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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十一章
104/117

104. シオンとナタリー

 信じがたいことではあっても、アーカイブより帰ってきたセンテ・レーバン国王のシオンとダイムガルド皇帝のアイシャが伝えれば、誰の口から聞くよりも、事実であるという確証だけは、すぐに伝播するものである。

 かつてこの世界に「西暦」と呼ばれる時代があり、白き龍を巡る戦争によって、高度に発展した科学文明が滅びた。アストレアの天使はその時代から長い年月を経て、ついにこの世界を滅ぼす寸前にまで追いやった人間の子孫に鉄槌を下そうとしている……などと、普通は感嘆に信じられるような話ではなく、どちらかといえば御伽噺のようにしか聞こえないものである。本来なら、その事実を確かめるため、研究団を組織し長い歳月を経て、事実を確かめなければならないのだが、そうする余裕もなかったし、ダイムガルド人にとっては古代の文明を滅ぼした一族の末裔という事実を安易に受け入れるわけには行かない。だからこそ、シオンとアイシャの伝えたことから、フォトンやベルテスなどの重要な事柄だけを引き抜くことにして、彼らはアーカイブのアリスが言ったことを、事実と認定したのである。

 そこからは、実務者どうしの間での話である。センテ・レーバン、ダイムガルド共通の敵であるアストレアの天使は、シエラ山頂の「擬似次元空間ベルテス」に篭っている。アリスより授かった「魔法」によって、その口をこじ開け、ベルテスに突入しなければ、戦いは終わらない。それをどのような段取り……即ち作戦において行うのかは、両軍の軍部上層者によって協議されなければならないことだ。

 すぐさま、ダイムガルドより来訪した、軍上層部のエイブラムスたちと、センテ・レーバン騎士団総長のクロウたち騎士団長クラスの間で協議が始まった。残された日は少ない。ダイムガルドとセンテ・レーバンが同盟を結んだということは、すでにメッツェとネルの知るところであろう。総力を結集した戦いの日は刻々と迫っていた。

 そんな折、ルートニアの城門を北からやって来た一台の馬車がくぐった。三頭立てのウォーラであるが、辻馬車ギルドのものではなく、荷台にはセンテ・レーバンの国旗が掲げられている。その荷台に乗せられているのは、一人の少女。頭の両端に分けて束ねられた長い髪、少し気の強そうな顔と、ルミナス魔法学校の制服。しかし、両手両足に枷を嵌められており、心なしかやせ細った頬には、涙のあとが付いていた。

 彼女の名は、ナタリー・リウル。ひと月ほど前、即位式典にて、国王シオンの命を狙った少女である。その後、一時期は王都の地下牢に閉じ込められていたのだが、ルウのとりなしもあって、騎士団総長となったクロウが、処刑を取りやめて、ルートニアの北方にあるイングレス監獄へと身柄移送されていた。それが、突然の召喚命令に伴い、ここセンテ・レーバンの最前線へと送られてきたのである。

 今更何の用があるのか……。シオン国王が目覚めたという話は、監獄の中で聞いた。目覚めたシオンが、命を狙った者に、直々に処刑を言い渡すつもりなのだろうか。どうでもいいことだった。どうせ、未練なんてものはない。国と民族の誇りを守るため、その手で敵国の女王を殺そうとした。しかし、人を殺して勝ち得る未来に何の価値もないことは、ルウが教えてくれた。その身を呈して。

 ルミナス魔法学園の単調な勉学生活の中で、唯一心を許せる相手。数え切れないほど喧嘩もしたけれど、けして、ルウのことを憎んでいるわけではない。むしろその逆であり、彼の腹を貫いた時、ナイフの先端から伝わる鈍い感触は、寝ても醒めても忘れられず、嫌悪感に吐き気さえ覚えてしまう。

 とてもひどい事をしてしまった……後悔の念は尽きない。イングレスの獄中でナタリーはずっと、後悔の中で砂をかんだような日々を送り、もしも処刑が言い渡されるなら、いっそその方がいい。

「ルウだって、わたしのこと、嫌いになったはず」

 人知れず呟いたナタリーの声は、馬車が停止する時の、馬のいななきによってかき消された。荷台の幌が開き、センテ・レーバン騎士団の甲冑を着た男が入ってくる。そして、おもむろに手足の枷を外してくれた。

「大罪人がまさか、女王陛下直々の謁見が許されたのだ、その汚い面くらい拭いておけ」

 騎士は毒づきながらも、懐からハンカチを取り出してナタリーに渡す。しかし、そのハンカチは使い込まれているためか、ひどく汚れていて、それで顔を拭いたら余計に汚れてしまうような気がした。

 ナタリーは騎士に連れられて、荷台を降りた。そこは、ルートニア要塞の中庭。騎士たちが戦の準備のために、武具や馬の鞍などを担いで右往左往しながら、あちらこちらへと駆けて行く。誰も、ナタリーに目を留める者は居らず、ある意味で戦場のような空気を醸し出していた。

「こっちだ。逃げ出そうとしたら、その場で叩き斬るぞ」

 と言いながら、騎士はナタリーを手招きする。そして、騎士に連れられてルートニア要塞内部に入ると、迷路のような城内の通路を何度もぐるぐるしながら、ようやく渡り廊下にぬけて、要塞を形成する四つの棟のうち、一番北側の棟へと案内された。

 そこからは、紺色のエプロンドレスを着たメイドの女性に引き渡される。メイドは、終始無言にナタリーを棟の最上階へと案内した。

「こちらでお待ち下さい」

 と、通された部屋は、女の子の部屋だった。可愛らしい壁紙にぬいぐるみ。騎士たちが汗していた中庭とは、随分と隔絶された空間に、思わずぽかんとしてしまう。

 すると、唐突に部屋の扉が開き、ナタリーと歳の変わらない少女がメイドを伴ってやって来た。その見事なドレスを見るまでもなく、ナタリーはその顔に見覚えがあった。

「シオン陛下……」

「ナタリー・リウルさんでしたよね? どうぞ、楽にしてそこの椅子に腰掛けてください」

 シオンはにっこりと微笑むと、部屋の中央に置かれた丸いテーブルの椅子をナタリーに勧めた。その笑顔に、敵愾心がないことに、ナタリーは肩透かしを食らったような気分になりながら、椅子に座った。

「アイシャさま……ダイムガルドの皇帝陛下よりいただいたリーツァというお茶です。人とお話をする時には、もってこいだと教わりました」

 と言うシオンの傍らで、一緒に入ってきたメイドが、手早くテーブルの上にティーセットを広げた。そして、カップに注がれた琥珀の茶から、得もいえぬ落ち着いた香りが漂う。

「どうぞ。召し上がってください。ご心配なく、毒など入っていません」

 言われるがまま、ナタリーはカップの茶を口に含んだ。もしも、その中に毒が入っているなら、せめてシオンのドレスを汚さないように死ねばいい。そんな風に思っていたが、口の中に広がるのは、程よい甘さと、少しばかりの苦味。ダイムガルドの茶など飲んだことはないが、とても美味しいものだと思った。

「あの、シオン陛下、わたしは……」

 ナタリーは、カップをテーブルに置くと、その琥珀の水面に映る自分の顔を見つめて言った。

「わたしは、とんでもない事をしようとしました。どんな罪に問われても、言い訳なんか出来ません。どうか、わたしを処刑するなら、早くしてください」

「処刑はしません。あなたの罪状は、わたしの一存ですべて取り消しました。お恥ずかしながら、わたしはあなたに命を狙われた事を全然覚えていないのです。憎め、と言われても無理です」

 十二歳の幼い少女とは思えないほど、凛と張った声で、ナタリーは少しばかり困惑した。何を考えているのかはさっぱり分からないが、即位式典の時のシオンとはまったく別人のようだった。

「でもっ!」

「もちろん、騎士の中にはわたしの決断に不満を持つ者もいるでしょう。事実は事実ですから。でも、ルウくんの頼みです。わたしは、ルウくんのことを友達だと思っています。その頼みを聞かないわけにはいかないでしょう?」

「ルウ……そんな、わたしはルウのこと!」

「彼は、あなたがした事を責めたりはしません。それは、あなたが一番良く知っているはずです。それでも、あなたをここにお呼び立てしたのは、他でもありません。あなたと、あなたのお仲間、ジャレンさんたちに力を貸して欲しいのです。センテ・レーバンのためでも、ダイムガルドのためでも、ガモーフのためでもなく、世界のために」

「世界のため……?」

 戸惑うナタリーに、シオンは語った。今世界に起きていること。アリスから聞いた過去の過ちに始まり、アストレアの天使が「約束の日」を果たそうとしていること。そして、自分たちはその危機から、世界を守るために戦おうとしていること。

 シオンが語る間、ナタリーは静かにその話に耳を傾けた。

「世界再誕……」

 その言葉を呟きながら、ナタリーはシオンの顔を見た。シオンは、少しだけ微笑んでいた。

「もしかすると、生まれ変わればこの世界はもっと良い世界になるかもしれない。でも、だからと言って、わたしたちはこの世界を捨ててはいけないと思うんです。憎しみ合い、奪い合う、分かり合えない世界でも、わたしたちはこの世界に生きている。わたしは、わたしたちの力で、この世界を少しでも温かな世界にしたい」

「でも、そのためにわたしが出来ることなんてありません。もしも、陛下が白き龍を目覚めさせる十六個の解除コードを知っているなら、それを使えばいい。わたしなんかに出来ることは一つもありません」

「だめです。白き龍をこの世に解き放てば、わたしたちは二千年前を繰り返し、新たなヒロシマの街を生み出すだけです。本当に平和をもたらすことができるのは……ここ」

 シオンは自らの胸に手を当てる。

「人の心だけです。わたしは、あなたの強い心を信じたい。だから、力を貸して欲しいのです」

「わたしは、強くなんか」

 ない、と言いかけたナタリーの口を、シオンは人差し指を当てて塞いだ。

「あなたは、自分の犯した罪が過ちだったと気付いた。それだけで、あなたは正しい心を持っている」

 シオンはナタリーの唇から人差し指を離すと続けた。

「アーカイブのアリスから、わたしたちはベルテスの入り口をこじ開ける魔法を授かりました。現在、宮廷魔法使いとルウくんが共に、その魔法の読解を行っています。もうじき、その魔法が読み解かれることでしょう。しかし、その魔法を使うには、沢山の魔法使いが必要です。しかし、ご存知の通り、ルミナスに住む方々は白き龍によって、みなフォトンとなってしまいました。そして、我が騎士団の魔法使いと宮廷魔法使いを併せても、アリスの魔法を使うには魔力が足りません。そこで、一人でも多くの魔法使いの方に協力して欲しいのです。もちろん、お断りになられても、わたしはあなたたち『エルフォードの会』のみなさんを再び罪に問ったりはしません」

「それは……センテ・レーバン国王としての命令ですか?」

 ナタリーはすっかり空になったティーカップを覗き込みながら問いかけた。確かに、シオンの言ったとおり、リーツァと言うお茶は、話をするにはもってこいの飲み物だった。不思議と心が落ち着き、この部屋に案内された時のような、暗い気持ちは少しだけ晴れているような気がした。

「いいえ、これはこの世界に住む一人の人間としてのお願いです。国とか民族のためではなくて、未来のため。わたしたちに力を貸してください」

 思っていたシオンの姿とは随分違う。武力で八百諸侯を纏め上げたセンテ・レーバンの国王は、血も涙もない人間だと思っていた。しかし、どうだろう。目の前にいる少女は、何のためらいもなく、命を狙った者に頭を下げることが出来る。しかも、己の利益や国家のためではなく、不特定多数の未来のために。不思議な人だ、この人を殺さなくて良かった。いつの間にかナタリーはそう思った。


 ルートニア要塞の南棟屋上に立ち、周囲を見渡せば、初夏の草原と森が点在する、センテ・レーバンの風景が一望できる。アルサスの隣でアイシャは、その風景を眺めて、「センテ・レーバンの景色は美しいものじゃ」と目を輝かせた。

「すべては、そちのおかげじゃな。あの日、そちが連れ出してくれなければ、わらわは一生この美しい景色を見ることはなかった。そちとめぐり合えたことは、神さまのお導きじゃの」

「なんだよそれ。神さまはいないってことが、証明されたばかりじゃないか。女神なんていわれても、結局はただの人だった。この世界に神様の意思なんて存在しない。あるのは、俺たちの意志だけだ」

 と、アルサスが言うと、クスリとアイシャは笑う。

「その通りじゃの。わらわは、この戦いが終わって国に帰ったら、無限の砂漠を緑化したい。すぐに実現できるものではないが、少しでも変えて行けたら、わらわは兄上にやっと褒めてもらえるような気がするのじゃ」

「兄上って……ライベル親王のこと?」

 アイシャと兄ライベルの関係は知っている。どちらかと言えば、自分とシオンの関係に近いものがあり、会ったこともない、会うことの出来ないその人に、妙な親近感を感じてしまう。

「アルサスは、兄上に良く似ておる」

「アストレアに似てるって言われた次は、ライベル親王か……そりゃ光栄だな」

 アルサスは苦笑しながら、風になびく前髪を押さえた。視線のその先には、アトリア連峰がある。ここからでは、シエラ山はおろか、擬似次元空間ベルテスの姿も見えないが、たしかにそれは視線の先にあって、そこにネルがいる。

「冗談ではないぞ。本当じゃ。顔も声も兄上とはまったく違うが、雰囲気は良く似ている。アルサスの傍に居るとな、兄上のことがまぶたの裏に蘇ってくるのじゃ……のう、アルサス」

 急にアイシャの声が真剣そのもの、といった具合に低くなった。その声の変化に戸惑い、思わずアルサスはアイシャと瞳を交わした。

「わらわは、本当にアルサスのこと好いておる。冗談や、嘘でも、ましてそなたが白馬の王子だからでもなく、真剣にそう思うのじゃ。のう、アルサスは、わらわのこと嫌いか? それとも好きか?」

 真っ向からそう聞かれれば、答えを返さないわけにはいかない。アルサスはしばらくの間、アイシャの真剣な瞳を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


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