102. 天使の二千年
覚えている……。あれは、アイシャの誘いによって、記憶喪失になったまま、ダイムガルドの軍人になる事を決意した前日の夜のことだ。
見たことのない四角い建物の立ち並ぶ街並み、空を飛ぶ鉄の鳥、そして炎の中で泣き叫ぶ少年の姿。あの夢は、なんだったのか、ずっと疑問に思っていた。それが、今やっと分かった気がする。
夢の中でアルサスを導いた少女こそ、ネルであり、彼女はアルサスに「これはフォトンが見せる夢」と言った。つまり、フォトン・ゲージが蓄えた記憶と、アルサスの根底に残された記憶か重なり合って生まれた夢幻だったのだ。
あの街並みは、二千年前のハイゼノンの街並み。空を飛んで行き、森に墜落した鉄の鳥は、きっとハンナ……ネルを運んだ遺跡船だ。そして、炎に包まれていたのは、ダスカード遺跡。泣き叫んでいた子どもは、フォン……メッツェ・カーネリアだ。
夢幻はなぜ、その光景をアルサスに見せたのか。それは良く分からない。しかし、フォトンと呼ばれるものが、眼には見えなくても、現実に存在していることは実証しているようなものである。それに、アルサスたちは、フォトンの姿を見たことがある。そう、「翼ある人」の三叉槍に貫かれた人々は、赤銅の騎士リアーナの言葉を借りるなら、フォトン化したのであり、あの光の粒こそがフォトンそのものである。
「文明が崩壊し、奇しくも戦争は終わりました。しかし、生き残った人々に与えられたのは腐敗した大地と、原始時代並の生活レベルです。それでも、彼らが生き残り、あなた方の祖先となったのは、ばら撒かれたフォトンが人間、動物、植物などあらゆる生き物の身にまとわりつき、あなたがたを見えない力で守ってくれているおかげなのです」
「フォトンって、そんなにすごいものなの? 信じられないや、ボクの体にもそのフォトンがくっついているなんて……」
ルウが自分の体のあちこちを見回して言う。フォトンは、眼に見えないものだから、そんな風にして見えるものではない。しかし、だからこそ、自分の体にフォトンが存在しているなどと俄かには信じられないのだ。
「マリア博士が、二人の天使を手放す前に、世界にはフォトンがばら撒かれました。それを証明するのは、あなたの使う、魔法と言う力です」
「えっ!? 魔法っ?」
「はい。魔法とは、フォトンが大気に潜む四つの元素を吸収・凝集させ、力と変えるものです。眼には見えないものが故、人々はその力を魔力と呼び、そして魔法と名付けたに過ぎません。ベスタ教が教える精霊の物語は、あくまで物語に過ぎず、事実ではないのです。しかし、理論上フォトンがあれば、誰にでも魔法を使うことが出来ます。それを使おうとすれば……」
「ちょっと待った! それでは話のつじつまが合っていない」
と、アリスの言葉を遮ったのは、セシリアである。
「わたしたちダイムガルド人は魔法が使えない。魔法の研究は何度も行われたが、誰一人として魔法を使えたものはいない。マリア・アストレアが、そのフォトンなるものを世界にばら撒き、人々を絶滅から守った、と言うのなら、なぜわたしたちは魔法が使えないのだ?」
「それは……」
急に、アリスの顔が曇る。ひどく人間じみた顔つきは、何か言い出しにくいことがあるかのようで、一堂はそろって訝るような視線をアリスに向けた。
「わたしに蓄積された記憶を述べるなら、あなた方はATUを組織した人たちの子孫であり、フォトン適応がかなわなかったのです。マリア博士に時間があれば、そう、フォトン・アクシオンに匹敵するようなものに、更なる改良を施し、あまねく生き物すべてにフォトンが適応されてしかるべきでした。しかし、先ほども申し上げたとおり、それは味方によって足元をすくわれてしまったのです」
「わたしたちが、核兵器で文明を滅ぼした者たちの子孫……そんなバカな」
「いえ、これもわたしに蓄積された記憶が証明しています。文明が崩壊し、戦争が終わり、絶え間ない放射能の世界から逃げるように、あなた方は、中東アジアから、現在ダイムガルドと呼ばれているアフリカ大陸へとその活路を求め、サバンナの中に地下都市を築き上げました。そうして、五百年に及ぶ苦渋の時を越え、世界から放射能と言う毒が消えうせて、あなた方の先祖は、砂漠の真ん中、太陽の下に国を築き上げたのです。あなた方の国が、古来より沢山の鉱脈を掘り当て、国の資源と出来たのは、五百年の地下生活の時に、掘り当てたもの、といえるでしょう。もっとも、それは遠い過去の話です。今あるあなた方が、それを悔いる必要はないでしょう」
「それは、そうだが……すまない、話の腰を折った。アリス、続けてくれ」
セシリアは若干納得のいかない顔をしながら、アリスから視線を逸らした。
「文明が滅びた後、フォンとハンナの行方は長い間、分からないままでした。やがて、新しい文明が勃興し、過去の出来事と彼らの存在が、伝説という形で残った頃、フォンは一人世界をさ迷い歩いていました。彼のフォトン・アクシオンは、世界を監視する眼としての機能をもつ故に、彼の体を流れる時間は、通常の何百分の一の遅さで流れ、二千年と言う月日で、やっと彼は十年の成長を得ました。ほとんど、それは永遠とも思える長い時間をすごしてきたと言うべきでしょう」
最初の百年、彼は頼るものもなく、ただアストレアから与えられた使命を果たすということに燃えていた。しかし、成長しない彼を人間たちは気味悪がって、悪魔と罵り迫害した。平穏に生きていける場所など、この世の何処にもなかった。ひとところに留まる事を許されず、放浪し続けた日々が千年にも及び、唯一、心のよりどころであった、養母マリアはとうの昔に死に、妹のように可愛がったハンナは行方が分からない。永遠にも等しい孤独と理不尽な暴力に身を焼かれながら、次第に彼の心が変質し、人間そのものに絶望していったことは、想像に難くない。
やがて彼は、こう思うようになった。
『人間の醜い心が憎い。マリアはそれを滅ぼし、新たな理想世界を築いて欲しいと願って、自分に「奏世の眼」を与えたのだ……』
世界が再び戦争に明け暮れ、白き龍を求めるならば、「奏世の力」を以って、世界を滅ぼしゼロから新しい世界を築き上げる。憎しみも苦しみもない、平和な世界を。そしてその時、人間は本当にわかりあうことが出来るはずだ。
それがフォンとハンナの幼い兄妹に託された「奏世計画」だった。確かに、フォンが至った結論はその解釈を捻じ曲げてはいなかった。ただ、彼の目的は、すでに人間を憎み、人間を滅ぼすことだけに向けられていたのだ。
彼は、南洋の小島へと移り住み静かな千年を過ごした。誰とも交わらず、ただ平穏な時間の中、けして消えない憎しみの炎をくすぶらせたまま、外見に二十歳を越えた彼は、ついに己の使命を果たすべく、成熟しつつある新たな文明に近づいた。
折りしも、世界は三つの国に別れ、それぞれが不均衡な関係のまま、百年近くの争いをしていた時代。ちょうど、ヨルンの戦いにおいて、ガモーフ法王が何も知らず白き龍を蘇らせたころ。フォンは、メッツェ・カーネリアという名前を名乗り、ライオット・シモンズに近づいた。そして、彼が白き龍を欲するように仕向けたのだ。
そうすることで、自ら「約束の日」を現実のものに変えた。彼にとって、アストレアとの「約束の日」はもはや憎しみを晴らす時だった。二千年の月日をただ孤独と戦い続けた彼の、唯一の生きる糧だったと言っても過言ではないのかもしれない。
一方、エントの森で眠り続けたハンナが目を覚ましたのは、フォンが呼びかけるよりも前だった。本来、「奏世計画」の実行を司る「奏世の力」を持った銀の乙女を、永い眠りから目覚めさせるのは、世界を監視する「奏世の眼」を持った金の若子の役目だった。
ところが、鉄の鳥の中でハンナは目覚めた。目覚めさせたのは辺境の村に住むリミュレと言う男であった。エントの森に材木を得るために入った彼は、森を彷徨い、そして遺跡船へと辿り着いた。そこで眠る少女を見つけた彼は、その少女を二千年の眠りから目覚めさせたのだ。
後に、メル・リミュレが語った、ハンナとの出会いはいささか四歳という幼い頃の出来事ゆえに、ほとんど記憶違いであり、ハンナは自力で目覚めたわけではなかった。
ただ、その時、父リミュレは光る石版から啓示を受けた。いずれ、その娘は女神との約束を果たさなければならないと。それが、今生の別れになるだろうと、予言れたのである。
そうして、リミュレ夫妻に引き取られたハンナは、記憶とともに、力を封じられたまま、ネルという名を与えられ、家族の中で何も知らず暖かに成長した。たった十年とは言え、それはフォンの歩んだ人生とは比べ物にならないほど豊かなものであり、彼女はすべてを忘れ去った。そりためセンテ・レーバンで宰相付参謀官の地位を得たフォンことメッツェの呼びかけには答えることが出来なかったのである。
そうして、メッツェは黒衣の騎士団に、ハンナの捜索を命じる。すでに、ギャレットの弱みを握り引き込んでいた彼は、ギャレットたちが多少手荒な真似をすることは分かっていた。
その後の経緯は語るまでもない……。
メッツェが手を下す前に彼女の心は折れ、それを癒してやることで、ネルは本当の名前と使命を取り戻した。そうして、ついにメッツェか待ち望んだ「約束の日」が到来したのだ。二千年の月日を経て……。
「本来、魔物はアストレアの天使を守護する使命を、マリア博士から授かっていました。しかし、バセットをはじめとしたハイ・エンシェントたちは己の自我を優先して、その使命を捨て去ったのです。彼らが、何故人間を、この世界を守ろうとしたのか、その理由はわたしには分かりません。問い質そうにも、すでに七匹のハイ・エンシェントは、ウルク・ハイのギャレット・ガルシアとリアーナ・ロシェットによって殺害されました」
アリスの言葉に、ウルガンが語っていた事をアルサスは思い出す。マリアによって、進化を与えられた彼らは、マリアのためにアストレアの天使を守護する事を誓ったのだろう。だが、バセットもトンキチもウルガンも、皆その使命を捨てた。だから、メッツェにとって邪魔な存在でしかない魔物たちは、ギャレットとリアーナによって狩られたのだ。
「本当に、世界を生まれ変わらせる、なんてこと出来るのか?」
アルサスが問うと、アリスは静かに頷いた。
「フォトン・アクシオンは、あなた方のフォトン・ゲージとは比べ物にならない力を持って、フォンとハンナを守っています。とくに、ハンナに与えられた、銀の乙女のフォトン・アクシオンに秘められる、破壊と再生の力をもってすれば、あなた方の想像も出来ないことすら、なしえてしまうのです」
「じゃあ、何のためにネルは……ハンナは『翼ある人』を生み出して、世界の人々を殺しているんだ?」
「殺しているのではありません。フォトン化しているのです。先ほども申し上げたとおり、フォトンには本人の本人たらしめる精神と情報をコピーする力があります。つまり、フォトンのなかに、その人の情報を詰め込み、一時的に地上から大気の中へ、退避させているのです。そうして、破壊と再生によって世界が生まれ変わったその時、フォトン化した人間は再び肉体を得て地上に舞い降ります。もっとも、その時彼らが元の彼らであるかどうかは、わたしには分かりません」
「なあ、アリス……あんたはどう思う? メッツェのやろうとしていることは、正しいことなのか?」
「お、お兄さま!?」
アルサスの不意の言葉に、シオンは驚きを隠せず、眼を丸くした。
「世界が戦争に溢れ、それでも人は分かり合えない生き物だ。自分が生き延びるためには、他人の不幸だって厭わない。それは、とても悲しいことだ。それを変えようとしているメッツェのしていることが、間違いか正しいことか、俺には分からない……」
「わたしは、機械です。何が正しいことかそれを判断することは出来ません。さらに言えば、わたしを生み出したのは、フォンに『奏世』の使命を与えたマリア博士その人です。たとえわたしに感情が備わっていて、人間と同じ思考をするプログラムだったとしても、フォンとネルの意志を否定することは出来ません」
「そう、だよな……。でも、世界から戦争がなくなって、他人を憎んだり殺したいと想うようなことがなくなることは、とても素晴らしいことだ」
アルサスがそう言うと、アリスはなぜかフッと小さく笑った。人間のような感情がない、と言った割には、随分と人間のような反応だ。
「だけど、あなたはアストレアの天使が作り出す新世界を受け入れるつもりはないのでしょう?」
「ああ、そうだ。誰かが決めた価値観の中で生きることは、とても窮屈だ」
「でも、フォトン化して、新世界に蘇れば、そのような感情はなくなっているかもしれませんよ?」
「いや、なくならない。俺のフォトンが俺の情報をコピーしたなら、生まれ変わっても俺は俺以外の何者でもないんだ……」
「ならば、わたしに何が正しいか問う必要はありません。あなたには、二人を止める権利があるのですから」
意味深なアリスの言葉に、アルサスは思わず小首をかしげた。
「それってどういう……」
「フェルト・テイル。あなたは、マリア博士の血を引く末裔です」
アリスは一際荘厳な響きの声で言った。
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