110. 東からの援軍
抱え上げたカレンの体は、思うよりも軽かった。なんだか、それがひどく寂しいもののように思いながらも、アルサスは、必死にカレンの体を揺さぶった。
「フェルト殿下、申し訳ありません……油断してしまいました。こんなことでは、トライゼンさまに顔向けできませんね」
苦笑いなのか、自嘲なのか良く分からない笑顔と、戦場の喧騒の中でもはっきりと聞き取れる声が、アルサスを涙ぐませた。傷口からは、カレンのフォトンがあふれ出している。一撃でフォトン化しなかったのは、アルサスが叫んだために、敵の狙いが逸れたのだろう。だが、だんだんと色を失っていくさまは、あの時「危ない」と叫ぶべきだったのか、それとも一瞬でフォトン化させるべきだったのか、曖昧な後悔をアルサスの胸に刻んだ。
「カレン……だめだ、まだ俺はちゃんとお前の歌を聞いていない」
「そういえば、そんな約束いたしましたね。忘れていました」
嘘だと分かるような表情のカレンをアルサスは抱きしめた。ガルナックでは、危ういところを救われた。アルサスが記憶を喪い、ダイムガルドに赴いている間も、クロウと共に弱った王国を支えてくれた。口数の少ない少女ではあるが、彼女もまたアルサスの仲間であったことだけは確かだ。
「殿下……必ず、勝利を。そして、シオンさまのことお願いいたします」
それがカレンの最期の言葉だった。カレンの華奢な体は、鎧も剣もすべてがフォトンとなって、アルサスの腕の中で消えた。
「くそっ、これからだって言うのにっ!!」
思わず、ぶつけどころのない怒りが胸をこみ上げて、アルサスは、風に流されるカレンのフォトンを見つめながら地面を拳で叩いた。カレンほどの双剣の使い手であっても、一瞬で勝敗が決することがある。それが戦場の厳しさだ。そんなことは、ガルナックで厭になるほど教えられた。しかし、改めてその現実がアルサスの前に突きつけられたのだ。
「アルサスっ!! 悲観にくれてる場合じゃねえぞ!」
こちらへと駆け寄るジャックが叫ぶ。そうだ、悲しむのは後でいい……。たとえ戦争が間違いであっても、今戦わなければ、自分たちの世界を守ることなど出来ないのだ。アルサスはおもむろに立ち上がり、ジャックたちの方に振り向いた。
「このままでは、突き崩されちまう。どうする、アルサス!?」
一見統率など取れていないように見える、敵の軍勢は、ばらばらな動きを見せながらも、半数はクロウたちの総攻撃部隊と、空中の艦隊への陽動攻撃を仕掛け、その隙を縫うように残りの半数が、魔法使い部隊に狙いをつけて飛来してくる。
魔法使い部隊は、アリスの魔法の詠唱で身動きが取れない。一言一句ずつ、魔法円に魔法言語を介して、自らのフォトンに宿る魔力をとめどなく流し込んでいく。そのため、護衛部隊がこれの応戦に当たっているのだが、カレンがいなくなったことで、早くもその勢いに乱れが生じ始めていた。ある者は、恐れをなして、背後を向いた瞬間に、三叉槍の餌食となり、またあるものは果敢で無謀な突撃を試みて、敵の魔法に射抜かれる。
「徐々に圧されはじめている……」
戦局を俯瞰するように、セシリアが言う。「翼ある人」は、感情がないただの人形に例えられる。人間なら一瞬戸惑ったり、敵に恐怖したりするが、彼らはメッツェから……いや、ネルから与えられた任務だけを粛々とこなして、人間をフォトン化していく。それは、作業に過ぎず、彼らに戦っていると言う意思はない。しかも、たとえバヨネットで打ち抜いても、迅雷の剣技で切り裂いても、いちどフォトン・アクシオンに分散した後、シエラ山へと昇り、そこで再び結集して襲い掛かってくる、不死身の部隊である。これほど厄介で困難な敵はいないだろう。もちろん、そのことは誰もが認識していたし、簡単に勝てるような相手でないことは分かっていた。だから、多くの兵が全力で戦っている。
しかし、数が足りない。フォトン・アクシオンに戻った敵が再び戦列に復帰してくる間を与えないほどの、烈々とした攻撃を加えることが出来ないのだ。そのため、徐々に連合軍は後退を始めていた。
「聞け、みんな!! ひるむな! 魔法使いたちは詠唱を続けろ、護衛部隊は魔法使いたちを守れ! センテ・レーバンの騎士として、ダイムガルドの軍人として、俺たちが時代に名を残すのは今しかない!」
アルサスは聖剣アンドゥーリルを高くかざして、算を乱す護衛部隊に一喝を投じた。護衛部隊はなによりも、アルサスの手にある、アンドゥーリルに目を留めて、再び息を吹き返す。
「おおっ、フェルト殿下だ! 殿下が居られるぞ!」
「まだやれるぞ! ダイムガルド軍、全軍突撃!!」
声が重なり合い、センテ・レーバン騎士団やダイムガルド兵たちは、くじけそうになった心を奮い立たせて、こちらに向かってくる敵を迎え撃った。
アルサスたちも、すかさずその軍に加わって、応戦を開始する。カレンの代わりを担うというわけではなかった。ただ、出来る事をするべきだ、とアルサスのみならず、セシリアもジャックも感じていた。
雨が降り注ぐようなパイルと魔法弾の応酬、切り結ぶ剣と槍、眼前を飛び散る輝きが、はたして人間のフォトン・ゲージであるのか、それても「翼ある人」のフォトン・アクシオンであるのか、はっきりしたことは誰にも分からない。わかる必要などない。世界を守るため、己の使命をただ果たすのみ、という一意専心の心構えで、一人、また一人と倒れていっても、護衛部隊は誰も背中を向けなかった。その勇猛果敢たるや、筆舌しがたいほどである。
それでも、アルサスと護衛部隊の間をすり抜けた「翼ある人」は、その手に握る槍で、魔法円に整列する魔法使いを一人ずつ、フォトンに変えていく。魔法使いの多くは、センテ・レーバンの魔法騎士を除いて実戦の経験がない。全国から集められた、魔法使いギルドの生き残りたちであり、普段は研究や魔法を使った仕事に従事しているものがほとんどである。中には、怯えて逃げ出すものが現れるのも、無理はない話だった。しかし、一人魔法使いが魔法円から逃げ出せば、彼が中断した魔法言語の詠唱を別の誰かが引き受けなければならない。負担は大きくなるが、無視すれば、魔法が暴発してしまう可能性があるのだ。そんな大惨事はあってはならない。
「みんな、逃げちゃダメだ! ボクたちは必ず、ベルテスの口を開けるんだ! それが生き残った、魔法使いの使命なんだ!!」
大人たちの前で啖呵を切ったのはルウだった。その声は、今にも逃げ出そうとする、魔法使いたちの足を引きとめた。
「わたしは逃げないよ。シオンさまは、わたしを許してくれるって仰った。わたしはその優しさに報いたい。わたしは、シオンさまのために、絶対逃げないっ!!」
ルウの隣で言うのは、ナタリーである。彼女は、自責の念を払いのけ、シオンの願いを聞き入れた。そうして、ここにいる事を、誇りに思っている。誰かの役に立てることは、この上なく嬉しいことなのだ。だから、逃げ出したくない、という少女の言葉は、大人たちに力を与えたのかもしれない。
詠唱を中断しかけた魔法使いたちは、背後から迫る敵の気配に怯えながらも、魔法の言葉を続けた。だが、その間も、一人、二人と魔法使いたちは光の粒、フォトンとなって消えていく……。その度に、全身にのしかかる重力のような重みや気だるさ。まるで魔法円が、体中の魔力を吸い上げていくかのようである。立っていられないものも現れる。それでも、魔法使いたちは詠唱をやめない。
「だめだ、魔力が不足してる……」
バヨネットを撃ちながら、魔法円の方に振り向いたセシリアが言う。明らかに、当初予定されていたアリスの魔法が完成する刻限は過ぎている。だが、まだ魔法円の輝きは薄ぼんやりとしていて、魔力が足りていないことを示していた。
「敵の攻勢が強すぎるんスよ!」
と、ジャックが言ったその瞬間、空中で大きな音が爆ぜた。眩い光と衝撃波が、戦場をガタガタと揺らす。何事か、全員の視線が空に向かった。最初に「あっ!」と叫んだのは誰であったかわからない。おそらく、アルサスも、セシリアも、ジャックも、他の兵たちも、ほぼ同時に声をあげていた。
青い空に黒い煙……。空からベルテスへの攻撃を加える、飛航鯨の二番艦が黒煙を上げて戦場の西へと墜落していく。響き渡る警報。助けを求める飛航鯨から飛び降りる人が、まるで瓦礫のように見える。だが、はるか地上は固く、彼らが無事に助かる可能性は皆無だ。
思わずアルサスは目を瞑った。そして、ついに地面に激突した二番艦は炎と煙を上げて大爆発を起こした。もともとは対人用に開発した空を飛ぶ軍艦である。地上から魔法も飛航鯨の飛ぶ高度までは届かない。だが、相手は翼をはためかせながら、まるで三叉槍を銛に例えて、捕鯨するがごとく、飛航鯨を取り囲む。そうなってしまえば、小回りの聞かない巨大な飛行物体は、単なる的でしかなかった。
犠牲者の数など想像したくもない……。
「おのれーっ!!」
怒りを露に突撃する、センテ・レーバン兵。だが、その瞬間、辺りの空気がピリピリと緊張するのを感じた、アルサスは「よせ!」と叫んだが、すでに時遅く、「翼ある人」に運ばれてきた赤銅の人影が、上空より手にした大剣を地面に叩きつけて舞い降りた。
ごうっ! と土煙と波動があたりを一気に薙ぎ払い、アルサスたちも吹き飛ばされる。
「アロンダイトより数段威力は高いようですね……お久しぶりです、フェルト殿下」
土煙の中から現れたのは、赤銅色の鎧に身を包むリアーナ・ロシェットである。不敵な笑みを浮かべながら、身の丈に明らかに合っていない大剣は、リアーナの身長の半分より大きい。
「エクスカリバー。メッツェさまが、センテ・レーバンに伝わるもう一振りの聖剣コルブランドより鍛えなおした、真なる王者の剣。あなたの持つ、ナルシルなどという剣など、このエクスカリバーの前には、棒切れも同然です」
前回のルートニア襲撃の失態を晴らすために現れたというのか。いや、彼女の瞳には、もっと凍りつくような色があった。
「レパードで操られた、意思のないお人形さんみたいなシオン陛下は可愛かったですわ。フェルト殿下、あなたも両手両足を切り取って、可愛いお人形さんにしてあげますよ。うふふ……」
ちろっと舌を出すと、リアーナはエクスカリバーの剣身に這わせる。その笑みに、引きつった声を上げたのは、セシリアだった。
「く、狂ってる……バーサーカー? いや、ウルク・ハイだ!!」
アリスの言葉を思い出す。フォトンの力を極限まで暴走させた人間は、フォトンに宿る意識と自分の理性が混濁して、強力な力を得る代わりに、やがて自我をフォトンに奪われて狂った戦士「ウルク・ハイ」と成り果てる。それはもはや、人としての心は持っていない、悪魔に等しい。今のリアーナの姿は、ウルク・ハイの一歩手前のように見えた。
「ウルク・ハイだろうと、なんだろうと、死ぬわけにはいかない。それに、元メイド長さん、俺の剣はナルシルじゃない。輝きの剣、アンドゥーリルだ!! いくぞ、セシリア、ジャック!!」
アルサスは、剣を振りかざしてリアーナに飛び掛る。他の騎士たちも、一斉にリアーナに攻撃を加えた。ところが、その細腕からは想像も出来ないほどの力で、エクスカリバーをぶんっ、と振るだけで、激しい剣圧が騎士たちを一気にフォトン化してしまう。
咄嗟に身をかがめた、アルサスたちは辛くも、その恐ろしいひと薙ぎから助かったものの、近づけもしない事を悟った。
「近づけないなら!!」
セシリアがバヨネットの引き金を引く。火薬が破裂して、パイルが打ち出される。
「甘いですっ!!」
リアーナは、バヨネットが剣士にとって厄介な武器である事を知っている。再び、エクスカリバーを地面に叩きつけると、巻き起こる土礫がパイルを打ち落とす。
「甘いのはそっちだ!!」
刹那、リアーナは振り向いた。あらぬ方向からジャックの声が聞こえてきたからだ。セシリアとて、リアーナを侮っているわけではない。自ら囮になることで、リアーナの注意を逸らした。土礫によって、視界が遮られたのはリアーナとて同じこと。その瞬間にリアーナの背後に、ジャックとアルサスが回りこむ。
ジャックが、引き金を引き、反対側からアルサスが迅雷の剣技で詰め寄る。アンドゥーリルと、パイルがリアーナに迫る。だが、リアーナは一瞬だけ険しい顔をしたものの、また不敵な笑顔を浮かべると、
「だから、甘いと言っているんですっ!!」
と、叫び、右手でエクスカリバーを振り上げ、左手で魔法を放つ。
『こいつ、魔法が使えるのか!?』そうアルサスが思った瞬間リアーナの手のひらに現れた魔法弾が、アルサスの顔面に直撃した。一方ジャックは、剣圧により、パイルとともに大きく吹き飛ばされてしまう。
「アルサス! ジャック!!」
セシリア悲鳴交じりの叫び声を上げる。ジャックは吹き飛ばされただけ。おそらく大丈夫だ、しかし、アルサスは……。駆け寄るセシリアの足元に、アルサスの兜がごろんと転がって来る。バイザーは変形し、鉢金の部分に穴が開いている。
「痛ててっ、畜生。やっぱ、美人には棘があるってホントだな!」
アルサスがむくりと起き上がる。頭から血を流してはいるものの、大事には至っていないようだ。その口から漏れるのは、いつもの余裕のある皮肉だ。
「俺がマリア・アストレアの末裔ってなら、魔法の一つ使えたらよかったのに……、世の中甘くはないか」
「大丈夫か、アルサス?」
「ああ、大丈夫だ。死んでたまるかよ。ジャックは?」
と、セシリアに尋ねながらも、ジャックの姿を探す。ジャックもゆっくりと立ち上がりながら、兜を脱ぎ捨て、脳震盪を起こしかけた頭をぶるぶると振る。
「野郎っ! やってくれんじゃねえか!!」
ガルルっ。まるで犬が威嚇するかのように、ジャックが吼える。しかし、女性であるリアーナに「野郎」はないだろうと、アルサスとセシリアは苦笑した。
「アルサス!」
突然、声がする。魔法円の方からだ。見ればルウが一旦持ち場を離れて、こちらに走ってくる。無事だったか、と安心する間もない、ルウは血相を抱えたまま、
「だめだ、魔力が足りないよっ、これじゃアリスの魔法が完成しない!!」
と叫んだ。その瞬間、ちらっと、リアーナの視線がルウに向く。ひやりと、アルサスの背中に冷たいものが走った。
「ルウっ、逃げろっ!!」
言うよりもはやく、アルサスの脚が蹴りだしていた。セシリアがパイルを放つ、ジャックが引き金を引く。だが、そのどれよりも、リアーナのエクスカリバーが剣圧を飛ばすほうが早い。
だめだ、間に合わない!! アルサスは視界が揺らぐような気がした。ところが、突然ルウの体を青白い光が包み込む。魔法で作られた、水のヴェールである。それによって、リアーナの剣圧はかき消された。
「全軍、装剣。魔法障壁展開!! 連合軍を守れっ!!」
稲妻が天から降ってくるかのように、どこかから声が轟く。と同時に、アルサスたちの背後から、怒涛のごとく「うぉーっ!!」「進めー!!」といういくつもの声が、地鳴りのような足音と共に聞こえてきた。咄嗟に、アルサスたちは、振り向く。方角は戦場の東。緩やかな平原の丘陵をこえて、二種類の紋章が描かれた白い旗がはためき、白銀の鎧を着た戦士と、青銅色の鎧を着た、騎士たちが現れる。その数は、連合軍に匹敵する数だ。
白銀の鎧は、ギルド・リッターの軍隊。青銅色の鎧は、ガモーフ神衛騎士団の軍勢である。
「ガモーフ軍だ……! フランチェスカだ、フランがガモーフ軍とギルド・リッターを連れてきてくれた!!」
アルサスは、その光景に唖然としながらも、湧き上がる喜びをかすれた声で言った。
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