第79話 窮鼠
■マリネ視点
涙で滲むわたしの目に、何度も何度も赤い飛沫が映し出される。
『本気で殺しにかかる』
そう宣言してからテンの獣人──エリオの動きが変わった。
獣の様に地を這ったかと思えば、格闘家の様に鋭い拳と蹴りが繰り出され。
縦横無尽に振るわれる爪と拳と蹴りに、優斗も那砂も対応しきれない。
致命傷はかろうじて那砂の結界で防いでいるけど、エリオもそれをわかっている。
即死しかねない重い攻撃と、避けられない軽い攻撃を織り交ぜている。
そして、那砂は重い攻撃を防ぐしかなく、軽い攻撃を防ぐ余裕なんて無くて。
優斗の全身に、幾重にも傷が刻まれ、流れ出る血が赤く染まっている。
「威勢のいい啖呵切ったわりに、わいにかすり傷一つも当てれへんなぁ!」
「うる、せぇ!」
エリオの拳が脇腹に突き刺さりながらも、優斗が負けじと愚直に剣を振るう。
傷口を抉る様な一撃に、優斗の顔が苦痛に歪むけど。
それでも、一歩も下がることなく優斗は前に出る。
拳が脇腹に刺さりながら、それでも上段に構えたガラティーンを振り下ろす。
「根性だけは認めたるわ!」
青白く燃え盛るガラティーンに触れないように、エリオが大きく飛び退る。
その一瞬の時間に、那砂が優斗の背中に触れて、ほんのわずかだけど癒しをかける。
外見上は何も変わらない程度の癒しだけど、ほんの少しだけ優斗の動きをよくしてくれる。
優斗は折れてない。
勝つことを諦めていない。
ガラティーンが纏う青白い炎は、最初の頃よりずっと白く、その熱を高めている。
その炎に負けない程の怒りがこもった瞳で、エリオを見据え続けている。
那砂も、いつ狙われてもおかしくない距離で、いつでも結界を張れるように構えている。
わたしは、何をしているんだろう。
あっけなく掴まって。
後輩に、友達に助けてもらうのを待っている。
声を出して応援する事すら封じられて。
何度振りほどこうとしても、このベルンという熊獣人の手はびくともしない。
わたしは、無様に泣くことしかできていない。
小さいころからそうだ。
わたしは、シンザキに、ヴァイスに、みんなに守られて助けられて生きてきた。
大事にしてくれて。
頼ってくれているけど。
それは、みんなが優しいからだ。
あの大きな背中で、わたしを導いてくれているからだ。
だから、わたしもそんな人になりたくて。
誰かを背中で導けるようになりたくて。
来訪者として何も知らない二人に、先輩として振舞っていた。
なのに。
また、わたしは二人に守られてる。
今は、二人の背中を見つめている。
強くなった二人と、一緒に隣を歩いていたつもりが、二人は先に進もうとしている。
こんなの、情けないなんてもんじゃない。
わたしは、あの人たちに追いつきたいのに。
このままじゃ、わたしはもう……。
情けなさが溢れて、涙になって零れ落ちた。
そんな情けない私を見た優斗が。
優しく笑った。
「大丈夫、マリネちゃん。すぐに、助けて見せるから」
ぼろぼろで、傷だらけで。
それでも、辛さを感じさせない優しい笑顔で。
「マリネちゃんはこの酒場が一番似合うんだから、どこにも連れてなんていかせない!」
同じように、那砂も優しく笑いかけてくれて。
その言葉に。
わたしの胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。
「はっ、友情ごっこもええけど、現実見ぃへんとな。ベルン!」
「いいの、兄貴?」
場にそぐわぬのんびりとした声が、わたしの頭上から降ってくる。
「想像以上に頑張ってくれはったからな、時間かけすぎてもうた。そろそろ終わらせるで」
「了解だよ、兄貴」
ベルンが両手で掴んでいたわたしを左手だけに持ち替え、塞がれていた口が解放される。
「優斗、那砂!わたし、わたし……!」
二人の名前を呼ぶのが精一杯で、想いが言葉にならない。
「大丈夫だ、マリネちゃん」
「うん、大丈夫だよ」
そう言ってくれる二人だけど、その表情は硬い。
エリオ一人でも辛かったのに、わたしで片手が塞がっているとはいえこの大男が加わるんだ。
このままじゃ、二人がやられるのも時間の問題なのは明白だ。
だったら、わたしがどうにかするしかない。
でも、どうしたら。
「いっくよー!」
ベルンが、のんびりとした掛け声で踏み出した。
ゆっくりとした動きだ。
でもその巨体は、そのゆったりと見える動きですら、一歩が大きく早さにつながる。
ゆっくりと、右手が握りしめられ。
強く、硬く握りしめられた拳に、周囲が歪む程の領域が纏われる。
「那砂っ!」
「どーん!」
わたしが叫ぶのと、大きく結界が張られるのと、ベルンの拳が振るわれたのはほぼ同時だった。
轟音が響く。
衝撃で、周囲のテーブルが粉々に砕け散る。
その余波で、離れているバーカウンターのグラスやお酒まで割れた音を響かせる。
「あぐっ!」
那砂が、膝をつく。
結界は割れなかった。
それでも、那砂は脂汗を浮かべてしまっている。
でも。
「らぁ!」
優斗は、信じて動いていた。
結界で止まったベルンの腕に向かって、ガラティーンを振り下ろす。
青白い炎を吹き上げたガラティーンに、壊れなかった結界に首をかしげていたベルンが慌てはじめる。
「うわぁっ!?」
「させへん、安心しぃ」
その言葉と同時に、横から駆け付けたエリオが、優斗を蹴り飛ばす。
何かが折れる音と共に、優斗が吹き飛ばされて那砂の近くまで転がっていく。
「優斗!那砂!」
「兄貴、助かったよ」
「弟分を守るんもわいの仕事や、気にせんでええ。しかし、今のはいいの入ったやろ」
嬉しそうなベルンの肩を、エリオが親しげに叩きながら、吹き飛ばされた優斗に視線を向ける。
「気のせいじゃ、ないか……?」
地面に血を吐き捨てながら、左手にガラティーンを構えた優斗が立ち上がる。
明らかにその右手が、おかしな方向に曲がっているのが見えた。
「おぉ、そこでそないな強がりができるのは素直に尊敬するわ」
「強がりに、見えるなんて……その目、節穴じゃねぇのか」
脂汗が浮かぶ表情で、それでも優斗はガラティーンを突き出すように構えて不敵に笑っていた。
そして、その隣には、同じように笑って立ち上がる那砂の姿。
「そうだよ、優斗くん。だって、二人がかりで……まだ私達程度に手間取ってるんだから、ね」
慣れない挑発をしながら、那砂がブローチを握りしめる。
「ほんまや、これは痛い所突かれてもうたな!」
驚いたようにそう言って手を叩いてエリオは笑い。
「なら、終わりにしよか」
一瞬で、冷徹な顔を浮かべ。
ふと。
優斗と、那砂と目があった。
覚悟を決めた、二人の目だ。
わたしが何をするのかに考えが及ぶ間もなく。
優斗が、叫んだ。
「日輪の写し身よ!!」
ガラティーンに、瞬間的に大量の魔力が注ぎ込まれ。
まるで太陽のような輝きを放ち始める。
「兄貴、あれ!」
「何しようとしとるかわからへんが――させへん」
二人の意識が、優斗に注がれる。
僅かに、わたしを握りしめる手の力が緩んだ。
――今しか、ない。
わたしは、ヤマネ族。
爪も牙もないけれど。
それでも、硬い木の実を砕けるぐらいの歯ならある!!
ありったけの魔力を、口に注ぎ込む。
生まれて初めて注ぎ込んだ魔力に、凄まじい痛みが走るけど。
二人の痛みに比べれば、なんてことはない!
その勢いのままに、全力でわたしを掴むベルンの指に噛みついた。
硬い毛ごと、その硬い肉にわたしの小さな歯が食い込んだ。
「わぁっ!?」
完全にわたしから意識が逸れていたベルンが、想定外の痛みに手の力が緩み切った。
わたしだって、獣人族だ。
全身に力を入れて、その手を振りほどく。
あとは、二人の所に──
「させへんよ」
「あがっ!?」
わたしのお腹に、エリオの蹴りが突き刺さり、優斗と那砂とは逆方向に蹴り飛ばされる。
痛いなんてもんじゃない。
わたしは脂汗を浮かべながら、痛みに体を丸めるしかできない。
これを、優斗は何度も受けて、折れずに立ち上がったんだと思うと、尊敬しかない。
でも。
わたしは、笑う。
優斗と那砂を見て、笑った。
わたしは知っている。
ずっと、二人がわたしを巻き込めないから、使えなかった切り札を。
でも、今わたしは吹き飛ばされて。
あそこにいるのは、エリオとベルンだけだ。
だから、わたしは小さく呟いた。
――やっちゃえ。
その小さな呟きに応えるように。
二人が小さく笑ったのが見えた。




