第90話 来客
一見して、可憐な少女。
年の頃も、ユナリアより少し上といった程度だろう。
ユナリアが花劇の時に着ていた精霊の衣装にも似たドレスが、少し棘のある目つきに似合っている。
だが、一目でわかる。
樹鹿の中から出てきた少女、ではない。
この少女が、“樹鹿”だ。
そう確信できる程、彼女を中心として領域が重くなっているのを感じてしまう。
「幾年月だ、兄さまよ」
「あぁ、春を千は超えたほどだ」
お互いに、親愛の情の込められた優しい声色だ。
それにしても、さらっととんでもない事を言っている。
魔人を始めとした一部の種族や、魔人化した存在は年を取らなくなる。
だからって、千歳越えは途方もないにもほどがあるだろう。
「よもや、あの幼く愛らしき姫が、このように立派になっているとは思わなんだ」
「よせ、兄さま。照れる」
無表情に、だが確かな情を込めて褒める高枝の方と、無表情に、でも嬉しげな樹鹿。
一見、普通に仲のいい兄弟の会話してるだけなのだが、場所が場所だけに頭がおかしくなりそうだ。
「して、遥々如何にした、兄さま」
「母より、娘が心配故に見て来いと言われた故に」
そう言えば、枝族は大樹ペルムシエルの言葉を伝える役割があるんだったか。
……もっと神々しい役割だと思ったんだが、思ったより普通に子供が心配な母親なのか?
「放任主義の母らしからぬ。何があった」
どうやら樹鹿も意外だったらしい。
そりゃ高枝の方と千年ぶりの再会なら、千年放置されていたという事だよな。
「秘されているが、妹絡みよ。狙われるが大樹の果実の定め故、果肉を喰われるはよくあれど、命までは散らぬ」
大樹が次代として産み落とすのが大樹の姫であり果実ならば、狙われるのは当然だ。
それだけの器であり、魔力の塊に欲を刺激されるものは後を絶たない。
「だが、あろうことか末の姫が、種子の中まで鼠に貪られた」
怒りと苦々しさを滲ませた声。
それを聞いた樹鹿も目を細め、空気が僅かに、だが確かに震える。
その圧に背筋が冷えながらも、俺は別の事を考えていた。
――鼠。
ペルムシエルの花劇団を狙う、ラインドルフの密猟団。
狼の先王を喰った、鼠の新王。
大国の王という化物を、不意を突いたにせよ殺しきるには地力が必要だ。
それを成したのが、非戦闘種族の鼠族と聞いて、俺は疑問だった。
代々の戦士を輩出する訳でもない、鼠族がどうやって王を喰らう程の力と器を得たのか。
それに、ようやく合点がいった。
そして、ラインドルフの密猟団が花劇団を狙っていたのは、自分達も同じ方法をとる為か。
納得はいったが、お家騒動に巻き込まれたペルムシエルはたまったものではないだろう。
「それは母も嘆くだろう。近くあれば、直々に赴いたものを」
「それには及ばぬ。姫は健やかでいてくれればよい」
高枝の方が樹鹿の頭を撫でる。
樹鹿は少し驚いたような表情を浮かべ、満更でもなさそうに僅かに笑みを浮かべた。
そこからしばらく、高枝の方が樹鹿の頭を撫で続けているのを見せ続けられた。
千年ぶりだろうから仕方ないのだろうが、俺はどうすればいいんですかね?
樹狸の方を向くと、嬉しそうに樹鹿の方を見つめていた。
周囲を見回すと、眷属達が揃って穏やかで嬉しそうだ。
……そりゃ、自分達の王が嬉しそうなら嬉しいよな!
そんな風に、俺一人だけ仲間外れになっていたら、樹鹿と目が合ってしまった。
「……む? お前、あまりに馴染みすぎていたから気付かなかったが、猪ではないではないか」
え、俺樹猪に間違えられてたの?
確かにこの樹猪の皮鎧は着ていると、樹鹿の森で気配消しの粉末を使う必要がないぐらいに溶け込めるが……。
俺に興味を持った樹鹿が近づいてくる。
向けられているのが好奇心だけで、敵意も害意も感じないが、それでも圧し掛かる領域圧がとんでもなく重い。
「いくら子らの毛皮を纏おうと、人どもの匂いは消しきれぬのだが……ほう?」
目と鼻の先まで近づいた樹鹿が俺の匂いを嗅いでくる。
「ふむ、そうか。なるほど、なるほどだ」
その緑色の瞳が俺の目を覗き込んでくる。
高枝の方と同じような、全てを見透かすような輝きに、俺の全身が震える。
「お前が、狸が面白いと言っていた子豚だな。実に人のまねごとが上手いではないか、驚いたぞ」
その言葉に、凍り付く。
「散々追いまわし、この地まで追い立ててくれた人どもの事は、見るも話すも嫌なのだが……お前は実に面白い」
「姫よ」
高枝の方が、俺と樹鹿の間に入ってくれる。
「何故だ、兄さま。手土産ではないのか?」
「否。ヴァイス・ブルストは護衛であり案内人、そして恩人だ。故に、そういう意図はない」
ここで渡すとか言われたら終わっていた。
高枝の方が道理を通してくれる人物でよかった。
「ふむ。それならば仕方ない。ならばせめて、護衛としての役目で楽しませてもらおう」
そう語る樹鹿の声に、敵意も害意もない。
ただ、その視線は俺を越えて、俺達がやってきた方に向けられていた。
楽しげに、だが忌々しそうに眼が細められる。
「この森に似つかわしくない、血の匂い滴らせる子犬よ。わかっておるぞ」
樹鹿の言葉に、巨木の根の影から人影が飛び出してきた。
「誘われて来てみれば、大した歓迎ではないかヴァイス・ブルスト」
一人の人狼が、そこに立っていた。
片方の犬歯はルメールに折られ、半身には領主につけられた傷跡が残っている。
だが、それでも俺が逃した時よりも、遥かに鬼気迫る圧を纏ったガルドがそこにあった。
「俺だって想定外だよ、ガルド」
樹鹿の森の中層辺りで迎え撃つつもりだったのだ。
それが、深奥で樹鹿と眷属に囲まれて御対面とか想定外にも程がある。
何より、情報量が多すぎる。
樹鹿の正体、ラインドルフのお家騒動と、巻き込まれたペルムシエル。
そして、樹鹿に見抜かれたことも、興味を持たれたことも、正直俺には荷が重すぎる。
「子犬よ。貴様らの所業は聞き及んでおる。そして、貴様らの求めておるものも、ここにある」
樹鹿の言葉に、ガルドの目が細められる。
樹鹿は巨大な鹿の根元に戻り、玉座のような場所に腰掛けると、巨大な鹿の頭が横を向く。
その巨大な角が地面に降りてくると、その先に実った果実を樹鹿がその手で摘み取る。
「母の果実ほどではないが、貴様らの望みに叶うだけのものよ」
人の頭ほどの大きさの果実から、尋常ではない濃さの香気が漂っているのが俺にもわかる。
あれを無事に食べきれたとすれば、確かにそれは王級に近づく程の力を得られるだろうと代物だ。
「それを、譲っていただけると?」
「貴様らは人と同じ程度に嫌いでな。普段ならすぐに潰すところだが……此度は興が乗っている」
この先の展開は予想できる。
だが、正直頭を悩まされるよりよっぽどわかりやすくて助かる。
「故に、子犬よ。貴様がこの子豚を倒したのならば、この果実をくれてやろう」
「それは、わかりやすくていい」
ガルドが、その牙を剥き出して俺に殺気を向ける。
俺もガルドと同意見な訳だが。
「それ、俺に利点は?」
「負ければ、ここで飼うまでよ。だが、そうだな。勝ったならば丁寧に送り届けてやろう」
負けたら命が助かっても、旧王都には帰れないってことね。
神にも等しい絶対者は、約束を破ることはない。
少なくとも、勝てばいいだけの話だ。
……けどな。
「でもそれ利点じゃないですよねぇ!」
最低限の身の保証じゃねぇか!
「ふむ。確かに、褒美ではないか」
高枝の方というブレーキが居て、話が通じる相手だから言うだけ言ってみたが、言ってみるもんだな。
「ならば、そうだな。子豚が勝てば、一つだけ頼みを聞いてやろう」
その褒美の内容に、頬が引きつる。
使い方を誤れば旧王都が滅びかねない厄ネタだ。
それにあくまでも頼みを聞くだけなので、内容次第では却下されそうだが、少なくともこれがあれば一度は顔つなぎができる。
それだけでも、褒美としては十二分に魅力的だ。
「乗った」
俺はそう樹鹿に応え、ガルドに向かって歩き出す。
気付けば、俺とガルドを囲うように眷属達が壁を作っていた。
巨大な獣に囲われた、即席の闘技場の中心で、小人のような気分で向かい合う。
周囲は樹鹿の強大な領域に圧され、俺もガルドも身に纏う領域は最小限の大きさだ。
だからこそその密度は濃く、周囲から浮いて見える程に圧縮されている。
「御前試合だ。今度は逃げられないぞ、ガルド」
俺は鉄剣を引き抜き、両手で構える。
「二度はないさ、ヴァイス・ブルスト」
ガルドが、ルメールによって失われ、一本になった犬歯を剥き出しにしながら、その両手の爪を輝かせる。
向かい合う俺達に向かい、巨大な鹿の樹に戻った樹鹿の声が降り注ぐ。
「楽しませて見せよ」
その声と同時に、俺とガルドは踏み込んだ。




