109. 決戦の地へ
異変を報せたのは、飛航鯨の警報である。あたり一面に響き渡るような大音量に、誰もが空を見上げ、アトリアの方角から流れてくる白い翼の群を目で追いかけた。それらは、瞬くうちに艦隊をすり抜けると、そのままルートニア要塞に群がった。それは、まるで風鴎の群が、餌をついばむかのような光景で、誰もが閉口しその光景を見つめ、すでに踵を返す部隊まで現れた。
だが、それをとどめたのは、飛航鯨から全軍を指揮する、総司令官エイブラムスの言葉だった。メッツェはこちらの出鼻を挫くために、このタイミングを選んで仕掛けてきた。それが分かっていて今、ルートニアに引き返せば、戦意を削がれるばかりか、メッツェの思うままになってしまう。このままヨルン平原へと進軍する、というエイブラムスからの厳しい通達は、まさに背水の陣でこの戦いに臨むという決意の現れであった。
無論、軍列の中でエイブラムスの言葉を聴いたアルサスは、同意しつつも後ろ髪ひかれる思いだった。ジャックには「いいのか?」と問われたが、頷く他ない。シオンより、王家の聖剣「アンドゥーリル」を授かった以上、自ら足並みを乱すような真似をしてはならないのだ。出来ることは、シオンたちが無事脱出通路より逃げおおせたことを、崩壊するルートニアを背後に、祈るばかり。だが、アルサスも誰も、逃げおおせたのがアイシャと数名の守備兵だけであり、彼女たちもまた脱出通路に待ち伏せた敵と戦うことになっていたとは、知る由もなかった。
その一方でルートニア崩壊は、両軍の闘志に更なる火を灯した。絶対に自分たちの世界を守るんだ、という意思がみなぎり、粛々と空白地帯を越えて、ガモーフ領内はヨルン平原へと進んだ。
ヨルン平原は、十年前三国の戦いが一つの決着をみた場所である。ここからならば、シエラ山が良く見える。ちなみに付記すれば、シエラ山をはさんで北側はガルナック平原であり、そちら側に迂回した部隊も今頃は、戦闘の準備に取り掛かっているはずである。
直ちに、軍はヨルン平原に整列した。短期決戦の構えにて、野営は設けることなく、早朝の平原から、何十万人の眼が、じっとシエラの山頂を睨みつける。
やがて、平原に漂う朝靄が通り過ぎると、雲のかかったシエラの山頂付近から、わらわらと白い翼が降ってきた。それを合図に、各部隊の隊長が剣を、バヨネットを振り上げる。
「臆するな! 勝利は目前だ! 全軍かかれーっ!!」
響き渡る唸り声と足音は、まるで地響きのようにヨルンへ威厳に響き渡る。騎馬隊が先行し、アルサスたち歩兵隊はその後ろを、魔法使い部隊を守るように進む。
ふとその列の中に、見慣れた小さな後姿を見つけたアルサスは、アンドゥーリルを片手に駆け寄った。
「ルウ!」
「アルサス!」
互いに名前を呼び合って頷きあう。出会ったばかりの頃は、ルウの生意気な口ぶりに何度となくいがみ合っては、ネルを困らせてきた。しかし、いつの間にか出来上がった互いの信頼を、ネルが見たらどんな風に喜ぶだろうか。
「どうだ、アリスの魔法、いけそうか?」
アルサスが問いかけると、ルウは無言の返事を返す。その顔は自信に満ち溢れた表情であり、それだけでアルサスは満足する。神童と呼ばれた、ルミナス魔法学園一の才覚の持ち主。男の子にしては小さな体の何処に、それほどの魔力があるのかは分からないが、それでも彼の魔法に助けられたことは一度ではない。
「アルサスこそ、絶対ネルお姉ちゃんを連れ戻してきてね。ボク、待ってるから」
「ああ、任せろ。お前は、ちゃんとナタリーのこと守ってやるんだぞ」
アルサスは魔法使い部隊の端を走る、少女の方をちらりと見た。シオンの要請ら応じ、魔法使い部隊に参加した少女は、かつてシオンの命を狙ったテロリスト。しかし、魔法使い部隊の中には、彼女たちエルフォードの会のメンバーもちらほら見受けられた。
「な、なんで、ナタリーが出てくるのさ!」
「好きなんだろ、あの子のこと。だったら、ピシッとカッコいいところを見せてやんないとな!」
「す、好きじゃないやいっ」
「ふーん、そういうことにしておくよ。じゃあ、頼んだぜ、相棒っ!」
アルサスは手を振ると、セシリアたちの元に戻る。その背中に、ルウは一際大きな声で、「アルサスのバカー!」と、お決まりの科白を叫んだ。
シエラより舞い降りた「翼ある人」の軍勢と、連合軍総攻撃部隊が衝突したのは、両軍が突撃を開始して十分足らず。先頭のクロウの騎馬隊がまず切り込んだ。続いて、アルサスたちダイムガルドの歩兵部隊が突撃する。
ダイムガルド軍には常に二種類の部隊がいる。一つは「バックラー隊」もう一つが「カノーネ隊」である。アルサスたち近衛騎士団は、普段このように二種類に分かれたりはしないのだが、便宜上で言えばバヨネットで突撃するセシリア隊はし「カノーネ隊」に分類される。
カノーネ隊は、バックラー隊の持つ大型ミスリルシールドの裏面へ滑り込み、その隙間から応射しつつ、進軍していく。攻防を一体化させ、バヨネットによる飛び道具の戦いを実用化させる戦法であり、言ってみればそれが、十年前にはなかったダイムガルドの新しい剣技である。
アルサスたちは、すばやく駆け抜けるとバックラー隊のシールド裏に身をかがめた。バックラー隊のシールドは、シールドを構える盾兵と、カノーネ隊の射撃兵の二人をすっぽりと覆い隠してしまえるほど大きい。そして、シールドには狭間と呼ばれる穴が開いておりそこから、目視と兜の機器を使い、バヨネット射撃を行うのである。
『奴ら、魔法弾を使ってる……』
隣のシールド裏で、セシリアが言う。声は、兜の耳あてにあるスピーカから聞こえてきた。
セシリアの言うとおり、時折戦場に、ドーンという大きな爆発音が響いている。そもそも「翼ある人」の攻撃が、三叉槍だけだというのは勝手な憶測であり、フォトンが魔力の源というのなら、フォトン・アクシオンの集合体である「翼ある人」が魔法を使っても何ら不思議なことはない。
「クロウ隊は善戦してる。俺たちも負けちゃいられない」
アルサスが言うと、耳元にセシリアの苦笑するような笑い声が聞こえてきた。その苦笑を代弁したのは、ジャックだった。
『ライバルってか? そういうの、俺は好きだぜ』
「だろっ。男の子はいつでもライバルがいるもんさ! いくぞ、ジャック、セシリアっ!!」
『ガキだな、男って。女に生まれてよかったよ、わたしは。それから、隊長はわたしだ、アルサス少尉!』
三人は、「やあっ!」と声をそろえると、シールドの狭間からバヨネットの銃口を出して、そこから見える敵に向かって、パイルを打ち込んだ。いくつもの杭が火線となって、敵を捉える。着弾したか、敵を射止めたかを確認する余裕はない。
「バックラー隊、進めっ!」
セシリアの声にシールドを構えるバックラー隊は頷いて、シールドを前に押し出しながら、ゆっくりと前進する。魔法弾と、フォトンの粒が舞い散る戦場を、アルサスたちは迎撃しながら進んでいく。
一方で、魔法使い部隊は所定の位置に付くと、直ちに魔法円を描いた。複雑な図形は、魔力を一極集中して発現するものである。アリスの魔法、即ちベルテスの口を開くための魔法は、それまで魔法使いたちが知るどんな魔法とも種類が違った。魔法と言えば、四色の精霊の力を借りて発現するものだが、これは違う。膨大な魔力を集中して、ベルテスの口に穴を開けるのだ。言ってみれば、黒い紙に虫眼鏡で光を集中させて、焼き焦がすようなものである。
ところが一口に魔力を集中させると言っても、簡単なことではない。長い精神統一と、全身に宿るフォトンの力を解放しなければならない。そのためには、長い術式を唱えてはじめて魔法円の上に、魔法の虫眼鏡が出来るのだ。そのためには、総攻撃部隊が、魔法使い部隊を守らなければならず、ルウやナタリー、それに魔法騎士団などの魔法使いたちは、アルサスたちに全幅の信頼を寄せるほかなかった。
総攻撃部隊は善戦し続けた。戦いが始まって幾ばくも時間が過ぎていないが、すでにフォトンになった犠牲者は少なくない。それでも軍の勢いが消沈しないのは、彼らがひとりひとりに使命を抱き、かつ背水の陣で挑んでいるからである。また、空からの支援も大きい。空を飛ぶ飛航鯨の艦隊は、艦砲射撃により、ベルテスから引っ切り無しに現れる「翼ある人」を打ち砕いた。
「このまま突き崩せーっ!!」
「ひるむなーっ!!」
「センテ・レーバン騎士団の意地をみせろ!」
部隊長たちは、怒号を響かせる。クロウのセンテ・レーバン騎馬隊が戦場駆け巡って突破口を開き、アルサスたちダイムガルド兵が敵を撃破していく。
実戦経験から言えば、アルサスたちは他の兵に劣らない。その射撃精度は以前に増して、敵の弱点と思しき胸をパイルで貫く。だが、相手は自在に宙を舞う鳥のような化物だ。ひらりひらりと、こちらの攻撃をかわしては、シールドの裏へと滑り込み、三叉槍でダイムガルド兵を次々と光の粒に変えた。
アリスの言葉を借りるのであれば、それは死ではない。フォトンにすべての情報がコピーされ、新世界に生まれ変わる準備なのだ。やがて新世界が完成すれば、そこにフォトン化したものは蘇る。しかし、それが分かっていても、鋭い槍で突かれれば痛いし、恐ろしいことである。
『くそっ! 分かってはいたがキリがねえっ!』
ジャックが唸る。そんなジャックのバヨネットが、カタカタと音を立てて弾切れを報せる。その瞬間、上空から、「翼ある人」が急降下してきた。反射的にアルサスは自分のバヨネットをジャックに投げ渡すと、左手にしたアンドゥーリルを振り上げ、迅雷の脚で飛び上がった。
「せいやぁっ!」
掛け声よろしく、アルサスはアンドゥーリルを横薙ぎに払った。切っ先は「翼ある人」の首を捉え、無表情な顔がごろりと落ちる。それでも自由落下する胴体は、頭など飾りだと言わんばかりに、ジャックを狙い済ましていた。
『首なしの化物がーっ!!』
ジャックが引き金を絞る。火薬の破裂する音共に、打ち出されたミスリルの杭が、首を失った胴体を砕いた。
『し、死ぬかと思った……すまねえ、アルサス』
フォトン・アクシオンの粒が風に乗って、ベルテスへ戻るのを目で追いながら、ジャックは冷や汗を拭くような仕草をした。
「そいつは、ジャックが使え。やっぱり俺には剣の方が似合ってる」
シールド裏に戻ると、アルサスは兜のバイザーを開いて、アンドゥーリルを握り締める。と、そのときだった。背後で声がする。
「まずい、何匹か抜けた! 魔法使い部隊の方に向かってるぞ。守れ、守れーっ!!」
誰が叫んだのかはわからないが、アルサスたちは反射的に振り返った。見れば、総攻撃部隊をすり抜けて、魔法円の周りで、まるで祈祷を行うかのように魔力を込める魔法使い部隊の方に、十数匹の「翼ある人」が向かっている。
「いくぞ、アルサス、ジャックっ!!」
セシリアもバイザーを煩わしそうに開くと、直接アルサスとジャックに言った。返事を待つまでもない。いち早くアルサスが走り出して、セシリアとジャックは追撃する敵を牽制しつつその背中を追いかける。
敵が接近してきたとしても、ルウたちは魔力を込める儀式をやめるわけには行かない。魔法の言葉を途中で途切れさせてしまえば、魔力が暴発してしまう可能性があるのだ。一度唱え始めた魔法は最後まで唱えきらなければいけない。とくに大人数で唱える魔法は。魔法使いたちは、それが分かっているから、震えながらも、魔法杖を大地にリズムよく突き刺しながら、ひとつひとつ魔法の言葉を魔法円に注入していく。そのたびに、幾何学模様の魔法円に輝きが宿る。
「魔法使いを守れーっ!!」
混乱しつつある魔法使い部隊をまとめ、騎兵隊を指揮するカレンの声が響く。カレンは双剣を振りかざしながら、迫り来る「翼ある人」の白い羽を切り落としていく。墜落した「翼ある人」はそれでも、立ち上がりながら、三叉槍を繰り出すが、地上に落ちた「翼なき人」など、センテ・レーバン騎士の敵ではない。
だが、一団が総攻撃部隊をすり抜ければ、それを皮切りに、まるで堤防が決壊するかのように、雪崩を打って、標的を魔法使い部隊に絞る。クロウたちの部隊も一路引き返そうとするが、それは敵に背中を見せる行為。
「カレンっ! 後ろだっ!」
アルサスは、カレンの姿を見つけ、彼女の不意を突いて背後から襲い掛かる敵の姿を認めた。力いっぱい叫んだつもりだが、その声が戦場のざわめきにかき消されることは明白だった。
「翼ある人」の槍が馬上のカレンの背中に狙う。アルサスの脇を掠めて背後のセシリアとジャックがバヨネットを撃つ。風の流れがアルサスの視界を歪ませ、思わず足を止める。すべてがスローモーションのように流れた瞬間、三叉槍がカレンの背中を貫くのと、二本のパイルが「翼ある人」の胸を撃ち抜くのはほぼ同時だった。
カレンの体が、馬上から崩れ落ちる。青い顔で走り出すアルサスの眼前に、新手が降りて来る。
「邪魔だ、どけろーっ!!」
アルサスは怒りをぶつけるように声を荒げると、一刀のもとに「翼ある人」を切り裂いた。舞い散るフォトン・アクシオンを払いのけて、少女騎士の名を呼びながら、駆け寄る。
「カレンっ!!」
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