第82話 咆哮
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シンザキが全てを終わらせ、魔器の肉叩きを腰に吊るし。
最早物言わぬファルムだったものに背を向け、マリネに向き直る。
「よく、頑張ったな」
シンザキが普段見せることのない、穏やかで誇らしい声と表情に。
「……っ!」
抑えきれないぐらい溢れる想いのままに、マリネは抱き着いた。
力いっぱい抱き着くマリネを、シンザキが優しく抱きしめる。
ぐりぐりと顔をこすり付けるマリネの頭を、シンザキは何も言わずに撫でる。
顔をこすり付けながら少しだけマリネは上を向き、涙を浮かべた瞳がシンザキをじっと見つめ。
「……お父、さんっ」
今まで、頑なにシンザキと呼び続けてきたマリネが、小さく呟いた。
「……いいのか?」
嬉しそうに、だがそれ以上に申し訳なさそうにシンザキが微笑む。
「うん……わたしのお父さんは、シンザキだからっ」
恥ずかしくなったのか、すぐに顔をシンザキの胸板に埋めるマリネだが、その尻尾は嬉しそうに揺れていた。
――託されただけの俺を、父と呼んでくれるのか。
シンザキの胸中に、痛みと共に十年前の記憶が浮かぶ。
クシナド王国建国戦争に巻き込まれ。
そこで出会い、手が届かず守れなかったマリネの親兄妹。
一人で逃げてきた小さなマリネの姿。
そして、自分達とマリネが逃げる時間を稼ぐため。
全てを託して殿を引き受けた大馬鹿野郎。
「あの馬鹿に聞かれたらなんて言われるか」
俺が呼ばれたかった、と愚痴られるか。
いや、お人よしのあいつのことだ、よかったじゃないかと言いそうだな。
「……どうかしたの?」
「いや、何でもない」
安心させるようにマリネの背中を撫でながら、シンザキは荒れ果てた酒場に眉を顰める。
――こっちにこれだけ手を回したなら。ヴァイスの方はどうなっている?
護衛に向かったヴァイス達が気になったシンザキだったが。
今は自分にできることをするしかないと。
改めて見まわした酒場の惨状に、小さくため息をつくのだった。
■ヴァイス視点
「ルメール!」
劇場車を壊さない様に鉄槌が振るえなかったとはいえ、短時間ならルメールは素手でも強い。
決定打こそ少なくなるが、その小さな体からは考えられない膂力と速さ、人形特有の関節を無視した動きは驚異的だ。
ルメールをよく知っている俺でも、まともにやっても攻撃を当てるのすら難しい。
そのルメールが、この短時間で左腕を失った。
相手の脅威度が想定より上回っていた。
最低でも二級戦力の上位。
俺と同格か、それ以上。
だが、ルメールもやられっぱなしではない。
よく見れば、笑っている人狼の牙が一本足りない。
狼族の牙を一本圧し折っているのは流石ルメールと言える。
獣人の狼族の牙は、魔器相当の部位だろうから、そう簡単に折れるものではない。
ルメールであっても、かなりの魔力を注がなければ無理だ。
……となると、ルメールも相当無茶したな。
ただでさえ、ルメールは燃費が悪い。
本人は強い相手と戦えてご機嫌のようだが、見ているこっちはそれどころじゃない。
劇場車が開いたことで空間が広がったが、相手は劇場車から動こうとしない。
ルメールが劇場車を気にして鉄槌を振るえないのをよく理解している。
人狼はルメールの腕を吐き捨てると、大きく息を吸った。
何かしようとする獣人を止めようとルメールが距離を詰めるが。
――咆哮
離れたここであっても耳を塞ぎたくなる程の咆哮が放たれる。
それは衝撃波を発し、ルメールが吹き飛ばされる。
音だけじゃない。
精神を揺さぶる、意志と魔力を込めた咆哮だ。
実際に葉族が何人か恐慌状態になっている。
隣のユナリアの顔色も悪い。
魔人に近い種族程、こういう精神を直に揺さぶる攻撃が効く。
逆に器人は鈍感なので、他の開拓者連中は顔を顰めているだけで済んでいるようだが。
……ただ、ルメールも魔人だ。
耳で音を聞いている訳じゃないから普通の爆音なら平気だが、意志と魔力が乗っているなら多少は効く。
吹き飛ばされて着地するも、僅かに頭が揺れているのがわかる。
即座に追撃に入った人狼に受けに回るルメール。
左腕を失い、咆哮で感覚が鈍っているからか防戦一方だ。
……駆け付けたいが、護衛を任されている以上動くわけにはいかない。
鉄剣を握る手に力が籠る。
その時。
「根族の戦士よ!私達の守護を頼みます!」
背後のユナリアが叫んだ。
その叫びと同時に、劇場車の前後に控えていた根族がこちらに向かって駆けだしてくる。
俺が驚いて後ろを見ると、ふわりとした笑顔を浮かべたユナリアと目が合う。
「広場ならば、彼等も十分に力を発揮できます」
巨大故に歩幅も広い根族が、想像以上の速度で地響きを上げて駆けつけた。
そして、ユナリアは根族の一人の腕に腰掛けると、強い意志を込めた瞳で俺を見つめ。
「ですので、私達は大丈夫です。行ってくださいませ、ヴァイス様」
その優しくも力強い声に背中を押され。
「恩に着る!」
ルメールの元に向かって駆けだした。
ふらつくルメールの足が、地を這うように駆ける人狼の足で払われる。
掬い上げられるように体勢を崩したルメールに向かい、ルメールの領域を引き裂きながら獣爪が振るわれ。
「させねぇよ!」
間一髪差し込んだ鉄剣が受け止める。
想像以上に重い一撃に鉄剣が軋むが、気合を入れて弾き飛ばす。
「ヴァイス!」
「悪い、遅れた!」
ルメールが体勢を整える時間を稼ぐため、人狼との間に割り込む。
既に俺の間合いから飛び退き、距離をとった人狼が俺を見て目を細める。
「……貴様が、ヴァイス・ブルストか」
「へぇ、初対面でフルネームを呼ばれるのは初めてだな」
護衛に当たっている開拓団の名前ぐらいは調べるか。
俺も方々で顔を売る様にしているから、知られているのは不思議じゃない。
「ふざけた名前だと思ったが、中々どうして曲者のようだ」
「誰がふざけた名前だ」
俺は気に入って名乗ってんだよ。
その言葉に、人狼が笑う。
既に血は止まっているが、血に塗れた獣相が牙を剥き出しにして笑うと中々の迫力だ。
「いや、すまない。我々からすると、あまりにも……食いでがありそうな名前でな!」
そう言うと同時に、両手の爪を光らせ、地を這うように駆けてくる。
何だ、肉汁が滴ってる腸詰に見えるか?
悪いが──俺は喰えたものじゃないぞ。
地を這う人狼に向けて両手で鉄剣を振り下ろす。
いくら速く低かろうが、そのデカい身体なら外す方が難しい。
相手もそれがわかっているのだろう、右の爪で鉄剣を受け止める。
狼族の驚異的な膂力があろうと、両手で振り下ろした鉄剣を片手では受け止めきれない。
だが、それでも一瞬は拮抗し。
その一瞬の間に、人狼の左の爪が俺めがけて振るわれる。
両手が塞がり、体勢的にも避けられない一撃。
だが、俺はそれに何の注意も払う必要はない。
何故なら。
「ぼくを忘れないでね?」
ルメールがいるからな。
俺の後ろから現れたルメールの蹴りが、人狼の胴体に打ち込まれた。
まるで岩と岩がぶつかったような鈍い音と共に、人狼が吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
並みの人間なら粉々になりそうな蹴りを受けて、顔を顰める程度で済むとは頑丈な奴だ。
獣人は強靭な肉体を持つとは言うが、文字通り岩のような筋肉をしているとは恐れ入った。
「想定通りだが、これ程とはな……通りで『人形使い』等と呼ばれるわけだ」
『人形使い』ねぇ。
どうやら、俺の異名が増えていたらしい。
本当の人形使いであるカギミヤが聞いたら嫌味を言われそうな二つ名だ。
「まぁ、ぼくとヴァイスは一心同体だし?そう言われるのも当然だよね」
何故かルメールがご機嫌のようだから訂正はしないでおこう。
「それなら、その二つ名に相応しい働きをさせて貰うとしますか」
「了解だよ、ヴァイス」
さて、そちらにとっては非常に残念な事にルメールがご機嫌だ。
俺としても、ルメールの機嫌を損ねたくないんでね。
……覚悟をしてもらおうか。




