第81話 父親
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現れた新たな脅威。
その者が纏う圧を感じたファルムは、迷わなかった。
全力で踏み込み、瞬く間に懐に飛び込むと、渾身の爪の一撃を叩きこむ。
魔獣ですら一撃で屠るだけの魔力を込めた、利き腕である右の最速の一撃。
だが。
爪撃に負けぬ速度で振り抜かれた何かに、渾身の一撃は打ち払われる。
「ぬぅ!」
ファルムは右手に受けたその衝撃と痛みに、思わず顔をしかめる。
シンザキの左手には、鉄色の魔器が握られていた。
それは、鈍い棘が敷き詰められた鉄色の鈍器。
鈍器とすれば、然程大きくはない。
だが元々の用途からすれば十分に大型の“肉叩き”
「硬そうな肉だが、何発か叩けば柔らかくなるだろう」
料理人であるシンザキならばおかしくはない道具だ。
だが、それが魔器としての輝きを放つとなれば話は変わる。
お返しとばかりに、肉叩きが逆手に振り上げられる。
肉を叩くどころか、骨を砕く勢いに、踏み込んでいたファルムは仰け反るようにして躱し。
「おらぁ!!」
ドスの効いた声と共に、正面を向いたままの蹴りがファルムの胴体に叩きこまれる。
「がっ!」
的確に鳩尾を打ち抜いた蹴りが、酒場の奥に向けてファルムを蹴り飛ばした。
そのままシンザキは追いかけ、動けない優斗と気を失っている那砂を拾い上げ。
「マリネ、優斗と那砂を引きずって入口まで下がれ!」
言うと同時に、マリネに向かって投げ飛ばす。
「う、うん!」
マリネは慌てて二人を受け止めると、入口を背にするように飛び退いた。
蹴り飛ばされながら、当然のように受け身を取ったファルムがゆっくりと立ち上がる。
「よもや、これほどとは」
距離が離れたその場から、感嘆の声を上げると、僅かに目を閉じ。
――その僅かな時間で、纏う空気が切り替わる。
ゆっくりと目を開けば。
その姿は、先程までとは別人のようだった。
「まさか、これほどの猛者が隠れているとは思わないじゃないか」
静謐さすら感じさせる立ち姿。
シンザキも、その空気に襟を正して向かい合う。
「密猟団等という低俗な仮面を被って、勝てる相手ではなさそうだ」
その威厳すら感じる構えに、シンザキは静かに先を促した。
「聞こう」
「かたじけない」
礼と共に、ファルムが纏う空気が変わる。
「我が名はファルム。ラインドルフ先王陛下の親衛隊が一爪にして、殿下の未来を託されし者が一人!」
覚悟の込められた名乗りに、ファルムの領域が呼応する。
全身に魔力が満たされ、全身の筋肉が膨れ上がる。
「先王陛下の無念を晴らすため!殿下の未来を切り拓く為!」
領域が震え、獣が唸るような響きが周囲に広がっていく。
膨れ上がった肉体が、領域を纏うことでその威容を何倍にも大きく膨れ上がらせる。
「悪鬼非道と罵られようと、突き進むが我が誓い!」
周囲に広がっていく響きと反比例するように、領域は圧縮され。
「故に、ここで食い破らせていただく」
静かに、だが強くその牙を剥いた。
「名乗るのは、お前だけだとは思わねぇよな」
シンザキは、首元のネクタイを引くようにして緩め。
ファルムの威容に欠片も動じることなく。
「俺はチュートリアルの酒場の料理長兼――」
強く、一歩を踏みしめる。
「開拓団【チュートリアルの酒場】開拓“団長”シンザキ」
その名乗りに、ファルムの顔が僅かに引き攣る。
そして、続けて覚悟が紡がれる。
「ひとつ盃、親子の契り――」
その瞬間、シンザキを包む領域が鉄色の輝きを帯び、重く沈むように空間を押し潰す。
初めて聞くシンザキの誓いに、マリネの胸が不思議な程に震えていく。
「二つ包丁、心を宿し」
鉄の如く重い領域に、床板が耐えきれずに悲鳴を上げる。
ゆっくりとシンザキが腰から抜き放った包丁が、鉄色に染まる領域の中で一際の輝きを放つ。
「三つ命は、娘のために」
“娘のため”
その一言で、より領域は重く、硬く沈んでいく。
――こんなにもわたしのことを想ってくれている。
マリネは自分に向けられた言葉に。
目に見える程の想いに、その視界が涙で霞んでいく。
「四つ誓いは、守りの道よ」
鋼と鋼が打ち合うような甲高い金属音が魔素を震わせる。
その音は。
背中を見つめるマリネには安堵を。
相対するファルムには戦慄を刻み込む。
「五つ仇なす者あらば――」
シンザキの眼光が、真っすぐにファルムを射抜く。
ファルムが、無意識のうちに一歩後ずさり。
無意識だからこそ、その醜態に驚愕の表情を浮かべる。
「血を割き、肉断ち、骨の髄までバラしやしょう」
シンザキが、腰だめに包丁を構えた。
鋼の領域が、その包丁に追従していく。
「おうてめぇ……舐めた真似しやがって!
俺の娘を泣かせた代――命で払えや!!」
――その誓いは、鋭く、硬く。
最愛の娘を背にした父親に、勝てる相手などいないのだと告げていた。
「貧乏くじを引いたか」
皮肉気にファルムが笑いながら。
だが臆することなく右手を引き絞り、その身に纏う領域全てを魔力で満たしていく。
「はっ、貧乏だろうと骨の髄まで取り立てるに決まってるだろうが」
ドスの効いた声でシンザキは姿勢を低くすると、その包丁一本に魔力を注ぎ込む。
一瞬。
二人の領域圧によって震えていた酒場が、互いに限界まで領域が圧縮されたことで静寂に包まれ。
「――立ちはだかるもの全て食い破れ!【バグ・ナク】!!」
ファルムの必殺の爪が弧を描き振り下ろされ。
「――五つの契りを束ね、貫き通す!【一心】!!」
シンザキの必殺の包丁が魔力を束ね、一直線に銀光を描く。
二人の必殺の一撃が、交差し。
閃光が酒場を包み込んだ。
「……侮っていたつもりは、なかったのだがな」
硬質な音と共に、ファルムの爪が砕け散った。
誓いを乗せた一撃を砕かれ、その衝撃に血を吐き膝をつく。
「奪おうとする畜生が、子を想う親に勝てるわけがないだろう」
静かにそう語りながら、魔力を解き放ち鈍い輝きを浮かべる包丁を鞘に仕舞い込む。
「……道理だな」
誓いも、必殺の一撃も、己が象徴である爪すらも砕かれたファルムからは、あれ程の圧は最早なく。
その巨体も、今は見る影もなくやつれ果てていた。
だがそれでも、その表情はどこか憑き物が落ちたようであった。
「だが、いい一撃だった。言い残したいことがあれば、聞こう」
既に戦士として死んだファルムに、静かにシンザキが問いかける。
「……部下の命だけは」
マリネに刺され意識が朦朧としたエリオと、倒れ伏したまま微動だにしないベルンに視線を向ける。
「命以外は保証できんぞ」
シンザキがエリオを睨みつける。
向けられた圧に、エリオがびくりと震える。
「それで、十分だ」
どの様に扱われようと、返り討ちにあって命が残るならば十分だろう。
「終いだ、ファルム。名は覚えておく」
「……感謝する」
――すまん、ガルド。満足して逝く俺を許してくれ。
戦士として戦い、死ぬ。
叶わぬと思った願いが叶った幸運を噛み締め。
シンザキが魔器を構えるのを確認し、ゆっくりと目を閉じ。
想像よりも穏やかに、ファルムは最後を迎えた。




