第92話 貯金箱
■ガルド視点
渾身の力を込めた牙は、間違いなくヴァイス・ブルストの首筋に食い込んだ。
頑強な革鎧も貫き、肉を裂き骨を砕いた。
――だが。
その身体からは、血の一滴も流れない。
喰らいついた獲物から流れ込む血の味がしない。
代わりに感じるのはありえないほどに様々なものが混ざり合った重い苦み。
そして、牙の先からは、まるで鉄と石と肉が混ざった塊を噛んだような異様な感触だった。
一度として味わったことのない感覚に、一瞬力が緩み。
「悪いな……そこは、俺の急所じゃねぇんだよっ!」
苦痛に震えながらも、首筋を砕かれながらも、ヴァイスが吠える。
心臓を貫いたままの剣に力が籠り、俺を引きはがすほどの力で振り抜かれた。
その勢いのままに、俺は吹き飛ばされ地面を転がる。
かろうじて受け身をとるが、口元からはおびただしい量の血が吐き出される。
魔石が核となる魔人のように、魔石を体内に作り出せた獣人は、心臓を潰されても即死はしない。
勝ち、果実を得られるのであれば悪くない賭けであった。
だからこその捨て身。
だからこその勝機。
だからこそ――
「貴様は、貴様は何なのだ、ヴァイス・ブルスト……!」
苦痛に歪み、脂汗が浮かんだ顔を見れば効いていないわけではないだろう。
だが。
首筋を抉られ、肋骨を砕かれ、肺に穴が開きながら。
何故、貴様は一滴の血を流すことなく立っていられる!
「貴様は一体何を詰め込んだのだ!?」
ヴァイス・ブルストを――“ブルスト”だの“腸詰”だのとふざけた名を名乗っているというのなら、その身に詰め込んでいるのはなんなのだ。
少なくとも、人の器で詰め込めるものではない。
王であろうと難儀するであろう。
それこそ、神の器でも無くば。
「……一つとして捨てられねぇ後悔だよ」
そう語るヴァイスの顔は、痛み以上に苦々しく歪められ。
「……一つとして、か」
聞き返す俺の言葉に、ヴァイスは鉄剣を振り上げ。
「一つとして、だ。」
迷うことなく言い切った。
――そうか。
それが、俺とお前の違いか。
振り下ろされた剣を見据え、俺は首飾りを握りしめて目を閉じた。
■ヴァイス視点
心臓を潰しても動く相手だ。
だから今度こそ、間違いなく頭蓋を断った。
領域の掻き消えたガルドから、残心を忘れず距離を離す。
十分な距離が離れた所で、高枝の方と樹鹿の方に向き直り。
その場に崩れ落ちた。
気合でごまかしていたが、激痛が全身に走りこれ以上動けそうにない。
――まじで、危なかった。
特殊な身体だが、それでも紙一重だった。
あれ以上深く抉られれば、この身体であっても終わるところだった。
……ルメールが、牙を折ってくれたお陰だな、これは。
両牙が揃っていたら、耐えきれなかっただろう。
悪いな、ガルド。
俺は出来の悪い腸詰に過ぎないが、詰め込んでるのは煮ても焼いても食えないものばっかりでね。
狼のお前でも、喰えたものじゃなかったろうよ。
「ふむ、面白い男だとは思っていたが、想像以上であったな」
無様に地面に崩れ落ちた俺の側に、高枝の方が近づいてきた。
首が完全に壊れているので、動かそうとするとさらなる激痛が走る。
なので、目線だけをどうにか見上げて、かろうじて声を出す。
「……一応、秘密にしてるんで」
「母にも言わぬさ」
俺の頼みに、即座に頷いてくれる。
義理堅いなこの人!
俺の事を樹鹿から庇ってくれたり、俺の中の高枝の方への好感度が上がりっぱなしだ。
そこに、巨大な圧までも近寄ってくる。
視線を動かすまでもない。
俺の視線が、巨大な樹でできた鹿の顔で埋め尽くされる。
「見事であったぞ、子豚よ。貴様の勝利、確かに見届けた」
褒めてくれるのは嬉しいんですがね樹鹿さん。
声に好奇心が滲み過ぎですよ。
「人ではないとはわかっていたが、なんだその身は? 魔人ではあるまい。幻獣か、よもや竜ではあるまい?」
巨大な鹿の鼻先が俺の身を嗅ぐのがわかる。
形だけでなくて呼吸もするんですねその鹿は!
そして幻獣とか竜とか、この世界の頂点級の化け物では断じてありません。
少なくとも、納得してくれるまでは返してくれそうにないなこれ。
「樹鹿の言う通りの、ただの子豚ですよ、俺は」
俺は樹鹿に見えるように、懐から白い豚の貯金箱を取り出す。
硬質な冷たい器の中に詰まった魔石が、硬質な音を立てる。
その貯金箱の首筋に、牙のような跡が刻まれていた。
「……なるほど、なるほど。通りで子豚な訳だ」
見透かすように、巨大な鹿が笑う。
「ほう、神授の」
高枝の方も、面白そうに眼を細める。
そう。
ヴァイス・ブルストは──この貯金箱の名だ。
――何かが、割れる音が響く。
その音と同時に、高枝の方が俺を抱えて跳び退る。
急な動きに全身が痛みで悲鳴を上げるが、それどころではない。
なけなしの気力をかき集めて音のする方に視線を向ける。
先程まで戦っていた場所。
そこには、動かないガルドの亡骸。
間違いなくとどめを刺した。
その身体から、異音が響く。
眷属達が動き出す。
真っ先に突っ込んだ樹猪が前足を振り上げ、ガルドを叩き潰そうとし。
その巨体が、無造作に振り上げられた腕によって受け止められる。
「割れたか」
苦々しげに高枝の方が呟く。
断たれた頭蓋が裂けるように開き。
割れた器から溢れ出した魔力が双頭の異形を形作っていく。
傷口から膨れ上がる様に、血濡れた体毛が溢れ出し、その身を巨大な双頭の狼に作り替えていく。
掴まった樹猪を助けるべく、他の樹猪が突撃するも。
既に、樹猪を超える巨体に膨れ上がった双頭の狼の前足に、たやすく押さえつけられ。
歪に並んだ巨大な顎が、同時に二頭の樹猪に喰らいつき、その頭をたやすく噛み砕く。
「……割者」
その姿に、俺はそう呟くしかなく。
双頭の狼へと割れ果てたガルドは、その口から夥しい血を零れ落としながら、くぐもった雄叫びを上げた。




