 人間には言葉があるんだ。剣を振りかざさなくても、俺の想いをお前に伝えることくらいできるさ」

 アルサスは、ほとんど虫の息だった。だくだくと流れ出す血は、彼の周りに真っ赤な血溜まりを生む。それでも、アルサスはアンドゥーリルをかざすことなく、ネルに向かって左手を差し伸べる。

「その心が、人を分かり合えなくさせているんです……わたしと、あなたのように」

 ネルが言うと、アルサスは小さく微笑んだ。苦笑や嘲笑ではなく、ネルの知るアルサスの温かく優しい笑顔だった。

「多分この先も、ずっと分かり合えないままかもしれない。だけど分かり合えない世界で、たった一つだけ確かなことがある」


 君が思っている以上に、俺は君のことが好きだ……。


 アルサスの告白が終わると同時に、メッツェの剣は彼の腹を貫いた。背中から飛び出した、剣の先からは、赤い血がしぶきとなって噴出した。ネルの心に、フラッシュバックのようにアトリアの森での出来事が蘇る。バセットに斬られて、絶命寸前だったアルサスを見たとき、心が引き裂かれそうになったことを。

「アルサスっ!!」

 叫んだ時にはもう、走り出していた。メッツェの脇を通り過ぎ、斃れたアルサスを助け起こす。見る見るうちに温かさが喪われていくのを両手に感じながら、今度はメルの事を思い出す。あの、命が消えるその一瞬を。

「戯言を。そのような感情など、世界にとって何の関係もないことだ!」

 メッツェは血の滴る剣を手に、毒づいた。しかし、ネルの耳にその言葉は届かない。必死になって、何度も何度もアルサスの名を呼び、大きな瞳に涙を浮かべていた。その滴がひとつふたつと、アルサスの顔を濡らしていく。

「ごめんなさい、わたしは……」

 きっと最初からそうだった。空からアルサスが舞い降りてきた時から、出会って手をつないだその時から、ずっと。

「ネル……どうか、みんなを、ぼくを信じて欲しい。お願いだ……『こんな世界』でも、素敵なことは沢山あるんだよ。これは、ぼくと君が奏でる世界の物語なんだ」

「ダメです。これ以上喋らないで下さいっ、血がっ」

 ネルは白い手で必死にアルサスの傷を押さえた。しかし、致命傷となった腹の傷はどれほど押さえても、次から次へと血をあふれ出させる。

「ぼくはね、思うんだ。相手の気持ちが分からないから、キライになるんじゃなくて、少しだけ信じて好きになってみるんだ。そうしたら、苦しくたって、悲しくたって、例え絶望したって、きっとお互いに分かり合える日が来るって。漠然としたことだけど、心はもともと漠然としたものなんだ。どんな風にだって、心持一つで変えられるんだよ」

 まるで最期の言葉を伝えるかのようにアルサスは言う。そうして、アンドゥーリルを手放して、アルサスはネルの手を両手でしっかりと握った。だが、そうしていられたのは、ほんのひと時だけだった。吸い込まれるように、アルサスの両手から力が消えていく。

「アルサスっ! 待ってっ! 待ってくださいっ、わたしを置いていかないでくださいっ!!」

 冷たくなるアルサスに縋るように、ネルは泣いた。

「わたしも……わたしもアルサスのことが好きです。出会ったときから、ずっと……」

「立て、ハンナ! 世界再誕は今、始まったばかりだ。この世界を救うため、お前は新たな女神となるのだ」

「いやです……。世界が生まれ変わっても、アルサスのいない世界なんて、いやです」

「ふざけるな!!」

 メッツェの剣が、ネルの背中に突きつけられる。怒りに満ち満ちたその顔は、人間のそれと何の変わりもなかった。そう、メッツェもネルも人間に過ぎないのだ。そんな人間が、フォトン・アクシオンという力を手に入れたからと言って、世界を生まれ変わらせるなどと、おこがましい事ではないのか? アルサスは言った。分かり合えると……。それなら、自分がしようとしたことは一体、何だというのか。

「そいつは死んだ! もはや、新世界にもそいつの居場所などないっ!! 人間一人の死に心が揺らいだというのか、ハンナっ!? 人の死など、我らの願い、いやアストレアの願いの前には、とても小さなことだ!!」

「人の死は小さなことではありません! みんな、一生懸命生きているんです。だれもが、未来のために!!」

 ネルは顔を上げると、振り向きざまにメッツェを睨みつけた。

「お前まで、私を絶望させるのか? ハンナーっ!!」

「わたしは、ハンナではありません! 私の名前はネルです! ラクシャのお父さんとお母さんが、メルのお姉さんになるようにって、わたしに付けてくれた、大切な名前ですっ!!」

「黙れ、黙れっ!!」

 怒りに任せた剣が、ネルの頭上に振り下ろされる。しかし、けしてネルは逃げなかった。

「これは、わたしとアルサスの奏でる物語ですっ!!」

 剣がネルの体を切り裂く寸前、俄かに輝きを纏った。それは、フォトン・アクシオンの放つ輝きであった。そして、それに呼応したのか、アルサスの捨てたアンドゥーリルが、まるで意思を持ったかのように、メッツェの胸倉を貫いた。

「無駄だ! フォトン・アクシオンが傷を癒す限り、私たちは不死身だという事を忘れたか、ハンナ!!」

 仕切りなおしと言わんばかりに、メッツェは再び剣を振り上げる。ところが、体が硬直して動かない。さらに、アンドゥーリルを伝って、血のしずくがぽたりぽたりと落ちてくるではないか。

「どうなってるんだ!? これが、聖剣の力だとでも言うのか!? ハンナっ、ハンナぁ!!」

 怯えた瞳。うろたえた声。滴り落ちるメッツェの血。だが、ネルは助けを求めるようなメッツェから目を伏せた。嵐が過ぎるように、すべてが終わるように……。

 




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