第78話 人狼
■ガルド視点
飛び掛かってきた勢いのまま、小さな拳が振り抜かれる。
「ふんっ!」
それに対して、掌底で迎え撃つ。
全身の筋肉を膨れ上がらせた一撃が小さな拳とぶつかり合い。
まるで鉄塊が叩きつけられたような衝撃に目を見開く。
両足の爪を立てて踏ん張ってようやく拮抗する程の膂力。
「魔人でもこれ程のものは中々いないぞ!」
ラインドルフでは魔人と交流があり、会ったことも手合わせしたこともある。
だが少なくとも、こんな小ささでこれ程の膂力の持ち主に会ったことはない。
「へぇ、思ったよりいいね」
打ち合った反動で少し距離をとった彼女は、足が地に着いた瞬間即座に姿が視界から消える。
それでも微かに見えた残像から、俺は即座に跳びあがる。
先程まで俺がいた場所に、這うような姿勢で足払いをかけていた彼女と目が合う。
――早く、低い。
小動物獣人の様に小さく、我々肉食獣人のように早い。
少なくとも、あの巨大な鉄槌を担いで同じ動きができる者には思い当たらない。
まさか、こんな辺境にこのような化け物が居たとは、誤算もいい所だ。
そんな僅かな思考の隙に、一瞬彼女が笑ったかと思うと。
その姿勢のまま、姿が大きくなる。
――違う、這った姿勢のまま跳びあがったのか!?
人間種ではあり得ない挙動。
筋肉のない身体だから、全くの予備動作なしの行動に虚を突かれる。
こちらに向けられる美しい笑顔に、恐怖しか感じられない。
寸前で蹴り上げられた足を両腕で防げたのは幸いだった。
それでも、凄まじい衝撃と共に蹴り飛ばされる。
だが何とか姿勢を変え、壁面に着地することに成功する。
凄まじい衝撃が両足にかかるが、叩きつけられるよりはましだ。
目の前で、軽やかで美しさすら感じる動きで着地するのが見えた。
「化け物め」
「誉め言葉として受け取っておくね」
勿論、心からの賛辞だとも。
そして、貴様はここで仕留めねばならないという事も。
……エリオが俺に匹敵すると断言したヴァイス。
それの二つ名に含まれているこのルメールと言う魔人。
それからわかるのは、単純な話。
この化け物とヴァイスを組ませてはいけない、という事だ。
だから。
――ここで仕留める。
■ヴァイス視点
悲鳴の後、間を置かず遠吠えが響き渡る。
重なって聞き取り辛いが、数は五。
それに呼応するように、遠吠えの近くに布陣していた開拓者達の怒号が響く。
あそこまで怒りに満ちた声を上げたという事は……やられたか。
配置された場所と、聞こえた声から誰がやられたか思い浮かぶ。
苦々しい痛みを感じるが、死者を悼むのは後回しだ。
三級戦力に届いていた古参のあいつが、悲鳴を上げるしかできなかった相手だ。
油断はできない。
「ヴァイス様……まさか」
「あぁ、襲撃だ。しかも、最悪な事に予想通り獣人だ」
怯えた声を上げるユナリアを庇いながら、周囲に意識を向ける。
襲撃者の場所に、ペドロ達が増援に向かっているのが見える。
本番を想定した配置だったから、空の客席を護る必要はない。
観客席に配置したペドロが向かったのならば問題ないだろう。
流石に、護衛対象であるユナリアを置いて俺が今動くわけにはいかない。
「ロココ、今外に出ている者は全員こっちに!」
「了解なのです!みんな、集合なのですよ!」
何人もの葉族がこちらに向かって駆けてくる。
こういう時、遠距離攻撃の心配がない世界なのはありがたい。
「大丈夫なのでしょうか」
少し声が震えているユナリアに、俺は鉄剣に手を添えて笑いかける。
「なに、指一本触れさせやしませんよ」
これぐらい大口叩かなければ、命がけで奇襲を知らせてくれたあいつに顔向けできない。
ペドロが合流した外周部では、戦闘が始まっていた。
遠目でもわかる、肉食獣人の集団だ。
中々の手練れだし、運動能力に優れているのが見て取れる。
だが、数と連携で勝っているペドロ達相手に、攻めあぐねている。
……それはおかしい。
その程度の相手に、悲鳴を上げるしかできない奴ではなかった。
となると……陽動か!
慌てて劇場車の方に視線を向けると。
丁度、劇場車から葉族が一人飛び出してきたところだった。
「敵襲なのです!現在、劇場車内でルメール様が交戦中なのです!!」
大声でそう叫ぶ葉族に、嫌な予想が的中したのがわかった。
念のために、ルメールに無理を頼んで小さな着ぐるみに押し込んだが、正解だったようだ。
だが、まずい。
劇場車内では鉄槌が振るえない。
いくら劇場車が頑丈だと言っても、限度があるからな。
ルメールにもそれは厳守させている。
そして内部に入り込んだのが、あいつを仕留めた手練れなら、素手を強制されたルメールでは万が一が起こりえる。
ユナリアに視線を向けると、察してくれたユナリアが力強く頷いた。
「ロココ、開幕です!」
「りょ、了解なのです!劇場車、開幕なのです!!」
ユナリアに呼ばれ、ロココが慌ててて懐から取り出した開幕を告げる笛を吹き鳴らす。
劇場車の両脇に控えていた根族達が、その笛の音に従って、劇場車の両脇に備え付けられた輪に手をかける。
根族によって。二つの輪が同時に力強く回されていく。
すると、輪に連動して客席側に面した劇場車の側面が、ゆっくりと開いていく。
滑らかに、だが低音を響かせながら、その巨大な舞台が露になっていく。
そして。
露になった美しい舞台の上で。
左腕の付け根を押さえながら笑うルメールと。
もぎ取られたルメールの左腕を咥え、口から血を流し笑う人狼の姿があった。




