第88話 心配
結果として、俺は高枝の方の依頼を受けた。
一つは、ガルドを呼び寄せるまたとない機会だから。
森という支配領域に入った枝族という獲物を、あの人狼が見逃すはずがないという確信。
もう一つが、樹鹿の森の由来を知るまたとない機会だからだ。
樹鹿の森が形成された由来と、その本質を知ることは旧王都の安全に直結する。
最後に、領主からは既に許可が出ており、三日月の様に弧を描く笑顔で「行け」と言われたからだ。
元々拒否権ないじゃねぇか!
とは思ったが、あいつのことだ。
俺が断らないというのは分かっていたのだろう。
憎らしいが、その通りだ。
上の三つの理由がなくても、俺はこの依頼を受けていただろう。
そうした方がいいと、俺の勘がそう言っている。
意外と勘が馬鹿にできないんだ、これが。
ペルムシエルの花劇団が旧王都を発つ日がやってきた。
あれからユナリアとロココは、優斗と那砂とマリネの三人と仲良く縁を深めていたらしい。
旧王都を発つ花劇団の面々に、三人がそれぞれお土産を渡して別れを惜しんでいた。
特にマリネはシンザキと一緒に、弁当と保存食を張り切って用意していた。
お互いに涙すら浮かべて抱き合う若者の姿に頬が緩むが、俺は今からがお仕事だ。
高枝の方からの依頼は、三人には伝えていない。
俺とルメールとペドロが、途中まで護衛として見送るという話になっている。
他の街を経由してきた行きと違い、帰りは直接ペルムシエルに向かうため北の街道を使うのだ。
そして、北の街道は樹鹿の森の隣を通る。
そこからが、俺の本当の出番と言う訳だ。
俺が先に思いを巡らせていると、根族に牽かれて劇場車がゆっくりと動き出した。
大きく手を振る三人と、劇を見た旧王都の住民の歓声に見送られ、ペルムシエルの花劇団は旧王都での公演を終えたのだった。
特に何事もなく、樹鹿の森を見下ろす野営地にたどり着く。
他に誰もいない野営地に劇場車を停めると、ペドロが周囲の安全確認に向かってくれた。
この野営地で優斗と那砂に境界の夜空を見せたあの日が懐かしい。
昨日の出来事にも、ずっと昔の思い出にも思える。
狼に苦戦していた優斗と那砂が、あそこまで立派に成長するとは先輩の立つ瀬がないってもんだ。
だからせめて、二人が守り抜いたマリネにかかる火の粉を、払うぐらいはしないとな。
餌は撒いた。
領主が楽しそうに「任せてくれ」と言っていたのが正直気味が悪いが、残念ながらあいつの言葉は信頼できる。
だから、今日奴は来る。
その確信があった。
身に纏うのは樹猪の革鎧、携えるのは愛用の鉄剣。
あとは各種道具の入ったポーチにリュックの位置を整える。
いつも通りだ。
いつも通りで、万全だ。
特別な用意なんてない。
ルメールが居なければ、俺にはそんな特別はありはしない。
「……ヴァイス」
ここに残って劇場車を護り、俺の帰りを待つ事になっているルメールが、どこか不安そうに俺の手を引く。
「なんだルメール、らしくないな」
「うん、ぼくもそう思う」
しおらしいルメールに、調子が崩れる。
俺がぐりぐりと頭を撫でてやると、俺の掌に頭を押し付けてくる。
しばらく撫でるとルメールは満足したのか、それでも心配そうな上目遣いで俺を見上げる。
「鉄槌を使えなかったけど、それでもぼくに油断はなかった。でも、ぼくの腕は砕かれた」
自分が戦う分には好敵手と思うぐらいには戦闘狂のルメールだが、それが俺に向くとなると心配らしい。
「あぁ、油断はしない。手負いの獣相手だ、全力で行くさ」
「うん……気を付けて」
頭から離れていく手を、名残惜しそうに見つめるルメールの視線を感じながら俺はその場を後にした。
停められた劇場車の前で、高枝の方が待っていた。
「頼むよ、ヴァイス・ブルスト」
「あぁ、任せてくれ」
本当に護衛が居るのか疑問に思うほどの気配を纏った、司祭のような服の上から木の部分鎧をまとった高枝の方。
背の高い枝族の背よりも、更に長い一本の杖を携えている姿は賢者のようですらある。
「本当に、俺一人だけなんですね?」
「あぁ、彼女は好き嫌いが激しくてね。おそらく、君以外は許してくれないだろう」
年の離れた妹の我がままに、仕方ないと頷く兄の様に穏やかに言っているが……。
今から行くのは旧王都周辺で最も強大な支配領域“樹鹿の森”だぞ。
その深奥に、“大樹の姫”が居るという。
深奥に居るとすれば、まず間違いなくあの樹鹿の側だろう。
それが、ただ者であるはずがない。
そんな存在に、他の仲間達は許されず、俺だけが許される。
仲間達と俺の決定的な違い。
先日の見透かすような高枝の方の瞳を思い出し、背筋に震えが走る。
……まさか、な。
そんな予感を打ち消そうと考え込んでいると、扉が開かれる微かな音が聞こえて顔を上げる。
そこには、劇場車の入り口の扉を開けたユナリアの姿があった。
「……ヴァイス様」
心配そうな表情と声色で俺の名前を呼ぶ。
「おう、しっかり仕事はこなすから安心してくれ」
高枝の方はちゃんと守る。
だから心配はいらない。
そういう意味を込めた俺の言葉を受けてなお、ユナリアは表情を和らげることなく、揺れる瞳で真っすぐに俺を見る。
「ご武運を」
小さく、だけど熱い言葉が向けられる。
「……ありがとな」
まったく、気合が入るってもんだ。
そんなに想いを込めて祈られるとは、何が待っているのやら。
「それじゃあ、行きますか」
「あぁ、頼むよヴァイス・ブルスト」
俺が先を行くと、その後ろを高枝の方が歩き出す。
そんな俺の背中に、ルメールとユナリアの視線が向けられるのを感じる。
まったく。
二人の美少女に見送られるとは、おっさん冥利に尽きるってもんだ。
さて。
――今日で、終わらせようか。




