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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第二章
10/117

10. 影走り

 派手な音を立てて、開け放たれた扉から、光があふれ出す。暗がりの店内にいたため、一時的に眼球が明反応を起こしたのだ。だが、アルサスはそれにひるむことなく、ネルを手を引っ張って走り出した。裏路地を抜け、大通りをまっすぐ走れば、港が見えてくるはずだ。

「アルサス、屋根の上っ!!」

 いち早く、太陽の光に慣れた、ネルが路地の両脇を囲む箱型の建物の屋上を指して叫んだ。そこには、太陽の光を背に受けて、いくつかの黒い影が飛び交う。と、その時である。不意にアルサスの足元を風が切った。舗装されていない地面に何かが突き刺さる音。

 アルサスは、急ブレーキをかけた。見れば、足元にには十字架状の先の細い短刀が突き刺さっている。屋根の上を飛び交う黒い影が投げつけてきたことは明白だ。急ブレーキをかけなければ、今頃、殺意を帯びた短刀に突き刺されていただろう。

「ミセリコルデかっ! やっぱり、魔物じゃねえな……」

 アルサスはそう呟くと、再び走り出した。黒い影は、ひたすらにアルサスたちを追いかけてくる。その執拗たるや、獲物を付けねらう野犬の群れのようだ。しかし、野犬がミセリコルデを放ってくることはない。ミセリコルデとは、暗殺用の投擲(とうてき)短刀の名であり、ガモーフではスティレットと呼ばれている。本来は、甲冑の隙間や鎖帷子(くさりかたびら)を貫くために考案された隠し武器のことである。

 そんな、殺傷目的の武器を放ってくるのは、人間のほかにいないことを、アルサスは知っていた。

「こっちだ、ネルっ!!」

 突然、アルサスの踵が、くるりと路地を曲がる。さらに路地は狭くなり、ついには、三方を建物の壁で囲まれた行き止まりへと達する。振り向いた二人の目に飛び込んできたのは、列をなすように、次々と地面に突き刺さりながら迫ってくる何本ものミセリコルデである。

「そこの、木箱を使って上へっ!」

 路地の隅に、貨物用の木箱が置かれている。しかも、ちょうど建物の屋上へ上がれるように、階段状になっていた。アルサスは、それを見越していたのだろう。このまま往来に出れば、町の人を巻き込んでしまうかもしれないし、運悪くカルチェトの治安警備を担うギルド・リッターに見つかってしまうかもしれない。

 ネルは、頷くとアルサスから手を離して、木箱に足をかけた。階段状と言っても、一段の高さは腰ほどもある。よいしょ、よいしょとネルが木箱を上る間、アルサスはひらりひらりと剣を振り回し、巧みに、ミセリコルデを打ち払う。

「アルサス! 早くっ!!」

 屋上に上ったネルが、手を伸ばす。アルサスは、すかさず木箱に飛び乗り、ネルの手を掴んだ。無論、非力な少女の力で、少年を引き上げることは出来ない。アルサスは、木箱の淵を強く蹴ると、屋上に飛び上がった。

 屋上から見えるカルチェトの街の景色は、少し変わっている。老婆の店のような三角屋根の建物は他になく、また、建物の高さがほぼ均一で、このまま屋上伝いに走れば一直線に港へとたどり着けるようになっている。そして、ここからでも、港に停泊する海運ギルドの帆船がよく見える。そのうち、一隻はマストの先端に、海運ギルドを現す、牙鮫の紋章旗と、魔法使いギルドの白と黒の二色旗がはためいていた。

 どうやら、あの船が魔法学校のあるルミナス島へと渡航するための客船らしい。しかも、好都合なことに、出航直前を表す信号旗まで揚がっている。船に逃げ込めば、こっちのもんだ!

 と、アルサスが思った瞬間、背後に殺意が迫る。咄嗟のことにネルが「キャっ」と悲鳴を上げたかと思うと、アルサスはくるりと体を反転させて、すばやく剣を薙いだ。金属と金属がぶつかる音。アルサスの剣がミセリコルデを打ち落としたのだ。

「足の早いヤツらだ。ネル、俺の後ろに隠れて」

 アルサスはそう言うと、ネルを下がらせて、自らは剣を両手で構えた。黒い影が、幾重にも交差しながら、屋上伝いにこちらへとやってくる。そして、適当な間合いを取ると、影は立ち止まった。

 それは、影ではなく人。アトリアの森から、アルサスたちを尾けて来た、黒装束の男たちだった。

「こいつら、『影走り』か!?」

 アルサスが、掃き捨てるように唸る。知っているんですか? と問いかけようとしたネルは、アルサスの横顔を見て、思わず閉口した。焦っている顔。バセットと戦った時よりも、明らかにアルサスの顔に、焦りがにじみ出ている。

「ほほう、レイヴンの分際で、我ら『影走り(シャドウズ)』をご存知のようだな。これは、光栄だ。しかし、ここでお別れだ。その娘をこちらに渡せ。そうすれば、少年よ、貴様の命は助けてやろう」

 淡々としゃべる、隊長と思しき男の背後で、部下の黒装束が、ミセリコルデを構える。すでに、夕刻を示す赤みを帯びた太陽の光に、ミセリコルデの刃が俄かに光った。

「魔物どもと同じことを言うのな。お前らも、ネルが狙いなのかよ? いや、そりゃそうか……。でも、素直に渡すと思うか?」

 アルサスは、そっとズボンのポケットに片手を忍ばせた。

「アルサス……」

 小声でネルが、アルサスの袖を引っ張る。アルサスは、視線を黒装束たちから離すことなく、囁くように応じた。

「大丈夫。魔法カードを使うから、魔法が発動したら、港へ一気に逃げるんだ。こいつらは、港にまで入ってこられない」

「え? どうしてですか?」

「説明は後。途中で転んじゃだめだよ、振り返ってももダメ。こいつらは、人を殺すことに何の苦痛も覚えない『殺し屋』だ」

 と言う、アルサスは、焦りを覆い隠すかのように、小さく笑った。人を殺すことに胸を痛めない人間……だから、アルサスは焦っているのだ。

 魔物よりも、強い殺意、それを放っているのが、この男たち。ネルの脳裏で、村を襲い自分を攫った黒い鎧の男が過ぎる。それは、あたかも目の前の男たちの黒装束と重なり合う。胸の奥が抉り出されるように気分が悪い。

 でも、アルサスの言ったとおり、走らなきゃ。死んでもいいなんていっちゃダメ。アルサスとの約束だ。

「何をこそこそとしている? 素直に娘を渡さないと言うのなら、貴様を切り刻んで、その娘を連れて行くまでだ」

 黒装束の隊長が、唯一装束から露出した目玉をギョロリと動かし、腕に装着した、クロー・ガントレットを構える。ミセリコルデを投げつけられるのが先か、ガントレットの爪が襲い掛かってくるのが先か。一瞬の誤差で、やられるのは人を殺すと言うことに迷いのある自分だと、アルサスは分かっている。

「女の子ひとりに、大の大人が寄ってたかって、恥ずかしくないのかなって話してたんだよ」

「なんだと!?」

 刹那、隊長の顔色が変わる。その好機を、アルサスは見逃さなかった。

「帰ったら、アイツに報告するんだな。『がんばったけど、逃がしちゃいました』ってね!!」

 と、毒づいて、ポケットから買ったばかりのカードを取り出す。

「黄の精霊、その封印を解き放ち、土隆の盾となれ。エーアデ・バックラー!!」

 解放の呪文とともに、カードに描かれた魔法円が解け、強い光を発した。すると、まるで黒装束の男たちと、アルサスたちを隔てるように、土の壁がどこからともなく隆起する。投げつけられたミセリコルデも、ガントレットの爪も、魔法の土壁に遮られてしまう。

「いまだ、ネル! 港まで走れっ!!」

 アルサスの掛け声にはじかれるように、ネルは走り出した。すぐに、彼らは追いかけてくる。港に飛び込めば、こちらの勝ち、追いつかれれば負け。はっきりとした勝敗が、ネルの背中を押した。

 魔法の土壁は、ものの数秒で跡形もなく消え去る。もともと、盾の魔法「バックラー」は一瞬の防御を行う、魔法障壁(マジック・バリア)に過ぎない。

「くそっ!! 港へ逃げ込ませるなっ!!」

 追いかける黒装束たちの声。アルサスとネルは、その声を背中に屋上から屋上へと飛ぶように走り抜けた。しかし、その軽やかな足も、港を手前にして急停止する。

 建物の高さは、ニ階建てより少し高いくらい。下は整備された硬い石畳。飛び降りるには多少の危険が伴う。まして、女の子であるネルにとって、そんな経験もなければ、勇気もない。そこは、まさに断崖のそれと同じだった。

「おおい、そんなところで何やってんだ、危ねえぞ!!」

 下から、怒鳴り声が聞こえる。それは、建物の屋根の上から、港の敷地を臨むアルサスとネルの姿を見つけた、海運ギルドの水夫だった。

「おっちゃん! 助けてくれっ!!」

 アルサスが水夫に背を向けて言う。もちろん、水夫は何のことだか分からなくて、きょとんとしていたが、屋根の上のアルサスが剣を振り、水夫の足元にミセリコルデが落ちてくると、顔を真っ青にした。

「お願いします、おじさまっ!! 助けて下さい」

 ネルが屋根の淵に両手をついて、水夫に懇願する。水夫は、こくこくと頷くと辺りを見回した。クッションになるようなやわらかいものはないかと探すが、都合よく見当たらない。いや、あるじゃないか、船上で鍛えた、この逞しい胸板が!!

「お嬢ちゃん! 俺の胸に飛び込んで来なっ!!」

 水夫は両腕を広げて、ネルを待ち構える。日焼けした肌に映える白い歯が、キラリと光るが、却ってそれが、ネルを困らせてしまう。

「あ、アルサス、どうしましょう?」

「迷ってるヒマなんかねえ!! 急げ、ネルっ!!」

 剣を構えるアルサスは、ネルに促した。ネルは、意を決して屋上から飛んだ。義侠心あふれる水夫にいやらしさはないものの、それでも、男の人の胸に飛び込むのは、女の子として気が退ける。だからなのか、ネルは「ごめんなさいっ!」と自然に叫びながら、水夫の逞しい胸に飛び込んだ。

 それを確認したアルサスは、追いかけてくる黒装束にニヤリと笑い、身軽に屋上から飛び降りた。アルサスには、彼らが港地域に入って来られない理由が分かっていた。

「こいつぁ、一体どうしたんだい?」

 ネルをキャッチした水夫は、彼女を地面に降ろしながら、抜き身の剣を手にしたアルサスに尋ねた。

「ちょっと、蜂の巣をつついちゃってね。こわーい、殺し屋のおっさんたちに負われてるんだよ」

 自分でも耳を疑いたくなるような、適当な言葉がペラペラと口をついて飛び出す。しかし、水夫は疑う様子もなく「そいつは大変だ! あわわ」と、筋骨隆々の図体に似合わぬ慌てっぷりを見せた。

「悪いんだけど、おっちゃん! ルミナス島行きの船まで案内してくれ」

 アルサスは、そんな水夫に言う。すると、水夫はニカッと白い歯を輝かせて笑い、

「そいつは、渡りに船だ。俺は、その船の乗組員だからな! こっちだ、お嬢ちゃん、小僧っ!!」

 と、腕を振って、こっちだとアルサスたちを誘導する。アルサスとネルは頷き合わせると、水夫の後を追った。

 背後に迫る殺気が、屋上の上から悔しそうに、睨みつけてくる。アルサスは走りながら、ちらりと、彼らの方に一瞥をくれた。装束に覆われてはっきりとは分からないが、きっと苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。アルサスの読みどおり、彼らは、海運ギルドの港に入ることは出来ない。なぜなら、ギルド連合と各国政府は不可侵の協定を結んでいる。彼らが名乗ったとおりに、センテ・レーバン非正規部隊「影走り(シャドウズ)」ならば、武器と殺意を携えて、海運ギルドの領内である港に入ることは、彼らの独断で、協定を踏み越えることになるからだ。

「センテ・レーバンか……」

「アルサス? どうかしました?」

 人知れず呟いたアルサスの声が聞こえたのか、少し前を走るネルが振り返る。さっきからアルサスの様子が変だ……。ネルはそう思ったのだが、アルサスはいつもの余裕ある笑顔を見せて、

「何でもないよ。急ごうっ!!」

 と言って、ネルの手を取った。

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