◆【幕間】中央の視線
その報せが王都に届いたとき、多くの者はまずそれを信じなかった。
西方の名も覚えられぬような辺境。
ファルケンハイト。
魔物と飢えに苛まれ、じわじわと痩せていくだけの行き止まりの領地。
そこが隣領フェルゼンの500の軍を200に満たぬ寡兵で退けた――というのだ。
しかもその戦の要で、血に選ばれた高位の魔法使いを討ったのは正規の兵ではなく、名もなき平民だったという。
「たわけた与太話だ」
と宮廷の多くは鼻で嗤った。
辺境の田舎者が勝ち戦を大袈裟に飾り立てているのだ、と。
だが報せは1つではなかった。
商人の口から教会の伝手から諸侯の私信から――同じ話が別々の経路で、次々と王都に流れ込んできた。
細部は食い違えど芯は揺るがなかった。
辺境の四男が"血のいらぬ力"で血統の軍を破った。
その芯が王都のいくつもの異なる心にそれぞれ違う波紋を広げていった。
---
血の秩序を重んじる、旧い貴族たちにとって、それは背筋の寒くなる報せだった。
血が力を握る。
その揺るがぬ1本の柱の上に彼らの特権も支配も世界そのものも乗っている。
もしその力が道具で肩代わりできるものだとしたら。
血を持たぬ者にすら配れるものだとしたら。
――彼らを彼らたらしめている根拠が足元から崩れる。
旧貴族派を束ねる宰相ガレオンの読みは誰より鋭く、誰より暗かった。
彼はその報せを単なる辺境の勝利とは見なかった。
世界の根を蝕む"異端の芽"の最初の芽吹きと見た。
放置すれば広がる。
広がれば止まらない。
ならばまだ小さなうちに――とそこまで考えて、彼はしかしすぐに兵を差し向けることはしなかった。
ガレオンが何を恐れているのか、その根に何があるのか、周囲の者にはまだ分からなかった。
ただ、宰相の視線が西方の一点へ冷たく据えられたことだけは誰の目にも明らかだった。
一方、聖導院はまったく別の匂いをその報せから嗅ぎ取っていた。
魔法は神々の恵み。
血に宿る、聖なる才。
その仕組みを人が覗き、分解し、鉄の道具に落とし込む――枢機卿イザークにとってそれは勝敗以前の問題だった。
神の領域への冒涜。
異端の極み。
彼は辺境の報せを静かな祈りの後で受け取り、そしてその痩せた指をゆっくりと組んだ。
この芽は政治で刈るだけでは足りぬ。
魂の側から断たねばならぬ――と。
そして王都にはこの報せに密かに胸を高鳴らせた者たちもいた。
血に縛られぬ資本と技術の担い手。
商人ギルドの実力者たちである。
彼らは辺境の勝利を脅威ではなく、"好機"と読んだ。
血統の外に新しい力の源が生まれつつある。
それを握れば、旧い秩序に頼らずとも富と影響力を我がものにできる。
彼らの目は西方の辺境へと静かにしかし熱く、注がれ始めていた。
---
王家の内では報せはまた違う色に映っていた。
玉座の主は優しくはあったが押しが弱かった。
旧貴族の合議に縛られ、自らの意志で大きく舵を切ることのできぬ、弱い王政。
辺境の報せを前にしても王は諸派の思惑の間で決めかねていた。
だがその宮廷の片隅で1人だけ、この報せを誰より興味深く見つめている者がいた。
第二王女、アリエル。
旧習にかねてから静かな疑問を抱いていた聡明な王女は辺境の四男の話を耳にして、その理知的な瞳をわずかに輝かせた。
血ではなく、仕組みで人を豊かにし、守る――それがもし本当なら。
この弱りきった王権にとってそれは脅威だろうか。
それとも――活路だろうか、と。
こうして、たった1つの辺境の勝利が王都のあらゆる勢力の思惑を静かにかき立てていった。
危険な芽と見る者。
異端と断じる者。
好機と狙う者。
そして活路を夢見る者。
それぞれの正義と利害とが西方の1点をめぐって絡み合い始めた。
問題は次の一手だった。
一部の強硬な者は今すぐ、その芽を摘めと主張した。
辺境伯家に難癖をつけ、四男を召し捕り、工房とやらを潰せ、と。
だがより慎重な声がそれを押しとどめた。
――軽率に過ぎる、と。
フェルゼンの500を退けた、その"実力"は本物だ。
むやみに攻めれば逆にこちらが手痛い目に遭いかねぬ。
それに目覚ましい功を立てた辺境伯の子を確たる証もなく潰せば、他の諸侯の不信を招き、ただでさえ弱い王権をさらに揺るがす。
ならばどうするか。
答えは1つに収束した。
まず、確かめる。
王命を帯びた監察使を送り、その辺境で何が起きているのか、その四男が何者なのかをこの目で見定める。
そのうえで、摘むか飼い慣らすか、あるいは――利用するかを決めればいい。
---
そしてその監察使に選ばれたのは意外な男だった。
まだ若い。
20歳を少し過ぎたくらいか。
旧貴族の名門でもなく、聖導院の忠実な信徒でもない。
どの派閥にも深くは属さぬ、線の細い理知的な男。
だがその穏やかな物腰の奥に底の見えぬ鋭さを湛えている、と彼を知る者は口を揃えた。
なぜ、この男が選ばれたのか。
表向きはどの派閥にも偏らぬ、公平な目を持つがゆえ、とされた。
だがそれだけではない、と勘のいい者は感じていた。
この男は――辺境の四男の話を聞いたとき他の誰とも違う反応を見せたのだ。
危険とも異端とも好機とも言わなかった。
ただ、静かにこう呟いたという。
「……仕組みで世界を見る、か」
まるでその言葉の意味を誰よりも深く、身をもって知っているかのように。
この男がいったい何者なのか。
なぜ、辺境の"仕組み"にそこまで通じた口ぶりをするのか。
その背後にあるいは――彼自身の裡にいったい何が潜んでいるのか。
それは王都の誰もまだ、知らなかった。
ただ、一部の噂好きの間でこんな話が密かに囁かれ始めていた。
――この辺境とは別の場所で、あの四男と"よく似たこと"を始めている、もう1人の者がいるらしい、と。
血の常識を覆すような、仕組みで力を動かすような何かを。
それも辺境よりずっと大きく、そして危うい形で。
その"もう1人"の影がこの若い監察使とどこかで繋がっているのか。
あるいはまったくの偶然なのか。
それを確かめる術はまだ、誰にもなかった。
---
出立の朝、監察使は数人の供だけを連れて、静かに王都を発った。
物々しい兵の列も居丈高な態度もなかった。
ただ、西の空へとまっすぐに馬を進めていく。
その背中を見送る者はほとんどいなかった。
だが彼が向かう先で、何を見、何を報告するか――その1つの報告が辺境の四男の運命を、いや、この国全体の盤面を大きく動かすことになる。
それをこのときの王都はまだ誰もはっきりとは悟っていなかった。
痩せた辺境で静かに灯った、小さな火。
それは今、辺境という揺り籠を越えてこの国の中枢の視界の中へと入り込もうとしていた。
中央の視線が動き出した。
そしてその視線の先で、辺境の四男の"静かな革命"はいよいよ王都という、はるかに大きく、はるかに危うい盤上へと引きずり出されていくことになる。
決定文書の末尾に監察使ノエル・アルヴェーンの名が記された。
宰相はその名を指でなぞる。
若く、理知的で、派閥への忠誠を表へ出さない男。
辺境の四男を測るために選ばれた監察使自身もまた、中央にとって測り切れない駒だった。
視線は一方向ではない。
王都が辺境を見る時、辺境からも王都が見返される。
そしてノエルはその2つの視線が最初に交わる場所へ向かった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
面白い、続きが見たいと思った方は是非、
評価・コメントをいただけますと励みになります。




