婚約破棄され虐げられた悪役令嬢は、家出先で隣国皇太子に一目惚れされ、求愛を拒んだら勝手に復讐されて王妃候補になっていました
第一章 婚約破棄の瞬間
「――セリーヌ。君との婚約を破棄する」
白亜の大広間に、氷のような言葉が響き渡った。
淡い金髪の青年、第一王子ルイ・ド・グランシェール。その表情には一片の情もない。
その隣には、紅いドレスを身に纏った姉レティシアが、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「理由は……もうわかっているだろう? 君よりも、レティシアのほうが私にふさわしい」
ああ、やはり。
心の奥で覚悟していたはずなのに、胸の奥に鋭い刃が突き刺さったように痛い。
「……そうですか」
私は、何も言わずに微笑んだ。
泣いて縋るつもりも、抗議する気もなかった。そんなことをしても、この人は私を見ない。
ずっと昔からそうだった。両親も、姉も、婚約者も――私を、見たことなど一度も。
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第二章 幼少期の影
私は侯爵家の次女として生まれた。
だが、幼い頃から両親は姉ばかりを可愛がり、私は存在を無視された。
誕生日の贈り物もなく、褒められた記憶もない。
むしろ、姉レティシアは日常的に私を嘲笑い、侍女の前で平手打ちすらした。
理由は単純だ。私は姉ほど美しくなく、才もないと決めつけられていたからだ。
学園での成績は常に中の上、舞踏も礼儀もそつなくこなしたが――姉はそれを「凡庸」と呼んだ。
そんな中、唯一の救いが、王子との婚約だった。
政略とはいえ、婚約者として私を必要としてくれる――そう信じた。
だがそれも、姉に奪われた。
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第三章 家出
婚約破棄の場を後にした私は、その日のうちに屋敷へ戻り、最低限の荷物をまとめた。
夜明け前、裏門から馬車も使わず徒歩で屋敷を抜け出す。
行き先は決めていなかった。ただ、あの家から離れたかった。
冷たい空気が肺に沁み、足がもつれる。
国境近くの森に差しかかったとき、疲労と空腹で意識が霞んだ。
――ここで終わってしまってもいい。
そんな諦めの感情が胸に広がる。
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第四章 邂逅
気づけば、柔らかなベッドの上にいた。
高い天蓋、見知らぬ部屋。窓の外には、見慣れぬ街並みが広がっている。
「目が覚めたか」
低く落ち着いた声に視線を向けると、深紅の瞳を持つ青年が椅子に腰かけていた。
漆黒の髪、端正な顔立ち――明らかにただ者ではない。
「俺はアレクシス。隣国ヴァルディアの皇太子だ。森で倒れていた君を見つけ、連れてきた」
皇太子? なぜそんな人が森に……と疑問が浮かぶ。
しかしそれ以上に、その瞳があまりにも真っ直ぐで、目を逸らしたくなった。
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第五章 求愛と拒絶
出会って数日後、アレクシスは唐突に言った。
「俺の妃にならないか、セリーヌ」
「……冗談でしょう」
「本気だ。初めて見た瞬間、決めた。君は俺の伴侶になるべき人だ」
熱を帯びた視線に、胸がざわつく。
だが、私は首を振った。
「私は……そんな資格はありません。何も持っていませんから」
彼の瞳に一瞬、影が落ちた。
「資格? そんなものは俺が与える。君はただ、俺の隣にいればいい」
その言葉が、なぜか恐ろしく思えた。
人を信じることが怖かった。愛されるなど、ありえないと心が拒んでいた。
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第六章 静かな影
その後もアレクシスは距離を詰めようとしたが、私は一定の距離を保ち続けた。
それでも彼は怒ることなく、私を丁重に扱い、滞在のための部屋や衣服を与えてくれた。
しかし、ある日から奇妙な噂を耳にするようになる。
――グランシェール侯爵家の資産凍結。
――第一王子ルイの婚約解消に伴う信用失墜。
――姉レティシアが国外追放寸前の不祥事に関与。
私はそれを聞き、背筋が凍った。
まるで私を苦しめた者だけを狙い撃つような……そんな出来事が、次々と起きていた。
そして、私は知ることになる。
全ての裏で糸を引いていたのは――アレクシスだった。
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第七章 暴かれる真実
「……あなた、全部、仕組んでいたんですね?」
応接間の扉を閉じるなり、私はアレクシスを真っ直ぐに見据えた。
彼は紅茶を置き、何事もなかったかのように微笑む。
「全部とは?」
「とぼけないで。私の家や元婚約者、姉を……」
「復讐だよ、セリーヌ。君の代わりに俺がやった」
あまりにも簡潔な答えに、言葉を失う。
私が幼少期から積み上げてきた痛みや屈辱を、彼は知っていたのだろうか。
「どうして……そんなことを?」
アレクシスは、少しだけ視線を逸らし、低く答えた。
「君が最初に俺の求愛を拒んだ理由……それは、自分には価値がないと思っているからだろう? そんな考えを抱かせた連中を、このまま放っておく気にはなれなかった」
その声音には怒りではなく、静かな決意が宿っていた。
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第八章 崩れゆく者たち
数日後、ヴァルディアの宮殿に、一通の報告が届いた。
グランシェール侯爵家は不正な貿易と密輸の疑いで、領地と爵位を剥奪される。
第一王子ルイは外交交渉の場で大失態を犯し、王位継承権を剥奪。
姉レティシアは、他国の高官に対する贈賄の証拠が揃い、国外追放が確定した。
まるで、何年も計画していたかのような綿密さだった。
「偶然じゃ……ないですよね」
「偶然でこんなにうまくいくか?」
アレクシスは、薄く笑った。その笑みが、恐ろしいほど美しいと思ってしまう自分がいた。
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第九章 迷い
彼が私を守ろうとしてくれたのは分かる。
けれど、心の奥で引っかかる感情があった。
私は本当に、こんな形で救われたかったのだろうか。
夜、月明かりの下で一人考え込む私に、アレクシスが近づく。
「また逃げようとしてるな」
「……そんなつもりじゃ」
「セリーヌ。君は自由だ。だが、俺は何度でも君を追う」
そう言って、彼は私の手を取った。
その手は驚くほど温かく、もう簡単には振りほどけそうになかった。
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第十章 心を開く
ある日、ヴァルディアの城下町に連れ出された。
商人や子供たちに囲まれ、アレクシスは自然に笑っていた。
そんな彼の姿を見て、ふと気づく。――彼は冷酷な皇太子ではなく、人を思いやれる優しい人なのだと。
「俺は、君に笑っていてほしい」
真剣な眼差しが、胸の奥まで届く。
私は初めて、自分の気持ちを素直に口にした。
「……怖かったの。信じた人に裏切られるのが。でも、あなたは違うのかもしれないって、少しだけ思えてきた」
その瞬間、アレクシスの瞳が柔らかく緩んだ。
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第十一章 婚約
数週間後、ヴァルディア王宮の謁見の間で、正式な発表が行われた。
「我が皇太子アレクシスは、セリーヌ・ド・グランシェール嬢を妃として迎える」
玉座の間がざわめきに包まれる。
私は純白のドレスを纏い、アレクシスの隣に立っていた。
彼が私の手を握り、囁く。
「これで、もう誰も君を傷つけられない」
その言葉に、胸が熱くなった。
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第十二章 過去との決別
婚約発表の後、王宮を訪れた使者が一通の手紙を差し出した。
差出人は――国外追放された姉、レティシア。
『おめでとうございます、妹よ。あなたがそんな地位を手に入れるとは思いませんでした。……でも、覚えておきなさい。高いところに登るほど、落ちたときは痛いものよ』
私は微笑み、手紙を暖炉に放り込んだ。
「私はもう、あの頃の私じゃない。あなたの言葉も届かないわ」
炎が赤く燃え、灰だけが残った。
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第十三章 未来へ
夜、バルコニーで星空を見上げる私に、アレクシスが近づく。
「後悔はしていないか?」
「いいえ。あなたとなら、どんな未来でも歩ける気がする」
アレクシスは微笑み、私の額に唇を落とした。
「これからは俺の隣で、堂々と笑ってくれ」
私は静かに頷いた。
もう過去に怯えることはない。私は、ヴァルディアの次期王妃として、新しい人生を歩き始めるのだ。