113. 破壊の力
キリク・クォーツは軍を率い、ガルナックのある北部からヨルン平原へと進駐した。本隊との合流後は、予定していたとおり、やや総攻撃開始から時間的な差を置いての突撃である。しかし、戦場は予想していたよりも、混乱していなかった。無論、当初は劣勢に立たされたが、空からは、エイブラムスの座乗する飛航鯨の艦隊が、地上援護を行い、地上では、ダイムガルド軍、さらには救援にやって来た、ニタ・ホルバ率いるガモーフ神衛騎士団軍とともに、打ち合わせがないにも拘らず、連携を取りながら、ベルテス内部から次々とあふれ出してくる、「翼ある人」を囲い込んでいった。
キリクは、アルサスとともに、ガルナックにてトライゼンの最期を見届けた。フォトン化は死を意味することではない、とは言え、光の粒になってしまったトライゼンは、もはやキリクや騎士団に助言を与えることも、渇を入れることも出来ない。ならばせめて、自分はトライゼンのように強い騎士であろうと、このひと月余り、身を粉にして戦ってきた。そうして、長らく間、ともに手を取り合った仲間のカレンもまたフォトンとなった。ベルテスへ乗り込んだ、クロウの安否は分からない。すべてを託された形となったキリクは、残された力のすべてを賭けて、この地上の戦いを制することを心に強く念じていた。
「各部方面隊、徐々に押し戻し始めています!」
「魔法使い部隊は、ガモーフ軍護衛されて戦線を無事脱出しました!」
「ベルテス内部に突入した、ダイムガルド駆逐鯨『ユキカゼ』が帰還!」
次々と上がってくる報告の数々に耳を傾けながら、シエラの西方に位置する、一際小高い丘陵の上から、戦場を俯瞰する。ヨルン平原は想像よりも広大な平原である。今、自分たちが戦っているのは、その一部に過ぎず、その彼方に「墓標の地」と呼ばれる、十年前の戦の遺恨が残っている。
十年前、キリクはまだ二十歳そこそこの若者であり、騎士団の末席にいた。クォーツ家は、ヴェイル家やソアード家のような騎士の家系ではないため、彼の地位は今ほど高くはなく、当時、センテ・レーバン軍の本拠地となった、ガルナックの守備隊に配属され、戦場に赴くことはなかったのだ。悪い言い方をすれば、戦場の最後方にて、指をくわえて生きながらえただけ。
「だが、今私はここにいる……」
キリクは人知れず呟く。十年の時を経て、戦場の最前線へと戻ってきた。ここで、トライゼンに恥じぬ戦いぶりを見せることこそが、十年の月日を取り戻すこと、そしてなによりも自分の使命である。
「ベルテスへ潜入したフェルト殿下たちを信じて、このまま一気に押し返せ! 全軍に総攻撃の合図っ! センテ・レーバン騎士団の意地と強さを見せ付けろ!! 我らの戦いが、この戦いを決する!!」
ぶんっ、と剣を振り下ろすと、キリクの命令に従って、キリク隊は「おおーっ!!」と声を上げて一気に丘陵を駆け下りた。
戦場の中心では、クロウ隊をはじめとするセンテ・レーバンの各部隊、ならびにダイムガルド陸軍歩兵隊、ガモーフ神衛騎士団が、入り乱れつつも、統率を欠くことなく、敵と善戦を繰り広げていた。キリク隊が到着した時点で、勝敗は決したと言っても過言ではない。たとえ相手が、何度でも再生して戦場に舞い戻ってくる、無敵の化物だとしても、油に火を灯すのと同じように、一度付いた勢いはもはや、「翼ある人」でも止めることは難しいだろう。
だが、その確約が揺らぐ瞬間は、地上の揺れとともにやって来た。地震であろうか、と誰もが動きを止めたその瞬間、空気そのものがまるで巨大な羽虫が羽ばたいたかのような音をたてて、震えたのである。
「これは……一体!?」
驚きにいななき、前足を高く上げた騎馬の首筋をさすって落ち着かせながら、キリクは山頂のベルテスを見上げた。そこには、真っ黒な穴が開いている。魔法使い部隊がアリスの魔法でこじ開けた、ベルテスの門である。そこから、闇の片鱗とでも言うべきか、黒いものが食指を伸ばすようにうねりながら、這い出してくる。
「何だあれはっ!!」
誰もが驚きに口をそろえた。闇の食指は、うねうねとシエラの山肌を滑りながら、こちらに向かって降りてくる。と、その時である。全員の脳裏に、聞き覚えのある声が響いた。それは、直接頭の中に語りかけてくるように。
『世界再誕の運命に抗いし、愚かなる人間どもよ! 貴様たちが抗うと言うのなら、奏世の破壊の力、とくと見るがいい!!』
メッツェの声とともに、闇の食指はついに地表へと達する。次の瞬間、食指は飛び散るように弾けとび、戦場全体に激しい衝撃波を巻き起こした。騎馬隊も飛航鯨も、自分たちの兵隊であるはずの「翼ある人」もすべてを、一気に吹き飛ばす。さらには、地面がささくれ立つように割れて、岩や石礫が飛び交い、木々がなぎ倒されていく。その光景をキリクは目の当たりにした。そして、衝撃波がキリクの体を吹き飛ばす直前、彼はベルテスを睨みつけて呟いた。
「これが、銀の乙女に与えられた、破壊の力……!」
わき目も振らずに、アルサスは、セシリア、ジャック、ルウを従えて、光の階段を駆け上った。この不可思議な空間に、何らかの感慨や推察を挟みたい気持ちはあったが、フランチェスカの話が本当であれば、メッツェは計画を繰り上げるつもりなのだ。ここにアルサスたちを誘い込むような真似をしたのも、決着をつけるためだとしたら、そのつじつまが合う。メッツェにとって、三国が手を結ぶことは、予想し得なかったことである。人間とは分かり合うことが出来ない、我欲に満ちた愚かな生き物である、というのが彼の至った結論だとすれば、目を疑いたくなる光景だろう。もっとも、アルサスはそれをメッツェとネルに見せたかった。人はすぐに分かりあえなくても、いつかわかりあうことが出来る。カレンが教えてくれたこと。そして、自らが至った、メッツェとは対極の結論だ。
再び階段が途切れる場所まで上り詰めた、アルサスたちは、脳裏に直接語りかけるメッツェの言葉を聞いて、フランチェスカの言葉が真実になったことを知った。世界再誕なるものがどのようにして行われるのか、他次元として形成されたベルテスの内部から、それを見ることは叶わない。破壊と再生……即ち、ハイゼノンでネルが見せた破壊の力で世界を一度粉々に破壊してしまい、傷を治す再生の力によって復元する、アストレアが望んだ世界……いや、メッツェの望む世界に。
その世界をネルは本当に望んでいるのか?
去来する疑問と不安。それをかき消したのは、狂気に満ちた笑い声だ。見れば、ギャレットがそうしていたように、剣を手にした、赤銅色の鎧がこちらに歩み寄ってくる。すでに、赤銅の騎士、リアーナ・ロシェットにはかつてメイドという仕事をしていた名残など何処にもない。精神の殆どを、フォトンに食われてしまっているようだ。彼女の何がそうさせるのかは分からないが、理性を失いつつある分、ギャレットよりも厄介な相手だろう。
「やっときた、やっときた。クフフ」
リアーナは黒々とした笑みを浮かべ、華奢な腕で大剣エクスかリバーをぶんぶんと振り回す。その度、ぴりぴりとした空気が、アルサスたちの肌を突き刺した。
「リアーナ! あんたに恨みはない。冷静になれ! フォトンの暴走に頼りすぎると、あんたの意思はフォトンに吸い取られてしまう。そうなってからじゃ遅いんだ!!」
「れいせい? わたしは、れいせいですよ、でんか。だって、おいしそうなでんかがめのまえにいるんですもの。ライオットさまも、だいこうぶつのくだものをたべるときには、こんなかおしてましたよ。クフフ」
歪みきった顔のリアーナは、ぺろりと舌なめずりした。今更、アルサスの言葉に耳を貸すはずもないことは分かっていたが、今のリアーナは貸すべき耳さえも失ってしまっているのだ。その細腕で、大剣を振り回せるのも、フォトンの持つ力を暴走させているためだ。彼女は、ギャレットと違って、暴走をコントロール使用とはしていない。もしも、彼女を救うことが出来るとすれば、それはまだ「ウルク・ハイ」などという狂戦士になる前、人であるうちに殺めてやる他ない。余りにも残酷な話だが、人間である事を捨てたリアーナの末路としては仕方がないものだとも言えるだろう。
「アルサス、ここはボクに任せてよ」
と、アルサスの前に歩み出たルウは魔法杖を構えた。
「何言ってるんだ、お前もネルのところへ行くんだろ?」
「だけど、ボクじゃ、お姉ちゃんを連れ戻せない。お姉ちゃんを連れ戻すことが出来るのは、アルサスだけなんだ。時間がないよ。早くっ!!」
「ダメだ! お前を一人にしたら、ナタリーに顔向けできない……」
「いや、ルウくんを一人にはさせない!」
アルサスの言葉にかぶせるように、セシリアが言う。
「この先はアルサス一人でも行けるだろう? わたしたちもここに残る」
「そう言うこった。さっさと行って、銀の乙女を連れ戻せ。メッツェがそれを拒むなら、奪って来い、アルサスっ!!」
セシリアに同調するように、ジャックは言うと、ニヤリと笑う。迷っている暇はない、三人の眼がそう訴えているような気がした。アルサスは、止むを得ず頷いた。ここに残ってリアーナと戦っていれば、手遅れになるかもしれない。世界再誕が成る前に、ネルに伝えることがある。
「頼んだっ!」
アルサスの声を合図に、セシリアとジャックが駆け出す。すばやくバヨネットの引き金を引くと、リアーナはパイルを意図も簡単に薙ぎ払ってしまう。しかし、それは織り込み済み。セシリアとジャックの攻撃の隙に、ルウは魔法の言葉を唱えた。いくつもの火の矢がリアーナの頭上に降り注ぐ。アルサスはそれを好機と、リアーナの傍を駆け抜け、彼女の背後に伸びる光の階段を一気に駆け上がった。
ルウたち三人は、じっとアルサスの背中を見送った。アルサスはフランチェスカの時と同じように、一度も振り返らなかった。
「二人とも、良かったの?」
アルサスの姿が見えなくなって、ルウがセシリアとジャックに問う。
「邪魔したら悪い。わたしたちは、アルサスの露払いをするのが使命だ。わたしたちは、アルサスの仲間だからな」
「まあ、いけ好かないところはあるが」
セシリアの言葉と、ジャックの苦笑いに、ルウはにっこりと微笑むと、もう一度魔法杖を構えなおした。
「あらあら、わたしのでんかがいっちゃいました……。つまらない、あなたたちじゃころしがいがないです」
クフフと、奇妙な笑い声を上げながら、魔法弾をすべて弾き飛ばしたリアーナは言うと、やや高潮した顔で、ルウたちの事を見る。そのおぞましい視線に、ルウは背筋が凍るような思いを感じた。
『ううん。頑張るんだ。ナタリーのために』
「行くぞ、二人とも。リアーナ・ロシェットに息つく暇を与えるなっ!! いかにわたしたちが殺し甲斐がないか、思い知らせてやれっ!」
セシリアの声を合図にして、三人はリアーナに飛び掛った。
何百、何千という階段を昇る。脚は痛みを訴え、全身は汗を噴出して気だるい疲れを訴える。それでも、足を止めるつもりはなかった。何故なら、その先にネルが待っているはずだ。ルウの言う言葉を借りるわけじゃないけれど、強引だって構わない、絶対に連れ戻す。その一念だけがアルサスの脚を動かしていた。
翼の音が近づいてくる。見れば、真っ黒に塗りつぶされた空間に「翼ある人」が現れる。この先には行かせないと、言っているかのようだ。
「どけろっ!! お前たちに構ってらんないんだっ!!」
アルサスはアンドゥーリルを引き抜くと、階段を駆け上りながら、翼ある人に向かって叫んだ。しかし、そのような言葉に従うような相手ではない。「翼ある人」はついばむ鳥のように三叉槍を突き出しては、アルサスを足止めしようとする。
「ぐっ!」
一匹の三叉槍を受け流し、二匹目の攻撃をかわし、三匹目の槍を受け止め力任せに押し返す。さらに、剣を振り上げて、四匹目の胸を切り裂く。だが、疲れを溜め込んだ脚が不意にバランスを崩したのは、その拍子だった。ふわりと体が傾いて、後ろへと倒れる。このままでは、階段から転げ落ちてしまう。そう思ったアルサスは、慌ててアンドゥーリルを階段の踏み板に突き刺した。何とか、バランスを取り戻したが、その瞬間に背後から襲い掛かる、五匹目の攻撃を避け切れなかった。
三叉槍の尖った先端が、ぐさりとアルサスの甲冑を突き破る。金色の鎧に赤い糸を引きながらも、アルサスは振り向きざまに、五匹目の体を上半身と下半身に切り裂いた。
「悪いな、俺の体に宿る特殊なフォトンは、俺の体をフォトン化させないみたいだ。なにせ、男だけど女神の末裔らしいからな。今なら、この血がもつ意味も分かる気がするよ」
飛び散る光の粒と化した「翼ある人」に、アルサスは皮肉めいた口調で言う。もちろん答えは返ってこないし、フォトン化しないということは、三叉槍で突き刺されれば死ぬだけということだ。
「邪魔するな!」
アルサスは、再び走り出した。追いかけてくる、「翼ある人」を交わしながら、傷つきながら。それでも、ネルに会うために……。
「ネルっ! 今行く、すぐ行くから、待ってろっ!!」
叫びとともに、アルサスは剣を振るい続けた。一体いくつの「翼ある人」を切り裂いただろう。聖剣は刃こぼれ一つすることなく、アルサスを支えた。そうして、どれだけの段を上ったか、どれだけの時間が経ったかも分からなくなり、体中の傷口から溢れる血とともに、疲れという疲れが全身を押しつぶしそうになった瞬間、ついに光の階段の終着点に足をかけた。
すると、アルサスの目の前が、一気に明るくなる。それまでの、インクに塗りつぶされたような黒い空間が、真っ白で輝きに溢れた場所に変わった。一瞬うろたえながらも、アルサスはついにベルテスの最深部にたどり着いた事を悟った。
「フェルト殿下……随分傷ついておられるようですな」
驚きの感情も、心配するような口調でもない、ただ平静で抑揚のないメッツェの声がする。アルサスは、口の端からこぼれる血を手のひらで拭うと、アンドゥーリルを構えた。
かつかつ、と靴音が聞こえてくる。それは、二つになり、やがてアルサスの目の前に姿を現したメッツェは、真っ白な鎧に身を包み、ネルは白いドレスを身に纏っていた。すべてが輝き溢れるこの白い空間に溶け込んでしまいそうだ。
「アルサス……」
ネルが、アルサスのボロボロの姿を見て、驚きを口にする。その声にアルサスは胸が熱くなった。即位式典で訣別したのは、ほんのひと月ほど前の話だというのに、何年も何十年もネルの声を聞いていなかったような、そんな懐かしさを感じながら、そっと左手を差し伸べる。
「ネル、迎えに来た。帰ろう、皆のところに……」
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