第91話 狼と豚
瞬く間に距離が消える。
両手で振り下ろした鉄剣を、ガルドがその両爪で受け止める。
意志も魔力も込めてなお、押し切れない。
単純な膂力では勝ち目のない人狼相手に、拮抗しているだけ十分か。
そして、爪から相応の意志が、覚悟が流れ込んでくる。
決死の覚悟。
この日、この時に全てを賭けた男の意志が。
――手負いの獣が、一番厄介とはよく言ったものだ。
振り下ろした勢いが残っている内に、鉄剣を回し爪を弾く。
正面に居ては両爪に襲われる。
弾いた勢いのまま踏み込み、ガルドの横手に回り込む。
そのまま脇腹を切り裂こうと剣を滑らせる。
だが、ガルドが膝で剣の腹を打ち上げたことで逸らされる。
弾かれた鉄剣の勢いに、俺の姿勢が崩れ。
その背中に向かって、鉄剣に弾かれた勢いを利用し振り抜かれた爪が振り下ろされ。
迎え撃つように、崩れた勢いで蹴り上げた俺の踵がガルドの顎を打ち抜いた。
背中に衝撃を受けながらも、同時に踵が打ち抜いた感触を伝える。
衝撃でお互い飛び退き、距離が離れた。
顎を打ち抜いたおかげで、爪の勢いは削がれ、革鎧を貫けなかった。
もっとも、こっちの蹴りも大したダメージにはなっていないだろう。
お互いの領域が触れ合わない距離で、呼吸を整える。
予想通り、強靭な体をしている獣人相手にはまともにダメージになっていない。
器人相手なら顎が砕けた感触だったんだが、何ともなさそうだ。
息を整え終わったガルドが、口を開く。
「改めて名乗らせてもらおう、ヴァイス・ブルスト」
「いいだろう」
名乗りは大事な行いだ。
覚悟を誓い、相手を尊ぶ行いは、この世界では意味があり価値がある。
何より今は御前試合だ。
樹鹿も高枝の方も熱い方が見ていて楽しいだろうさ。
「我が名はガルド」
大きく掲げた右手を、震えるほどの力を込めて握りしめる。
「陛下の叔父として親衛隊の一つを任されながら、甥一人守れなかった無様な男だ」
先王の血族。親衛隊の隊長。
王を守る盾としても、甥を守りたい叔父としても、力及ばなかった。
その無念が、樹鹿に覆われた領域にすら伝わる程、その言葉に強く込められている。
なるほど。
そうか、お前もそういう男か。
――その気持ち、痛いほどによく分かる。
「よくわかったよ、ガルド。ならば、名乗り返すが礼儀ってもんだ」
鉄剣を構える。
強く握りしめた柄が、みしりと音を立てる。
「俺はヴァイス・ブルスト。来訪者でありながら、大事な者を守れず、託すことしかできなかった男の“忘れ形見”」
……俺の誓いも、何もかも、その男の忘れ物だ。
だからこそ、俺は託された願いを守り抜く。
それが、俺があいつにできるたった一つの恩返し。
「家族を失って復讐に燃えてる男が、人様の家族狙ってんじゃねぇぞ!」
てめぇはマリネを、あいつが命を賭して守った女の子を狙いやがった。
それだけで、俺はお前を許さない理由になるんだよ。
何よりも。
無力だった俺は、大事な女の子を二度も失った。
だからこそ、三度目はないんだよ。
「……王と小娘を同列に語るか?」
おいガルド。
露悪的に言い切るには役者が足りない。
皮肉気に笑いやがって、悪役気取りがなってねぇぞ。
「大事な者の重さに、国も何もあるかってんだ」
俺の言葉に、ガルドはそれ以上何も言わずに両手を構え。
俺も、切先を向けてそれに応えた。
振り抜いた剣先が毛皮に一筋の跡を残し。
振り下ろされた爪が革鎧に傷跡を描く。
両手の爪に対し、鉄剣一本では足りない手数は、刃の長さと蹴りと補う。
防ぎきれない攻撃は、カギミヤ手製の樹猪の革鎧を信じて受け流す。
樹鹿の前だからか、心なしか樹猪の革鎧も絶好調だ。
お陰で革鎧は傷だらけだが、俺にはかすり傷しかついていない。
ガルドの方は、天然の鎧と言われる獣人の毛皮のお陰で浅いとはいえ、確かに剣先は届いている。
そして、樹鹿の森に慣れている俺と、慣れていないガルドの差が少しずつ顕著に表れ出した。
外周ならば何の影響もなかったのだろうが、ここは深奥、それも樹鹿の目の前だ。
俺との削りあいでただでさえ精神が削られている上に、樹鹿に吞まれないために自身の領域を維持するために更に削られている。
目に見えて消耗が見えてきた。
俺も大分消耗してはいるが、ガルドに比べれば余裕がある。
「……このような場所で、よくそれだけ涼しい顔ができるものだ」
距離が離れた隙間に、少し息の荒いガルドが苦笑いを浮かべながら呟く。
「俺はこの森の常連でね、旧王都の次に慣れ親しんでるんだよ」
言った言葉も嘘ではないが、これは樹猪の革鎧のお陰だろう。
樹鹿ですら見分けがつかない程に馴染んでいるみたいだからな。
「ならば、やるしかあるまい」
持久戦は勝ち目がないと悟ったガルドが、姿勢を低くし、全身に魔力を満たしていく。
全身の筋肉が膨れ上がり、逆立った体毛がその身体をより大きく見せる。
圧縮された領域の中で、荒れ狂う魔力がその毛を波立たせる。
全魔力を込めた、必殺の構え。
「誓いは、いいのか?」
俺も、それにこたえるように、鉄剣を両手で構えながら尋ねる。
「あいにく、我が誓いは背に守るべきものがあってこそでな」
「なんだ、気が合うな」
誓いは、一つだけだ。
大切であり、尊いからこそ、その誓いは確かな力となる。
それが、誰かを守るための誓いならば、こんな所で誓ったとして意味がない。
俺の誓いも、背に守るべきものが居なければ意味をなさない。
いいだろう。
お互い、地力での真っ向勝負といこうか。
ガルドの爪が、牙が、圧縮した領域を纏い、限界まで込められた魔力が輝きとなって溢れ出す。
両手を地に着き、まるで一匹の巨大な狼となったガルドが、今にも飛び掛かろうと全身に力を籠める。
俺は迎え撃つべく、鉄剣を両手で構え、前傾姿勢になる。
そして、これこそが俺の牙だと言わんばかりに鉄剣を握り締める。
鉄剣が圧縮した領域を纏うと、一本の牙のように鋭さを増し。
込められた魔力が、鉄剣を白い牙のように輝かせる。
「豚だって牙があれば猪よ!」
だからこそ、無いはずの牙を握り締め。
外付けの牙を得たならば、豚であろうと狼に負ける道理はない!
「猪突猛進!!」
魔力を込めた脚が、一瞬にして俺の身体を最高速に引き上げ。
まっすぐに通した領域の限界にまで俺の身体を加速させる。
ガルドも込められた力を解き放つ。
地を這うように踏み込み、その両爪を振り上げる。
「――ぶち抜け!【エーベル】!!」
「――突き立て喰らえ!【スコール】!!」
掬い上げるような俺の牙が、ガルドの爪を弾き。
ガルドの胸を貫いた。
間違いなく心臓を貫いた感触。
獣人であろうと致命傷。
だが。
にやりと、ガルドがその獰猛な牙を剥き出しにした。
弾いた爪が、俺の背中に食い込んだ。
胸を貫かれたまま、ガルドは笑って剣を抱き込むように押さえつけた。
刺さった剣をあえて引かず、体重ごと俺を押し潰す。
「覚悟の、上よ!」
叫びと共に口を大きく開き。
俺の首筋にその牙を突き立て。
深々と、俺の身体を穿った。




