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『出来損ないの四男は、魔法を仕組みに変える』 ―― 辺境伯家の四男による異世界魔導革命  作者: トトト
◆ 第一部 辺境の灯火 / 第一章 転生と解析

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第002話 出来損ないの四男

朝。目を覚まして最初に思ったのは、腹が減った、だった。

転生した。

魔法がある。

しかも俺には、その魔法を設計図のように見る妙な眼がある。

昨日だけで人生観を何度ひっくり返されたか分からない。

だが8歳の身体はそんな事情を一切考慮してくれないらしい。


「……腹減ったな」


呟くと、妙に高い声が返ってきた。

まだ慣れない。

俺は寝台から降りた。

床板が冷たい。


窓の外は薄曇りだった。石壁の向こうに荒れた畑が見える。遠くには黒い森。そのさらに向こうに低い山並みが横たわっていた。


ファルケンハイト辺境伯領。

俺が新しく生きることになった土地だ。

辺境伯。


肩書きだけを聞けば豪華な城と広大な領地を想像する。

現実は違った。

屋敷の壁はところどころ剥げている。廊下を歩けば床板が軋む。窓枠は歪み、冬になれば確実に隙間風が入るだろう。

昨日寝込んでいたせいで気づかなかったが、部屋の家具も必要最低限だった。


寝台。

机。

椅子。

小さな衣装箱。

貴族の子どもの部屋とは思えない。


もっとも、この部屋の主が誰なのかを考えれば納得できた。


ルクス・ファルケンハイト。

辺境伯家の四男。

そして――魔法の才を持たない出来損ない。

俺は鏡の前に立った。

淡い灰色の髪。青みがかった目。痩せた頬。

悪くない顔立ちだと思う。


しかし、この世界では顔の良し悪しより重要なものがある。


魔法だ。

ファルケンハイト家の家術は『焔』。

長兄ディークは幼いころから大きな炎を生み出した。

次兄オルドも使える。

三兄セインも使える。

俺だけが使えない。

昨日までは。

いや――正確には、今も使えるわけではない。

俺にあるのは、魔法を視る力だ。

術者が魔力を動かした瞬間に現れる光の線。

絡み合う幾何学的な構造。


どこから力が入り、どう変換され、どう現象になるのか。

それが、俺には見える。


『解析』。


そう呼ぶことにした。

問題は、この力そのものが炎を出してくれるわけではないということだった。


俺自身の魔力は弱い。

昨日、何度試しても指先に火花1つ出なかった。

だが――。

俺は机の上に置いた紙を見た。

昨夜、記憶を頼りに書き殴ったものだ。

兄が焔術を使ったときに見えた構造。

もちろん完全ではない。


8歳の手では線もうまく引けないし、この世界の文字にもまだ慣れていない。


それでも、いくつかのことは分かった。

焔術は1つの塊ではない。

少なくとも複数の工程がある。

魔力を集める。

方向を整える。

熱へ変換する。

一点に留める。

外へ放つ。

術者は、それをほとんど無意識にやっている。

だから本人に聞けば、おそらくこう答える。

感覚だ。

血が教える。

練習すれば分かる。

前世で嫌というほど聞いた言葉だった。

――経験です。

――勘ですね。

――センスとしか言えません。

俺は紙の端を指で叩いた。


「同じだ」


前世の職人芸と。

違う世界なのに、本質は驚くほど似ている。

できる人間が感覚でやっている。

できない人間は、才能がないと言われる。

だが工程が存在するなら分解できる。

分解できれば――改善できる。

そして改善できれば、再現できる可能性がある。


昨日それに気づいた瞬間、俺は転生して初めて少しだけ笑った。

この世界でも、俺の仕事は変わらないらしい。

天才を倒す必要はない。

天才にしかできないことを、凡人にもできる形へ落とせばいい。

ただし。

そのためには、まずこの世界の現状を把握しなければならない。


俺は紙を裏返した。

そこには別の一覧を書いていた。

資産。

負債。

制約。

関係者。


前世で新しい案件に入ると、最初に必ずやっていた棚卸しだ。


資産。

辺境伯家の血筋。

屋敷に自由に出入りできる立場。

多少の読み書き。

そして『解析』。

負債。

魔力が弱い。

8歳。

金がない。

味方がいない。

家督を継ぐ見込みもない。

制約。


長兄を筆頭とした兄たちは俺を出来損ないと見ている。


父も期待していない。

使用人も哀れんではいるが、頼りにはしていない。

そこまで書いて、俺は手を止めた。

そして笑った。


「いや。違うな」


期待されていない。

それは負債ではない。

資産だ。

誰も俺を警戒していない。

誰も俺を監視しようとは思わない。

四男で、魔法も使えない、役立たず。

その評価は――最高の隠れ蓑になる。


前世で組織改革をしていたとき、最も厄介だったのは能力不足ではなかった。


注目だ。

経営陣に注目される。

既得権を持つ部署に警戒される。

改革を嫌う人間が口を出す。

小さな改善案が、政治問題になった瞬間に止まる。

だが誰にも注目されない場所なら、試せる。

失敗できる。

辺境。

末子。

出来損ない。

条件だけ見れば底辺だ。

だが実験を始める場所としては悪くない。

むしろ――かなりいい。


「坊ちゃま?」


扉の向こうから声がした。

昨日も世話をしてくれた侍女のマルタだ。


「起きてます」


「朝食をお持ちしました」


入ってきたマルタは、小さな盆を机に置いた。

黒パン。

薄い野菜のスープ。

乾燥した果物が2切れ。

貴族の食事としては質素すぎる。


「ありがとう」


「本当に、もうお加減はよろしいのですか?」


「大丈夫です」


マルタは安心したように息を吐いた。

それから机の紙に目を向けた。


「これは……?」


「昨日見た魔法を思い出して書いていました」


「まあ」


一瞬だけ、彼女の顔に困惑が浮かんだ。

すぐに優しい笑顔へ変わる。

その表情を、俺は知っている。

前世でも見た。


成果の出ない部下が突拍子もない改善案を話したとき、上司がする顔だ。

否定したくはない。

だが期待もしていない。


「無理をなさらないでくださいね」


「はい」


「魔法が使えなくても、坊ちゃまには坊ちゃまの良いところがあります」


慰めの言葉だった。

悪意はない。

むしろ本気で心配してくれているのだろう。

だから俺も素直に頷いた。


「そうですね」


魔法が使えなくても。

――か。

この屋敷では、やはり俺が魔法を使える可能性など誰も考えていない。

ますます都合がいい。


---


朝食のあと、俺は屋敷を歩くことにした。

目的は情報収集だ。

転生前のルクスの記憶はある。

だが記憶は主観的だ。


8歳の子どもが見ていた世界と、30代のコンサルタントが見る世界では拾う情報が違う。


廊下。

厨房。

倉庫。

中庭。

使用人棟。

厩舎。

歩きながら、俺は人の動きを見た。

使用人の数が少ない。

明らかに人手不足だ。

1人が複数の仕事を兼任している。

厨房の女中が食器を洗ったあと薪を運ぶ。

厩番が馬の世話をしながら門番の補助もする。


年老いた執事が帳簿を抱えて屋敷中を走り回っている。


「ひどいな」


思わず呟いた。

もちろん、皆よく働いている。

だからこそ問題だ。

人間の頑張りで不足を埋めている。

前世なら、最も危険な状態の1つだった。

頑張っている間は回る。

誰か1人が倒れた瞬間に崩れる。

倉庫も覗いた。

穀物袋は多くない。

金属材料も少ない。

薪だけはそれなりにある。

辺境だから木材には困らないらしい。

しかし鉄は貴重だ。

道具も古い。

壊れた農具が壁際にまとめられていた。

修理待ちなのだろう。


「坊ちゃま?」


後ろから声をかけられた。

振り向くと、がっしりした中年の男が立っていた。

記憶にある。

倉庫番のハンスだ。


「こんなところで何を?」


「少し見ていただけです」


「お怪我をなさっては大変です。刃物もございますので」


「鉄が少ないですね」


ハンスが目を瞬いた。

8歳の子どもから出る質問ではなかったのだろう。


「……ええ。まあ。今年は特に」


「どうして?」


「北の街道が荒れております。荷が予定どおり来ません。それに値も上がりまして」


「農具の修理は?」


「後回しですな。武具が先でございます」


なるほど。

防衛優先。

それ自体は間違っていない。

だが農具が壊れれば生産量が落ちる。

生産量が落ちれば税収が減る。

税収が減れば武具も買えない。

典型的な悪循環だ。


「ありがとう」


「は?」


「教えてくれて」


俺が頭を下げると、ハンスは慌てて両手を振った。


「い、いえ! 坊ちゃまが頭など!」


面白い。

貴族の子どもが使用人へ礼を言うこと自体、珍しいらしい。

これも覚えておこう。

この世界では情報を得るにも身分が影響する。

なら、礼を言うだけで話してもらえるなら安いものだ。


---


昼前。

中庭から掛け声が聞こえた。

兄たちの訓練だった。

長兄ディークが中央に立っている。

16歳。


俺から見れば子どもだが、この世界ではすでに半ば大人として扱われている。

背が高く、赤みのある金髪を後ろへ流していた。


「見ていろ」


ディークが右手を突き出す。

周囲の空気が揺れた。

――来る。

俺の視界が変わった。

魔力の流れが光の線として浮かぶ。

胸のあたりから腕へ。

腕から掌へ。

そこから複数の線が絡み合う。

収束。

変換。

保持。

放出。

昨日より鮮明に見えた。


「焔よ!」


轟、と炎が噴き上がった。

的に置かれた木板が一瞬で燃え上がる。

使用人たちから感嘆の声が上がった。


「さすが若様」


「今年はさらに威力が増しておりますな」


ディークは満足そうに顎を上げた。

俺は炎ではなく、その直前を見ていた。

今の術式。

昨日見たものとほぼ同じだ。

ただし細部が違う。

昨日より魔力の流量が多い。

それに、放出直前に一瞬だけ構造が変化していた。

熱量を増やした?

いや。

圧縮か。


炎そのものを大きくしたのではなく、短時間だけ密度を高めている。


俺は無意識に指を動かしていた。

空中に線をなぞる。

1。

2。

3。

少なくとも7つ。

工程がある。


「何をしている」


声に顔を上げた。

ディークがこちらを見ていた。

まずい。

見すぎたらしい。


「兄上の魔法を見ていました」


「見れば使えるようになるとでも?」


周囲に小さな笑いが起きた。

悪意というより、分かりきった冗談を聞いたときの笑いだ。

俺は肩をすくめた。


「そうだったら便利ですね」


「ふん」


ディークは鼻で笑った。


「焔はファルケンハイトの血があれば使える。だが血だけでは足りん。才が要る」


「才」


「お前にはないものだ」


周囲の空気が少し気まずくなった。

だが俺は気にしなかった。

むしろ質問する機会だ。


「兄上。焔を出すとき、最初に何をします?」


「何?」


「魔力を集めるんですか。それとも先に炎を思い浮かべる?」


ディークが眉を寄せた。


「そんなことを考えたことはない」


「では途中で魔力を腕に――」


「ルクス」


声が低くなった。


「焔は理屈で使うものではない」


「……」


「血で感じるものだ。何度も鍛錬すれば身体が覚える」


出た。

身体が覚える。

前世なら赤字で囲みたい言葉だ。

属人化の匂いがする。


「なるほど」


俺は素直に頷いた。

ディークは俺が諦めたと思ったのだろう。


「お前は剣でも振っていろ。魔法に未練を持つだけ惨めになる」


「忠告ありがとうございます」


「……気味の悪いやつだな」


なぜだ。

礼を言っただけなのに。

ディークは背を向け、再び訓練へ戻った。

俺もその場を離れた。

収穫は大きい。

本人は工程を説明できない。

だが工程は確実に存在する。

そして俺には見える。

なら次に必要なのは、比較だ。

ディークだけを見ても分からない。

次兄。

三兄。

別の魔法使い。


同じ焔術を複数人で比較すれば、共通工程と個人差を切り分けられる。

前世でいう標準作業分析だ。

問題は――。


「俺1人では試せない」


俺の魔力では術式を最後まで動かせない。

観察はできる。

仮説も立てられる。

しかし実験には実行者が必要だ。

そして兄たちに頼むのは論外だった。

俺の話をまともに聞くとは思えない。

父も同じだ。

なら誰か別の人間を探す必要がある。

条件は3つ。

1つ。

俺の話を聞く。

2つ。

魔法の常識に染まりきっていない。

3つ。

失敗しても大事にならない。

そんな都合のいい相手が――。


「うわっ!」


考えながら歩いていた俺の目の前で、薪の束が崩れた。

少年が地面に尻餅をつく。


「いてて……」


年は10歳前後だろうか。

茶色い髪。

痩せた身体。

擦り切れた服。

記憶が名前を教えた。

テオ。

厨房の下働きだ。

孤児だったはずだ。


「大丈夫?」


俺が手を差し出すと、テオはぎょっとした。


「ル、ルクス様!」


立ち上がろうとして、今度は薪を蹴飛ばした。

1本が転がって俺の足元へ来る。


「す、すみません!」


「謝らなくていい。怪我は?」


「ありません!」


「ならよかった」


俺は薪を拾った。

テオの顔がさらに青くなる。


「ぼ、坊ちゃま! そんなの俺が!」


「1本くらい持てるよ」


「でも……」


面白いほど恐縮している。

前のルクスと話したことはあるらしいが、さすがに貴族の子どもに薪を拾わせるのは恐ろしいのだろう。


俺は薪を束の上に戻した。

そのとき思った。

条件。

1つ。

話を聞く。

テオなら少なくとも逃げない。

2つ。

常識に染まりきっていない。

下働きの少年が魔法教育など受けているはずがない。

3つ。

失敗しても大事にならない。

――いや。

そこまで考えて、俺は自分の思考を止めた。

人を実験材料のように数えるな。

前世では、それで何度も失敗した。

合理だけで人を見ると、大事なものを見落とす。

まして相手は子どもだ。

俺の都合で危険な実験に巻き込むわけにはいかない。

ただ。

協力者にはなってもらえるかもしれない。

最初は危険のない範囲で。


「テオ」


「は、はい」


「君、字は読める?」


彼は一瞬、俺を見つめた。


「……読めません」


「全然?」


「自分の名前なら分かります」


少し誇らしげだった。

それでいい。


「数字は?」


「10までは」


「20は?」


「たぶん」


「50」


「……多いですね」


答えになっていない。

俺は笑った。

テオは不安そうに俺を見る。


「何ですか?」


「いや。君にお願いがある」


「俺に?」


「ああ」


「薪運びですか?」


「違う」


「水?」


「それも違う」


「じゃあ……掃除?」


下働きの少年に頼まれる仕事の選択肢が悲しい。

俺は少し考えてから言った。


「文字を覚えてみない?」


「……はい?」


「俺が教える」


テオは完全に固まった。


「何で?」


「必要だから」


「誰に?」


「俺に」


「……?」


分からないという顔をしている。

当然だ。


「俺は今、少し調べたいことがある。でも1人だとできない」


「俺、魔法使えませんよ」


「知ってる」


「剣も使えません」


「それも別に要らない」


「力ならあります」


「薪を落としてたけど?」


「今日はたまたまです!」


食い気味に返された。

思わず吹き出す。

テオも少しだけ笑った。

空気が和らぐ。


「欲しいのは、見たことをそのまま言ってくれる人だ」


「それだけ?」


「最初は」


「俺でいいんですか?」


その質問だけ、声が小さかった。

俺は彼を見る。

痩せた少年。

この屋敷では、誰も彼に特別な期待をしていない。

俺と同じだ。


いや、身分を考えれば俺よりずっと下に置かれている。

彼自身も、それを当然だと思っている。


『俺でいいんですか』


前世でも何度も聞いた。

新人。

派遣社員。

契約社員。

現場の作業員。


肩書きがないというだけで、自分には価値がないと思い込んだ人たちから。


そのたび俺は答えていた。

役割に必要な能力があるなら、肩書きは関係ない。

だから今も同じ答えを返す。


「君がいい」


テオが目を瞬いた。


「俺は、魔法のことを何も知らない人が欲しい」


「知らないのが役に立つんですか?」


「とても」


既存の常識を知らない。

それは新しい仕組みを試すとき、時に強みになる。


「それに」


俺は続けた。


「君なら、俺が失敗しても笑うだけで済ませてくれそうだ」


テオは少し考えた。


「笑いますよ?」


「そこは否定しないんだな」


「だってルクス様、昨日も魔法出なかったでしょう」


「見てたのか」


「厨房まで噂になってます」


情報伝達が速い。

俺は額を押さえた。


「『四男坊、また火花も出ず』って」


「具体的な見出しまでついてるな」


「料理長が言ってました」


「覚えておこう」


「怒るんですか?」


「いや。情報源として優秀だと思って」


「じょうほうげん?」


「何でもない」


テオは首を傾げた。

だが、さっきより表情は明るい。


「で、どうする?」


「何がです?」


「手伝ってくれる?」


少年は薪の束を見る。

それから俺を見る。


「仕事が終わってからなら」


「もちろん」


「怒られません?」


「誰に?」


「旦那様とか。若様たちとか」


「たぶん俺が何をしても気づかないよ」


少し自虐的だが、事実だ。

テオが笑った。


「じゃあ、やります」


「決まりだ」


「何するんです?」


俺は少しだけ声を落とした。


「まずは――魔法を、ばらばらにする」


「壊すんですか?」


「違う。分けるんだ」


「同じじゃないですか?」


「全然違う」


「よく分かりません」


「そのままでいてくれ」


「何でです?」


「今の君は最高だ」


テオの顔が引きつった。


「ルクス様、昨日頭打ちました?」


「失礼だな」


「だって急に変なことばっかり言うから」


確かに。

昨日までのルクスとは、人格がほとんど別人なのだ。

だが8歳の子ども同士の会話なら、この程度の変化は奇行で済むかもしれない。

それもまた、子どもという立場の利点だった。


---


午後。

俺は屋敷の端にある古い物置を見つけた。

正確には、記憶にあった場所を確認した。


昔は農具を置いていたらしいが、今は半分壊れた椅子と空の樽が積まれているだけだ。


人も来ない。

埃はひどいが、屋根はある。

窓も1つある。


「悪くない」


小さな実験室としては十分だ。

俺は机代わりになりそうな木箱を引きずった。

紙。

炭筆。

小さな蝋燭。

昨日から集めたものを並べる。

そこへ仕事を終えたテオが来た。


「本当にここでやるんですか?」


「何か問題?」


「幽霊が出るって聞きました」


「幽霊にも手伝ってもらおう」


「帰っていいですか?」


「駄目」


「横暴だ」


「貴族だからな」


冗談を返すと、テオが笑った。

この距離感は悪くない。

俺は木箱の上に1枚の紙を置いた。

そこには簡単な線を7つ描いてある。


「これは?」


「今日、兄上の焔を見て気づいたこと」


「落書きにしか見えません」


「正しい感想だ」


俺にもまだ落書きにしか見えない。

だからこれから確かめる。


「テオ。火をつけて」


「俺、魔法使えませんよ」


「蝋燭にだ」


「先に言ってください」


火打ち石で蝋燭に火を灯す。

小さな炎が揺れた。


「これを見て」


「火です」


「そう。火だ」


俺は炎を見る。

自然の火には、魔力の線はない。

当然だ。

次に、記憶を頼りに自分の魔力を動かしてみる。

胸の奥。

何か温かいものを集める感覚。

少しずつ腕へ。

視界に薄い線が浮かぶ。

自分自身の術式も見える。

ただし途中で線が崩れた。

火は出ない。


「今、何か見えた?」


「ルクス様が変な顔してました」


「他には?」


「何も」


やはり『解析』は俺だけに見えている。


「じゃあ次」


俺は工程を1つずつ変えて試した。

魔力を腕に送る速度。

指先へ集める量。

炎を想像するタイミング。

結果は全部失敗。

1時間後。


「……出ませんね」


テオが言った。


「出ないな」


「やっぱり才能ないんじゃ?」


「可能性はある」


「認めるんですか」


「仮説を守るために現実を否定するのは最悪だからな」


「難しいです」


「要するに、駄目なら駄目と認める」


「最初からそう言ってください」


テオは床に座り込んだ。

俺も木箱にもたれる。

疲れた。


8歳の身体で魔力を何度も動かすのは想像以上に負担が大きい。


だが収穫はあった。

何を変えると、どこで術式が崩れるか。

それが少しずつ見えてきた。

俺が失敗する場所は、ほぼ同じだ。

第3工程。

魔力を熱へ変換するところ。

兄たちはここを無意識に通過する。

俺はここで崩れる。

つまり――。

才能が必要なのは、魔法全体ではない。

少なくとも一部の工程だ。

俺は立ち上がり、紙へ線を書き足した。


「何か分かったんですか?」


「ああ」


「魔法使えるようになりました?」


「まだ」


「じゃあ何が?」


「失敗する場所が分かった」


テオは微妙な顔をした。


「それ、嬉しいんですか?」


「ものすごく」


問題が分からない状態と、問題の場所が分かっている状態では天地ほど違う。


前世でもそうだった。

売上が下がっている。

それだけでは何もできない。

新規顧客が減っている。

既存顧客の解約が増えている。

単価が落ちている。

どこに問題があるか分かれば、打ち手を選べる。

今も同じだ。

第3工程。

ここを何か別の方法で代替できればいい。


才能に任せている部分を、道具か手順に肩代わりさせる。


その瞬間。

背筋がぞくりとした。

これは――できるかもしれない。

俺が魔法を使えるようになるだけではない。

もし才能が必要な工程を外部化できれば。

テオでも。

厨房の女中でも。

農民でも。

誰でも魔法を使える可能性がある。


「ルクス様?」


「テオ」


「はい」


「君、魔法を使ってみたい?」


彼は目を丸くした。

そして笑った。


「無理ですよ」


「使いたいかどうかを聞いてる」


「そりゃ……」


テオは蝋燭の火を見る。


「使えるなら、使ってみたいです」


声が少し小さくなった。


「冬に火をつけるの楽だし。薪も減るかもしれないし。料理長に怒られなくて済むかもしれないし」


英雄になりたい。

強くなりたい。

そんな答えではなかった。

生活のため。

それが妙に胸に残った。

この世界で魔法は、貴族にとって力だ。

地位だ。

戦争の道具だ。


だが平民にとっては――火を起こせるだけでも暮らしを変える。

俺はまだ、その意味を十分理解していなかった。

ただ1つ確かなのは。

魔法を再現可能にすることは、単なる技術の話では終わらないということだ。

力を誰が持てるのか。

その線を動かすことになる。

8歳の俺には、まだ世界を変えるつもりなどなかった。


そんな大それたことを考える余裕もない。

今はただ。

目の前の仕組みが、分解できそうで面白かった。

それだけだ。


「じゃあ明日も来て」


「また失敗を見るんですか?」


「今度は見るだけじゃない」


「嫌な予感します」


「安心しろ。危ないことはしない」


「その言い方する人、だいたい危ないことしますよ」


妙に鋭い。


「まず兄上たちの焔をもっと観察する。共通している工程を探す」


「それで?」


「分からないところは、魔法に詳しい人間に聞く」


「誰です?」


俺は少し考えた。

この屋敷で、兄たち以外に魔法を深く知る者。

1人いる。

老魔導士ギュンター。

兄たちの家庭教師を務め、父にも助言する男だ。

前のルクスに対しても露骨な侮蔑はしなかった。


期待もしていなかったが、質問くらいなら答えるかもしれない。


「先生を捕まえる」


「捕まえるって言い方していい人ですか?」


「よくないな」


「ルクス様、やっぱり昨日から変です」


「そうかもな」


俺は笑った。

確かに変わった。

中身が丸ごと入れ替わったのだから当然だ。

だが悪くない。

前世では、いつも誰かの会社を立て直していた。

自分の人生は立て直せなかった。

今度は違う。

今度は自分の人生そのものを、ゼロから設計できる。

四男。

出来損ない。

余り物。

好きに呼べばいい。

評価など、結果が出る前の仮説にすぎない。

そして仮説は――検証すればいい。


俺は紙の上に、今日見つけた7つの工程を書き並べた。


その3番目を丸で囲む。

ここが最初の壁だ。

なら、壊すのではない。

迂回する。

人間にしかできないなら、道具にやらせる。

感覚でしか分からないなら、形にする。


才能が必要なら――才能の要らない工程へ組み替える。

前世で何度もやってきたことだ。

ただ、対象が会社から魔法へ変わっただけ。


「よし」


「何がです?」


テオが聞く。

俺は紙を折り畳んだ。


「仕事を始めよう」


この世界での、最初の仕事だ。

誰にも期待されていない四男と。

誰にも才能を期待されていない下働きの少年。

2人だけの、小さな実験。

後になって思えば。


世界の秩序に最初のひびが入ったのは、王城でも戦場でもなかった。

埃だらけの物置で。

1本の蝋燭を挟み。

出来損ない2人が、魔法を工程表にしようとした――。

ただ、それだけの瞬間だった。

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