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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十一章
105/117

105. 飛航鯨

「俺……ぼくもアイシャのことは好きだ。でも、ごめん。わがままかもしれないけど、ぼくは迎えに行かなきゃいけないヤツがいる」

 おどけたり(すか)したりすることなく、アルサスは落ち着いた口調でアイシャに返した。アイシャは、やや寂しそうな顔をして、アルサスから視線を逸らすと、眼前に広がる草原を見つめた。

「ネルという子のことかの?」

「ああ、そうだ。あいつが絶望したのは、半分ぼくの所為だ。ぼくが嘘をついてあいつに近づいて、その嘘を貫き通したまま、全部終わらせようとしていた。その嘘がネルの心を傷つけてしまったのかもしれない。だとしたら、ぼくが何とかしなきゃいけないんだ」

「それだけじゃないじゃろ?」

 アイシャは俄かに苦笑の笑みを浮かべた。そして、うーん、と背伸びをするように両手を天高く伸ばすと、草原から駆け抜けてきた風に長い髪をなびかせた。

「こうして、アルサスと二人っきりになるのは、皇居のテラス以来じゃ。あのとき、手をつないでくれた温かさを今もわらわは覚えておる。果たして、ネルはその温かさを覚えているかの?」

「分からない……。もう二度と、あいつはぼくの手を取ってくれないかもしれない」

「それでも、そちはネルのことが好きなんじゃろ? ならば強引でも、その手をとるべきじゃ。それが出来るのは、アルサス、そちしか居らぬ。そして、そなたが銀の乙女の心を解き放つことこそが、この世界を守るということにつながっておるのじゃ」

「言われなくとも……」

「そうじゃの」

 小さく笑うアイシャに、アルサスも笑う。二人の瞳に写るセンテ・レーバンの景色。世界とは、これほどに美しいものだったのかと、改めて思い知らされるような感覚。

「世界はいずれ滅びる。形あるものが未来永劫そのままであるはずがない。と言うのは、ダイムガルドに伝わる、深層心理的な概念じゃ。だから、未来をつなぐために、今を生き抜く、という教えでもある。しかしの、わらわは思うのじゃ。世界が滅びるのはずっとずーっと未来の話。わらわたちの子孫の子孫の、そのまた子孫の子孫の話であって、今このときではないのじゃ。わらわたちは、その未来の子孫たちのために、少しでも形ある未来を遺さなきゃならないのじゃ。けして、アリスの見せてくれた二千年前のような世界を創ってはならない」

 アリスに見せられた映像に、青い顔をしていたのが嘘のように、アイシャはその中から固い決意を得ていた。彼女は、今も常に皇帝として進歩と成長を続けているのだ。彼女であれば、ダイムガルドに未来を切り開くことも出来るだろう。

 なんだか、遠い人のように感じて、アルサスは少しばかり寂しく思った。

「じゃがの、死んではならぬのじゃ、アルサス。わらわは、戦う術を持たぬゆえ、戦列に加わることは出来ない。しかし、それでも誰一人欠けることなく必ず生きて帰ってくるのじゃ、ネルとともに……」

 アイシャがこちらを見る。おそらく、最後の戦いは、この世界の命運と、天使の使命を賭けた、激しい戦いとなるだろう。だから、確証を持って頷けないことだったが、それでもアルサスは強く頷き返した。

「アイシャ陛下っ!!」

 突然、アルサスたちの背後の階段から声が飛んでくる。

「ここに居られたのですか。探しましたっ」

 と息を切らせながら上がってきたのは、セシリアである。セシリアはちらとアルサスのほうを見ると、アイシャに駆け寄った。

「エイブラムス大将がお呼びです。作戦の最終的な調整会議に、シオン国王ともどもご列席いただきたいとのことです」

「なんじゃ。堅苦しい戦の話は、エイブラムスにすべてお任せに出来ると思うておったのに」

 急に先ほどまでの、大人びた皇帝の雰囲気を削いだアイシャは、少しばかり膨れっ面をしながら、階段の方へ歩いていく。

「会議室までご案内します」

 と、アイシャの後を追うセシリアに、アイシャは「よいよい。会議室までの道なら覚えているのじゃ」と、手の甲であしらうと、さっさと屋上から姿を消した。なんだか逃げるかのようで、アルサスとセシリアはそろってぽかんとしてしまう。

 ある意味、アイシャの初恋が失恋に終わった……などと、気が付かないアルサスは、それはそれで鈍感だと言える。

「まったく、アイシャさまをこんなところに連れ出して。アルサスはもう少し、他人に敬意の振る舞いを払うべきだ」

 ふうっ、と溜息混じりに、先ほどまでアイシャのいた場所にセシリアがやってくる。

「仕方ないだろ。一応これでも王子として育てられた身だ。不遜なのは生まれつきってヤツだよ」

「なんだそれ。この戦いが終わるまでアルサス・テイルとして扱って欲しい、と言ったのはそっちじゃないか」

「だから、俺は作戦会議に呼ばれてないんだよ。もっとも、アイシャじゃないけど、そういう堅苦しいのはあんまり得意じゃない。誰がどう戦っても、俺はネルを連れ戻しに行くだけだ。まあ、それにお前らを巻き込むのは、本意しゃないけどな」

「別に、わたしたちはアルサスのために戦うわけじゃない。わたしたちはわたしたちの未来を守るために戦う。それだけだ」

 セシリアが言うと、アルサスはいつものおどけた調子で、ひゅーっと口笛を吹くと「かっこいいね」と言った。真面目な顔のアルサスと、時として大人であっても平然としている不遜なアルサスのどちらが本当のアルサスなのか、セシリアには時々分からなくなる。とどのつまりは、どちらもアルサスと言うことなのだけれども。

「結局ここまで俺は何もできなかった。フェルトの名を捨てたつもりで旅に出たのに、ハイゼノンではその名を使わなきゃならなかったし、ガモーフの侵攻をとめるために戦争して、多くの犠牲を払ったのに、おめおめと生き延びてしまった。もちろん、死にたくはないけどな。そして……ネルを殺すこともできず、バセットやトンキチ、それにローアンたちハイ・エンシェントが望んだように、あいつを正しい道に導くことが出来なかった。結局、ずっと空回りし続けたんだ」

「でも、最後の最後でそのツケを取り戻せば問題はないだろう? 最初から上手く行くことなんて、少ない」

「それ、誰の言葉?」

「わたしの持論だ」

 と、セシリアがまるで胸を張るように言うものだから、アルサスは思わず噴出してしまった。

「何が可笑しいっ。わたしは、アルサスのためを思って言ってやったんだぞ!?」

「いや、そうじゃなくて……今更なんだけどさ、その喋り方似合ってないよ」

 確かに、セシリアの声は女の子のそれに輪をかけて女の子らしい。そのため、男のような口調で喋っても、似合わないことこの上ないのだ。無論、セシリア自身が無理をして、そういう口調を心がけているのは、自分が養父オスカー・ラインの後を継ぐ者であるという自負の念からである。

「か、関係ないだろっ!?」

 顔を真っ赤にして叫ぶセシリア。

「そういうアルサスこそ、『ぼくは迎えに行かなきゃいけないヤツがいる』なんていって、サラリとアイシャさまをフッておいてっ!」

「人聞きのわるいっ! サラリとフッたわけじゃねえっ。っていうか、聞いてたのかよ!?」

「ふんっ、聞こえる声で言ってたそっちが悪いんだ。それにしても、フッたという自覚はあるのだな。ならば、ダイムガルド軍人として捨て置くわけには行かないぞっ」

 セシリアが飾りのサーベルに手をかける。慌ててアルサスも、サーベルに手をやったが、先に表情を崩したのはセシリアの方だった。

「それでも、アルサスはネルという子のことを連れ戻したいんだろ?」

「ああ、そうだ」

「男ってのは、不器用な生き物なんだな。わたしは、女に生まれてよかったと思っているよ。この戦いが終われば、喋り方くらい元に戻すさ」

 そう言うと、セシリアはおもむろにサーベルから手を離した。本気でやりあうつもりはないし、そもそも剣の勝負では、アルサスに一日の長があることは、すでにその眼見ている。

「そう言や、他のみんなはどうしてる?」

 アルサスも、サーベルの柄から手を離し、話題を変えるべくセシリアに尋ねた。

「ルウくんは、魔法使いを集めて、アリスの魔法を読解してる。出陣までに使いこなせるようになると息巻いているよ。クロウどのやカレンどのは、エイブラムス大将、アルフレッド大佐たちと作戦の詰めに入っている。両軍が足並みをそろえなければ、勝利は得られないからな」

「フランは?」

「フランチェスカどのは、クロウどのの要請を受けて、ギルドの連中を集めてる。もっとも、ギルドを抜けた身だから、適わないかもしれないと言いながら、今朝ウェスアへ向かった。

「ジャックは?」

「ジャックは今頃、親衛騎士団にバヨネットの使い方を教えているはずだ。ほら、エイブラムス大将が来られたときに、二百丁のバヨネットを持参しただろ?」

 エイブラムスがマクギネスらと共に、正式なルートニア来訪を果たしたのは、アルサスたちがアーカイブから出てきた三日後のことだった。幾人かの近衛騎士団の面々を引き連れての来訪で、アルフレッドたち大隊長もその中に含まれていた。そして、同盟締結における友好のしるしとして、エイブラムスが届けさせたのが、二百丁に及ぶ新品のバヨネットであった。

 バヨネットはいわば、センテ・レーバンやガモーフと戦うための切り札として、ダイムガルドが温存し続けた新兵器である。それを提供すると言うのには、センテ・レーバン側も驚きを隠せなかった。酔狂な真似だとする見方もあるが、もともとセンテ・レーバンとダイムガルドの関係が冷え切っていた事を鑑みれば、それは信用を勝ち得、共に同じ敵に相対するための布石であり、事実エイブラムスの思い切った行動のおかげで、作戦会議は

センテ・レーバンがわの歩み寄りによって、ことのほか円滑に進んだ。

「策士だよな、エイブラムス大将閣下は」

「そうだな。しかし、あれをダイムガルド本隊が到着する前に、親衛騎士団たちにモノにさせなきゃいけないんだ。アルサスも知っての通り、バヨネットの扱いは剣とまるで違う。ジャックはあれでも、バヨネットの扱いには長けているから、適任といえば適任だ。随分熱心に指導しているよ。もっとも、あいつは変わったよ。アルサスと出会ってから……」

「そういってもらえると嬉しいな。そうか、みんな頑張ってるんだな……」

「そうだよ、暇をもてあましているのはわたしたちくらいだ」

 溜息交じりのセシリアは、アイシャがそうしていたように、地平に広がるセンテ・レーバンの景色を眺めた。嵐の前の静けさよ、とはよく言ったものの、最後の戦いが始まる前の、平穏な時間になってはじめて、落ち着いてセンテ・レーバンを眺める時が訪れた。

 ふと、その景色の中に、見慣れないものを見つけたのはアルサスだった。遠く南方の空に黒い点が、いくつも浮かんでいる。

「あれは、なんだ?」

 アルサスは慌てて、屋上の見張りをする兵のもとに走っていった。そして、見張り兵の持つ双眼鏡をもぎ取って戻ってくる。双眼鏡には、ガラスを研磨したレンズと呼ばれる部品があり、内部の魔法装置によって、百区リーグ近い遠方まで目視することが出来る優れものである。

 そうして、レンズ越しに目を凝らすと、その点の一つ一つが灰色をした鯨のような形をしていることに気付く。しかし、本物を見たことはないにしろ、鯨は海を泳ぐ生き物であり、空を飛ぶ生き物ではない。いや、そもそも、その姿が鯨に似ているだけで、全身は明らかに金属で出来ていた。不意に、遺跡船の姿が思い浮かべられる。こちらに向かって悠然と空を飛んでくる鯨は、遺跡船に似ているように見えた。ただ、大きな翼の代わりに、ヒレを動かしながら空を飛ぶ様は、まさに鯨が海を泳ぐ姿に良く似ている。

「あれは、我が軍がほこる主力戦力、ダイムガルド海軍航空戦隊の航空戦艦『飛航鯨』だ」

「あれが……」

 セシリアたちとの会話にその名前だけはきいたことがあったが、その正体を問い質したことはない。しかし、センテ・レーバンの空に現れたそれは、明らかに空を飛べるような体型でないにもかかわらず、悠然と空を泳ぐのは、「飛航鯨」がこれもウルガンから教わった二千年前の科学技術によって完成した、バヨネットと並ぶ切り札であるということだ。

「一番先頭を来るのは一番艦『ティルピッツ』。そして右に二番艦『ミズーリ』。左は竣工したばかりの三番艦『ドレットノート』。全艦、大型バヨネット電気砲を備えた戦闘艦だ。シエラの山頂にあるベルテスへ殴りこみをかけるには、必要なものだろう?」

 一大艦隊を形成する「飛行鯨」は、先頭を進む巨大艦「ティルピッツ」「ミズーリ」「ドレットノート」の三隻。その周囲に中型の「巡航鯨」、小型の「駆逐鯨」が数えられるだけでも二十隻以上が群れを成し、威容を空に浮かべていた。

「たしかに、あの飛航鯨があれば、シエラの山肌を登らなくても済むな……」

 アルサスは双眼鏡から目を離して、呆然と空飛ぶ鯨を見つめた。次第に、あたり一面に、ごうんごうんと飛行鯨が飛ぶ音が聞こえてくる。どこか、大地がうねるような音だ。

「わたしは、ジャックの様子を見に行ってくる」

 セシリアはそう言うと、踵を返した。そして、階段の方へ向かいながら、ふと思い立ったように振り返る。アルサスは、再び双眼鏡越しに、空を見上げていた。

「アルサス! 罪な男だなっ!」

 セシリアは、そんなアルサスの背中に向かってなるたけ聞こえるように言ったつもりだったが、飛航鯨の音によって、アルサスに届く前にかき消されてしまった。

 フッと、セシリアは笑う。

「わたしも失恋かな?」

 今度は誰にも聞こえないような声で言うと、セシリアは屋上の階段を駆け下りた。

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