◆【幕間】焔の残り火
戦が終わってからディークは1人、焼け焦げた隘路に立っていた。
勝ったのだという。
200に満たぬ寡兵でフェルゼンの500を退けた。
辺境は守られた。
誰もがそう言って、沸き立っていた。
――だがディーク・ファルケンハイトの胸を占めていたのは勝利の喜びではなかった。
もっと苦い、名づけようのない何かだった。
彼は掌をかざし、焔を灯してみた。
橙色の熱が闇に揺れる。
強く、揺るぎなく、美しい。
彼が生まれつき持っていた血の力。
誇りそのものであったはずのこの焔。
だがその焔はこの戦で何を為しただろう。
正面から迎え撃つと彼は勇ましく出陣した。
フェルゼンの魔法使いなど恐るるに足りん、と。
ファルケンハイトの焔が格の違いを思い知らせてやる、と。
――結果は惨敗だった。
側面から伏せていた敵の一斉射撃に彼の誇る焔の隊はあっという間に砕かれた。
彼自身も傷を負い、青ざめた顔で、退くしかなかった。
血の力は確かに強い。
1人で100人を薙ぎ払う力もある。
だがその強さは"どう使うか"を知る敵の前ではあまりにも脆かった。
誇りだけを頼りに真っ直ぐぶつかるだけの戦い方。
それはより狡猾で、より組織された敵にいとも簡単に崩された。
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そして――彼が敗れたその戦を覆したのは弟だった。
焔も灯せぬ、あの四男。
ルクス。
彼がずっと出来損ないと蔑んできた、家の余り物。
その弟が寡兵で地形と道具と数を組み合わせ、血統の軍勢をこの隘路で退けた。
誇り高きフェルゼンの大魔導士すら、名もなき平民の鉄の筒に討たれた。
ディークはその決着の瞬間を床几の上から見ていた。
信じられなかった。
認めたくなかった。
血の力もない者たちが血に選ばれた最強の一手を討ち倒す。
彼が生まれてこのかた疑ったことのないたった1つの真理――血こそが力であるという、世界のかたち。
それが目の前で揺らいだ。
「馬鹿な」
と彼は心の中で何度も呟いた。
「そんなことが……」
だが現実は揺るがなかった。
村は守られた。
500は退いた。
それを為したのは彼の焔ではなく、弟の"仕組み"だった。
ディークは床几の上で拳を握りしめていた。
屈辱だった。
次期当主と目される自分が焔の才を誇る自分が才なき弟に救われた。
彼の焔の隊が守れなかったものを弟の玩具が守り抜いた。
――これほどの屈辱があるだろうか。
---
だが。
焼け焦げた隘路に1人立ちながら、ディークはその屈辱の底に別の感情が静かに芽生えているのを感じていた。
彼は弟が防衛の指揮を執るのを間近で見ていた。
あの寡兵の布陣。
地形を読み、道具を配し、村人1人1人に"自分にできる1つの仕事"だけを与えていく。
難しいことは仕組みが引き受ける。
人は自分にできる一部を担えばいい。
――それは焔とはまったく別種の。
しかし紛れもない、"力"だった。
そして決着のあの瞬間。
弟はディークに頭を下げて頼んだのだ。
兄上の焔で、あの盾の右を崩してくれ、と。
貫かなくていい、ほんの一瞬、隊列を乱すだけでいい、と。
ディークの焔は決定打ではなかった。
だがその一瞬の綻びがなければ、魔導銃の弾は大魔導士に届かなかった。
――弟は彼の焔を"要らないもの"として切り捨てなかった。
仕組みの中の確かな1つの歯車として組み込んだ。
焔にしかできぬ役目を与えた。
その事実がディークの頑なな胸をじわりと揺さぶった。
弟は血の力を否定しているのではなかった。
血の力"だけ"に頼ることの脆さを突いていただけだ。
焔も剣も数も道具も――それぞれの持ち場で、組み合わせれば、強い。
1人の天才にすべてを背負わせるのではなく。
……口の減らぬ弟だ、と彼はいつか自分が吐いた言葉を思い出していた。
まるで宮廷の弁士だな、と。
あのときは皮肉のつもりだった。
だが今は。
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ディークは灯していた焔をそっと消した。
彼の中で2つの声が、まだ争っていた。
1つは旧い秩序を守れという信念の声。
血が力を握るという揺るがぬ柱。
それが抜ければ世界は崩れる。
平民に力を持たせるなど危うい。
いつか必ず、綻ぶ。
――その恐れは消えていなかった。
今も彼は心の底ではそう信じていた。
だがもう1つの声が静かにしかし確かに囁いていた。
……お前の焔だけではこの辺境は守れなかった。
それは事実だ。
認めろ。
目を逸らすな。
年々痩せていくこの土地で、血の力だけに頼る守りはもう限界に来ている。
それを誰より知っているのは実際に隊を率いて敗れたお前自身ではないのか、と。
ディークはその2つの声のどちらもまだ、捨てきれずにいた。
弟を認めたわけではない。
断じて。
あいつのやり方が正しいとも思わない。
平民に力を持たせるやり方はやはり、いつか危うい何かを招く気がする。
――だが。
だがあの弟には"疑う目"を向け続ける者が必要だ。
あれは賢すぎる。
賢すぎる者は時に大きく道を誤る。
ならばその道を誤らせぬために。
あいつの傍で、その危うさを睨み続ける役目がいる。
そしてその役目は――皮肉にもあいつを誰より疎んできた、この自分にこそ務まるのかもしれない。
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翌日、ディークは屈辱を噛みしめながら弟に焔の隊の生き残りを預けると告げた。
「勘違いするな」
と彼は鋭く釘を刺した。
認めたわけではない。
だがこのままでは村が家が滅ぶ。
それだけは避けねばならん、と。
私情は戦のあとだ、と。
それは彼なりの精一杯の歩み寄りだった。
焔の才を誇る男が才なき弟にその剣を預ける。
それがどれほどのことだったか。
彼の高い誇りにとって。
去っていく弟の小さな背中を見送りながら、ディークは静かに息を吐いた。
……せいぜい誤るな。
ファルケンハイトの名に恥じぬように。
口ではそう突き放した。
だがその胸の内には確かにこれまでとは違う何かが芽生えていた。
出来損ないの弟を見る目でも倒すべき政敵を見る目でもない。
――もう少しだけ、"弟"を見直し始めた者の。
焔の隊は砕かれた。
彼の誇りもこの戦で深く傷ついた。
だがその焼け跡に小さな残り火のように新しい何かが静かに灯り始めていた。
ディーク・ファルケンハイトはまだ、それをはっきりとは認められずにいた。
認めるには彼の誇りはあまりに高かった。
だがいつか――遠くない、いつか。
彼がその残り火を自分の言葉で認める日が来るのかもしれない。
そのときまではこの名づけようのない苦さと共に彼は弟の傍らに立ち続けるのだろう。
疑う目を光らせながら。
そして心のどこかで――ほんの少しだけ、その革命の行く末を見届けたいと願いながら。
夜明け前ディークは掌に小さな焔を灯した。
以前と同じ血に宿る焔。
だが今はその周囲にあるものが見える。
火を運ぶ者。
合図を送る者。
負傷者を担ぐ者。
焔が届く一瞬を作る者。
彼の力は失われていない。
ただ、力は1人で完結しないと知った。
ディークは焔を消し、弟の工房へ続く道を見た。
歩み寄るにはまだ誇りが痛む。
それでもあの道を敵の道とだけ呼ぶことはもうできなかった。
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